あるいは 迷った 困った

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『フルーツバスケット(11)』全編アニメ化記念に全巻レビューします

 

今まで妖しい感じなだけだった慊人の癇癪持ちな一面が現れる11巻です。(前巻のレビューはこちら

草摩家当主の慊人は『フルーツバスケット』という作品におけるキーパーソンの一人で、作中序盤では妖しげな草摩家の当主としていまいち何を考えているのかがよくわからないキャラクターでした。

それが十二支に対して強い独占欲を示す癇癪持ちな一面を見せ始めます。

だから始めて『フルーツバスケット』を読んだ時は、「何だこの妖しいヤツは」「なんてことを思っていたら独占欲が強い自分勝手なヤツだな」とか、そんな風に感じていました。

しかし、実は最終的に本田透と大きく共感し、互いに受け入れあう関係にあることを知っていると、この段階でも慊人の抱える孤独が目に見えているからか、少し感じ方が変わって見えるのが面白かったです。

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本作の概要

前巻から引き続き草摩家の別荘で避暑の続き。

相変わらず学生中心の物語でありながら学校の登場頻度の少ない『フルーツバスケット』ですが、十二支メンバーに草摩家当主の慊人が次々と集まってきたこともあり、ついに本田透はすべての十二支を知ることになりました。

本作の見所

馬の十二支

酉の十二支である草摩紅野は、十二支であることどころか草摩であることも初登場時には伏せられていましたが、9巻の魚谷ありさのエピソードには登場済でした。

そういうわけで最後に登場したのが馬の十二支である草摩依鈴となります。

断片的な出会いという感じの登場だったので、そのキャラクター性は現時点では未知数ですが、かなり気が強い感じであることは間違いありませんね。

登場が最後だったこともあり、他の十二支に比べるとどんなキャラクターだったのかの記憶が曖昧なのですが、確か気が強いというより強がりな印象の方が強かった記憶があります。

酉の十二支

「最後に残る酉の方は、やはり・・慊人さん・・なのでしょうか・・?」

確かに、草摩家の当主である慊人が最後の十二支であると考えるのは自然な発想ですよね。

慊人が十二支の何かであるとは、僕も初めて『フルーツバスケット』を読んだ時には僕も思いましたし、当主という特別な立場にある十二支に相応しいのは一体何なんだとか考えたものです。

猫が特殊な立場にいることもあり、強い上に同じく猫科の『虎』が本命かとか思った記憶がありますが、『虎』はあの一番可愛い娘ですからね。

いや、虎だから同じ猫である夾を毛嫌いしている風なのかって発想だったのだけど、そこは違ったようです。

「十二支の魂を統べる存在。魂の支配者」

慊人そのものは十二支ではなく、十二支にとって神にも近しい存在なのだと慊人は言っていますね。

では誰が最後の酉なのかといえば意外や意外。初登場時には草摩であることすら伏せられていた草摩紅野が酉の十二支だったようです。

本田透を通して由紀や夾とはそれなりに親しいものの草摩家との関りは薄い魚谷ありさの恋愛的エピソードに登場したキャラクターが、まさか最後の十二支だったというのは驚きでしたね。

本田透が気になる慊人

慊人が本田透に対して何を思っているのか、利用という言葉がたまに登場するけど何を意味するのかは、サラッと読んでいる分には理解しづらいところだと思います。

フルーツバスケット』は難しいことは考えずにサラッと読んでいて十分に面白いので、昔読んだ時は慊人と本田透の関係性はノリで感じ取っていただけなのですが、少し真面目に考えてみました。

「そんなにあいつが気に食わないならなんで!! 紫呉の家に住む事を許したりしたんだよ!! おかしいだろ!! 反対すれば良かっただろ!!」

そんな夾の疑問は、恐らく読者の疑問の代弁でもあったのだと思います。

慊人の行動原理が、理解できないのではなく、わからないんですよね。

「利用してるのか? 何に? わからない」

そして「利用」という言葉はザックリとしていて便利であり、恐らく慊人の行動原理が何であれ「利用」で正解なんでしょうけど、夾の言うように「何に」利用しようとしているのかは定かではありません。

それに、慊人自身も実はわかってないのではないかと思われます。

しかし、一方で今巻にそのヒントがあったのではないかと愚考します。

一言でいうと「十二支を自分のものであるという独占欲を満たす」ために本田透を「利用」していたのではないかと思うのです。

それなら本田透を紫呉の家に住まうことを許可したことと、それでいて十二支と近づくことを快く思わないことが矛盾しないからです。

あえて十二支を、忌み嫌われる猫ですら受け入れる本田透を紫呉の家に住まわせる。

そんな本田透より十二支メンバーは自分の元に集まるのだと示すことで、十二支メンバーが自分のものであることを強調しようというわけですね。

これなら自覚的にであれ無自覚であれ、利用という言葉がしっくりきますね。

終わり無き宴

夾を幽閉すると言う慊人の十二支に対する執着。

十二支を独占し、変化しないことを望む慊人に対して本田透の反応は少々珍しい感じでした。

「それは本当に倖せ・・ですか?」

確かに慊人の思想は理解しがたいものがありますが、本田透があからさまに他者の発言に対して否定、どころかさも悪いことであるかのように問いかけるのは珍しいような気がしました。

草摩家の呪い。

恐らく本田透は、この慊人と十二支の傍目から見た時に異様に見える関係性を草摩家の呪いだと捉えたのではないかと思います。

「たぶん本当は心の底で、自由に願う未来があるはず。でも呪いがそれを縛りつけてしまうのならば、私は呪いを解きたい。」

フルーツバスケット』は草摩家の十二支の呪いの物語ですが、その呪いが解けていく物語でもあったはずです。

あまり意識したことはありませんでしたが、この本田透と慊人の邂逅のエピソードこそがある意味『フルーツバスケット』の終わりへの始まりだったのかもしれませんね。

総括

いかがでしたでしょうか?

今までは妖しい存在感が強かったものの出番の少なかった草摩家当主の慊人ですが、まるまる一冊が慊人な11巻でした。

いつもは超絶明るいけど慊人から本田透を守れなかった紅葉の表情など、何だかいつもの『フルーツバスケット』とは雰囲気が違っていましたね。

慊人の動向は今後も注目したいところです。(次巻のレビューはこちら