平成最後の劇場版『クレヨンしんちゃん』の主人公はみさえ!? 野原夫婦に注目の良作の感想(ネタバレ注意)
2019年のクレしん劇場版は『クレヨンしんちゃん 新婚旅行ハリケーン 〜失われたひろし〜』。
タイトル長いですね~
失われたひろしってサブタイトルに思わず吹き出しそうになってしまいます。(笑)
僕はこの映画のタイトルから、鑑賞前まで今回の映画のメインが野原ひろしであることは間違いないだろうと思っていました。
いや、ドヤって言うまでもなく誰でもそう思いますよね。(笑)
そして、それはそれでその通りだったとは思います。
しかし、蓋を開けてみればこの映画の主人公はしんちゃんでもひろしでもなく、ひょっとして野原みさえだったのではないかとも思うようになりました。
メインとして活躍の幅が大きいというよりも、本当にしんちゃんを差し置いてみさえの主人公感が強かったです。
この手のファミリー向け作品においては家族愛のようなものが描かれることは珍しくありませんが、本作品はそういう要素もありつつも基本的にはひろしとみさえの夫婦愛が描かれているのが珍しい所。
ストーリー中でに起きる事件すら、この二人を描く上での舞台装置でしかなかったのではないかと思ってしまうくらいに、ひろしとみさえが描きつくされているような印象がありました。
その証拠に、本作品ではしんちゃんの友達である春日部防衛隊もストーリーには関わっておらず、しんちゃんすらいつもより出番少なめな印象でした。
そして、恐らく一番見せ場が多かったのはみさえだったように思います。
そんなわけなので、少しばかり例年の劇場版『クレヨンしんちゃん』とは違った雰囲気の作品だったようにも思います。
みさえの主人公感は新鮮でもありましたね。
大人でも楽しめる子供向けアニメの劇場版って謳い文句は珍しくも無くなってきていますが、まさにそう言うに相応しい作品のひとつになると思います。
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本作の概要
オーストラリアで子供連れの新婚旅行を楽しむ野原一家。
新婚時代はお金が無くて行けなかった新婚旅行にひろしもみさえもウキウキしています。
誤解や何やらも相まって喧嘩したりもしていましたが、何だかんだ平和に新婚旅行を楽しんでいたのですが・・
ひろしが仮面族にさらわれてしまいます。
どうやら、ひろしを姫に花婿として差し出すことがお宝のカギになっているようなのですが、ひろしが花婿になるなんてことを嫁であるみさえが黙っているわけがありません。
子連れのお母さんの冒険が始まります。
本作の見所
春日部防衛隊
今回、春日部防衛隊の出番はほとんどありません。
序盤に新婚旅行について行くしんちゃんについて噂話しているだけです。
あとは申し訳程度にしんちゃんが射的ゲームの景品で手に入れたエミューに春日部防衛隊のメンバーの名前を付けていたくらいでしょうか?
ですが、ねねちゃんが意外と今回の物語の本質を一言で表現してくれています。
「ようするに! 新婚旅行っていうのはね・・。愛が試されるのよ・・」
まさに、みさえとひろしの愛が試される作品だっただけに、ねねちゃんの役割は意外と重要だったのかもしれませんね。
ウキウキ新婚旅行
普段の言動からおばさん扱いされることも多いみさえですがまだ29歳。
全然女盛りで、実はしんちゃんは今時珍しい若いお母さんを持つ恵まれた子供だと思います。
ひろしにしたって35歳にして一軒家を立てる経済力の持ち主。
貧乏っぽい描写がされることもありますが、現代日本においては間違いなく勝ち組の一家なのです。
ですが若い頃は今より貧乏で、新婚旅行には行けていないようですね。
そんなわけで、みさえが見つけてきたのは雑誌とコラボして写真撮影する代わりに料金が安い新婚旅行のプラン。
子連れもOKということで、野原一家で新婚旅行を楽しむことになります。
いつもは家計を預かる主婦として、ひろしとの会話も世知辛い感じのみさえではありますが、それと夫婦の愛は別ということなのでしょう。
こんな一面もあったのかという感じでひろしに新婚旅行の提案をしていました。
今回の作品では、みさえが母親であると同時に一人の女性であることを強調して表現されていたような気がしますね。
頑張るひろし
新婚旅行なので、当然ウキウキしているのはみさえだけではありません。
ひろしだってノリノリです。
しんちゃんやヒマワリが時たま一歩引いた冷めた視線を送っているのが、親のイチャイチャを見たくない子供の心境って感じですが。(笑)
僕も昔そうでしたが、なんで子供の時って親の恋愛的な話には冷めた気持ちになるんでしょうね?
