数話しか登場しないのに物語の骨子を作った名脇役といえば?
『金色のガッシュ!!』に登場するコルルというキャラクターをご存じでしょうか?
出オチになりますが、この『金色のガッシュ!!』のコルルそが「数話しか登場しないのに物語の骨子を作った名脇役」として本記事で紹介したいキャラクターとなります。
漫画に限らず、世の中のフィクション作品の中には数多くの名脇役が登場します。
それは例えば、最初は敵だったり最初から主人公についてまわる親友だったりとその役どころは様々ですが、いずれにしても主人公やヒロインに次ぐ頻度くらいで登場するキャラクターであることが多いのではないかと思います。
そういう意味では物語の序盤に数話登場したきりであるにも関わらず、物語の骨子に影響を与え続け、いつまでも記憶に残る存在感を放っていたコルルがとても特殊なキャラクターに感じられます。
厳密には、コルルのような役割を果たすキャラクターも少ないものの他に存在はしますが、個人的にはコルルほど印象に残っているキャラクターはいません。
とても魅力的なキャラクターなので、本記事を読んでコルルのようなキャラクターが登場する『金色のガッシュ!!』を読んでみたい。あるいは見てみたいと感じてくれる人がいたらとても嬉しいです。
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金色のガッシュ!!とは?
『金色のガッシュ!!』とは週刊少年サンデーで2001年から2008年にかけて連載された漫画で、2003年から2006年の約3年に渡りアニメ放送もされていた人気作品となります。
1990年代くらいまでは1年からそれ以上放送されるアニメも珍しくありませんでしたが、一部の長寿アニメを除けば3年もアニメ放送されるのは当時としては既に珍しかったような気がします。
それだけ『金色のガッシュ!!』が人気作品だったということが分かりますね。最終章のみアニメ化されなかったのは残念でなりませんが、それでもこれほど満足のいく形のアニメ化は近年では見られないのではないかと思います。
興味がある人はこちらでみられますよ!
・・とまあ、どれだけ人気作なのかは置いておいて本記事の読者が知りたいのは「結局どんな作品なんだ!」ってことかと思いますのでそれを語りましょうか。
端的に言うと、魔物の王様を決めるための戦い参加する100人の魔物の子供たちが、魔界から人間界にやってきてパートナーとなる人間とタッグを組み勝ち残りを目指す物語となります。
主人公の天才中学生・高嶺清麿と記憶喪失の魔物・ガッシュベルも、その人間と魔物のコンビとなります。いわゆるバディもののダブル主人公ですね。
本ブログでも「平成最高の激熱バディもの漫画」として『金色のガッシュ!!』を紹介していますので、興味がある人はこちらもご覧ください。
さて、そんな『金色のガッシュ!!』の魅力は一体何なのか?
名作名作とだけ連呼されても、何がそんなに良いのか分からないかと思うので、コルルの話に入る前に簡単に『金色のガッシュ!!』の魅力をおさらいしておこうかと思います。
1.魅力的で個性的なキャラクター
本記事で紹介しようとしているコルルに限らず、『金色のガッシュ!!』に登場するキャラクターの誰もが非常に個性的で魅力的です。
主人公ペアのあずかり知らない所でつぶし合っているような魔物と人間のペアもいるため、100体全ての魔物と人間のペアが描かれているわけではありませんが、それでも敵味方併せて50組以上のペアが登場しています。高嶺清麿のクラスメイトなど、魔物と人間のペア以外のレギュラーキャラクターも併せたら少なく見積もっても150近いキャラクターが登場していたのではないでしょうか?
