あるいは 迷った 困った

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『フルーツバスケット(15)』全編アニメ化記念に全巻レビューします

 

純黒のシンデレラっぽいものに魅せられる15巻です。(前巻のレビューはこちら

前半は由紀の幼少期について語られ、十二支の頂点の鼠としての由紀が持つ孤独が表現されています。

また、その由紀の持つ孤独に倉伎真知が気付いているらしいことも今巻で明らかになっていきます。

そして、比較的シリアスなエピソードが多い『フルーツバスケット』ですが、本田透のクラスで演じることになったミスキャストの『シンデレラ』というか、『シンデレラっぽいもの』はかなり笑えるエピソードになっていたと思います。

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本作の概要

子供の頃、由紀は一人ぼっちでした。

お前は嫌われ者なんだ・・

お前さえいなければ・・

恵まれているようでいて実は恵まれていないそんな由紀の幼少期と、本田透との本当の出会いが描かれています。

周囲からは王子と言われ、実際にその立ち居振る舞いには王子らしさのある由紀ですが、今でもその孤独は残っています。

しかし、そんな孤独を話せる友人や、気付いてくれる人が現れるそんなエピソードになっています。

また、文化祭の演劇『シンデレラっぽいもの』にも注目ですね。

本作の見所

由紀の存在価値

子供の頃の由紀の印象って、随分と成長した高校生の由紀と違うような気がします。

「僕がいなくちゃ、僕がかまってやらなきゃ、おまえが存在する価値なんて無いんだよ!!」

慊人にそう言われて、他の十二支とも兄とも言葉を交わしたことの無い自分に由紀は気付きます。

「おまえなんかこの世からいなくなればいいんだ!!」

猫憑きの夾には恨まれて、明らかにそのことにショックを受けている由紀。

今なら冷静に応じて夾から喧嘩を吹っ掛けられるところですが、実はお互いに相手を羨んでいる関係であることが分かりますよね。

夾は草摩の一員として認められたがっていて、十二支の神である慊人に近い由紀を羨んでいて、由紀は十二支の仲間外れでありながらも他の十二支と友達のように接している夾を羨んでいる。

始めてできた学校の友達は最終的に記憶を消されることになってしまいますが、友達ができた時の嬉しそうな様子や、失う時のショックを受けた様子を見る限り、もともとかなりの孤独を感じていたのであろうことが推察されますね。

帽子の少年

本田透が大事にしている帽子。

その帽子の少年が由紀であることは既に判明している事実ですが、今巻ではその時のエピソードが詳細に描かれています。

「欲しかったモノがある。抱きしめてくれる両親。帰りたいと願う家。みんなが笑っている場所。みんなが離れていかないような自分。欲しかった」

夾の帽子を拾って、しかし受け取ってもらえなかった由紀。

何を持っていなくて、何を欲しがっているのかがこのモノローグに集約されていますね。

今では夾が絡んでくると鬱陶しがっている由紀ですが、実は夾とも仲良くしたかったのではないかという意思が伝わってきます。

そして、そんな帽子を被って夜明けに家を飛び出す由紀。

考えなんて無くて、ただがむしゃらに動きたかっただけのようですが、そこで一人娘が行方不明になって若干ヒステリックになっている本田今日子を見かけます。

「あんな風に子どもを心配する”お母さん”もいるんだな・・」

何でもないように発せられていましたが、考えてみれば重いセリフですね。

普通のお母さんは本田今日子ほどヒステリックにならなかったとしても子供を心配するもので、そういうお母さんを由紀は知らないということになるわけですから。

ともあれ、どうやら本田今日子が探しているらしい女の子を見かけた心当たりがあったらしい由紀は、迷子の本田透を発見します。

それを本田今日子に知らせようと由紀はその場を一旦離れようとしますが、本田透はそんな由紀を追いかけてきます。

知らせるのではなく、そもそも連れて行けば良いのではなかとも思いましたが、よく考えるとこの女の子が本田今日子の探していた一人娘なのかどうかは、この時点で由紀には判別がつかなかったでしょうから、まあ普通の判断だったのだと思います。

