『ヒカルの碁』の名場面、名台詞から囲碁を学ぼう!(その2)
『ヒカルの碁』に限らず、特定の競技を題材にした作品の中にはその競技を知っている人だからこそ本当の意味が理解できるような場面やセリフも少なくありません。
もちろん、多くの場合その作品を楽しむ上でそれらが分かっていることは必須条件ではありません。むしろ、知らない人にでも楽しめるようにすること。それに知らない人に興味を持たせようとすることが作り手の思惑の中にはあるのではないでしょうか?
だから『ヒカルの碁』という作品には囲碁を知らない層のファンも多いですし、「囲碁? 知らないけど、ヒカルの碁なら知ってるよ!」って人が実のところ大多数だったりしますよね。
かくいう僕も、あまりよくは知らない将棋がテーマの作品を、そんなによく分かっていないのに楽しんで読んでいたりしますし、それと同じなのだと思います。
とはいえ、分かっていることが増えれば増えるほど、違った楽しみ方が増えることも事実ですし、その競技に深く接している場合は勉強になることもあったりします。
初めて『ヒカルの碁』を読んだ時、僕はルールすら怪しい初心者でした。
それでも十分に面白い作品に感じられたものですが、有段者になった今読むと違った見え方、感じ方をするようなところもあってかなり興味深いです。
この『名場面、名台詞から囲碁を学ぼう』シリーズでは、囲碁をあまり知らない人だと実感できないようなことも結果的に解説できているのではないかと思います。
今回の名場面・名台詞
そこをキル手はなかったはず。ダメヅマリで手が生じたんだシマッタ!
※文庫版1巻の海王中の三将のセリフより
これは筒井さんが海王中の三将にマグレ勝ちした対局のクライマックスで海王中の三将が自らのミスに気付いた時のセリフですね。
間違いなく、多くの『ヒカルの碁』の読者は思ったはずです。
「何言ってるんだコイツ? まあよく分からんけど、重大なミスをしたんだろうな」
・・とまあ、こんなところでしょうか?
というか、これは僕が初めて読んだ時に思ったことです。
それでは、海王中の三将が言っている「ダメヅマリで手が生じた」というのは一体どういう意味なのでしょうか?
まず、ダメというのは「どちらの陣地でもない、打っても価値のない地点のこと」を指します。しかし、自分の石に隣接する全てのダメが埋まってしまうとその石は取られてしまいます。
つまり、打ち手はダメを埋めるような手を打つ場合には、ダメを埋めたことによって自分の石が取られるような状況にならないように注意を払う必要があるのですね。
これはあと一手で取られるような状況を読んでいるのではなく、自分の石があと何手までは取られないのかをキッチリと数を数えているわけです。
自分の石はあと5手で取られてしまう。だけどその前に相手の石を4手で取れるから、ここは自分が1手勝っている。
・・といった具合ですね。
しかし、不用意にダメを埋めていった場合に、この手数が逆転してしまうようなことが時折発生します。
「ダメの詰まりは身の詰まり」という囲碁の格言もあるくらい、ダメを詰めるという手を打つ時には慎重にならなければいけないのですね。
だからある程度の実力がある打ち手であれば、必要のない場面でダメを詰めるような手は打ちませんし、打たざるを得ない場面をハッキリ言って嫌がっています。
また、今は大丈夫でもダメが詰まった後の形が不安定な状況も極力避けたいと考えていますね。
とはいえ、最後まで打ち切る作り碁の場合は、終盤が近づいてくると最後にはダメ場を埋めていくような手を打っていくことにはなります。
打たなきゃ終局しませんからね。(笑)
この時にダメ場が空いていた時には無かった手が生じることは非常に多く、有段者クラスでもそれに気付かずに逆転負けを喫する状況、あるいはその逆も含めてとても多かったりします。
また、ダメヅマリで手が発生している可能性に気付きつつも、守りの手を打たずに負けるようなこともありますね。これは、ここでいう守りの手の大抵がもともと自分の陣地だと思っていたところを1目埋めた上に後手を引くような手になってしまうため、極力打ちたくないような手だからとなります。
ダメが詰められた時の形が不安定な状況を極力避けたい理由はこれですね。
そして、ダメ場には余程必要に駆られない限り序盤には打たないため、こうした手が生じるのは中盤から終盤になるので、それで逆転されてしまえば巻き返しはなかなか難しいもので、海王中の三将のようにそれに気付いた時点で投了するような状況もあるあるだったりします。
さて、こうした逆転を指して作中では筒井さんのマグレ勝ちと言われていますが、これが果たしてどうなのかは難しいところですね。
僕は、というか多くの碁打ちはこの対局でいう海王中の三将の側にも筒井さんの側にもなったことがあるのではないかと思います。
筒井さんの側に立った場合、正直なところ自分は相手より格下だと感じてしまいますが、海王中の三将の側に立った場合の心中は複雑です。例えたった一度のミス、それ以外では相手を上回っていると感じたとしても、たった一度のミスで負けるのが囲碁というゲームであることを考えたら、それがやっぱり実力なのではないかと思います。
終盤にミスをしない筒井さん。その強さが文字通り終盤に発揮され、相手には終盤の甘さがあったということですね。