とはいえ、そのキャラクターの登場数だけであれば特に驚くことは無いかもしれません。同じくらいの連載期間の作品であれば、まあそれくらいの登場人数は珍しくないところでしょう。
しかし、『金色のガッシュ!!』の凄いところはこれらのキャラクターのほとんどが、作中では描かれていない部分も含めて何かしらの物語の存在を感じさせるほどに作り込まれているのです。
魔物の王様を目指すという最終的な目標は同じであるにもかかわらず、魔物も、パートナーの人間も、それぞれが抱えている思惑が異なっていて、その微妙な違いがきっちりと描き分けられている。
だからこそどのキャラクターにも愛着が湧きますし、魅力的に感じられます。
また、キャラデザもキャラクターの性格も、多くは作者の雷句誠先生でなければ描けないのではないかと感じられるほどに個性的なのです。
それに普通、150人ものキャラクターが登場していたら似たようなキャラクターが絶対に生じてくるはずだと思うのですが、『金色のガッシュ!!』の場合はほぼ完璧に描き分けられている。
これは改めて考えても凄まじいことなのではないでしょうか?
本記事で「数話しか登場しないのに物語の骨子を作った名脇役」として紹介しようとしているコルルはまさにその最たる例であるとも言えるのですが、恐らく作者の雷句誠先生が脇役まで含めて登場人物の一人一人を大事にしている漫画家だからこそ、これほどのキャラクターが生まれたのではないかと思います。
ヒロイン的な位置づけのティオと大海恵のペア。
ライバル的な位置づけのブラゴとシェリーのペア。
友達的な位置づけのキャンチョメとフォルゴレのペア。
ペット的な位置づけのウマゴンとサンビームのペア。
ガッシュたちメイン所の人間と魔物のペアだけでもこれだけの個性的なキャラクターが登場していますし、魔物の王様を巡る戦いからは脱落したペアの人間の中には、ペアの魔物が魔界に帰ってしまった後もレギュラー化しているほど個性的なキャラクターもいます。ナゾナゾ博士とかいうなんじゃそれって名前のキャラクターはその筆頭になるのではないかと思います。
それだけ魅力的で個性的なキャラクターが数多く登場するのに、一人絞って紹介したくなるようなキャラクターが数話しか登場しないコルルなのだと考えたら、より一層コルルってどんなキャラクターなんだろうって気になってきませんか?
2.友情・努力・勝利
友情・努力・勝利といえば週刊少年ジャンプの三大原則で、全ての掲載作品に三大原則の最低一要素を入れることを編集方針としています。
そして『金色のガッシュ!!』は週刊少年ジャンプの作品ではありませんが、個人的な感想としては週刊少年ジャンプのどんな作品よりも友情・努力・勝利がバランスよく描かれていたのではないかと思います。
「金色のガッシュ!!」より引用
高嶺清麿とガッシュの主人公ペアをはじめ、魔物と人間のペアの間には様々な形の友情が描かれています。兄弟や姉妹のようであったり、親子のようであったり、戦友のようであったり、 中には友情とは呼べないような間柄のペアもいたりしましたが、とにかく雷句誠先生には一体どれだけ友情の引き出しがあるのだと驚かされます。
また、魔物の王様を巡る戦いはいわゆるバトルロイヤル形式のため、その時点で魔物と人間のペア同士が仲間になるという要素は無いようにも感じられますが、「自分自身が王になる」のではなく「〇〇な王様がいる魔界を作る」ことをガッシュが志すようになったことで、魔物と人間のペア同士の友情も自然に成立させてしまった所が『金色のガッシュ!!』の秀逸なところ。やはり、少年漫画における友情を語る上で仲間の存在は外せませんからね。
「金色のガッシュ!!」より引用
また、序盤におけるガッシュたちは決して強いキャラクターではありませんでした。強い部分があるとしたら、ずっと一貫した目標意識の強さのみだったのではないでしょうか?
格上相手に仲間と協力しながら勝利し続ける泥臭さ。そしてそこに至る努力も『金色のガッシュ!!』の魅力を語る上で欠かせない要素であることは間違いありません。
そして、そんなガッシュたちの一貫した目標意識に基づく努力の根源にあるのもまたコルルというキャラクターなのです。
だから早くコルルについて話せって思われるかもしれませんが、コルルを語る上ではやはり『金色のガッシュ!!』という漫画の素晴らしさをある程度知っておく必要があると思うのでもうちょっと待ってくださいね!
