『君の名は』のネタバレ含む感想。何故ここまでヒットしたのか?
『君の名は』は日本映画史に残る大ヒットアニメ映画作品となります。
世界的にみればあの『千と千尋の神隠し』をも上回るほどで、ジブリ以外のアニメ映画ではちょっと見たことが無いレベルで社会現象になっていましたね。
2019年6月現在、そんな『君の名は』の新海誠監督の最新作『天気の子』の公開が迫っているとあって、改めて過去作である『君の名は』を振り返ってみようと思い本記事を書いてみようと思った次第です。
社会現象になるまでヒットしたアニメ映画の、果たしてどこがどのように面白いのか?
そんなところも考察出来たらと思っています。
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本作の概要
東京の男子高校生・立花瀧と、岐阜県飛騨地方にある糸守町の女子高生・宮水三葉は、それぞれ他人の人生を体験するような奇妙な夢を見ます。
しかし、夢から覚めた後の周囲の反応から徐々にこれが夢ではなく、互いに入れ替わっていることに気付きます。
住んでいる場所も価値観も性別も異なる2人の入れ替わりというある意味古典的な楽しさのある物語が展開されますが、その入れ替わりは突如途絶えてしまいます。
入れ替わりの最中、日記だけでコミュニケーションを取っていた立花瀧と宮水三葉でしたが、立花瀧は宮水三葉に会いたいと思うようになっていました。
宮水三葉として過ごした時に見た風景の記憶を頼りに宮水三葉を探そうとしますが、徐々に自分が経験していたのはただの入れ替わりではなかったことが明らかになっていきます。
本作の見所
ゼロ年代的なSF作品
2016年の『君の名は』公開当時。公開のかなり前から非常に興味を引く特報・予告が頻繁に流れていたような気がします。
何に興味を引かれたかって、男女の入れ替わりという古典的なストーリーがかなり推されている感じになっていましたが、ここまでストレートに古典的な設定を強調した作品は逆に珍しく、何だか懐かしい雰囲気を感じたからなのだと思います。
また、立花瀧や宮水三葉といったキャラクターや彼らが過ごしている日常には、どことなく郷愁を感じさせるところがあって、それが繰り返された予告からだけでも伝わってきました。
また、どことなくゼロ年代のセカイ系作品を彷彿とさせるような雰囲気も素敵だと思った記憶があります。
しかし、この印象的な予告自体が一種のミスリードになっていたのではないかとも思います。
『君の名は』は、思春期の男女の入れ替わりを描いた物語である。
そんな風に思って『君の名は』を観た人は意外と多いのではないでしょうか?
ちなみに、僕はそうでした。
しかし、蓋を開けてみれば実際の『君の名は』はそこまで単純な物語でもありませんでした。
ただの男女入れ替わりストーリではない
立花瀧と宮水三葉の入れ替わり。そんなある意味小さな世界で起きた事件が徐々に大きな事件へと繋がっていく。
だけど、あくまでもその事件の中心にいてちゃんと把握できているのは立花瀧と宮水三葉の二人のみ。
そうして整理してみると、まさにゼロ年代のセカイ系作品のお約束のひとつという感じの作品ですね。
そして、言ったようにこれは単純な男女入れ替わりの物語ではありません。
当事者である立花瀧と宮水三葉ですら最初は、互いが入れ替わっているというところまでしか認識できていなかったのですが、どうやら2人の入れ替わっている時代には3年の時間差があることが明らかになっていきます。
実は、そのことがオープニングから堂々とネタバレされている演出が憎いですね。
様々な年代の立花瀧と宮水三葉が描かれているのですが、その時に女子高生の宮水三葉と中学生の立花瀧のツーショットが描かれているわけです。
二度目以降に見た時に気付いて「やられた」という感じになりました。
繰り返し見ることで新たな発見のある作品は少なくありませんが、『君の名は』はその辺最初から二度目以降の視聴を前提として作られた作品なのではないかと思ってしまいます。
ともあれ、ただ遠くの場所にいるわけではなく時間すら隔てた2人がなかなか出会えないストーリーのもどかしさが面白いですね。
いわゆる叙述的なミスリードが素晴らしいです。
知らない他人の人生を体験する面白さ
自分以外の誰かを体験すること。
それは非常に興味深くて、誰でも一度は自分以外の誰かになることを夢想したことがあるのではないでしょうか?
