『ヒカルの碁』の名場面、名台詞から囲碁を学ぼう!(その1)
『ヒカルの碁』という囲碁を題材とした作品の中でも屈指の名作が世に出てから囲碁を覚えた人で、『ヒカルの碁』という作品に一切触れてこなかった人は少ないのではないかと思います。
そして、囲碁を覚えていく中で作中の印象的なシーンが、ただただ印象的なだけではなく、実は相当に深いことを言っていることに気付かされたり、碁打ち特有の共感を得られたりするような場面も多いことに気付かされます。
それらは単なる共感に留まらず、囲碁を学ぶ上で役立つような事柄も非常に多く、だからこそ『ヒカルの碁』は少年漫画としてだけではなく囲碁漫画として多くの囲碁ファンにも愛される作品になっているのだと思います。
そして、『ヒカルの碁』から学べるのは技術的なことというよりは精神的なことだったり、いわゆる棋理について共感しながら理解していくことができる部分があるのではないかと思っています。
本記事では、そんな『ヒカルの碁』から学べるアレコレを記事にしていきたいと考えています。
まあ、要は『ヒカルの碁』の名場面や名台詞をある程度囲碁のことを知っている視点から深掘りしてみようという試みなのですが、そこにはきっと囲碁の勉強にもなる部分が少なくないのではないかという考えですね。
今回の名場面・名台詞
ただ人形のように打つのではなく、私の一手一手に石の流れを感じなさい
※文庫版1巻の藤原佐為のセリフより
これは佐為がヒカルが葉瀬中の生徒のフリをして出場した囲碁大会で、「ヒカルに見せるための一局」と称して打った一局に対して放ったセリフとなります。
主人公が才能を開花させるキッカケのような演出がカッコイイですよね!
ただ、初めて読んだ時は「何言ってんだ?」とか思っていました。
囲碁を知らない人間にとって、石の流れという言葉が何とも掴みどころのない概念に聞こえてしまうからだと思います。
僕は過去に何度か初心者に囲碁を教えようとしたことがありますが、得てして最初は一手の正解を求める傾向があります。
教える側としては、「こういう考えならココ」みたいに打つ手の選択肢を説明する時にはセットで考え方も示すのが普通なのではないかと思います・・が、それに対して「で、どれが正解なの?」といった具合ですね。
自身が初心者の時も同じだったので共感はできるところですが、ある程度の棋力を身に付けた打ち手からすると「そうではない」ということを言いたくても、上手く説明できずにもどかしいポイントだったりします。
要は、どこに打つのが正しいのかよりも、なんでそこに打つのかの方が重要であるということなのですが、佐為のセリフはまさにそのことが的確に表現されたものなのですね。
まあ、近年ではその時点での最善であれば流れなどお構いなしに打つ手を決める囲碁AIが猛威を振るっていたり、石の流れが絶対的なものであるというのは最早神話なのかもしれません。
しかし、とはいえ初心者から脱却するためには石の流れというものを感じることが重要な一歩なのではないかと思います。