王道なだけではないバリエーション豊かな主人公の形について
世の中に数多存在するフィクション作品の主人公。
大半の名作において、主人公は作品そのものの魅力のかなりの部分を占める重要なファクターになっています。
しかし、主人公と一口に言っても、その在り方のバリエーションは枚挙に暇がありません。
・・にも関わらず。
ある作品に触れている時に、特に登場人物欄を見ているわけでなくとも、誰が主人公なのかを簡単に察することができてしまいます。
もちろん例外もありますが、例えばあまり主人公らしからぬ登場人物ですら、「あぁ、こいつが主人公なんだ」って何故か察せてしまいますよね?
どんな作品においても、そういう主人公オーラとでも呼べそうなオーラを放っているキャラクター。
それが主人公ですが、何が『主人公らしさ』なのかと問われたら、その答えは正直よくわかりません。
何となく英雄的なヒーローや、物語全体を俯瞰するような語り部、いつでも話題の中心にいるキャラクターなどに『主人公らしさ』を感じますが、それだって絶対ではありませんからね?
案外、ある作品の主人公は主人公と定義されているからということ以上に主人公である理由はないのかもしれません。
ともあれ、誰にでも分かるけど実は定義が曖昧な主人公には、曖昧だからこそ本当に数多くのバリエーションが存在します。
そして、その形は王道的なものばかりでもありません。
本記事では、そんなちょっと王道的なところからはズレた、しかし魅力的な主人公を紹介したいと思います。
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- 1.いーちゃん(戯言シリーズ)
- 2.川村ヒデオ(戦闘城塞マスラヲ)
- 3.ルルーシュ・ランペルージ(コードギアス 反逆のルルーシュ)
- 4.キタキタおやじ(武勇伝キタキタ)
- 5.イクタ・ソローク(ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン)
- 6.三橋貴志(今日から俺は!!)
- 7.読子・リードマン(ROD -READ OR DIE)
- 8.野原しんのすけ(クレヨンしんちゃん)
- 9.犬屋敷壱郎(いぬやしき)
- 10.夜神月(DEATH NOTE)
1.いーちゃん(戯言シリーズ)
名無しというのは、シリーズの最後まで本名が明らかにされていないからで、作中では「いーちゃん」「いっくん」などのあだ名で呼ばれています。
主人公らしくない主人公でありながら、間違いなく主人公であるというキャラクターの筆頭として真っ先に思い当たりました。
強烈なくらいにネガティブな青年で、存在するだけで周囲に悪影響を与えるような存在として描かれたキャラクターとなります。
死んだ魚のような目をしているとか、一目で異常者と分かるとか、周囲からの評価は散々ですが、それを本人があまり気にしていないあたりが一番異常なところだと思います。
ある殺人事件を調査している刑事には、こいつが犯すならこんなちっぽけな殺人事件ではないと直感されて容疑を逃れたことがあるほど。
意外と正義感の強い一面もあったりするのですが、それすらもどこかズレている。
・・これ、主人公ですからね?
ネガティブな感じの主人公は今までにもいましたが、ここまで異常者として描かれた主人公が、しかも一人称視点での語り部となっている物語が他にありますでしょうか?