特にノーマルな人であったとしても、一度くらいもし自分が異性として人生を送っていたとしたらとか思ったことがあるのではないかと思います。
性格や国籍、それに生まれた時代の違いだって、もし今の自分と違っていたらと考えると、興味はどこまでも尽きません。
僕は、何だかんだで今の自分は嫌いではありませんが、それでもわりとそういうことを考えてしまう方だと思います。
『君の名は』でも、特に立花瀧の中にいる宮水三葉が困惑しつつも楽しんでいる様子が伺えます。
また、神木隆之介さんによる中身が女子高生の男子の演技が超絶素晴らしいのが見所の一つでもありますね。
そして、こういう男女入れ替わりはフィクション作品でも定番の設定のひとつで、そういう意味では特大ヒットしたわりに『君の名は』の設定はありふれたものだったとも言えます。
実は時間のズレがあったのだという事実も、確かに驚かされたものの非常にシンプルな設定で、もの珍しさはありませんでした。
しかし、むしろだからこそ『君の名は』はウケたのかもしれませんね。
非常にシンプルで、そして古典的でわかりやすい。
それでいて観る人をうまく驚かせるように丁寧に描かれている。
真新しいわけでは全く無いのに真新しさを感じさせる。そんな作品だからこそ『君の名は』はヒットしたのかもしれません。
知らない他人の人生を体験する面白さから、徐々に別の古典的な展開へシフトしていくのが楽しい作品です。
立花瀧と宮水三葉の出会い
『君の名は』を観たことが無い人の中には、『君の名は』の物語の中心はあくまでも男女の入れ替わりにあると思っている人もいると思いますが、実は入れ替わりは物語序盤のキッカケでしかありません。
立花瀧と宮水三葉の入れ替わりが途絶えてからが本当の物語の始まりだとも言えます。
なかなか出会えない2人がもどかしいですね。
立花瀧は、記憶の中にある宮水三葉として見てきた風景を頼りになんとか糸守町にたどり着きますが、同時に3年前の彗星の衝突で宮水三葉は既に亡くなっている事実をつきつけられ、同時に自身が体験していた入れ替わりが時間を隔てたものであることに気付きます。
「誰そ彼と われをな問ひそ九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
そして、物語序盤のユキちゃん先生の板書が最初の出会いの伏線になっています。
ヒト成らざるものに出会うかもしれない時間・かたわれ時。
そこで立花瀧と宮水三葉は入れ替わりではなく、初めて対面での出会いを果たすのですが・・
それすらもかたわれ時の終わりと同時に終わってしまいます。
その後、糸守町への彗星の衝突から住民を守るという奮闘を経て、実際には亡くなっていた住民たちを救うことには成功したものの、立花瀧と宮水三葉は何か引っかかりが残るものの互いに互いのことを忘れてしまいます。
そしてそのまま大人になって互いの日常を過ごしているのですが、偶然のすれ違いをキッカケに、最後に自分が誰かをずっと探していたことを互いに思い出します。
既に普通ではないとても深い関係性でありながら、最後の最後に立花瀧と宮水三葉は初めて普通の出会いを果たします。
物語の最後に互いに互いの名前を尋ねあうという、通常であればプロローグになり得るようなシーンをラストに持ってくる演出が憎いですね。
さて、繰り返しますが『君の名は』は男女の入れ替わりを描いた物語ではありません。
それは作品の一面でしかなく、その本質は繰り返される出会いにあるのだと思います。
時系列順にみると・・
- 宮水三葉と、入れ替わりを経験する前の過去の立花瀧との出会い。
- 入れ替わりによる立花瀧と、宮水三葉の間接的な出会い。
- かたわれ時における、時間を隔てた出会い。
- そして最後の同じ場所、同じ時間の普通の出会い。
・・となります。
こうしてみると、非常に近しいようでいて遠い立花瀧と宮水三葉の関係性が分かりますね。
これでもかというほどのすれ違いと、それを経た後の出会い。
それこそが『君の名は』という作品の本質なのだと思います。
過去作とのオマージュ
『君の名は』には、新海誠監督の過去作のオマージュがふんだんに散りばめられているところも見所のひとつで、特に過去作を知っている必要はないものの、知っている人には嬉しいところです。
分かりやすいところでは過去作(言の葉の庭)のヒロインであるユキちゃん先生が登場しているところで、僕は気付きませんでしたが他にも色々あるようなので探してみると面白いかもしれません。
一番印象的なのはラストの階段でのすれ違い。
これは恐らく『秒速5センチメートル』の逆オマージュになっているものと思われます。
『秒速5センチメートル』を知っている人が観た時に、これってもしかして立花瀧と宮水三葉がすれ違ったまま終わるのではないかと感じた人は多いのではないでしょうか?
総括
いかがでしたでしょうか?
『天気の子』の公開を前に久しぶりに見返してみたくなって見てみましたが、やっぱり面白いですね。
中にはあまりにも大きくヒットした作品に対して穿った見方をするアニメファンもいるとは思いますが、『君の名は』は純粋に面白い映画であることが伝えられたのではないかと思っています。
『君の名は』が面白かっただけに、断然『天気の子』への期待が高まってきますね。
今から公開が楽しみです!