3.魔本という秀逸な設定
魔本というのは、魔物の子供たちがその能力を人間界で発動させるためにひつようなもので、パートナーの人間が心の力を込めて呪文を唱えることでその魔物の子供が持っている能力・術を発動することができます。
それだけでも、魔物と人間のペアを自然に形にする役割を担っていますが、もっと秀逸なのは魔本が燃やされてしまうとその魔物の子供は強制的に魔界に帰らされてしまうという点です。
これにはバトルロイヤル形式である魔物の王様を巡る戦いのルールを厳正なものにする意味合いもあったかと思いますが、どちらかと言えば対象年齢が低めの作品である『金色のガッシュ!!』において、『死』という要素を排しておきながら『死』という要素を演出できている点こそが秀逸なのではないかと思うのです。
「金色のガッシュ!!」より引用
魔物の子供が魔界に帰ることは、人間界との、パートナーの人間との永遠の別れを意味します。別に魔物の子供はそれで死ぬわけではないのですが、そのワンシーンは『死』を彷彿とさせる永遠の別れのようで、だからこそ幼い子供でも楽しめる健全な物語でありながら、様々な形の『死』を演出するということに成功しているのですね。
そしてフィクション作品における死者は、残されたキャラクターに何かしらの意思を残すのが常です。コルルもまたそうして『死』を演出され、ガッシュたちにとても重要な意思を残したキャラクターなのです。
4.とても一貫性のあるストーリー
ある程度の長さのあるストーリーものの漫画の場合、名作といわれる作品の中にも幾度かの方向転換を強いられているものは少なくありません。
有名どころだと例えば、最初は冒険要素のあるギャグ漫画だった『ドラゴンボール』がいつの間にかバトル漫画になっていたりしたのが顕著な例でしょうか。
これは長期連載があくまでもビジネスである以上、その時その時の読者のニーズに応えるために致し方ない部分もあるのだと思います。それに同じ路線を貫くためには、作者自身にも自信と確信が必要なのかもしれませんね。
しかし、『金色のガッシュ!!』の場合はストーリーもキャラクターの考え方も最初から最後まで驚くほどに一貫しているのです。
100名の魔物の子供たちによる魔物の王様を決めるための戦いという、余程の技量が無ければ続ければ続けるほどマンネリ化してしまいそうな設定を最後まで貫き、最後に魔物の王様を決めるところまで綺麗に完走させているのです。
また、一貫しているのはストーリーだけではなくキャラクターの考え方もです。
主人公ペアの魔物であるガッシュは、序盤にあるキッカケで生じたやさしい王様になる。やさしい王様のいる魔界を作るという意思を最後まで貫き通して、要所要所での言動にそれが現れています。
そんな風にキャラクターが一貫しているからこそ魅力があるのですが、そんなやさしい王様のいる魔界を作るというガッシュの最終目標を生み出すキッカケになったのがまたコルルなのです。
コルルってどんなキャラクター?