大人になった今なら微笑ましい気持ちになれるのですが、不思議なものです。
そして、ひろしも超豪華クルーズディナー無料券を狙って、みさえの離籍中にダンスバトルに出場します。
ぶっちぎりで盛り上げるのですが、この時のひろしが格好良すぎて逆にギャグになる状態になっていてメッチャ面白かったです。
面白さはさておき、みさえへの愛を感じさせるシーンではあるのですが・・
問題はダンスバトルでナイスバディなお姉さんに囲まれている所をみさえに目撃されてしまったこと。
「新婚旅行なのに・・! バカ!!」
ひろしの言うことが言い訳にしか聞こえず、それにカッとなったひろしも売り言葉に買い言葉で酷いことを言ってしまいます。
最後、涙目でひろしを置き去りに逃げるみさえは、いつもとはちょっと違って見えました。
「父ちゃん、母ちゃんを喜ばせたくて頑張ってたんだゾ!」
部屋に戻ったみさえに心配したしんちゃんがフォローを入れるくらいの感じだと言えば、その様子が伝わるでしょうか?
あんまり、こういうところで心配したりするキャラクターじゃないですからね。しんちゃんは。
「本当だったんだ・・。あとで謝らなきゃ。せっかくの新婚旅行だもんね」
その後、言い訳だと思ってた超豪華クルーズディナー無料券が届いて誤解も無事に解けました。
みさえの冒険
誤解は解けたのに返ってこないひろし。
実はお宝のカギとなる花婿として選ばれて、仮面族に誘拐されてしまったのですね。
そこから、みさえのひろしを取り戻すための冒険が始まります。
ちなみに、今回の映画にもしんちゃんガールといった立ち位置のキャラクターは登場しています。
トレジャーハンターのインディ・ジュンコ。とてつもなく運の悪いアンラッキーガールですね。
見た目は格好良い系の美人といった感じですが、性格の方はちょっと一般的な感覚とはズレている感じです。
しんちゃんガールってもう少し優しかったり、そうではないように見えても何か背景があったり、そういうキャラクターが多いと思うのですが、インディ・ジュンコの場合は何故かそこまで好印象を抱けないんですよね。
少なくともヒロイン的ではないと思います。
そして、もしかしたらそれは意図的な演出だったのではないかとも思っています。
今回、ストーリー的にどう考えてもみさえがヒロインの立ち位置になるはずなので、みさえを食いかねない魅力的なヒロインを出すことができなかったのではないかと僕は邪推します。
しかし、子供向け作品でアラサーのおばさん・・失礼、主婦がヒロインになる時代が来るとは思いませんでしたね。(笑)
話を戻しますが、この冒険の中で予告映像でも繰り返し見たあの会話も出てきます。
「ほら、パパが待ってるわよ」
「待ってなかったらどうするの?」
崖を上る最中、落ちそうになったのに遊んでいるしんちゃんを窘めるみさえに、インディ・ジュンコが言ったセリフですね。
超可愛いお姫様と一生遊んで暮らせるなら、そういう選択肢もあるのではないかとインディ・ジュンコは言います。
「その話、今じゃなきゃダメ?」
インディ・ジュンコのかなり合理的な価値観で指摘されたみさえの何とも言えない表情で放たれた返しが非常に印象的でした。
疲れと呆れと、それに不安でしょうか?
色々な感情が混じりあっていたような、そんな表情とセリフに聞こえました。
しかし、何でこのセリフ漫画版だとカットされちゃったんだろう?
あのシーン
もう一つ、予告映像から気になるシーンがありましたね。
たぶん多くの人が一番気になっていたひろしのセリフです。
「俺はここに残る。春日部にはお前たちだけで帰れ!」
一体ひろしに何が起きたんだ!?
そう思わせるようなセリフですね。
本心でそう言っているのか、言わされているのか、はたまた催眠術の類なのか、色々なパターンが考えられますが・・
「・・これが俺のラブラブファイヤーだ!」
新婚旅行で「ラブラブファイヤーする」という約束でしたが、みさえではなくお姫さまを選ぶことを指してそう言うひろし。
みさえ達は仮面族に追い出されて、深い落とし穴に落とされてしまいます。
その時、ひまわりの耳をしんちゃんに、しんちゃんの耳をインディ・ジュンコに塞がせて、子供には聞かせることのできない愚痴を大声で涙ながらに吐き出すみさえが印象的でした。
「私はウェディングドレス着て家族でラブラブ写真撮りたいだけだっつーの・・」
他にも色々叫んでいましたが、いつもの怒っている時とは違う哀しい感じで、口調も少し変わっているような気がしました。
子供には聞かせられないという気持ちも分かる涙ながらの叫びに、思わず観ているこちらも涙が溢れてきそうになってしまいました。
しかし、ひとしきり叫び終わった後には・・
「あなた達のパパはあんな男じゃない。どうせ自分が犠牲になればいいと思ってるのよ。パパがしんのすけにあんな酷い事、本気で言うわけないでしょ?」
何て強い母親なんでしょうね。
自分だって明らかに追い詰められている感じなのに、子供には不安を感じさせないようにしようとする、メッチャ良いお母さんだと思います。
そして、ひろしに対する理解がまた深い。
「・・これが俺のラブラブファイヤーだ!」
ひろしのこのセリフを思いだしてください。
実は、ひろしの待機していた部屋には大量の仮面族が控えていて、ひろしが追い返さなければみさえやしんちゃんはかなり危ないことになっていたことが予想されます。
つまり、みさえの推察通りひろしは、自分が犠牲になることでみさえ達を助けようとしていたのですね。
その後、みさえのパスケースに入っていた野原一家みんなで写った写真や、若かりし日のみさえとひろしの写真を眺めて泣きじゃくるひろしの姿が描かれていますが、あんなに格好悪くて格好良いシーンも珍しいですよね。
みさちゃん
実は仮面族のお姫様っていうのは巨大なコアラでした。
つまり、花婿っていうのは体の良い生贄のようなものだったのですね。
ウエディングドレス姿でそんな巨大コアラに立ち向かうみさえもまた格好良かったと思います。
「みさちゅわ~ん!」
「ひろしさ~ん!」
ひろしとみさえは昔の呼び名で呼び合い再会します。
そして、みさえからひろしへのキス。
『クレヨンしんちゃん』で、こんなギャグじゃないキスシーンって実は初めてじゃないでしょうか?
