そもそも株って何なんだろうか?
さて、本ブログの収益を全て投資へと回してみようとしているわけですが、何も勉強せずにいきなりやってみるほど僕も馬鹿ではありません。
というか、馬鹿なので株取引について何となく知ってはいてもよく分かっていない所が多かったり、そもそもどうやって始めたら良いのかすら分かっていません。
・・って、それじゃあダメじゃん!
というわけで、まずは株とは何かという基本的な所から勉強してみました。
そこから得た理解をアウトプットしようというのが本記事の趣旨となります。
とはいえ、株とは何かという説明はもっと詳しいサイトや書籍に溢れかえっているので僕が改めて説明するようなことではないのではないかとも思っています。
なので本記事では、株とは何かと勉強したことそのもではなく、あくまでもそこから得た僕自身の理解をアウトプットしたいと思います。
本質から外れていたり、正確ではなかったりする部分もあるかもしれませんが、こういうことでは自分なりの理解を得ることも大事だと僕は思っていて、だからこそこういう理解もあるのだとアウトプットしてみたくなったわけですね。
たぶん何事においても「それじゃあダメじゃん!」で終わってしまう人が多くて、自分自身にもそういう所があるのですが、本記事が「それじゃあダメじゃん!」から踏み出す一歩目になってくれたら嬉しいです。
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1.株と預金の違いとは?
株のことをリスクがあるけどリターンも大きい預金のようなものと捉えている人は多いのではないでしょうか?
しかし、株とは何かと勉強した人なら「それは違う」と言われるのではないかと思います。株とは投資であって、自分の資産を金融機関に預ける預金と、将来の利益のための活動である投資は明らかに別物ですからね。例えば習い事だって将来の自分の価値を高めるための投資なわけですけど、そう言えば預金とは全くの別物だということが分かりやすいのではないでしょうか?
とはいえ、株取引に興味を持つような人の多くは自分の資産を預金以上の高利率で運用するために活用したいと考えている人が大半なのではないかと思います。そういう意味ではリスクがあるけどリターンも大きい預金のようなものと捉えても満更間違いでは無いと僕は思っています。
しかし、日本人は堅実な人が多い上に、学校でもちゃんと投資について教えてはくれません。むしろ投資とはギャンブル的なものであるという認識を植え付けられ、真面目な人ほど敬遠してしまっているようなところもあるのではないかと思います。そして、その原因は、株取引のことをリスクがあるけどリターンも大きい預金のようなものとだけ捉えてしまっている人が多いからなのではないかと思います。
リスクの大きな預金。
それは確かにギャンブルです。(笑)
ですが株取引は「リスクの大きな預金」ではなく、あくまえも「リスクの大きな預金のようなもの」であって本質は別にあります。
リスクがあるけどリターンも大きい預金のようなものという理解に間違いはなく、その想定で興味を持つ分には問題ないと思うのですが、それだけの理解だとギャンブル的になってしまう。だからリスクがあるけどリターンも大きい預金のようなものとして株取引に手を出すにしても、本質的な部分はもう少しちゃんと理解しておかなければいけないのではないかと思っています。
というわけで、続いては株の本質的なところの説明となります。
2.株とはギャンブルではない
さて、繰り返しリスクという言葉を使いましたが、そもそも一体何がリスクになるのでしょうか?
このリスクが何なのかを理解していない内は、株取引に限らず投資活動は全てギャンブルと同義になってしまうため、まずはここを正しく理解しておく必要があると考えます。
投資は預金と違って元本割れする可能性があることをリスクと捉えている人が多いのではないかと思いますが、もっと根本的に考えてみましょう。
将来の利益のための活動であるのが投資であると前述しましたが、この利益という所がポイントとなります。利益という言葉からはプラスな印象を受けがちですが、実際のところ利益にはプラスの利益とマイナスの利益が存在します。
つまり、将来の利益がマイナスに転じる可能性こそが投資におけるリスクとなるわけですね。
ところで利益とはもっと俗な言い方をすれば儲けや収入のこととなります。つまり、余程の無茶をしない限りは堅実にプラスに転じていけるもの・・というか、そうなってもらわないと困るものということになります。
働いたらお給料が支払われる。これは現代日本において最も堅実な利益でしょう。
起業して商売を始める。これは商売が軌道に乗らずマイナスの利益が発生してしまう可能性があるものの、これだって綿密にプラスの利益を見込んだ上で起業するのが普通ですし、その計画が無ければ金融機関だって企業のための融資をしてくれませんよね。
ではギャンブルはどうか?
ギャンブルとは必ず胴元が儲かるように確率計算された商売であり、そうでなくても結果を見通すことができない不確実性があります。そういう意味ではある程度のプラスの利益を見込んだ商売とは全く性質が異なります。
最後に株取引の話に戻ると、実は株取引で見通せる利益は「起業して商売を始める」に通じる部分があるのではないかと思います。その理由の詳細は後述するとして、そう考えると株取引とはそもそもギャンブルではないということになります。
しかし、中には自分が投資した企業がどのようなものなのかとか、景気の動向のことをよく考えずに何となくで投資する人も少なくないのではないかと思います。
少しは見通せるかもしれないものを見通そうとしない。そういう精神で株取引に手を出すと、株取引はギャンブル的になるのかもしれませんね。
3.株の所有者になるということは、企業の持ち主になるということ
最後に、株取引で見通せる利益は「起業して商売を始める」に通じる部分があるのではないかと前述しましたが、それは一体どういう意味なのか?
株の所有者は自らで商売しているわけではありません。しかし、その商売に対して価値を見出して出資する仕組みこそが株取引となります。
そして企業に出資するということは、株の所有者というのはある意味企業の持ち主になることと言い換えることができます。その証拠に、株の所有者の影響は企業の経営に無関係ではありませんし、企業活動で得た利益の一部を企業は配当や株主優待という形で還元してくれます。
もちろん、そういったものは企業の業績が悪くなれば減少します。つまり、株の価値というのは企業の業績に左右されるわけですね。(正確には社会動向などもっと色々なものに左右されますが)
そこを理解すれば、株取引とはギャンブルでは無いという部分の理解がより深まるのではないでしょうか?
ブログ収益を元手に株取引をはじめてみた経緯
漫画やラノベのレビューが大半の本ブログですが、そもそもは僕が書きたいことをつらつら綴っているだけの雑記ブログなので、これまでにも他の記事とは毛色の違う記事は多々ありました。
とはいえ、まさか株取引について書くことになるとは本ブログの開始当初は思っていませんでした。
大好きな漫画やラノベのレビューを気ままに書いているくらいが僕にはお似合いかなぁ~って。(笑)
ちなみに、そんな気ままなブログではありますが、実は今までの累計で約25万円ほどの収益が上がっています。
これを高いと見るか安いと見るかは人それぞれですが、費やしている時間から考えるとブラック企業も真っ青な水準であるとだけ言っておきます。(笑)
だけど、ただの趣味でこれだけの価値を生み出せるものなのかと嬉しくなって、本ブログの収益は本業の収入とは別口座で手つかずのままにしていました。
しかし、別枠にしておくのは良いとしてただ寝かせておくのはもったいないと考えた時に、「そうだ! 以前から興味はあったものの尻込みしていた株取引の元手にするのはどうだろうか?」と思いついたわけです。
ブログも趣味なら株取引も趣味なので、本業の収入とは切り離したところで運用してみるのはとても面白そうだし、今後のための勉強にもなるし、一石二鳥ですしね!
というわけで、最近は株取引の勉強をしたり実際にやってみたりで本ブログの更新をサボっていました。(笑)
・・で、せっかく新しいことに挑戦してみたのだからそれも記事にしてみようと考えて、今こうして書いているわけです。
最初は株取引という本ブログに今まで投稿していた記事とは毛色が違いすぎるテーマなので新たに別ブログを立ち上げようかとも考えたのですが、あくまでも本ブログの収益を元手に回しているということなので、これも本ブログの中で完結させよう・・というのが建前で、ホントは新たにブログを立ち上げるエネルギーが無かった。(笑)
まあ、せっかく株取引について勉強してみたり実践してみたりしたことが色々あるわけなので、これからは株取引についても色々投稿していこうと思っています・・というか、僕にとって株取引こそが現在最大の関心ごとなので、たぶん株取引関連の投稿が中心になるでしょう。
というか、実践したことや勉強したことのアウトプットはこれから株取引をやってみようという人にも役立つと思いますし、僕自身にとっても反省と振り返りになるのでこれも一石二鳥なんですよね🎵
まあ、興味がある人は株取引関連の記事も覗いてやってください。
『鬼滅の刃』の発行部数の凄さ。実は『ONE PIECE』以上!?
『鬼滅の刃』が大変な社会現象になっています。2019年のアニメ化の際にも一気に人気が爆発したという印象を受けましたが、劇場版である『無限列車編』の興行収入がとてつもない短期間で300億円を突破し、もはや普段は漫画やアニメに縁も興味も無い人ですら『鬼滅の刃』のことは認知しているのではないでしょうか?
そして、劇場版の大ヒットの裏で原作漫画の累計発行部数が驚異的に伸びたことも話題になりました。
1億2000万部
それが『鬼滅の刃』の最終巻発売時点での累計発行部数で、歴代でも8位に該当する大記録ではあるのですが、現在進行形で歴代最高を軽々と超えていきそうな勢いの劇場版の興行収入の記録に比べると少々霞んで見えてしまうかもしれません。
しかし、実はこの1億2000万部という数字には歴代の累計発行部数ランキングで不動の1位である『ONE PIECE』以上の凄さがあるのではないかと考えます。
本記事では、あくまでも個人的な見解ですが、なぜ『鬼滅の刃』の累計発行部数が『ONE PIECE』より凄いのか、その根拠を述べていきたいと思います。
なお、本記事に記載している歴代発行部数は全て漫画全巻ドットコム(2020年12月時点)のものを参考にさせていただいており、こちら から確認することができます。
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累計発行部数が1億部を超えた作品
長期連載の漫画が昔よりも増えてきているとはいえ、累計発行部数が数百万部もあれば十分以上にヒット作品と言えるのが漫画の世界なのではないかと思います。そんな中で1億部を超えるような作品はいずれも漫画史に残るようなものであることは間違いないでしょう。この度『鬼滅の刃』がその仲間入りをしたわけですが、現在(2020年12月時点)時点で累計発行部数が1億部を超えている作品にはどのようなものがあるのでしょうか?
『鬼滅の刃』の発行部数の凄さを語る前にまずは累計発行部数の多い順におさらいしてみましょう。
- ONE PIECE(4億7000万部)※97巻
- ゴルゴ13(2億8000万部)※199巻
- ドラゴンボール(2億6000万部)※42巻
- NARUTO(2億5000万部)※72巻
- 名探偵コナン(2億3000万部)※98巻
- こちら葛飾区亀有公園前派出所(1億5650万部)※200巻
- 美味しんぼ(1億3000万部)※76巻
- SLAMDUNK(1億2000万部)※31巻
- BLEACH(1億2000万部)※74巻
- 鬼滅の刃(1億2000万部)※23巻
- ドラえもん(1億部)※45巻
- 鉄腕アトム(1億部)※21巻
- ジョジョの奇妙な冒険(1億部)※129巻
- タッチ(1億部)※26巻
- 金田一少年の事件簿(1億部)※70巻
- 北斗の拳(1億部)※27巻
- 進撃の巨人(1億部)※32巻
並べてみるとこんな感じですね。17作品もあるとは結構多い気もしますが、それでも誰もが知っているレジェンド級の作品ばかりが並んでいてとても壮観です。そんな中に並んだだけでも『鬼滅の刃』がいかに漫画史に残る作品であることは間違いありません。
誰だ劇場版の興行収入に比べたら霞んで見えるとか言ったのは。(笑)
『鬼滅の刃』の発行部数の何が凄い?
さて、とても壮観なラインナップを眺めてみたところで、やっぱり『ONE PIECE』の4億7000万部がダブルスコア並にずば抜けて感じられますね。
ではなぜ『鬼滅の刃』の発行部数が『ONE PIECE』より凄いのか?
まあ、勘の良い人なら前述のラインナップに巻数を並べて記載した時点で気付いているかと思いますが、1巻あたりの発行部数で『鬼滅の刃』は『ONE PIECE』を上回っているのです。
『ONE PIECE』が約485万部に対して、『鬼滅の刃』が約522万部ですね。1巻あたり約620万部の『ドラゴンボール』には及ばないものの、これはとても凄いことなのではないでしょうか?