前置きが長くなりましたが、いよいよコルルについて紹介していきましょうか。
どちらかと言えば好戦的な魔物の方が多く参加している魔物の王様を決める戦いですが、コルルはそんな中でも際立って心優しい性格の魔物となります。
「金色のガッシュ!!」より引用
パートナーの人間である女子高生・しおりに雨の中拾われますが、本物の家族とはうまくいっていないしおりとは本物の姉妹のように仲が良くなります。
本当に優しい姉妹のようで、最初にガッシュと出会った時もその仲が良い姉妹っぷりにガッシュが嫉妬してしまう程。いや、ガッシュはそもそもが割とヤキモチ焼きな正確な気がしますが。(笑)
「金色のガッシュ!!」より引用
高嶺清麿とガッシュの関係も日常時はまるで兄弟のようですし、幸せそうなコルルにガッシュが当てられてしまうのも分からなくはありませんね。
とはいえ、コルルは魔物の王様を決める戦いに参加するために人間界に来たのであって、パートナーの人間と姉妹ごっこをするために来たのではありません。
しかし、だからといって戦う意思の無い者が無理に戦う必要もないのでしょうけど、そうは問屋が卸さないようです。
「金色のガッシュ!!」より引用
ゼルクというコルルの魔本の呪文をしおりが唱えると、優しいコルルの面影も無い凶暴な魔物の姿へと変化してしまいます。実は、戦う意思の無いコルルのような魔物には戦いから逃げられないように別人格が与えらえることになっていたようです。
最終的にコルルのように別人格を与えられた魔物が少なくともガッシュたちが出会った中には登場していないことからも、コルルがずば抜けて優しい性格の魔物だったということが窺えますね。
しかし、こうなってみるとしおりがコルルのパートナーであったことは不幸中の幸いとは全く逆で、パートナーではなかった方が幸せな姉妹ごっこを続けることができたかもしれません。しおりがパートナーでなければ、魔本の呪文を唱えることも無かったわけですしね。
「金色のガッシュ!!」より引用
強制的な戦いに涙を流しながら投じるコルルとしおりの姿は、ド派手な技も少ない最序盤であるにも関わらず『金色のガッシュ!!』の全編通してもトップクラスに印象的な戦闘シーンだったのではないかと思います。
そんなコルルを相手に、自らは手出しをせずにコルルとしおりを信じて攻撃に耐え続けたガッシュの姿にも、強制的に与えられた人格に打ち勝って攻撃の手を止めることに成功したコルルの姿にも、胸を打たれるものがありますね。
「金色のガッシュ!!」より引用
そして、自分の中にある凶悪な魔物の人格がガッシュを、公園をボロボロにしたことに気付いて、自ら魔本を燃やして魔界に帰ることを決意します。本当はしおりと人間界で暮らしたかったのだと思われますが、それでもこのまま魔界の王様を決める戦いに参加し続けたらいつか自分の手でしおりを危険な目に合わせてしまうかもしれないという考えもあったのかもしれませんね。
その時にコルルが言い残した「魔界にやさしい王様がいてくれたら・・。こんな・・つらい戦いはしなくてよかったのかな・・?」というセリフ。
これこそが『金色のガッシュ!!』という漫画の物語の骨子を作ることになった作中でも最重要なセリフとなります。
やさしい王様になること。
それこそがガッシュと高嶺清麿の目指すところとなり、コルルが魔界に帰ってから物語の最後の最後までの間、ずっと根付いていく意思となります。
つまり、ガッシュや高嶺清麿が頑張って戦っている背景には常にコルルがいるわけですね。
原作では3話(LEVEL.16~18)しか登場していないにも関わらず、常にその存在を感じさせるとは凄まじい存在感のキャラクターでした。
ちなみに、アニメ版に至っては僅か1話(第8話)しか登場していないので、興味がある人はこちらを見てみましょう。
アニメ版では最初からガッシュのことを知っていてコルルがガッシュのことを警戒するというようなシーンが一瞬ですが描かれているので、原作ファンが読んでも興味深いと思いますよ。
「金色のガッシュ!!」より引用
ここで一つやさしい王様になるというガッシュの意思がどれだけ強いものなのかを象徴するエピソードを紹介します。バリー(魔物)とグスタフ(人間)のペアは、序盤に登場する敵の中ではかなりの強敵でガッシュたちは敗北スレスレまで追い込まれます。