「あの子の世界はぼくに託されている。もう迷子にならないよう必死にぼくを追いかけてる。頼ってる。ぼくを、ぼくを必要としてくれてる」

そして、自分も人に必要とされることがあると感じた由紀はどこか満たされたような表情をしていました。

由紀の孤独

「希望は絶望へ、憧憬は嫉みへ、好かれたかった・・。友達になってほしかっただけのくせに・・」

夾のことを思い浮かべながらそう言う由紀ですが、そういう自覚を口にしたからか、今巻くらいから夾に接する態度に大きな変化が表れ始めている気がします。

幼少期の孤独なんていう重い話を聞いてくれる真鍋翔という友人もいるわけで、周囲の環境の変化が由紀自身にも影響し始めているのが伝わってきますね。

そして、思っている以上に由紀の夾と本田透に対する理解が深い。

「確かに夾にも憧れてたし、夾は彼女をちゃんと異性として見ている。”好きだ”って目が言ってる。彼女も、夾にだけは・・」

このセリフで、思っていた以上に由紀が周りの人間の事をよく見ていることがわかりました。

漫画的表現としては夾も本田透も分かりやすく感情が表現されていますが、恐らく実際には両者ともわかりづらそうなキャラクター性をしているような気がしますし。(笑)

「君がくれたたくさんの優しさや温もりを糧に、もう一度歩きだしたい」

嫌だ。寂しい。生きてる証をみつけだしたい。

そんな風に他人に涙を見せる由紀は、かなり変わったような気がしますね。

また、異性である前にお母さんみたいな存在だと本田透を称していましたが、なるほどしっくりくる表現だとも思いました。

ミスキャストのシンデレラ

重い話が多い『フルーツバスケット』ですが、たまにあるこういうコメディじみたエピソードも面白いですよね。

文化祭の演劇といえば、素人演技やミスキャスト。こいつがこんな役やっちゃうんだっていう近しい人間が演じることによる面白さがあるのは確かですよね。

花島咲のシンデレラ。

本田透の継姉。

夾の王子様に由紀の魔法使い。

由紀の魔法使いはそこそこハマっている気もしますが、花島咲のシンデレラが面白すぎる。(笑)

本田透は意地悪な継姉になりきれずに苦労していましたが、役者ならともかく普通は自分とかけ離れたキャラクターって演技でもなれないものです。

そこの所、完全に自分自身のままでシンデレラを演じているからこそ花島咲が面白く感じられるのかもしれません。

倉伎真知の気付き

「会長はどこも王子らしくなんかない」

ファンの女子から王子だとかなんだとか言われている由紀ですが、何をもって王子なのかよくわかっていなかったりします。

まあ、見た目だったり立ち居振る舞いといった表面的に表れている部分から王子だと呼ばれているのだとは思いますが。

しかし、倉伎真知は由紀を王子らしいとは思っていないようです。

それを「注目されたいだけ」だと揶揄されたりしていますが、由紀はそんな倉伎真知にむしろ興味を持った様子です。

「・・天然の人。それから、心細そうにする人。たくさんの人間に囲まれても”王子”って呼ばれても心細そう・・」

そう。倉伎真知はどうやら表面的な由紀ではなくその内面にも気付いているようですね。

なかなか何を考えているのかが分かりづらい倉伎真知ですが、実は結構聡い女の子なのかもしれません。

真実を知ると書いて真知という名前の少女だけが由紀の本質を見抜いているという符号が面白いですね。

それにしても・・

「天然・・? 天然なの? 俺・・」

天然と言われてちょっとショックを受けている由紀が面白かった。(笑)

いや、どう考えても天然であることは否定のしようは無いと思いますけど。

総括

いかがでしたでしょうか?

昔読んでいた時は気付きませんでしたが、何だかんだで由紀について語られるエピソードのボリュームが大きいですね。

最近ずっと「今巻は由紀の話だ~」ってレビュー記事書いていることで気付きました。(笑)

かなり存在感の大きいはずの主人公。本田透の出番が実は意外と少なくなっていたり、ヒーローであるはずの夾が空気だったり、気付いていませんでした。

それだけ、数多く登場する他のキャラクターも立っているからこそそう感じるのかもしれませんね。(次巻のレビューはこちら