それに最終巻である23巻の初版発行部数が395万部というのもとてつもない数字で、かの『ONE PIECE』ですら初版発行部数が300万部を初めて超えたのは57巻の時点。25巻の時点では250万部という数字が話題になっていた記憶があります。それと比較すると『鬼滅の刃』の勢いの凄まじさが伺えますね。
もちろん、20年以上も第一線で大人気漫画であり続けている。100巻近くも人気を維持し続けているという点に『ONE PIECE』の凄さはあるので、この2作品の凄さを純粋に比較することはできないし、それは愚かしいことなのかもしれません。
しかし、現代的な感覚では決して多くはない23巻完結の漫画で1億2000万部ということの凄さは感じていただけたのではないかと思います。
また、『鬼滅の刃』の累計発行部数はその急激な伸び方も話題になりました。
2019年4月、アニメ開始時点では累計で350万部だったものが2年かけずに1億2000万部に達したことになります。
また、既に完結したとはいえその勢いは衰えていないのではないかと思います。劇場版の大ヒットの影響もあるでしょうし、これから読んでみようという人も少なくないのではないでしょうか?
そうなると、もしかしたら『ドラゴンボール』の1巻あたり約620万部という数字も見えてくるかもしれませんね。
今からでも遅くない。『鬼滅の刃』を読んでみよう!
本記事の読者の中には『鬼滅の刃』のファンもいれば、「話題だけどどんな話なの?」って思っているような人もいると思います。「なんか数字の記録の上では凄いのは分かった。・・で、面白いの?」てな感じです。(笑)
万人受けする大ヒット作が、しかし本当の意味で全員にとって面白いとは限りませんからね。実際、最初にラインナップした累計発行部数1億部超の漫画の中にも、個人的には何が面白いのかが分からない作品もあったりします。(何かは言わないけど)
そして、ここまで散々『鬼滅の刃』の凄さについて語っておきながら、実は『鬼滅の刃』こそが何が面白いのかが分からない作品の一つでした。ほんの数週間前までは。
週刊少年ジャンプでは頻繁に新連載が始まり、そして終わっていきます。読み慣れた人なら何となく終わっていく漫画の雰囲気が感じられるようになってくるので不思議ですよね。
僕は『鬼滅の刃』の連載開始時、最初の数話で「これは終わっていく漫画っぽい。正直面白くない」と感じて読むのを止めてしまっていました。
その後も知人から「最初ガマンして読んだら面白くなる」と言われたこともあったのですが、どうも受け付けないと毛嫌いしてしまっていたのです。
しかし、劇場版の大ヒットを受けて「ここまで話題なのだからさすがに観てみよう。原作の中盤のエピソードらしいから原作で少し予習しておこう」とまずは劇場版の無限列車編の直前まで原作を読んでみたわけです。
そしたら、確かに序盤に少々退屈なエピソードが続くもののその後は急激に面白くなってきて驚きました。「最初ガマンして読んだら面白くなる」という知人の助言は正しかったわけです。
王道だけど個性的なストーリーにキャラクター。独特の台詞回しのセンスも抜群で飽きさせませんし、シリアスなシーンにも時折挟まれるコミカルなギャグもバランスが絶妙です。
週末に劇場版を観るために平日に無限列車編の直前まで読むつもりが、一気に最後まで読み切ってしまいました。というのが先週の話。(笑)
つまりは読み進めると止まらない。続きが気になって仕方が無くなるタイプの漫画なので、完結直後である今はある意味読み始めるベストなタイミングと言えます。
週刊少年ジャンプの人気作品には珍しく、引き伸ばしてマンネリ化したような感じも無く、23巻で一貫したストーリーを綺麗に完成させており、分量的にも手を出しやすいのではないでしょうか?
『鬼滅の刃』の魅力については、また別の機会にもっと深入りして語ってみたいと思います。
『魔女に捧げるトリック』マジックで魔法を演出する異世界転生の感想(ネタバレ注意)
子供の頃マジックが好きでした。目の前にある不思議な現象にワクワクしたもので、マジックを見た時の感想を一言でいえば「まるで魔法のようだ」というものに集約されるのではないかと思います。
そんな魔法のようなマジックを、多くの場合は魔法が存在する世界へ異世界転生・転移する類の物語に、魔法の代わりに導入する発想はとても面白いと思います。
そして、そんな発想が根幹にはあるのが『魔女に捧げるトリック』という漫画です。
改めて言いますが、僕は子供の頃マジックが好きでした。しかし、まるで魔法のような現象の裏側に必ずトリックがあることも当然の常識のように知っていました。何ならトリックは知っているマジックすら、それを演じるマジシャンの技量にほれぼれするといった楽しみ方をするまであります。(笑)
つまり、まるで魔法のようだと感じつつもそれが魔法でないことを僕たち現代人は知っています。
そもそもマジシャンがマジックを演じる時、演出の都合で魔法使いや超能力者を演じることはあっても、それはあくまでもマジックショーという中でのこと。だから僕たちは魔法使いのようだけどこの人は人間だと安心してマジシャンを見ることができます。
しかし、こうしたマジシャンが演出ではなく本当に自分は魔法使いや超能力者など名乗ったら?
そしてもし自分がマジックというものを知らなかったら?
僕たちはマジシャンのことを本当に魔法使いや超能力者だと思ってしまうかもしれません。
とはいえ、トリックがある以上は魔法のようにいかない部分も絶対にあるはずです。
トリックのあるマジックで中世時代のような異世界を主人公がどう乗り切っていくのか。そんなところが楽しみな漫画です。
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ところで異世界転生・転移ものの作品には多くの場合、いわゆる昔ながらのファンタジー的な魔法の存在する世界が登場します。
火を熾せたり、怪我や病気を回復させてしまったり、空を飛べるなんてのもありますよね。
しかし、実際の歴史上に存在する魔法はそのようなものではありません。キセキを演出するトリックだったり、人々の不満を解消するためにでっち上げられた魔女だったり、そのようなものです。
後者は中世の時代に行われたいわゆる魔女裁判の犠牲者たちを指すわけですが、『魔女に捧げるトリック』でいう魔女とはこの魔女裁判の犠牲者たちのことを指すようです。
魔女裁判の時代(本来の歴史上のタイプスリップなのかは不明ですが)に転移した主人公の針井マキトは子供の頃から天才マジック少年と言われたマジシャンで、脱出マジックの失敗をキッカケに転移することになったようですが、彼が魔女裁判の被害者である魔女たちに、教会と戦うためのトリックを捧げるというのが物語の骨子のようです。
『魔女に捧げるトリック』の面白いところは、天才マジック少年という役どころを主人公に据えているものの、だからといって何でもマジックであることを理由にチートな活躍ができるようにはしていないところなのではないかと思います。
こうしたフィクション作品に登場するマジシャンの中には、例えそれが現実世界を舞台にした作品であったとしても、不思議な現象を起こすことに対して何の説明も無く単に「マジックだから」と片付けてしまっていることが少なくありません。創意工夫を凝らしたトリックのあるマジックには無限の可能性があるのであろうことは分かりますが、だからといって全てを「マジックだから」と一括りにしてしまうのは些か言い訳じみていると感じなくもありませんよね。
しかし、『魔女に捧げるトリック』において針井マキトが実演するマジックについては基本的にトリックが明示されているようです。不思議な現象を起こすためには相応の下準備が必要で、だからこそピンチな状況であっても「天才的なマジックで一気に解決!」みたいにチートな展開にはなりません。
僕はマジックに詳しくないので、提示されているトリックがツッコミどころのあるものなのか否かは分かりませんが、例えツッコミどころのあるものだったとしてもマジックに対してマジックであることの説明を付けようとしている所に好感が持てますね。
そういえば、タイトルも『魔女に捧げるトリック』であって『魔女に捧げるマジック』ではありません。そういう所からも、本作品が何でも「マジックだから」で言い訳のように不思議な現象を説明する作品ではなく、トリックありきで主人公や魔女たちを活躍させようとしている作品であることが窺えます。
僕自身、どちらかと言えばフィクション作品の不思議な現象に対して、どんなに破綻していても良いから何かしらの説明が欲しいと思うタイプなので、こういう作品は本当に面白いと感じます。
『ガンバ!Fly high(17)』何度読んでも飽きないフィナーレ!(ネタバレ含む感想)
文庫版『ガンバ!Fly high』もついに最終巻!
1巻が出た頃、東京オリンピック(当時の予定)に完結を合わせてくるのかと思っていましたが、閉幕してしばらくたった時期になりましたね。
予想は盛大に外れました。(笑)
しかし、偶然か故意かは分かりませんが東京オリンピックの時期を作者が意識していたことは間違いないようです。
巻末の対談で、本来であれば東京オリンピックの結果について語る予定だったと言及されているのがその証拠ですね。『ガンバ!Fly high』の作者が現代の体操の最高峰の結果をどのように語るのかとても興味深いところですが、今となってはないものねだりです。とはいえ、『ガンバ!Fly high』の当時からどのように体操が進化しているのか、作者の予想を超えていったのかについて語られていて、それはそれでとても興味深いものでした。
本編の話に移しましょう。いよいよ最後のエピソードであるオリンピック編のクライマックスまで来ました。
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日本代表チームは、これまで国内で戦ってきた強敵が集結した『ガンバ!Fly high』ファンにとってのドリームチームって感じですが、それが好調な演技を続けても予選での結果は良いものではありませんでした。
だからこそ限界ギリギリの演技に臨むという展開はとても熱いですね。藤巻駿はアンドレアノフコーチの元から独り立ちしましたが、それこそ李軍団の嵯峨までがその気持ちを同じくして限界に挑もうとしているところを見ると、体操選手として一人前になっているのは藤巻駿だけではないと感じさせられます。
そうして一種目目の床を好成績で終えて、いよいよって所から始まるのがこの17巻(最終巻)なわけですが、最初の1ページ目が東のプロレスシーンなのはちょっと面白いですね。(笑)
何でここで東のシーンなのかって、なるほど日本の二種目目がつり輪で、つり輪に関しては東と因縁がある李軍団の嵯峨の演技があったからなのです。そうやって、過去の因縁のようなことも回収していっているのも見所なのではないかと思います。
また、ベラルーシ、ロシア、中国と日本のライバルになる国が順番にクローズアップされて描かれているのも面白い。単に日本が優勝したという結果でなく、そのライバルたちもただの強敵ではなく個性あるキャラクターとして描かれたからこそ、その結末の感動も一塩だったのではないでしょうか?
まずは何故かアンドレアノフがコーチとして就任していたベラルーシ。予選では大活躍だったアレクサンドル・グレンコが本選では調子を崩していて、一体何のためにベラルーシがクローズアップされて描かれたのかは連載当時に読んだ時にはよく分かっていませんでした。
アンドレアノフはベラルーシのコーチになった理由として、アレクサンドル・グレンコが若い頃の自分に似ていたからだと言及していますが、それをクライマックスとなるオリンピックのエピソードで描く必要があった理由は何なのか?
それは、藤巻駿が独り立ちした体操選手に成長したということを示すためだったのではないかと思います。
アンドレアノフがベラルーシのコーチになったのは『裏切り』のようにも捉えられていましたが、そうではなくむしろ必ず独り立ちした体操選手に自身の教え子が、かつて自分に大きな影響を与えた田所誠治のような体操選手に成長しているであろうという『信頼』があったからこそ、かつての自分に似たところのあるアレクサンドル・グレンコと競わせてみたかった意図があったのではないでしょうか?
そして、そうしたアンドレアノフとアレクサンドル・グレンコを描くことで間接的に藤巻駿の成長を表現することができたわけですね。
実際、最後の藤巻駿の鉄棒の演技では自分のことを体操選手として超えていった藤巻駿に感動するアンドレアノフの姿が描かれています。
『ガンバ!Fly high』はこのオリンピックのエピソードで完結ですが、もしこの先が描かれていたとしたら、かつて田所誠治の影響で世界チャンピオンにまで上り詰めたアンドレアノフのように、藤巻駿を追う立場としてのアレクサンドル・グレンコが強敵として描かれたりしていたかもしれませんね。
そういうわけで、ロシアや中国がどうしても気になってしまうオリンピックのエピソードですが、実はベラルーシこそが完結後のこれからと、そして主人公の成長を最も表していたのではないかと思います。
次にロシアですが、言い方は悪いですが恐ろしく強力な当て馬のような描かれ方をしているという印象を受けました。
中国と並んで日本が優勝するためには越えなければならない壁として存在したロシアですが、なぜか中国のエースである王景陽は予選では4位だった日本をライバル視してロシアを軽視していたからです。ロシアの実力自体は確かで、予選時点の成績では日本より上でもあるにもかかわらず何故なのか?