いーちゃんが語り部となる独特で異常な世界観は映像化不可能と言われていましたが、近年『戯言シリーズ』の第一作である『クビキリサイクル』がOVA化されました。
なので、いーちゃんのことを知っている人も増えたことだと思いますが、『クビキリサイクル』のいーちゃんはまだまだその異常性を隠しています。
存在するだけで迷惑とまで言われた主人公に興味がある人は、是非とも原作小説を読んでみてほしいです。
「今までにぼくを本名で呼んだ人間が3人いるけど、生きている奴は誰もいない」というセリフが誇張でも何でもない、いーちゃんというキャラクターに触れてみてください。
2.川村ヒデオ(戦闘城塞マスラヲ)
やっぱり、どんなフィクション作品でも主人公には主人公らしい武器ってありますよね。
剣だったり銃だったり、超能力じみた特技だったり、外見的な可愛さや格好良さだって武器の一つだと思います。
いずれにしても、大抵の主人公の持つ武器ってどれも魅力的で格好良いものであると思います。
しかし、この『戦闘城塞マスラヲ』の主人公・川村ヒデオの持つ武器はそういう意味で一線を隔しています。
川村ヒデオの持つ唯一の武器は、何とハッタリただひとつ。
聖魔杯という大会を、目つきの悪さに起因する周囲からの誤解を頼りに、実際にはただのヒキコモリであるにも関わらず、ハッタリだけで周囲に自分を強者と思わせ、その周囲からの過大評価を上手く利用して勝ち上がっていく。
まあ、いわゆるご都合主義の権化のようなキャラクターなのですが、ある意味ではそういう何があっても勝者になっていくような部分は、逆に主人公らしい主人公なのかもしれませんね。
3.ルルーシュ・ランペルージ(コードギアス 反逆のルルーシュ)
主人公は無条件で社会の味方であるとは限りません。
中には社会の敵に回るような主人公もいます。
『コードギアス 反逆のルルーシュ』の主人公・ルルーシュはまさにそういうキャラクターだと思います。
ルルーシュは「妹であるナナリーにとって優しい世界を作る」という自分にとっての正義を貫くために、しかし誰かにとっての悪であることを厭いません。
いや、厭わないと言えば語弊があり、ルルーシュは独善的な革命家でありながらも、そういう誰かにとっての悪であることに少なからず葛藤を覚えるようなキャラクターだと思います。
まあ、主人公が社会の敵になっているようなケースはそこまで珍しくもないかもしれませんが、最もわかりやすい主人公らしくない主人公の形なのではないでしょうか?
とはいえ、ルルーシュの場合は社会の敵ではあっても明確な自分の正義と、それに伴う悩みを持っているキャラクターなので、ちゃんと主人公らしくなっているという所が興味深い所です。
4.キタキタおやじ(武勇伝キタキタ)
もともと別作品の脇役の人気が高く、スピンオフ作品の主人公になるようなケースもありますが、そんな中でも異彩を放っているのが『武勇伝キタキタ』のキタキタおやじ。
キタキタおやじは『魔法陣グルグル』の人気キャラクターで、こいつが主人公になったらとかネタ以外の何ものでも無いとか思っていましたが、まさか本当に主人公になるとは・・
普通、スピンオフ作品の主人公になるようなキャラクターって、原作作品では主人公のライバルだったり、敵だったり、両親を始めとする血縁者だったりと、この辺りが定番だと思います。
しかし、キタキタおやじはそんな立ち位置のキャラクターではありません。
原作である『魔法陣グルグル』においては、何かよくわからないけど主人公たちに同行しているだけなのに、なぜかやたらと、下手したら主人公以上に目立っていたキャラクターとなります。
そんな面白い立ち位置のキャラクターではありましたが、たったそれだけの理由でスピンオフ作品の主人公になるとは、十分以上に変わった主人公だと言えるのではないでしょうか?
5.イクタ・ソローク(ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン)
女癖が悪く、怠け者でいかに仕事をサボるかをいつも考えている。
そういうキャラクターは、考えてみればそこまで珍しい形の主人公というわけではないかもしれませんが、真っ先に思いつく王道的な主人公の在り方からは外れているような気がします。
『天鏡のアルデラミン』のイクタ・ソロークもそういう主人公の一人ですね。
しかし、イクタ・ソロークの場合はただ怠け者なだけではありません。
むしろ誰よりも勤勉ですらあるキャラクターなのです。
そんなことを言えば矛盾しているようですが、それが矛盾していないのがこのイクタ・ソロークの興味深い所。
イクタ・ソロークにおける怠けるとは、あくまでも効率を重んじてやらなくて良いことはやらないというスタイルのことを言います。
逆に言えば、やるべきことはしっかりやるのがイクタ・ソロークというキャラクターで、だからこそ怠け者と勤勉であるという二つの属性が矛盾せずに同居しているようなキャラクターになっている所が面白いですね。
個人的には、このキャラクター性は働き方改革の目指すべき姿だと思っているのですが、そこのところ皆さんはどう思いますか?
6.三橋貴志(今日から俺は!!)
『今日から俺は!!』の三橋貴志のキャラクター性を一言で表現すると卑怯になります。
大抵のフィクション作品において卑怯なキャラクターは、主人公どころかライバルや敵キャラにすらなり得ず、せいぜいが当て馬的な役割があるくらいなのではないでしょうか?