ただでさえ強敵が相手なのに、戦いに巻き込まれた者を逃がしたりしていたので更に不利な状況に陥ってしまっていました。
まあ、結果的にその時のガッシュが放っていた凄味に圧されてバリーはトドメを刺すことができなかったのですが、グスタフはそんなガッシュにどのような王を目指しているのかと問いかけます。
当然、それはやさしい王様だとガッシュは答えるのですが、この時の戦いではそのせいで敗北しそうになってしまっていたのも事実です。それでもやさしい王様を目指すのかと問われ「それ以外に・・。私の王はない!!」とガッシュは変わらぬ意思を答えます。
なんともしびれるセリフですが、『金色のガッシュ!!』にある数々の名シーンにはこのようなやさしい王様を目指す意思の力が必ずと言っていいほど関係しているのです。
邂逅編でも、石板編でも、ファウード編でも、クリア・ノート編でも、かなりの頻度でやさしい王様というキーワードは登場していて、それだけやさしい王様というのは重要なキーワードなのですが、何度も繰り返します。その背景にいるキャラクターこそがコルルなのです。
・・なんて。
どんなに持ち上げたって所詮はたった3話しか登場していないキャラクターなんでしょ? ・・と、『金色のガッシュ!!』を未読の人の中にはそんな風に感じる人もいるかもしれませんね。
3話しか登場していないという事実は確かにその通りでそれは否定のしようがないのですが、『金色のガッシュ!!』を最後まで読んでいる人であれば、確かにコルルは早々に物語から退場したものの最後の最後まで存在感を放っていて輝いていたという筆者の意見に同意してくれるのではないかと思います。
そして、それは恐らく作者の雷句誠先生によって意図されたものなのではないかと考えられます。
その根拠としては、最後のクリア・ノート編でのコルルの扱いにあります。
「金色のガッシュ!!」より引用
ずっとコルルは3話しか登場していないと言及してきましたが、実はクリア・ノート編のクライマックスと最終回で描かれた魔界ではセリフ付きで少しだけ登場しています。
そして、クリア・ノート編のクライマックスでのコルルが驚くほど美味しい役割を果たしているのですね。
強敵クリア・ノートに追いつめられてもうダメだって時に、ガッシュの赤い魔本が金色に輝きだして、今まで仲間に、友達になった魔物の最大呪文を一時的にとはいえ使えるようになったのです。
大量の最大呪文の猛攻に耐え兼ねたクリア・ノートは宇宙へと逃げ出しますが、その時に満を持して現れたのがコルルの最大呪文であるシン・ライフォジオでした。
それは発動した光の中であれば水の中でも宇宙空間でも生命を守ってくれるというやさしい術で、クリア・ノートを追いかけるための必要不可欠な術でもありました。
なんせ、ガッシュの仲間の魔物の中ではヒロイン的な立ち位置であったティオや、もっと強力な力を持っていてクリア・ノートに大ダメージを与えた魔物以上に目立っていましたからね。(笑)
凶暴な人格が現れる術ではなくこういうやさしい術をコルルが持っていたことも感動的ですが、やさしい王様を目指すガッシュの前に、いよいよという場面でやさしい術を携えて現れたのが、ガッシュにやさしい王様を目指すキッカケを与えたコルルだというのが、今風に言うとエモいですよね。
そして、そんな美味しい描かれ方をするということは、コルルの重要性はやっぱり意図されたものなのではないかということが言いたいわけです。
とまあ、長くなりましたがコルルの魅力は伝わりましたでしょうか?
たった数話しか登場していないにも関わらず、ここまで語ることのあるキャラクターなんて『金色のガッシュ!!』以外の作品に手を広げてもほとんどいないのではないかと思います。
とはいえ、『金色のガッシュ!!』を読んだことがある人でもそこまでコルルの存在を意識しながら読んでいる人は少ないのではないかと思います。
そういう人は、次に『金色のガッシュ!!』を読み返す時にはコルルの存在を意識しながら読んでみてください。
回想シーンに度々登場するというのもありますが、それだけではなくガッシュや高嶺清麿の言動の裏側に、常にコルルの存在を感じ取ることができるのではないかと思います。