その差には王景陽や藤巻駿の演技を見たロシアのチェレンコフ兄弟は自ら気付きます。
ロシアの体操は、たった一つの勝つための演技の完成度を高めていくというもので、中国の王景陽の体操は10点満点の演技構成すら簡単に放り捨てて更に上を目指す挑戦者であり続けるというもの。どんなに優れていても挑戦しない者が挑戦する者に敵わないというのは言われてみれば自明ですね。
そして、決勝ではギリギリの演技構成を持ってきた日本も、藤巻駿もまた挑戦者であり、だからこそ王景陽はロシアではなく日本をライバル視していたわけです。
そう考えると『ガンバ!Fly high』におけるロシアの役割にはやっぱり当て馬っぽさがあるのですが、それでも最後の最後まで優勝争いに絡む強力なライバルとして盛り上げてくれました。
最後に中国ですが、アジア大会編で最大のライバルとして描かれた王景陽がラスボス的に描かれています。代表選考会の鉄棒の演技で10点満点を出した強力な選手。主人公である藤巻駿が最も得意とする鉄棒で最高の演技を見せた選手ということで、なるほど王景陽こそがオリンピック編でも最大のライバルであり、藤巻駿がそれを超える鉄棒の演技を見せる展開の布石だったのだと察しが良い人なら予想できたことでしょう。
藤巻駿は体操選手として大きく成長していますが、それでも王景陽にはまだまだ藤巻駿よりも、日本のどの選手よりも格上だというオーラがあるように感じられました。
挑戦者ではあって、本番でまで日本のようにギリギリに臨んでいるというよりは、以前以上の自分をしっかり仕上げて本番では安定させてきているような印象がありましたよね。
だからこそ王景陽は最後に超えるべき壁として相応しい選手に感じられました。アジア大会の頃の王景陽よりもそういう壁としての存在感が大きくなっていたような気がします。
とまあ、日本のライバルの見所を紹介してきましたが、何と言っても日本の選手たちの活躍こそが最大の見所でしょう。堀田の見せ場は前巻の床でしたが、次のつり輪では嵯峨が東へのリスペクトを見せ、跳馬では内田が新技を見せました。
なぜか斉藤はジンクスに拘りまくるという今まで見せたことがない程の弱さを見せたものの、予定上の大技を跳馬で見せました。
そして、何と言っても藤巻駿の鉄棒です。そもそも『ガンバ!Fly high』は藤巻駿の鉄棒で1点という最低得点から始まりました。それが鉄棒のスペシャリストと呼ばれるまでに成長して、満を持してオリンピックでの最後の演技となる鉄棒に挑むわけなのですが、まさに集大成という感じの演技で格好良かったです。
もともと伸身ゲイロード一回捻りという技に挑戦しようとしていたことはオリンピック前のエピソードから語られていたことで、ギリギリの演技に挑戦しようとしている藤巻駿がここでそれに挑戦することは読者的には予想の範疇だったことだと思います。
だからチェレンコフ兄弟の弟であるイゴーリがたまたま藤巻駿の練習を覗いて見ることになった「とんでもない技」も伸身ゲイロード一回捻りなのだと思った人が多いのではないでしょうか?
しかし、藤巻駿が伸身ゲイロード一回捻りを決めてそこがハイライトだと思わせた後に、イゴーリに自分が見たのは別の技だと発言させることで更なる驚きがあることを予感させた演出はさすがの一言です。
なんというか、この鉄棒の演技のエピソードを単体だけで読んでもという感じではあるのですが、通して読んだ後のこの鉄棒の演技のエピソードの感動が一塩なので『ガンバ!Fly high』は何度でも読み返せる漫画になっていると感じます。
というわけで、これで『ガンバ!Fly high』は完結してしまいました。
文庫版の発売日を毎月楽しみにする生活もここまでだと思うと寂しいですが、また少し時を置いたらまとめて読み返してみたいと思います。
『今日もカレーですか?(1)』実在のカレー屋を紹介するほのぼのグルメ漫画(ネタバレ含む感想)
『今日もカレーですか?』って問いかけられるほどではないけど僕はカレーが大好物です。(笑)
だから美味しそうにカレーを食べる女の子が可愛い表紙に釣られてついつい本作品を購読してみました。表紙買いって、外食に例えると匂いに釣られるようなものなのかもしれないと思いつつ読んでみたら、上京したばかりの女子大生が東京に実在するカレー屋を楽しみつつ紹介してくれる実にカレーを食べに行きたくなる漫画でした。
何かに似てるなぁと思ったら、『ラーメン大好き小泉さん』のカレー版って感じでしょうか?
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グルメ漫画って、例えば創意工夫を駆使した料理を主人公が作り上げたりしてそれがとても美味しそうに見えたりするものの、でもその美味しさを実際に味わうことは困難だったりすることが多いと思います。
創作だからこその料理だったり、実現可能な料理だったとしてもそれを提供している店があるわけではなかったり、素人が気軽に再現できるものではなかったり、再現できたとしても劣化版の印象は拭えなかったり、とにもかくにも実際に味わうことは難しいです。
しかし、『今日もカレーですか?』のように実在の店を舞台にしてくれたら、聖地巡礼というわけではありませんが気になる店には当然ながら実際に行ってみることができるわけです。
味わいたければ実際に味わえるタイプのグルメ漫画の歴史は割と浅い気がしますが、とても画期的な気がして個人的にはついつい読んでしまいます。家から遠くて悶々とする可能性も否定できませんが。(笑)
1巻に登場するのは新宿中村屋、西葛西のスパイスマジックカルカッタ、神田のボルツ、全国チェーンのCOCO壱、日本橋のたいめいけん。そんな店舗のカレーがとても美味しそうに紹介されています。
僕が行ったことがあるのは新宿中村屋とCOCO壱だけですが、行ったことがある店でもなるほどと思わされるマメ知識と共に、改めて行きたくなるように紹介されており、なんとなく今後カレー頻度が高まりそうな気がします。(笑)
基本的には東京都内のカレー屋が紹介されているものの、金沢カレーなどを筆頭に全国にも美味しいカレーは存在するはずなので、ひょっとしたら今後『ラーメン大好き小泉さん』のように全国へ展開していく展開も考えられるかもしれませんね。
ちなみに、僕が今まで食べたカレーの中で一番おいしいと感じているのはこちらで紹介しているカレーなのですけど、これも『今日もカレーですか?』の中で紹介されたら嬉しいなぁと思います。それとも、東京にも店舗はあるけど関西の店だから可能性は低いのかな?
『トニカクカワイイ(1)』ひかれ逃げした少年が年下の女の子に一目惚れする話の感想(ネタバレ注意)
『トニカクカワイイ』は『ハヤテのごとく!』で有名な畑健二郎先生の最新作・・と言っても現時点で既に二桁巻も刊行していてアニメ化もされた人気作ですね。
前作『ハヤテのごとく!』がラブコメ作品にして50巻オーバーの大作だったので、十数冊程度ならまだまだ最近始まった作品という感じがします。
しかし、個人的にはこの『トニカクカワイイ』という作品は1巻相当分を連載で読んだっきりで、その後が追えていない作品でした。というのも、丁度僕が週刊少年サンデーを定期購読するのを止めた時期に始まった作品で、しかも当初はそれほど魅力を感じなかったというのもあります。『ハヤテのごとく!』にマンネリを感じて、その延長のように捉えてしまっていたというか、そんな感じですね。
ですが、この度アニメ版を見てみてかろうじて知っている序盤のストーリーに改めて触れたところ、「あっ、これって普通に面白くね?」って思い直すことになり、原作漫画も改めて読んでみようと感じるようになりました。
こんな感じで一度面白くないと感じた作品に時間を置いて触れたら面白いと感じるようなことが、時々あったりするから不思議です。
『トニカクカワイイ』の場合、連載で読むよりある程度纏めて読む方が僕に合っていたということもあるかもしれません。そういえば、『ハヤテのごとく!』も単行本で読んでいた時は楽しんでいたけど、連載で追うようになってから飽きてしまったことがあるような・・
ともかく、アニメ版でもトニカクカワイイ夫婦の物語の1巻の感想です。
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お笑いタレントのとにかく明るい安村を彷彿とさせるようなタイトルですが、『トニカクカワイイ』はすぐに裸が飛び出すようなギャグマンガではありません。だからといって安易に裸が飛び出すようなラブコメでもありませんが。(笑)
程度と内容にもよりますが、あんまりお色気成分の強いラブコメ作品は個人的には苦手で、どちらかと言えば安易なお色気要素を含めていないけど上手なキャラクターの掛け合いでドキドキさせるようなラブコメ作品の方が個人的には好みなのですが、『トニカクカワイイ』はそっち寄りのラブコメ作品なのではないかと思います。
もっとも、普通のラブコメ作品と違って主人公とヒロインが結婚するところから始まるという少年向け作品としてはかなり珍しいタイプの作品でもあり、それが『トニカクカワイイ』で最も個性的な部分と言えます。いや、もっと大人向けの作品であれば結婚生活を描くような作品は珍しくありませんが、中高生の年代を描くラブコメ作品では掟破りというか、普通であればゴールとなるエピソードを最初に描いてしまったという感じがしますね。
だって、『トニカクカワイイ』という作品を全く知らない人がヒロインのウエディングドレス姿の1巻の表紙だけを見たら間違いなく最終巻だと感じるはずです。そして、1巻という数字を見てビックリすると。(笑)
主人公は星空と書いてナサと読む少年で、幼い頃からそのキラキラネームを馬鹿にされていると感じて、馬鹿にされない人間になろうと勉強に運動にと猛烈に努力して中学生になる頃には中々の天才児が仕上がっています。
しかし、理屈など無くとにかく可愛いととある女の子に目を奪われ、それが原因でトラックに轢かれてしまいます。そのとある女の子が気付いて庇わなければどなっていたのかという事故で、かなり強く体を打っているはずなのに何故か無事な様子な女の子はトラックの運転手の制止を振り切ってクールにその場を立ち去ります。
そして、ナサもまたあまり無事では無さそうな様子なのに、トラックの運転手の制止を振り切って「とにかく可愛いから」とその場を立ち去ります。
これじゃあひき逃げならず、ひかれ逃げですね。トラックの運転手からしたら通報義務があるのに、警察が到着する頃には被害者がいなくなっているという説明が難しい状況です。(笑)
とにもかくにも、女の子を追いかけたナサ君ですが、なんと名前も知らない女の子にその場で告白。そして、女の子の方も結婚するなら付き合うとまさかのオーケー。なんというか、ファンタジーな要素は何もないのにあまりにも超展開すぎて記憶に残るプロローグですよね。
一目惚れってのは現実にもあるのかもしれませんが、ここまで素早く行動に移すようなケースって現実には・・ありますね。いわゆるナンパとかなんて「あの娘が可愛い」って声を掛けるのと同じといえば同じです。(笑)
しかし、ナサ君のケースはもっと重々しいというか、ナンパには見えません。こんな真剣な告白を名前を知らない女の子にするってのはさすがに現実には無いでしょう。あるとすればテレビ番組で後々紹介されるレベルです。
なんて夢の中のような経験をしたナサ君ですが、目が覚めてみればその女の子が自分を訪ねてくるようなことも無く、そのまま3年ほど時間が経過するのですが、「久しぶり」とあまりにもアッサリと女の子はナサ君の家にやってきます。結婚できる年齢まで待ったということなのでしょうけど、主人公とヒロインの出会いとしては間違いなく初めてのケースですね。
そして司という名前をここで初めて自己紹介し、その直後に婚姻届けを渡すヒロインとか、行動だけ見たらヤンデレっぽいですけど、あくまでもクールで正直何を考えているのか分からないところがあります。
ですが、『トニカクカワイイ』は何故か結婚がゴールではなくスタートだった二人のラブコメを描いた作品なので、その何故かを気にしていては素直に楽しめません。僕も連載開始時に読んだ時にハマらなかったのはその辺が気になってしまったからだと思います。
しかし、その辺の細かいところを気にせずにいれば結婚から始まるラブコメを素直に楽しめる作品だと思います。
いろいろなものをすっ飛ばしているから初々しいナサ君に、クールだけど不意打ちには弱いところのある司ちゃん。夫婦であれば当然の言動に一喜一憂する姿が面白いと感じました。
『ガンバ!Fly high(16)』ついにオリンピックが開幕(ネタバレ含む感想)
『ガンバ!Fly high』は、逆上がりもできない運動音痴な少年が自分にも何か誇れるものが欲しいと、何もないところからオリンピックで金メダルが取りたいと体操を始める物語の漫画でした。
繰り返しますが何もないところから始まります。
今でこそ鉄棒の天才と言われる藤巻駿ですが、最初の試合では参加点のみの1点を叩き出し、苦手だった跳び箱(跳馬)も不細工ながら初めて跳べたと喜んでいるような始末でした。
そんな主人公・藤巻駿が、文庫版16巻にしてついにオリンピックまでやってきました。
感慨深くありつつも、もうこれが最後の大会で最後のエピソードなのだと既に寂しさも覚えていますが、その分盛り上がりも一塩なのではないかと思います。
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シドニーオリンピックは藤巻駿にとって二度目の国際大会になるわけですが、一度目の国際大会であるアジア大会の予選において日本は不調を極めていたのに対して、シドニーオリンピックは予選から好調の滑り出しでした。
しかし、好調で日本にミスがあったわけでもないのに3位以上に大きく差を付けられての4位という結果。ミスがあったのであれば調整のしようもあるのでしょうけど、むしろ良いと思える演技ができたにも関わらずこの結果は日本に暗い影を落とします。
とはいえ、最良の演技が世界に届かないこの結果は『ガンバ!Fly high』のファンとしては望むところって気もします。
どん底から勝ち上がるってのが『ガンバ!Fly high』らしくある展開だとも思えますし、何よりこのことは日本に決死の体操に挑戦させるキッカケともなります。
個人戦である種目別競技ですら、本来であればある程度の安全マージンを取った演技構成にするものなのでしょうけど、団体戦でギリギリの演技に臨もうというわけですね。
そんなギリギリの演技はそれこそ初期の平成学園の体操を彷彿とさせますし、成長した藤巻駿たちがどのような演技を見せるのかとワクワクします。
王景陽を擁する中国が強敵なのかと思いきや、ロシアのチェレンコフ兄弟も手ごわそうですし、まさかのアンドレアノフがコーチとなり日本の前に立ちはだかったベラルーシに、藤巻駿のトカチェフ前宙を始め高難度の技をこなすアレクサンドル・グレンコは藤巻駿に敵愾心を燃やしています。
そんな強敵たちを相手に日本はどう立ち向かうのか?