「すごい・・二人だけの世界に入ってる! あんなでかいコアラが全く見えてない!」
インディ・ジュンコのツッコミ。
みさえとひろしがラブラブしていますが、その背景には確かに巨大なコアラが写り込んでいましたね。(笑)
「ボロボロになっちゃった・・」
「で、でも綺麗だよ」
そして、ウエディングドレスがボロボロになってしまったことを嘆きつつも晴れやかな表情のみさえにひろしは・・
「みさえ・・これからも俺と結婚してください」
あらためてのプロポーズ。
しんちゃんやひまわりがまた引くかとも思いましたが、空気を読んだのか一緒に盛り上げていました。
最後にはギャグっぽいオチを付けることも多い『クレヨンしんちゃん』ですが、ギャグ抜きでこういう綺麗な終わりも良いものですね。
ハルノヒ
なかなか良い曲であることは予告映像で分かっていましたが、本編を観た後にこれを聴いたらメッチャ刺さる歌詞になっているんですよね。
女性ボーカルであるあいみょんの作詞作曲ですが、完全にひろし視点の曲になっています。
北千住駅のプラットフォーム
銀色の改札
思い出話と想い出ふかし
腰掛けたベンチで
僕らは何も見えない未来を誓い合った
そんな歌い出しから始まりますが、ひろしが北千住駅でみさえにプロポーズしたエピソードまんまですね。
「最低限の愛を伝えながら」とか、ひろしのちょっと不器用なところが表現されていたり、「お帰りなさいと小さく揺れる影を踏む幸せ」としんちゃんのことが表現されていたり、ここまで作品に寄り添った主題歌も珍しいですよね。
大なり小なり主題歌の歌詞って作品に寄り添ったものになるものですが、やっぱりより寄り添っていると思える歌詞は心に響くものです。
そういう意味で『ハルノヒ』は、相当素晴らしい主題歌だったのではないかと思いました。
リピート再生しまくるしかない名曲です。
漫画版について
本当に最近こういう映画公開と同時に発売する書籍が増えましたよね。
僕もこの漫画、映画の内容がそこそこなら読もうとは思わなかったと思いますが、観終わった後速攻でKindle版を購入して読んでしまいました。(笑)
どうやら一部セリフが削られたり変わったりもしているようですが、基本的には映画の内容そのままなので・・
どうしても忙しくて映画を観に行く時間が無い。
総括
僕はアニメ映画が好きで、『クレヨンしんちゃん』以外にも例えば定番『ドラえもん』あたりは毎年観ています。
そして、大体の年は『ドラえもん』の方が面白いと思ってしまうんですよね。
まあ、小学生の頃に『ドラえもん』マニアと呼ばれていた僕の意見なのであまりあてにならないかもしれませんけど。(笑)
少なくとも去年は『のび太の宝島』が名作過ぎたので『ドラえもん』に分があったように感じました。
そして、今年の『ドラえもん』も昨年ほどではないにしてもかなりの良作であったことは間違いありませんが、今年は『クレヨンしんちゃん』の方が勝っていたように感じました。
完全に個人の好みで比較する意味の全く無い比較ではあるのですが、どちら派かと聞かれたら即答で『ドラえもん』派と答える人間の感想だと思って聞いてもらえれば、今年の『クレヨンしんちゃん』がどれだけ良かったのかということが伝わるのではないかと思います。
観に行くか迷っている。
大人だけで行くのはちょっとと躊躇している。
そんな状態の人なら、迷ったり躊躇したりする前にまずは観てみれば良いと思いますよ!
ちなみに、僕はTVアニメ版の『クレヨンしんちゃん』は観ていないので、しんちゃんの声が矢島晶子さんから小林由美子さんに代わってから、初めてまともにしんちゃんの声を聴いたことになるのですが・・
なるほど。確かに違いは分かるものの、ちゃんとしんちゃんらしさがあって全く違和感がありませんね。
そこらへん、少し不安だったところでもあるのですが、杞憂でしかなかったようです。