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【ネタバレ注意!】「天鏡のアルデラミン」14巻の感想。感動の最終巻!

 

ついに完結!

思い返せば6年前、本作の1巻を読んで、魅力的なキャラクターや息つく暇もない展開に一気に引き込まれました。

正直そんなに好きじゃないはずの戦記物というジャンルでしたが、僕にとっては例外中の例外といった位置づけの作品になりました。

そういえば、本作の絵師さんは体調不良を理由に6巻以降変わっていて、今書店で販売されているものは5巻以前のものも含めて、変わった後の絵師さん(竜徹)が描かれたものになります。

最初は少々違和感がありましたが、今ではすっかり作品に馴染んでいます。

この記事を書くにあたり過去作をパラパラと見返し、昔の絵師さん(さんば挿)の絵を見て、そういえばそんなこともあったな~と懐かしくなりました。

そんな天鏡のアルデラミンもついに最終巻。

胸が熱くなり、胸が騒ぎだし、そして胸が痛くなる物語について記します。

ネタバレ成分多めのため、未読の方はご注意ください。

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 イクタとジャンの決着

カトヴァーナ帝国とキオカ共和国という2国間の戦争の最終決戦であり、イクタとジャンの知略の争いの決着でもあります。

この物語には、科学の進歩により戦争の在り方が変わるタイミングが書かれていますが、この最終決戦ではキオカ共和国側が完全に先を行っており、イクタ(帝国)は最初から不利な戦いを強いられることになります。

陸での戦い、海での戦い、不利ながらも何とか凌ぐ帝国軍。

しかし、最終的にこの戦いの決着は、軍事力の差でも、イクタとジャンの知略の差でもない所で決まります。

常怠常勝のイクタは、「イクタ・ドクトリン」という政策で兵士を労り、戦争が長期化しても士気が落ちないように図ります。

そして、眠らずの輝将のジャンは、通信技術の発達により末端まで自分の意思が行き届くようになった軍隊を、全て自分の思うように動かそうとします。

その結果、さすがのジャンも精神力・体力ともに限界を迎えたのか、ついに倒れてしまいます。

ジャンの知略に頼っていたキオカは撤退せざるをえなくなりました。

ジャンの自分一人が頑張れば良いという考え方と、イクタの上手に怠ける考え方。

何だかブラック企業ホワイト企業みたいですね。

何はともあれ、誰が見ても帝国の勝利で終わったかに見えた戦争ですが・・

帝国元帥であるイクタから「帝国の敗戦」の宣言が飛び出します。

イクタとトリスナイの決着

イクタの、トリスナイとの決着のための備え。

トリスナイの油断を誘う。ただそれだけのために「誰にもまるで脚の怪我が治っていないかのように振舞っていた」イクタ。

目線を向けずに首を狙う練習を繰り返したイクタ。

しかし、そこまでして殺したトリスナイが最後に残した人間らしい言葉には後味の悪さが残ります。

イクタはトリスナイが最後に残す人間らしいセリフに耐えられず、末期の独白を遮ります。

「救ってあげたかった」と、誰とも出会わなかった場合の自分とトリスナイを重ねるヴッァキェの涙。

終始裏側で暗躍する感じの悪い悪役として書かれていたトリスナイですが、本作では彼の過去と人間らしさも書かれていて・・

イクタの感じる後味の悪さ、ヴッァキェの涙、それらの理由が読者に理解できるようになっています。

イクタとシャミーユの決着

本作のハイライト。

元帥の立場を利用した利敵行為。

第一級戦犯として、自らが育てた新しい制度で裁かれることになったイクタ。

イクタの騎士団仲間やスーヤ、イグゼム名誉元帥、シバ大将といった面々はイクタの不可解な行動に戸惑いつつもイクタを救おうとします。

しかし、自ら望んで極刑への道を辿っているとしか思えない、ふざけた態度で裁判を受けるイクタを誰も止めることができません。

さて、イクタの行動の意味を唯一理解しているのは作中ではシャミーユだけですが、他にも知っている人がいます。

そうですね。我々読者です。

1巻ラストでのイクタとシャミーユのやり取りを知っている読者にとってこれは、予想された結末の一つではあったと思うのですが、それだけに胸が痛くなりますね。

やはりそれしかなかったのかと。

こうして、本当の意味で物語は始まった。『常怠常勝の智将』ことイクタ・ソロークと、『カトヴァーナ帝国最後の皇女』ことシャミーユ・キトラ・カトヴァンマニニク。この二人が共に並んでひた走る、約束された敗北へと続く戦いが。

十分な国力を保ったまま戦争に上手に負けて、敗戦により キオカから流入する文化・経済・政治哲学といった外圧を利用して、軍事力ばかり高まり国力が先細りとなっている帝国を救うこと。

それがシャミーユの目的であり、1巻ラストでイクタをその目的に巻き込みます。

シャミーユの描く筋書きでは、自らが「帝国の敗戦」を宣言して裁かれることで、これからは不要となるであろう皇族の血を絶やし、民主国家の礎となるつもりでした。

イクタ復活までの間、暴君として振舞っていたのも自分に憎しみを集めるためとなります。

そして、「帝国の敗戦」の共犯者であるイクタにもその心は隠していましたが・・

実のところイクタはそのことにずっと気付いていました。

最初はイクタもシャミーユも死ななくて済む道を目指していたイクタだが、どうしてもその前提となる「シャミーユが自分を許すこと」を満たせなかったため、シャミーユの代わりに自分が犠牲になる道を選ぶことになります。

人が死に臨む理由。

・死にたいと思う心

・死ななきゃならない理由

・生きなきゃならない理由が見当たらない

最初の2つまではシャミーユにはとっくに揃っていたとイクタは言います。

そして、イクタが生きていたら3つ目の理由も満たされてしまう。

自分は死んで、シャミーユの生きなきゃならない理由である「国家の腐敗に対する皇族の責任」。これからの帝国のために働く役割をイクタに託すつもりでいたシャミーユだが、イクタが強制的にその役割を交換した形ですね。

イクタの真意を知った面々は、あの手この手でイクタの極刑を回避しようとしますが、当のイクタがそれを望んでいないため上手くいきません。

とうとうイクタへの判決がでて、公開斬首刑に処されることになってしまいました。

「この裏切りを、決して忘れないように」

判決後、イクタの最後の言葉に不可解な行動の真意に気付きかける裁判長ですが、一度下された判決は覆されません。

イクタの死を嫌がるシャミーユとの最後の時間を過ごし、その後刑が執行されました。

総評

イクタの死か、シャミーユの死か、はたまた両者とも生き残るのか、いずれかが予想された結末でした。

シャミーユの死は、主人公であるイクタにとって完全にバッドエンドなので可能性は低いと思っていましたが、だからといって何だかんだイクタが死ぬことはないだろうと思っていました。

エピローグでのシャミーユの元気で幸せな様子を見るに、イクタ視点ではハッピーエンドとまではいかなくても、限りなくそれに近い結果だったのかもしれないと思います。

読者的には、イクタもシャミーユも生存するルートを見てみたくもありますね。

イクタが生きていた場合のシャミーユの未来は、本作のエピローグでのシャミーユとはまた違った人物になっていたかもしれないと、想像は膨らみます。