16巻では、本選の一種目目をようやく終えたという所ですが、それだけに次巻の盛り上がりを煽るだけ煽られたという感じがします。
繰り上げで代表選手になった内田も、他の選手を立てつつもチームの原動力となる役割を任されて活躍したり、堀田は珍しく緊張の表情を浮かべるものの王景陽に迫る決死の床の演技を成功させたり、嵯峨なんてそういえば初登場時には内田との確執がありましたが、今はチームメイトとして認めている様子を見せたり、ある意味では即席とも言える日本代表チームではありますが、今まで戦ってきた相手だからこそ即席ではない感じが良いですよね。
さて、いきなり180度話が変わりますが、『ガンバ!Fly high』の文庫版が刊行されるにあたって一つだけ気になっていることがありました。
それは、「果たして『ガンバ!Fly high外伝』に収録された短編たちは果たして文庫版に収録されるのか?」ということです。
個人的には、後日談なんかも含まれる『ガンバ!Fly high外伝』も含めて完結した作品だと思っているので、是非とも収録して欲しいと思っていたのですが、この16巻にその内の一つである『初恋純情編』が収録されていました。
恐らく次の17巻が最終巻かと思いますが、分けて収録されるという感じになるのではないかと推測します。いずれにしても、ちゃんと収録されて良かったと思いました。
ちなみに、『初恋純情編』とは岬コーチの高校生時代のちょっと苦い初恋を田所のおばあちゃんが相楽まり子と折笠麗子に語るという『ガンバ!Fly high』には珍しい女性しか登場しないコイバナのエピソードとなります。
『意味がわかると怖い4コマ』オチの先を用意した4コマが面白い!(ネタバレ含む感想)
意味がわかると怖い話って昔から怖い話の定番の一つです。
「あれ、その話のどこが怖いの?」
「で、そのオチはどこにあるの?」
そんな風に思わせておいて、実はよくよく考えると・・「ひぇ~!」って話のことですね。
そういう話には、あえて本当のオチを語らない所に怖さと面白さがあると思います。
『意味がわかると怖い4コマ』はそれを文字通り4コマで表現した作品なのですが、基本的には起承転結で最後にはオチを求められる4コマで本当のオチを語らないというところに興味深さがありますね。
普通であればオチの説明なんて興覚めもいいところですけど、『意味がわかると怖い4コマ』の場合はまるで答え合わせのように本編の裏側に一体何が怖いのかが書かれています。
これには賛否もありそうなところですが、個人的には面白かったと思います。
「いったい本当のオチは何なのだろう?」とちょっとしたクイズ感覚で読むことができますし、実際中には4コマ本編を読んだだけでは何が怖いのかが分からなかったけど、答えを読んで「なるほど。こわっ!」ってなる作品もあったりして面白かったです。
更にはその答え合わせすら、少なくとも怖さの理由は教えてくれつつもある程度の想像の余地を残したものになっているものも多いのも面白いところ。
こういう怖さって結局のところ人間の想像力が作り出すものなので、最後まで想像力を掻き立てさせようとする演出なのだと思われますが、なんとも新しいタイプの発想の4コマで楽しかったです。
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さて、『意味がわかると怖い4コマ』なんて作品に興味を持って読んでみた僕ですが、実は怖い話にはそれほど詳しくはありません。あまり触れていないジャンルというか、そんな感じです。
しかし、4コマという特性上多くのエピソードが語られていますが、意味がわかると怖い話のバリエーションの多さに驚かされました。
中には、話そのものではなく絵の中に怖さのヒントがあるようなエピソードもあったりして、セリフやモノローグの中に怖さのヒントがあると思って読んでいた僕は最初なぜ怖いのか分からなかったりもしたのですが、答え合わせを見て改めて絵をじっくり見るなんて読み方も楽しかったです。
というか、慣れた人が漫画を読む時は絵もセリフもサラッと読み流してしまいがちだと思うのですが、恐らく作家さんの立場から言えばもっとジックリ読んで欲しいと感じているのは間違いないのではないかと思います。そういう意味で、何が怖いのかを考えさせた上に、分からなかった場合に答え合わせとして改めて読ませるということを自然に実現している本作品は、ジックリ読ませるという点においても秀逸なのかもしれませんね。
ちなみに、『意味がわかると怖い4コマ』は意味がわかると怖い「ひと」「あの世」「この世」「未来」「童話」の5章立てになっていました。
「ひと」は文字通り人が怖い話で、「あの世」は生死に関わる怖い話。「この世」は人が怖い話と被る部分もありますが、日常の中に潜む怖い話という感じでしょうか。「未来」も人と生死が被る部分もありますが、現時点ではなくこれから起きる怖さを彷彿とさせる話。「童話」と聞くと本当は怖いグリム童話的なものを想像しそうですが、童話の新解釈といった話になっているように感じました。
怖い話に詳しい人なら「あ~あのパターンね」ってそこまで新鮮には感じないのかもしれませんが、詳しくない僕としてはこのエピソードの豊富さを楽しめました。
また、前述した通りクイズ感覚で何が怖いのだろうと考えながら読むからか、怖さそのものはあまり感じませんでした。これは良し悪しだとは思うのですが、本当にゾッとするような怖さを求めている人には物足りないと感じられそうなものの、怖い話が苦手な人でも様々な怖い話を手軽に楽しめるという良さがある作品なのではないかと思います。
『ヒカルの碁』の最強棋士・佐為に勝ったヤツがいるらしい
週刊少年ジャンプ系の作品。とりわけバトル系の作品には必ずと言って良いほど師匠ポジのキャラクターが登場しますよね。
代表的な所だと『ドラゴンボール』の亀仙人や『幽遊白書』の幻海。最近再アニメ化された『ダイの大冒険』のアバンや、映画化や続編の連載などで勢いが残っている『るろうに剣心』の比古清十郎。エトセトラエトセトラ・・
師匠ポジのキャラクターに限らず、目指すべき、あるいは超えるべき存在がいるということは物語に深みを与える役割があるのかもしれませんね。
そして、バトル漫画でこそありませんが同じく週刊少年ジャンプの連載作品である『ヒカルの碁』にも師匠ポジのキャラクターとして藤原佐為が登場します。
本記事では、絶対無敵の無敗の棋士として描かれた藤原佐為について、その魅力や主人公の片割れでありながら途中で消えた理由。そして実は最強棋士である佐為に勝ったことがあるヤツもいるのだということに触れていきたいと思います。
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藤原佐為とは?
『ヒカルの碁』の主人公・進藤ヒカルの師匠ポジのキャラクターで、平安時代に天皇の囲碁指南役をしていた棋士の幽霊である。
実在の江戸時代の天才棋士・本因坊秀策に取り付いていたこともあり、『ヒカルの碁』においては本因坊秀策の打った碁は佐為によるものということになっています。
そして本因坊秀策といえば当時の公式戦である御城碁における19戦無敗のエピソードが有名で、その影響もあるのか佐為は作中で絶対無敵・無敗の棋士として描かれています。
烏帽子を被ったイメージ通りの平安貴族といった風貌で、囲碁の対局シーンでは真剣でキリっとした格好良い表情を見せますが、直接コミュニケーションを取れるのが子供であるヒカルだけだからか、子供っぽい可愛らしい姿を見せることも多かったりします。いや、佐為の年齢は不詳なので実は本当にかなり若いのかもしれませんが。(笑)
それに容姿端麗なので女性と勘違いしている原作の読者がアニメを見て「えっ、佐為って男だったの!?」と驚くケースも多かったとか。(笑)
また、ヒカルにしか認識できない存在でありながら、謎の最強の打ち手がいると世界中に存在を認識させたという意味で興味深いキャラクターでもあります。『ヒカルの碁』の連載当時はインターネットが黎明期を終え、世間一般に普及し始めたような時代だったかと思いますが、そんな中でネット対局という形で存在を知らしめたのは新しかったのではないかと思います。
佐為は何故消えたのか?
さて、ほとんどダブル主人公の片割れくらいの扱いだった佐為というキャラクターですが、しかし物語の半ばで完全に成仏して退場してしまいます。
明らかな人気キャラクターだっただけに、あまりにも意外な展開というか、どうしてそんな展開にしてしまったんだという疑問があります。
これにはメタ的な視点と物語的な視点の両方から理由付けができると思います。これらが絶対に正解なのかは分かりませんが、いくつか佐為が消えた理由を考察してみましょう。
物語が延長されることになったから
かなりメタい理由ですが、もともとは佐為が消えてからそこまで長く物語を継続させる想定は無かったのではないかと推測されます。実際、北斗杯編以降は第二部として少しに休みを挟んでから連載を再開されていました。
第一部までであれば、佐為が消えて、ヒカルがその失意から立ち直り、ライバルであるアキラと本当の初対局を迎えるところまでで完結しています。つまり、佐為が消えてからもそこそこ長く続いているものの、物語としてはかなり綺麗なエンディングを迎えているのです。
しかし、人気があったらから第二部が継続したものの、さすがに成仏した佐為を復活させるわけにはいかないですよね?