そんな、普通なら脇役にしてもたいした役割を持てなさそうな、卑怯なキャラクターが主人公になっている所が興味深いですね。
三橋貴志の場合、普段は卑怯だけどたまに硬派な格好良い所を見せたり、かと思えば卑怯なところを見せて台無しにしてみせたり、そのバランス感覚に愛嬌があるからこそ主人公なのではないかと思っています。
また、『今日から俺は!!』は硬派な不良漫画でありつつも、ドタバタコメディ的な要素もあるので、三橋貴志のように一癖あるキャラクターがマッチしているというのもありそうですね。
いずれにしても、こんなに卑怯な主人公を僕は他に知りません。(笑)
7.読子・リードマン(ROD -READ OR DIE)
本好きキャラクターというのは定番の一つになっていて、今となってはそこまで珍しさもありません。
しかし、王道的な主人公かと言われるとそうではないと思いますし、そんなキャラクター属性を定着させたキャラクターがいたとしたら、それはちょっと変わった主人公に数えても良いのではないでしょうか?
いや、僕が数えたいだけなのですが、『ROD』の読子・リードマンはまさに今となっては珍しくもない本好きキャラクターを定着させたキャラクターだと思います。
とにかく本さえ読めれば幸せで、本のことになったら主人公らしからぬ言動すらしだすところがむしろ魅力的な主人公だと思ってしまうようなキャラクターです。
初めて『ROD』という作品に触れた時、その主人公である読子・リードマンのキャラクター性には大いに驚かされ、こんな主人公もいるんだと思った記憶があります。
8.野原しんのすけ(クレヨンしんちゃん)
超国民的なアニメ作品の中にも変わった主人公はいます。
『クレヨンしんちゃん』の野原しんのすけの他に、ここまで個性あふれる幼稚園児のキャラクターがいますでしょうか?
いや、個性的な幼稚園児のキャラクターというのは、かなり珍しくはあるものの他にいないわけでもありません。
しかし、その場合も作品自体の主人公は周囲の大人だったり中高生だったりすることが大半で、幼稚園児そのものが主人公になっているケースは非常に珍しいのではないでしょうか?
そう、幼稚園児が主人公であるという時点で、ハッキリ主人公の形としては珍しいものなのですね。
9.犬屋敷壱郎(いぬやしき)
還暦前の冴えない老け顔のサラリーマン。
家族からは疎まれ、上司にも頭が上がらず、その上医者からは余命3カ月を宣告された可哀想な男。
『いぬやしき』の主人公である犬屋敷壱郎は、そんなどこにでもいるサラリーマンよりも、ずっと主人公らしくない男です。
しかし、宇宙人の事故に巻き込まれて全身が改造されてしまったことにより、その精神性はそのままに超常的な力を手にすることになります。
まったく冴えない男が、その超常的な能力を駆使してヒーロー的なキャラクターになっていくところが面白いですね。
いや、最初は能力を駆使しようとしても不器用でなかなか使いこなせないのですが、そういう所も主人公っぽくない。(笑)
とはいえ、そういうところにも愛嬌があり、かなり世間そのものに鬱屈していそうな立場の人間が埒外の能力を手に入れたにも関わらず、うっぷんを晴らすような行動は一切取らずに自らの正義を貫こうとしたりと、そういう部分は誰よりも主人公らしかったと思います。
10.夜神月(DEATH NOTE)
超常的な埒外の能力を手にした時、それでもその人間性が全く変わらなかった『いぬやしき』の主人公に対して、『DEATH NOTE』の主人公である夜神月は変ってしまったパターンとでもいいましょうか。
自らを新世界の神と称する危険思想を持つ主人公。
友情・努力・勝利を謳う週刊少年ジャンプの作品でありながら、その主人公である夜神月にとっての友情とは「自分の目的の利用目的」であり、努力とは「新世界の神として世の犯罪者たちを殺し続けること」であり、勝利は無く最後には敗北あるのみでした。
そんな連載誌そのものの理念に反しまくっている主人公が、普通の主人公であるわけないですよね。
自らの正義を持ちながら社会の敵であろうとする所は『コードギアス 反逆のルルーシュ』のルルーシュにも近い所がありますが、最後まで自身の理念を貫こうとしたルルーシュと、自らを追う人間の排除をゲーム的に楽しんでいた節のある夜神月とでは、明らかに夜神月の方が悪人度が強いと感じます。
なんというか、完全に能力に溺れてしまっていたという感じですね。