そして恐らくですが、この辺りが佐為が消えた理由の本命なのではないかと思われます・・が、メタ的な視点だろうが物語的な視点だろうがもう少しちゃんとした理由付けをしてみたい所です。
佐為が現世に留まる理由がヒカルに引き継がれたから
物語の途中で佐為が消えたのは第一部で完結する想定だったからという予想ですが、しかしそれでも佐為が消えた物語的な理由付けにはなっていません。
本因坊秀策に憑いて、そして本因坊秀策が亡くなった後も長い間ヒカルのじいちゃんの碁盤に憑いていたにも関わらず、僅か数年のヒカルとの日々を経ただけで成仏した理由。
佐為自身は、塔矢行洋との対局をヒカルに見せるために神は自分に千年の時を与えたのだと納得していましたが、恐らくそれは微妙にズレた正解だったのではないかと僕は推測します。
話が少し逸れますが、そもそも幽霊が現世に留まる理由といえばこの世への未練のはずです。
そして、佐為の未練とは当初より語られていた通り「神の一手をまだ極めていない」という一点に尽きるのではないかと思います。いや、「もっと碁が打ちたい」とかそういう未練もあったとは思いますが。(笑)
そして、恐らく佐為が本因坊秀策に憑いた時は一心不乱にその未練を果たそうとしていたのではないでしょうか?
だからこそ本因坊秀策が亡くなった後にも、その未練は果たされていないから現世まで再び永らえたのだと思います。
しかし、現世でヒカルに憑いた佐為は自分自身が囲碁を打つことは少なくなり、前述した通りヒカルの師匠のポジションに付きます。
囲碁への未練はあり、自由に囲碁を打てるヒカルを羨ましく感じつつも、ヒカルの成長のために動いています。
そして、「神の一手」なんていう遠い未来に行き着くかどうかも分からないようなものなんて、師匠から弟子へ、そしてまたその弟子へと、長く長く引き継がれていった経験があって初めて到達できるかもしれないもののはずです。
ひょっとしたら佐為は、ヒカルの師匠として振舞う内に無意識の内に「神の一手を極める」という悲願を無意識の内にヒカルに託す気になっていて、それを塔矢行洋との対局で無意識に自覚したのではないでしょうか?
つまり、佐為が消えたのは神の意志などではなく、佐為自身が無意識の内に自身の役割をヒカルに引き継ごうとしていたからなのではないかと思うわけです。
終盤の、未来のあるヒカルへの嫉妬心が抑えられない佐為を見ているととても自分の意思で成仏しそうな感じではありませんが、先達が自分よりも先の長い若者を羨ましく思うのはある意味当然のことで、そのこと自体は成仏しない理由にはならなかったのかもしれませんね。
佐為は絶対無敵・無敗の棋士だから消えた
こちらもメタい理由ですが、佐為は絶対無敵・無敗の棋士だから消えたのではないかという推測です。
前提として、佐為は絶対無敵・無敗といっても佐為の棋力は一体どの程度なのかについて考察しておく必要があります。それは、作中でも語られている通り本因坊秀策が現代の定石を覚えたくらいの強さなのだと思いますが、それは恐らく現代のトップ棋士に通用こそすれさすがに絶対無敵・無敗とはいかないのではないかと思います。
つまり、ヒカルのいるステージがプロの世界に上がったことで、相対する相手も佐為ですら絶対に勝てるとは限らない相手になってきたわけですね。
なんなら、何度も練習対極をしているであろうヒカルが相手でも描かれていないだけで必勝とまではいかなくなっている可能性すらあったと思われます。ヒカルも中学生でプロ棋士になるくらいの才能がある棋士なわけで、それくらいのレベルの棋士であればトップ棋士に一発入れてもそこまで不思議なことはありませんしね。
とはいえ、佐為はそのキャラクター性からして絶対無敵・無敗の棋士という立ち位置なわけで、負けてもおかしくないくらい周囲のレベルが上がった段階でいつまでも登場させるわけにはいかなくなったというのも考えられない話ではありません。
しかし、実はそんな佐為に本編で勝ったことのある棋士が、それぞれ何かしらの特別な事情があったとはいえ3名だけいたりします。
佐為に勝ったヤツって誰?
平安の都の囲碁指南役
一人は佐為が入水自殺する原因を作った平安の都の囲碁指南役ですね。アゲハマを誤魔化すというズルを巡るいざこざに動揺して佐為は敗れてしまうのですが、ズルしたアゲハマは1目だけのようですし、負けたということは本来の対局結果も少なくとも持碁か負けていたということになります。
佐為が動揺していたとはいえ、持碁以上の結果を得るとはこの平安の都の囲碁指南役は相当な実力者だったに違いありません。
ズルなんてしなきゃ凄いヤツだっただろうに、それだけちょっとした勝敗が人生を分けかねない時代だったのかもしれませんね。
加賀鉄男
将棋部の加賀も実は佐為に勝ったことのある数少ない一人です。
と言っても、完全な勝利というよりはヒカルが一手だけ間違えて佐為の指示通りの手を打てなかったからなのですが、そんなミスがあったとはいえ佐為ほどの実力者の猛追から最後まで逃げ切った加賀の実力は相当なものなのではないかと思われます。
ちなみに、たった一手のミスで結構な実力者とはいえ一般の中学生でしかない加賀に負けてしまう佐為の実力を囲碁を知らない読者がどう感じたのかが気になる所です。
ちなみに、連載当時囲碁のことをあまり知らなかった僕は、「えっ、たった一手だけで負けるとか弱くね?」って感じました。
まあ、一手といってもその価値は様々なので一概には言えませんが、加賀と佐為の対局でのミスはかなり大きいものの、まだ逆転の余地がありそうなタイミングでした。実際は、佐為は半目差まで迫っていますし、それだけに加賀の勝利は貴重なものだったのではないかと思います。
塔矢行洋
最後は佐為に勝ったと聞いて最も違和感のない塔矢行洋ですね。
こちらはヒカルの新初段戦で、佐為が我儘で15目のハンデがあるつもりで打った一局です。もともとパワーで相手の石を取って勝つような棋風の打ち手であれば、15目のハンデがあるつもりでもそこまで普段と違った打ち方にはならないかもしれませんが、佐為は明らかにそういう棋風ではないので15目差のハンデがあるつもりで塔矢行洋と打つのはかなりの負担だったのではないかと思われます。
これが、佐為がズルもミスも無く負けた唯一の対局となります。ズルもミスも無い代わりに自らにハンデをも課していましたが、ルール上はハンデどころか自分の方が有利(逆コミ)なハンデがある状況。かつ佐為自身が納得して臨んだ対局なのでこの敗北には文句の付けようがありません。
それだけに、塔矢行洋が佐為が最後にヒカルに見せた対局の相手として相応しいことが強調されたような気もします。
誰もが知ってるわけじゃないけど面白いアニメを見てみよう!
あなたの好きなアニメは何でしょうか?
『ONE PIECE』や『名探偵コナン』あたりは定番でしょうし、最近だと『鬼滅の刃』が好きだって答える人も多そうですね。
これらは誰もが知っている・・とまでは言わないまでも、最大級の認知度を誇るアニメであることに依存がある人はいないでしょう。
でも現代日本では四半期ごとに数十作品もの新作アニメが制作され続けていて、アニメ好きを自称する人ですら全てを網羅しているような人はほとんどいないのではないかと思います。量の問題だけではなく、好みの問題もありますしね。
中には覇権アニメと呼ばれるその時期を代表するようなアニメが誕生することがありますが、それすら多くは放送時期にアニメを見ていた世代くらいの認知度でしか無く、数年後、十数年後まで広く知られているようなアニメは非常に稀なものとなります。
とはいえ、中にはそうして忘れられていくのがもったいないと感じられるようなアニメ作品も数多くあります。
誰もが知っている作品。いつまでも残っているような作品が面白いのはある意味当たり前ですが、そうではない作品の中にも無二の名作は存在するはず。
そういうわけで本記事では、誰もが知っているわけではないかもしれないけど絶対に面白いとオススメできるアニメを一昔前のアニメの中から紹介したいと思います。
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カレイドスター
『カレイドスター』はサーカスを舞台とした非常に珍しいアニメ作品です。どちらかといえば少女向け作品かと思いますが、スポ根的な要素もあって男性でも楽しめる内容になっています。
高い身体能力を誇るものの演技の素人であった主人公の成長。同じ舞台を演じる仲間との確執もありつつも最後には認められる展開はありがちかもしれませんが、だからこそ普遍的な魅力があるとも言えます。
R.O.D -THE TV-
『R.O.D -THE TV-』の元はライトノベル。本アニメだけではなくコミカライズなど様々な媒体で描かれるコンテンツですが、それぞれがパラレルワールド的に描かれた独立した作品になっているのが珍しい作品です。
紙を使って戦う紙使いの三姉妹が原作ライトノベルの主人公の一人である小説家の菫川ねねねの護衛をするところから始まる意外とハードボイルドな物語となります。
ちなみに、『R.O.D -THE TV-』は未完の原作ライトノベルの設定の多くを引き継ぎつつも、5年後の未来が描かれていて主人公も異なるため、多媒体の作品を知らなくても楽しめる内容になっています。
キディ・グレイド/キディ・ガーランド
『キディ・グレイド』は、GOTTという惑星国家間の経済問題などを監視、取り締まる機関の受付嬢をしつつも特殊任務にも携わることがある二人の少女が主人公のスペースオペラ的なアニメ作品です。
主人公の身体が途中で変わる(変身というわけではなく文字通り新しい身体)ところには驚きましたが、SF的で面白いと感じます。
『キディ・ガーランド』は『キディ・グレイド』から少々時間をおいて放送された続編ですが、徐々にシリアスになってくるものの雰囲気的には前作よりもポップな感じになっています。とはいえ、こちらも奥行きがあって面白いスペースオペラであることは間違いないので、『キディ・グレイド』を見て面白いと感じた人は見てみて損は無いと思います。
DARKER THAN BLACK
『DARKER THAN BLACK-黒の契約者-』は、10年前に「地獄門」と呼ばれる謎の領域を巡る謎や陰謀が徐々に明らかになっていくという海外のSF映画っぽい設定のアニメ作品ですが、「地獄門」と同時に現れた「契約者」と呼ばれる超能力者同士のバトルが格好良い作品でもあります。
そして『DARKER THAN BLACK-流星の双子-』は『DARKER THAN BLACK-黒の契約者-』から2年後を描いた続編で、前作の主人公は最初ちょっと飲んだくれオヤジみたいになっているのですが、見たら分かります。格好良さは変わっていません。
ARIA
『ARIA』は水の惑星として開拓された火星(アクア)を舞台とした観光案内人(ウンディーネ)の少女たちの日常を描いたアニメ作品となります。好奇心旺盛な主人公が数々の素敵なことや不思議なことに遭遇する日常を描いた癒し系アニメなのですが、癒し系アニメとしては恐ろしく完成度が高いのが特徴となります。
例えば多くのアニメ作品でOPやEDの曲をBGMに感動的な最終回を演出することがありますが、本作品ではOP曲の優しい歌声をBGMに自然に物語が進行していきます。それが毎度のことなのですからこだわりが凄い。
そんな風に音楽との親和性が強い作品で、場面場面にあったサントラと物語のマッチングにいつも癒されます。
良いアニメ作品は数多くありますが、本作品にはあまり他には無い種類の良さがあると感じます。
数話しか登場しないのに物語の骨子を作った名脇役といえば?
『金色のガッシュ!!』に登場するコルルというキャラクターをご存じでしょうか?
出オチになりますが、この『金色のガッシュ!!』のコルルそが「数話しか登場しないのに物語の骨子を作った名脇役」として本記事で紹介したいキャラクターとなります。
漫画に限らず、世の中のフィクション作品の中には数多くの名脇役が登場します。
それは例えば、最初は敵だったり最初から主人公についてまわる親友だったりとその役どころは様々ですが、いずれにしても主人公やヒロインに次ぐ頻度くらいで登場するキャラクターであることが多いのではないかと思います。
そういう意味では物語の序盤に数話登場したきりであるにも関わらず、物語の骨子に影響を与え続け、いつまでも記憶に残る存在感を放っていたコルルがとても特殊なキャラクターに感じられます。
厳密には、コルルのような役割を果たすキャラクターも少ないものの他に存在はしますが、個人的にはコルルほど印象に残っているキャラクターはいません。
とても魅力的なキャラクターなので、本記事を読んでコルルのようなキャラクターが登場する『金色のガッシュ!!』を読んでみたい。あるいは見てみたいと感じてくれる人がいたらとても嬉しいです。
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金色のガッシュ!!とは?
『金色のガッシュ!!』とは週刊少年サンデーで2001年から2008年にかけて連載された漫画で、2003年から2006年の約3年に渡りアニメ放送もされていた人気作品となります。
1990年代くらいまでは1年からそれ以上放送されるアニメも珍しくありませんでしたが、一部の長寿アニメを除けば3年もアニメ放送されるのは当時としては既に珍しかったような気がします。
それだけ『金色のガッシュ!!』が人気作品だったということが分かりますね。最終章のみアニメ化されなかったのは残念でなりませんが、それでもこれほど満足のいく形のアニメ化は近年では見られないのではないかと思います。
興味がある人はこちらでみられますよ!
・・とまあ、どれだけ人気作なのかは置いておいて本記事の読者が知りたいのは「結局どんな作品なんだ!」ってことかと思いますのでそれを語りましょうか。
端的に言うと、魔物の王様を決めるための戦い参加する100人の魔物の子供たちが、魔界から人間界にやってきてパートナーとなる人間とタッグを組み勝ち残りを目指す物語となります。
主人公の天才中学生・高嶺清麿と記憶喪失の魔物・ガッシュベルも、その人間と魔物のコンビとなります。いわゆるバディもののダブル主人公ですね。
本ブログでも「平成最高の激熱バディもの漫画」として『金色のガッシュ!!』を紹介していますので、興味がある人はこちらもご覧ください。
さて、そんな『金色のガッシュ!!』の魅力は一体何なのか?
名作名作とだけ連呼されても、何がそんなに良いのか分からないかと思うので、コルルの話に入る前に簡単に『金色のガッシュ!!』の魅力をおさらいしておこうかと思います。
1.魅力的で個性的なキャラクター
本記事で紹介しようとしているコルルに限らず、『金色のガッシュ!!』に登場するキャラクターの誰もが非常に個性的で魅力的です。
主人公ペアのあずかり知らない所でつぶし合っているような魔物と人間のペアもいるため、100体全ての魔物と人間のペアが描かれているわけではありませんが、それでも敵味方併せて50組以上のペアが登場しています。高嶺清麿のクラスメイトなど、魔物と人間のペア以外のレギュラーキャラクターも併せたら少なく見積もっても150近いキャラクターが登場していたのではないでしょうか?
とはいえ、そのキャラクターの登場数だけであれば特に驚くことは無いかもしれません。同じくらいの連載期間の作品であれば、まあそれくらいの登場人数は珍しくないところでしょう。
しかし、『金色のガッシュ!!』の凄いところはこれらのキャラクターのほとんどが、作中では描かれていない部分も含めて何かしらの物語の存在を感じさせるほどに作り込まれているのです。
魔物の王様を目指すという最終的な目標は同じであるにもかかわらず、魔物も、パートナーの人間も、それぞれが抱えている思惑が異なっていて、その微妙な違いがきっちりと描き分けられている。
だからこそどのキャラクターにも愛着が湧きますし、魅力的に感じられます。
また、キャラデザもキャラクターの性格も、多くは作者の雷句誠先生でなければ描けないのではないかと感じられるほどに個性的なのです。
それに普通、150人ものキャラクターが登場していたら似たようなキャラクターが絶対に生じてくるはずだと思うのですが、『金色のガッシュ!!』の場合はほぼ完璧に描き分けられている。
これは改めて考えても凄まじいことなのではないでしょうか?
本記事で「数話しか登場しないのに物語の骨子を作った名脇役」として紹介しようとしているコルルはまさにその最たる例であるとも言えるのですが、恐らく作者の雷句誠先生が脇役まで含めて登場人物の一人一人を大事にしている漫画家だからこそ、これほどのキャラクターが生まれたのではないかと思います。
ヒロイン的な位置づけのティオと大海恵のペア。
ライバル的な位置づけのブラゴとシェリーのペア。
友達的な位置づけのキャンチョメとフォルゴレのペア。
ペット的な位置づけのウマゴンとサンビームのペア。
ガッシュたちメイン所の人間と魔物のペアだけでもこれだけの個性的なキャラクターが登場していますし、魔物の王様を巡る戦いからは脱落したペアの人間の中には、ペアの魔物が魔界に帰ってしまった後もレギュラー化しているほど個性的なキャラクターもいます。ナゾナゾ博士とかいうなんじゃそれって名前のキャラクターはその筆頭になるのではないかと思います。
それだけ魅力的で個性的なキャラクターが数多く登場するのに、一人絞って紹介したくなるようなキャラクターが数話しか登場しないコルルなのだと考えたら、より一層コルルってどんなキャラクターなんだろうって気になってきませんか?
2.友情・努力・勝利
友情・努力・勝利といえば週刊少年ジャンプの三大原則で、全ての掲載作品に三大原則の最低一要素を入れることを編集方針としています。
そして『金色のガッシュ!!』は週刊少年ジャンプの作品ではありませんが、個人的な感想としては週刊少年ジャンプのどんな作品よりも友情・努力・勝利がバランスよく描かれていたのではないかと思います。
「金色のガッシュ!!」より引用
高嶺清麿とガッシュの主人公ペアをはじめ、魔物と人間のペアの間には様々な形の友情が描かれています。兄弟や姉妹のようであったり、親子のようであったり、戦友のようであったり、 中には友情とは呼べないような間柄のペアもいたりしましたが、とにかく雷句誠先生には一体どれだけ友情の引き出しがあるのだと驚かされます。
また、魔物の王様を巡る戦いはいわゆるバトルロイヤル形式のため、その時点で魔物と人間のペア同士が仲間になるという要素は無いようにも感じられますが、「自分自身が王になる」のではなく「〇〇な王様がいる魔界を作る」ことをガッシュが志すようになったことで、魔物と人間のペア同士の友情も自然に成立させてしまった所が『金色のガッシュ!!』の秀逸なところ。やはり、少年漫画における友情を語る上で仲間の存在は外せませんからね。
「金色のガッシュ!!」より引用
また、序盤におけるガッシュたちは決して強いキャラクターではありませんでした。強い部分があるとしたら、ずっと一貫した目標意識の強さのみだったのではないでしょうか?
格上相手に仲間と協力しながら勝利し続ける泥臭さ。そしてそこに至る努力も『金色のガッシュ!!』の魅力を語る上で欠かせない要素であることは間違いありません。
そして、そんなガッシュたちの一貫した目標意識に基づく努力の根源にあるのもまたコルルというキャラクターなのです。
だから早くコルルについて話せって思われるかもしれませんが、コルルを語る上ではやはり『金色のガッシュ!!』という漫画の素晴らしさをある程度知っておく必要があると思うのでもうちょっと待ってくださいね!
3.魔本という秀逸な設定
魔本というのは、魔物の子供たちがその能力を人間界で発動させるためにひつようなもので、パートナーの人間が心の力を込めて呪文を唱えることでその魔物の子供が持っている能力・術を発動することができます。
それだけでも、魔物と人間のペアを自然に形にする役割を担っていますが、もっと秀逸なのは魔本が燃やされてしまうとその魔物の子供は強制的に魔界に帰らされてしまうという点です。
これにはバトルロイヤル形式である魔物の王様を巡る戦いのルールを厳正なものにする意味合いもあったかと思いますが、どちらかと言えば対象年齢が低めの作品である『金色のガッシュ!!』において、『死』という要素を排しておきながら『死』という要素を演出できている点こそが秀逸なのではないかと思うのです。
「金色のガッシュ!!」より引用
魔物の子供が魔界に帰ることは、人間界との、パートナーの人間との永遠の別れを意味します。別に魔物の子供はそれで死ぬわけではないのですが、そのワンシーンは『死』を彷彿とさせる永遠の別れのようで、だからこそ幼い子供でも楽しめる健全な物語でありながら、様々な形の『死』を演出するということに成功しているのですね。
そしてフィクション作品における死者は、残されたキャラクターに何かしらの意思を残すのが常です。コルルもまたそうして『死』を演出され、ガッシュたちにとても重要な意思を残したキャラクターなのです。
4.とても一貫性のあるストーリー
ある程度の長さのあるストーリーものの漫画の場合、名作といわれる作品の中にも幾度かの方向転換を強いられているものは少なくありません。
有名どころだと例えば、最初は冒険要素のあるギャグ漫画だった『ドラゴンボール』がいつの間にかバトル漫画になっていたりしたのが顕著な例でしょうか。
これは長期連載があくまでもビジネスである以上、その時その時の読者のニーズに応えるために致し方ない部分もあるのだと思います。それに同じ路線を貫くためには、作者自身にも自信と確信が必要なのかもしれませんね。
しかし、『金色のガッシュ!!』の場合はストーリーもキャラクターの考え方も最初から最後まで驚くほどに一貫しているのです。
100名の魔物の子供たちによる魔物の王様を決めるための戦いという、余程の技量が無ければ続ければ続けるほどマンネリ化してしまいそうな設定を最後まで貫き、最後に魔物の王様を決めるところまで綺麗に完走させているのです。
また、一貫しているのはストーリーだけではなくキャラクターの考え方もです。
主人公ペアの魔物であるガッシュは、序盤にあるキッカケで生じたやさしい王様になる。やさしい王様のいる魔界を作るという意思を最後まで貫き通して、要所要所での言動にそれが現れています。
そんな風にキャラクターが一貫しているからこそ魅力があるのですが、そんなやさしい王様のいる魔界を作るというガッシュの最終目標を生み出すキッカケになったのがまたコルルなのです。
コルルってどんなキャラクター?
前置きが長くなりましたが、いよいよコルルについて紹介していきましょうか。
どちらかと言えば好戦的な魔物の方が多く参加している魔物の王様を決める戦いですが、コルルはそんな中でも際立って心優しい性格の魔物となります。
「金色のガッシュ!!」より引用
パートナーの人間である女子高生・しおりに雨の中拾われますが、本物の家族とはうまくいっていないしおりとは本物の姉妹のように仲が良くなります。
本当に優しい姉妹のようで、最初にガッシュと出会った時もその仲が良い姉妹っぷりにガッシュが嫉妬してしまう程。いや、ガッシュはそもそもが割とヤキモチ焼きな正確な気がしますが。(笑)
「金色のガッシュ!!」より引用
高嶺清麿とガッシュの関係も日常時はまるで兄弟のようですし、幸せそうなコルルにガッシュが当てられてしまうのも分からなくはありませんね。
とはいえ、コルルは魔物の王様を決める戦いに参加するために人間界に来たのであって、パートナーの人間と姉妹ごっこをするために来たのではありません。
しかし、だからといって戦う意思の無い者が無理に戦う必要もないのでしょうけど、そうは問屋が卸さないようです。
「金色のガッシュ!!」より引用
ゼルクというコルルの魔本の呪文をしおりが唱えると、優しいコルルの面影も無い凶暴な魔物の姿へと変化してしまいます。実は、戦う意思の無いコルルのような魔物には戦いから逃げられないように別人格が与えらえることになっていたようです。
最終的にコルルのように別人格を与えられた魔物が少なくともガッシュたちが出会った中には登場していないことからも、コルルがずば抜けて優しい性格の魔物だったということが窺えますね。
しかし、こうなってみるとしおりがコルルのパートナーであったことは不幸中の幸いとは全く逆で、パートナーではなかった方が幸せな姉妹ごっこを続けることができたかもしれません。しおりがパートナーでなければ、魔本の呪文を唱えることも無かったわけですしね。
「金色のガッシュ!!」より引用
強制的な戦いに涙を流しながら投じるコルルとしおりの姿は、ド派手な技も少ない最序盤であるにも関わらず『金色のガッシュ!!』の全編通してもトップクラスに印象的な戦闘シーンだったのではないかと思います。
そんなコルルを相手に、自らは手出しをせずにコルルとしおりを信じて攻撃に耐え続けたガッシュの姿にも、強制的に与えられた人格に打ち勝って攻撃の手を止めることに成功したコルルの姿にも、胸を打たれるものがありますね。
「金色のガッシュ!!」より引用
そして、自分の中にある凶悪な魔物の人格がガッシュを、公園をボロボロにしたことに気付いて、自ら魔本を燃やして魔界に帰ることを決意します。本当はしおりと人間界で暮らしたかったのだと思われますが、それでもこのまま魔界の王様を決める戦いに参加し続けたらいつか自分の手でしおりを危険な目に合わせてしまうかもしれないという考えもあったのかもしれませんね。
その時にコルルが言い残した「魔界にやさしい王様がいてくれたら・・。こんな・・つらい戦いはしなくてよかったのかな・・?」というセリフ。
これこそが『金色のガッシュ!!』という漫画の物語の骨子を作ることになった作中でも最重要なセリフとなります。
やさしい王様になること。
それこそがガッシュと高嶺清麿の目指すところとなり、コルルが魔界に帰ってから物語の最後の最後までの間、ずっと根付いていく意思となります。
つまり、ガッシュや高嶺清麿が頑張って戦っている背景には常にコルルがいるわけですね。
原作では3話(LEVEL.16~18)しか登場していないにも関わらず、常にその存在を感じさせるとは凄まじい存在感のキャラクターでした。
ちなみに、アニメ版に至っては僅か1話(第8話)しか登場していないので、興味がある人はこちらを見てみましょう。
アニメ版では最初からガッシュのことを知っていてコルルがガッシュのことを警戒するというようなシーンが一瞬ですが描かれているので、原作ファンが読んでも興味深いと思いますよ。
「金色のガッシュ!!」より引用
ここで一つやさしい王様になるというガッシュの意思がどれだけ強いものなのかを象徴するエピソードを紹介します。バリー(魔物)とグスタフ(人間)のペアは、序盤に登場する敵の中ではかなりの強敵でガッシュたちは敗北スレスレまで追い込まれます。
ただでさえ強敵が相手なのに、戦いに巻き込まれた者を逃がしたりしていたので更に不利な状況に陥ってしまっていました。
まあ、結果的にその時のガッシュが放っていた凄味に圧されてバリーはトドメを刺すことができなかったのですが、グスタフはそんなガッシュにどのような王を目指しているのかと問いかけます。
当然、それはやさしい王様だとガッシュは答えるのですが、この時の戦いではそのせいで敗北しそうになってしまっていたのも事実です。それでもやさしい王様を目指すのかと問われ「それ以外に・・。私の王はない!!」とガッシュは変わらぬ意思を答えます。
なんともしびれるセリフですが、『金色のガッシュ!!』にある数々の名シーンにはこのようなやさしい王様を目指す意思の力が必ずと言っていいほど関係しているのです。
邂逅編でも、石板編でも、ファウード編でも、クリア・ノート編でも、かなりの頻度でやさしい王様というキーワードは登場していて、それだけやさしい王様というのは重要なキーワードなのですが、何度も繰り返します。その背景にいるキャラクターこそがコルルなのです。
・・なんて。
どんなに持ち上げたって所詮はたった3話しか登場していないキャラクターなんでしょ? ・・と、『金色のガッシュ!!』を未読の人の中にはそんな風に感じる人もいるかもしれませんね。
3話しか登場していないという事実は確かにその通りでそれは否定のしようがないのですが、『金色のガッシュ!!』を最後まで読んでいる人であれば、確かにコルルは早々に物語から退場したものの最後の最後まで存在感を放っていて輝いていたという筆者の意見に同意してくれるのではないかと思います。
そして、それは恐らく作者の雷句誠先生によって意図されたものなのではないかと考えられます。
その根拠としては、最後のクリア・ノート編でのコルルの扱いにあります。
「金色のガッシュ!!」より引用
ずっとコルルは3話しか登場していないと言及してきましたが、実はクリア・ノート編のクライマックスと最終回で描かれた魔界ではセリフ付きで少しだけ登場しています。
そして、クリア・ノート編のクライマックスでのコルルが驚くほど美味しい役割を果たしているのですね。
強敵クリア・ノートに追いつめられてもうダメだって時に、ガッシュの赤い魔本が金色に輝きだして、今まで仲間に、友達になった魔物の最大呪文を一時的にとはいえ使えるようになったのです。
大量の最大呪文の猛攻に耐え兼ねたクリア・ノートは宇宙へと逃げ出しますが、その時に満を持して現れたのがコルルの最大呪文であるシン・ライフォジオでした。
それは発動した光の中であれば水の中でも宇宙空間でも生命を守ってくれるというやさしい術で、クリア・ノートを追いかけるための必要不可欠な術でもありました。
なんせ、ガッシュの仲間の魔物の中ではヒロイン的な立ち位置であったティオや、もっと強力な力を持っていてクリア・ノートに大ダメージを与えた魔物以上に目立っていましたからね。(笑)
凶暴な人格が現れる術ではなくこういうやさしい術をコルルが持っていたことも感動的ですが、やさしい王様を目指すガッシュの前に、いよいよという場面でやさしい術を携えて現れたのが、ガッシュにやさしい王様を目指すキッカケを与えたコルルだというのが、今風に言うとエモいですよね。
そして、そんな美味しい描かれ方をするということは、コルルの重要性はやっぱり意図されたものなのではないかということが言いたいわけです。
とまあ、長くなりましたがコルルの魅力は伝わりましたでしょうか?
たった数話しか登場していないにも関わらず、ここまで語ることのあるキャラクターなんて『金色のガッシュ!!』以外の作品に手を広げてもほとんどいないのではないかと思います。
とはいえ、『金色のガッシュ!!』を読んだことがある人でもそこまでコルルの存在を意識しながら読んでいる人は少ないのではないかと思います。
そういう人は、次に『金色のガッシュ!!』を読み返す時にはコルルの存在を意識しながら読んでみてください。
回想シーンに度々登場するというのもありますが、それだけではなくガッシュや高嶺清麿の言動の裏側に、常にコルルの存在を感じ取ることができるのではないかと思います。
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『弱キャラ友崎くん』人生を攻略するラノベがアニメ化するらしい
『弱キャラ友崎くん』とは、パーフェクトヒロイン・日南葵が、人生はクソゲーと断じるもののゲームの腕はピカイチの主人公・友崎文也に、人生というゲームとの向き合い方を教えるというのがストーリーの骨子となる小学館のガガガ文庫から刊行されているライトノベルとなります。
・・って、それだけ言うとなんじゃそりゃってストーリーですが、マジではっちゃけたストーリーのラノベが蔓延っている世の中においては限りなく正統派に近い学園青春ものなのではないかと思います。
その詳細は後述するとして、作者の屋久ユウキ先生が生み出すどこかに本当にいそうだけどライトノベルらしさもある魅力的なキャラクターたちが織り成す学園生活が本当に楽しそうな作品で、どのキャラクターにもいつかの自分を重ねてしまうような何かがあって常に誰かに共感していられます。
これは個人的な感想ですが、直近10年のライトノベルの中では5本指。学園青春ものに限れば間違いなく1番に選定したい作品となります。
だからこそ、なかなかアニメ化って話が出てこないことを意外に思っていたりもしたのですが、2021年1月ついにアニメ化されることになったようです。
最初にアニメ化って情報が出たのは2019年の10月に8巻が発売した頃だったと思いますが、いよいよですね!
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『弱キャラ友崎くん』とは?
『弱キャラ友崎くん』は2016年5月から小学館のガガガ文庫から刊行されている学園青春もののライトノベルで、屋久ユウキ先生のデビュー作品となります。
『このライトノベルがすごい!』でも今のところ常にトップ10入りしている人気作で、ジワジワと順位を伸ばしていますね。アニメ化直前の今年、どうなるかも楽しみなところです。
天然ではなく努力で学園のパーフェクトヒロインの地位を確立している日南葵が、『アタファミ(大乱闘スマッシュブラザーズが元ネタ)』では日本ランキング1位をキープするほどの腕前を誇るくせに、同じくらいの神ゲーである『人生』をクソゲーと断じている友崎文也に苛立ち、人生はクソゲーではなく神ゲーであると説くところから『弱キャラ友崎くん』の物語は始まります。
やってみないと分からないとばかりに日南葵の指導の下、友崎文也が人生というゲームに全力で取り組んでいく過程が面白い作品です。
日南葵が友崎文也がリア充になるために出す課題は一見なかなかハードルが高いものですが、よくよく考えてみれば多くの人は無意識の内に普通に、あるいは意識的にクリアしてきたものです。
しかし、それが体系的に課題として出されることでなるほどと思わされるのが興味深いところで、今まさに友崎文也と同じようにリア充になりたいと思っている人にとってはある意味ハウツー本のようになっているのが少し面白いです。
ゲームになぞらえていますがある意味当たり前の青春が描かれていて、だからこそ共感もしやすくて、しかしゲームになぞらえているからこその面白さもある。『弱キャラ友崎くん』はそんなライトノベルなのではないかと思います。
ライトノベルにありがちな、超常的な要素やあまりにも現実離れしたキャラクターや設定というものは『弱キャラ友崎くん』には基本的にはありません。そういう突出したものが無くても面白いと思える名作中の名作なのです。
登場人物について
前述した通り、本当にいそうだけどライトノベルらしさもある魅力的なキャラクターたちが登場します。
現実であれフィクションであれ学校のクラスのような一定員数の集団には何故か似通った人間関係が形成されがちですが、一人一人のキャラクターがそんな人間関係の要素を強調しつつもバランス良く構成しているような気がします。
また、面白いもので現実には同じ個人でも所属する集団が異なればそこでの立ち位置が変わるものです。例えば、ある集団では菊池風香のように目立たない立ち位置の人間が、別の集団では日南葵や水沢孝弘のようなリーダー的な役割を担うこともあったりしますよね?
だからなのだと思いますが、『弱キャラ友崎くん』のキャラクターの誰もにどこか共感できるところがあったりするのが面白いところなのだと思います。
イラスト担当のフライ先生のキャラデザも、キャラクターの特徴を捉えていて秀逸ですよね。
友崎文也(主人公)
『弱キャラ友崎くん』の主人公。ハンドルネーム『nanashi』として『アタファミ』の日本ランキング1位をキープする腕前のゲーマーですが、人生はキャラの性能差で決まるクソゲーであり、自分自身は弱キャラであると断じて基本的には人生に対して無関心だったキャラクター。
しかし、パーフェクトヒロイン・日南葵に人生は神ゲーであると諭され、それに最初は反論するものの、日南葵に出された人生を楽しむための課題をこなしながら人生が思っていたほど悪いものではないと思い始めます。
いわゆる自己研鑽に無関心で自虐的すぎだっただけで、実は真剣に取り組むと決めたことに対しては積極的かつ賢さもあるので、まるでゲームでレベルが上がるが如くどんどん成長していきます。
その証拠に原作の巻数の付け方も『弱キャラ友崎くんLv.1』のようにレベルアップして行ってますね。(笑)
日南葵(パーフェクトヒロイン)
学力も体力もナンバーワンな上に、誰もに好かれる学園のパーフェクトヒロイン。そんなパーフェクトヒロインぶりは天然のものではなく、実は努力と研鑽のたまものである。また、周囲には知られていないが『アタファミ』でもハンドルネーム『NO NAME』として日本ランキング2位をキープしている。
だからこそ『アタファミ』では自分より上を行く実力者であるにも関わらず、同じ神ゲーである人生をクソゲーと断じて自己研鑽を怠る友崎文也に最初は苛立った様子を見せ、その後人生の攻略方法の指南役のようになります。
ちょっと天然なところを見せることもありますが、それすら周囲の空気に合わせた計算されたようなもので、パーフェクトヒロインとしての努力は怠らない。
ちなみに、チーズ好きでチーズに目が無いところだけは天然なのではないかと思われる。
七海みなみ(メインヒロイン1)
クラスのムードメーカー的な存在でとにかく活発で明るい性格で誰にでも気さくに接する少女ですが、部活でも学力でも日南葵に劣ることを気にしていて、生徒会選挙では日南葵の対抗馬となる。
その時にブレーンとして活躍したり、夏林花火がクラスの女王エリカのいじめの対象になった際にはその阻止に尽力したりした友崎文也に好意を寄せるようになっていきます。
『このライトノベルがすごい!』では唯一キャラクターランキング入りしたことのある人気キャラで、何故か食パンの『超熟』が20周年を迎えた際のポスターにコラボして描かれたりしています。
ニックネームが「みみみ」だったりするので、パンの「みみ」ってことでしょうか?
菊池風香(メインヒロイン2)
特段いじめられていたり疎外されているわけではないものの、一歩クラスの輪かから外れたところにいる大人しい性格の少女で、いつも図書室にいる本好きでマイケル・アンディの作品を特に好みます。
引っ込み思案でどちらかといえば人付き合いが苦手そうなタイプだが、人間観察力に優れていて日南葵の作られたパーフェクトヒロインぶりの裏側に気付いている素振りもあります。
また、日南葵が友崎文也に出した課題における中くらいの目標において最重要の立ち位置にいるキャラクターでもあるのですが、ネタバレになるので詳細は割愛します。
興味がある人は『弱キャラ友崎くんLv.7』を読むか、下記の『弱キャラ友崎くんLv.7』のネタバレ含む感想の記事を読んでみてください。
夏林花火(クラスメイト)
七海みなみと仲が良いちっちゃい少女。
自分の気持ちに正直で思ったことを飾らずにズケズケと話すところが魅力でもあるが、その分クラスメイトと衝突してしまうことも多い。
それが原因でいじめにも発展したが、友崎文也の協力もあって少し自己改革したこともあり再びクラスの輪に溶け込むことができるようになった。
この友崎文也の協力は、日南葵に自分が出された課題を解決してきた経験を活かしての協力だったので、ある意味では友崎文也の成長をかなり分かりやすい形で体現したキャラクターであるともいえる。
泉優鈴(クラスメイト)
まさに今時の少女を体現したかのような少女。クラスの女王エリカの友人だが、エリカが嫌っているような相手や、友崎文也のように少し浮いたところのある相手でも分け隔てなく接する人懐っこさがある・・が、それが原因で微妙な立場に苦労しているような場面も見受けられる。
クラスのリーダー格である中村修二のことが好きでとても一途である。
水沢孝弘(クラスメイト)
美容師を目指すイケメンで、いつもひょうひょうと余裕のある態度を崩さない。
クラスのリーダー格というわけではないが、立ち回りの上手さはパーフェクトヒロイン・日南葵を彷彿とさせるところがある。
友崎文也が自己改革しようとしていることを誰よりも理解している様子で、しかも協力的である。
だからなのか友崎文也も水沢孝弘のことは頼りにしている様子で、日南葵の課題をこなす際でもそうでない場面でも、水沢孝弘の立ち居振る舞いを参考にしている節がある。
中村修二(クラスメイト)
ちょっとガキ大将っぽさのあるリア充でかなりの負けず嫌い。友崎文也に『アタファミ』で惨敗するも、その後練習を重ねてレベルアップしてみせたことがある。
かなり威圧的なタイプのキャラクターなのでいじり辛さがあるものの、だからこそ日南葵は中村修二をいじることを友崎文也に課題として出したこともある。
それで意外と思ったことならズケズケ言うタイプの友崎文也にいじられまくったことがあるので、ある意味では可哀そうかもしれません。(笑)
竹井(クラスメイト)
メインキャラの中で唯一名字しか明らかになっていない竹井ですが、意外と美味しい(本人的には美味しくない)役どころを常に担っています。
かなりのお調子者で、何かあっても「竹井だから」と免罪符のように許される(?)愛されキャラ。
一歩間違えばいじめられっ子のような扱いをされることもあるが、そう感じさせない所が竹井の魅力なのではないかと思います。
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お祝い事には名入れのプレゼントが絶対に嬉しい理由
名入れのプレゼントって絶対に便利だと思います。
生きていく上で絶対に避けては通れない大切な人へのお祝い事。そんな言い方をすれば何だか嫌がっているように感じられるかもしれませんが、喜んで欲しい気持ちはあっても中々に悩ましいイベントであることは間違いないでしょう。
考えるべきことはプレゼントを贈る相手の趣味嗜好だけでは足りません。
既に持っているものなのか。
送って迷惑にならないものなのか。
そんなことまで考える必要があって、結果プレゼントとして贈られるもののバリエーションってとても限られた無難なものになってきます。
だからなのかプレゼントを贈ろうとする「気持ちが嬉しい」なんてことが慣用句のように使われる世の中になって、まるでプレゼントはついでのように扱われているところがあると思います。
いや、気持ちがメインになっているのはそれはそれで良いことなのだと思いますけど、だからといってプレゼントの特別感が薄れるのは寂しいですよね。
そんな時、名入れというちょっとした工夫でプレゼントに特別感を持たせることができます。
筆者も妹の就職祝いに名入れしたボールペンをプレゼントしたことがありますが、その特別感に周囲(両親など)も「よくやった」と褒めてくれました。(笑)
そんな風に、プレゼントそのものより名入れしたものをプレゼントしたという事実の方が喜ばれることもあるのです。
やっぱり、気持ちが入っているように感じられるからでしょうか?
一応、プレゼントしたのはそこそこ高級なブランドのボールペンだったのですが、名入れしていなければ「〇〇からもらった〇〇(ブランド名)のボールペン」と呼ばれていたと思うのですが、両親や妹は「〇〇からもらった名入れしたボールペン」と呼んでいました。
つまり無意識に、ブランドの価値以上に名入れされていることに価値を見出しているのではないかと思います。
ちょっとしたひと手間で高級ブランド以上の特別感を生み出すことのできる名入れ。大切な人への贈り物に試してみてはいかがでしょうか?
本記事では、そんな名入れができるプレゼントをいくつか紹介したいと思います。
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1.ボールペン
名入れするプレゼントと言えば、やっぱりボールペンは定番中の定番ではないでしょうか?
PCやスマホ、タブレット端末が生活に浸透している世の中なので昔よりは字を書く機会はずっと少なくなっているものの、とはいえ全くなくなることは無いどころが社会人なら常備しておく必要があるレベルで必要なものとなります。
常に肌身離さず持っているものだからこそ、特別なものを持つ価値があります。
また、老若男女問わず誰もが使うもので、しかも余程のことが無い限り何本あっても困ることはありません。
そういう意味でもプレゼントの選択肢として優秀なのではないでしょうか?
専業主婦など、あまりボールペンを使わないような人に贈る場合でも、場所を取るようなものではありませんし名入りのものが一つくらいあってもお守り代わりにもなるでしょう。
結婚祝いや出産祝いなどの夫婦や家族を祝うようなシーンには適さないかと思いますが、入学祝い、卒業祝い、入社祝い、還暦祝いなどの個人を祝うようなシーンにはほとんどの場合に適するのも魅力で、言い方は悪いですがプレゼントの選択肢に困った時にはまず考えてみたい所です。
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2.マグカップ
名入れマグカップは結婚祝いや新築祝いなどの新生活を祝うシーンに優秀なのではないかと思います。
マグカップを何個も使いまわすような人は少ないと思われますが、新生活の際には食器を一新する人は少なくありません。
だからこそ新生活を祝うシーンにこそ相応しいプレゼントなのだと思います。
午後のティータイムの必需品ですし、そこを名入りのマグカップで過ごす時間はとても特別なものに感じられるのではないでしょうか?
3.グラス
名入れグラスをプレゼントするのに相応しいシーンは名入れマグカップと基本的に同じなのではないかと思いますが、マグカップと違って何セットかあっても困らない所が利点になるのではないかと思います。
マグカップの場合は、プレゼントする相手の所持品に詳しい同居家族などでないとプレゼントしづらいところがありますが、グラスの場合はもう少し気軽にプレゼントできそうですね。
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4.日本酒
筆者はあまり知りませんでしたが、父親が退職祝いにもらってきたのをキッカケに名前やメッセージが刻まれた日本酒がプレゼントの選択肢にあることを知りました。
プレゼントするシーンは限定的なものになりそうですが、お酒好きの両親の退職祝いや還暦祝いにはとても喜ばれるのではないでしょうか?
また、筆者の父親が貰ってきたように職場の上司の退職祝いとしても相応しいのではないかと思います。
唯一の欠点は、名入り日本酒なんてものをプレゼントされる人は絶対にお酒好きだと思うのですが、それなのになかなか飲みづらいところがある点くらいでしょう。(笑)
とはいえ、そうはいっても貰ったら絶対に嬉しいですよね。
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5.ワイン
名入りというよりは、自分でデザインしたオリジナルのラベルのワインをプレゼントすることができます。
日本酒の場合は何となく年配の男性にプレゼントするのが相応しい(必ずしもそうではないと思いますが)ようなイメージがありますが、ワインの場合はもっと広いシーンでプレゼントとして活用できそうですね。
また、ワインの場合は日本酒より日持ちするのも魅力なのではないかと思います。
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6.小物雑貨
シーンを選ばずプレゼントしやすいのは小物雑貨でしょうか。同じ種類の小物雑貨をいくつも使い分ける人はいないと思うのでプレゼント相手のリサーチは必要でしょうけど、様々な小物雑貨が存在するので何かしら喜んでもらえるようなものが見つかるのではないかと思います。
事前のリサーチは少々面倒ですが、逆に言えば一度使い始めたら間違いなく長く使うことになるものなので、プレゼントしがいのあるものであるとも言えます。
肌身離さず持っているものだからこそ名入りの特別感が嬉しいのではないでしょうか?
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7.ゴルフボール
名入りゴルフボールなんてものも世の中には存在します。ゴルフ好きの父親への誕生日や父の日のプレゼントにいかがでしょうか?
ただし、注意点としてはあまりゴルフが上手ではない人にプレゼントすると、すぐに全て紛失してしまうかお守り代わりになってしまうかも。お守りでも良いですが、使ってもらってナンボなのでプレゼント相手がそこそこ腕が立つことは確認しておいた方が良いかもしれませんね。(笑)
とはいえ、名入りゴルフボールは中々意表を突いたプレゼントなので、サプライズ的な意味合いではかなり良い選択肢なのではないかと思います。
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8.腕時計
プレゼントするには少々高価ですが、恋人や伴侶に自分とペアのものをプレゼントするというのであれば選択肢としてアリなのではないかと思います。
最近ではスマホがあれば不要とのことで腕時計をしている人を見かけることが少なくなりました。たまに見かけてもスマートウォッチだったりしますよね。
とはいえ、腕時計には単に時間を知るだけではなく装飾品としての一面もあります。だからこそ貴金属に含まれるわけですが、装飾品だと考えたらプレゼントとしては自然ですよね。
しかも、指輪以外の装飾品だと男女でペアでするイメージはあまりありませんし、指輪をプレゼントすることには色々と意味があるので簡単ではない。そう考えると、ペアルックの装飾品として腕時計は優秀なのではないかと思うのです。
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『味噌汁でカンパイ!(10)』表紙の二人は一体何を約束したのか?(ネタバレ含む感想)
『味噌汁でカンパイ!』もついに10巻目。二桁の大台に突入しました。
作者の笹乃さい先生もそのことを感慨深いとおっしゃっていますが、ファンとしては当然の結果なのではないかと思います。
知名度こそあまり高くない作品ですが、とても素敵な作品であることは間違いなく、長く続いても絵もストーリーもクオリティが落ちたりはしていないので一度ファンになった人が離れるタイプの作品では無いと感じられるのが当然の結果だと思う理由です。
ホント、もっと広く知られるべき作品の筆頭ですよね。
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しかし、二桁巻の大台には突入しましたがクライマックスもそう遠くはないとも感じられます。クライマックスに向けての伏線もジワジワと育っている気がするからです。
9巻では親子と夫婦の境目の曖昧さに八重が気付くエピソードがありましたが、北海道編では八重の姉夫婦に触れることでより夫婦というものを意識するようになっているのではないかと思われます。
そして、一方の善一郎も母親のいない九馬に触れて、ずっと向き合わないでいた母親の故郷である京都に行ってみたいと考え始めます。
表紙の二人の指切りは、善一郎の母親役の八重としては何としても着いて行かなければと考えた八重と、その時は一緒に行くのだと約束しているのですね。
八重は母親を早くに亡くした善一郎の母親役。ということは、善一郎が母親と向き合うというエピソードは物語的に八重との関係に向き合おうとする符号であるようにも感じられます。考えすぎかもしれませんが、八重は今まで善一郎の母親役であることを理由に本来であれば幼馴染の関係からは一線を越えているような言動をしていたところもあり、それが二人の関係性をよく分からないものにしていたような気がしますが、善一郎が母親と向き合うというエピソードではそこもクリアにしていくのではないかと予想されます。
10巻の最後では、停電中の雷に驚いた八重が善一郎のことを幼い頃のように「善ちゃん」と呼んでしまい謝る一幕がありますが、善一郎が八重に恥ずかしいから善ちゃんとは呼ぶなと言ったことがある設定はすっかり忘れていました。(笑)
しかし、少し大人になった今の善一郎は八重に「善ちゃん」と呼んでも良いと許します。こういうある意味では昔に戻るような変化も変化であることには違いなく、主人公とヒロインの二人の関係をクライマックスに向けて進展させていっているように感じられますね。
という感じで、他巻に比べると味噌汁成分が薄めの内容にはなっているのですが、次巻予告によると自家製味噌もついに完成するようですし、もしかしたらこの自家製味噌のエピソードが少なくとも一つの区切りになるのではないでしょうか?