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『昭和オトメ御伽話(5)』痛くて甘い御伽話の最終巻の感想(ネタバレ注意)

 

大人っぽくなった常世が表紙の昭和オトメ御伽話の最終巻ですが、痛い時間がかなりのスピードで経過していきます。

1巻で要約された「これは俺と彼女が死ぬまでの痛くて甘い御伽話」という捉えようによってはバッドエンドを彷彿とさせるようなフレーズに、毎巻ドキドキしながら読み進めていて、4巻目のラストではかなりの不安を煽られました。

そんな不安が最終巻でも長く続いて、まさに痛い物語なのですけど、ただ痛いだけではない結末が素敵な漫画でした。

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本作の概要

パーラーの開店準備をしていた常世を襲ったのは結核で、そこから仁太郎たちの協力の元に常世の闘病生活が始まります。

あまりにも長くてツラい闘病生活に自死を選んでしまいそうになるほど苦悩する常世でしたが、本当にツラさはそれを乗り越えた後で、徴兵された仁太郎が戻ってこない常世にとって病気以上にツラい生活が始まります。

あの時一緒に死んでおけば良かったと思ってしまうほどツラくて長い時間の末に訪れる結末に注目です。

本作の見所

結核常世

前巻のレビューで常世はいったいどんな病気なんだと予想したりしていましたが、なるほど結核といえば盲点でした。いや、当時であれば盲点どころか不安な時に真っ先に脳裏を過ってもおかしくないような病気なのかもしれません。

ともかく、歴史上の有名人の死因としても度々上がるような結核常世は罹ってしまったということです。

当時の結核に対する感覚というか、認識レベルは正直なところよく分からないのですが、イメージ的には若くして癌になったようなものと同じくらいのものでしょうか?

だとしたら自身が結核だと知った常世も、それを知った仁太郎も、パーラーの開店準備で幸せだったところから突き落とされたような気持ちだったのではないかと思います。

朝になっても目を覚まさないかもしれない恐怖

最終巻の序盤の中心は常世の闘病生活で、なかなかに痛々しい時間が続きます。

結核は不治の病ではない。最初は前向きに闘病生活が開始されるのですが、それが長引くほどに常世の精神は徐々に不安に侵されていくようになります。

自らが棺に入って焼かれるところを仁太郎が止める・・という夢で朝目が覚める。それで目が覚めるなら良いけど、もしかしたらもう目を覚ますことは無いかもしれないという恐怖は、病気そのもの以上に常世を蝕んでいっているように感じられました。

そしてついには自ら命を絶ってしまいかねないような精神状態になってしまうのですが、常世が死ぬなら自分も後を追うと言う仁太郎の意思が強いことを知ってとても混乱してしまいます。

しかし、そこから先の仁太郎がファインプレーで、一緒に死ぬというマインドから一緒に生きるというマインドに常世を誘導していきます。

「俺もほんまはな、今やりたいのは一緒に死ぬことやない。一緒に生きることや」

自死を選んでしまいかねない様子の常世の精神状態は、将来への期待を意図的に見ないようなものになっていたのではないかと思います。そんな常世に、これからやりたいことを次々と聞いていくのはある意味で残酷な行為なのかもしれませんが、しかしそれが常世に仁太郎と一緒に生きたいと思わせることに繋がりました。

仁太郎の徴兵とからたち姫の痛くて甘い御伽話の結末

前巻のレビューにて、常世が倒れるまでの幸せな展開がこれから始まる暗い展開の前振りのように感じられると言及しましたがまさにその通りの展開になっています。

しかし、仁太郎の徴兵からの展開は予想外でした・・というか、時代背景から考えてそれを予想していなかったのはあまりにも想像力が足りていませんでしたね。(笑)

仁太郎が徴兵され、そして予定された時期になっても戻ってこない。そして仁太郎の帰りを心待ちにした常世の元に戻ってきたのは仁太郎の訃報でした。

僕には病気と闘いながらも長期間安否の分からない恋人の帰りを待ち続けた挙句、その訃報を告げられた女性の気持ちなんて想像することもできませんが、常世が再び自死を選んでしまうほどの苦痛を伴うことには想像に難くありません。

実際、仁太郎によって昇汞水が砂糖水にすり替えられていなかったら常世の命はありませんし、結論から言えば常世は生き延びているので実感はしづらいものの、常世は確かに自殺を実行しています。

最後の結末を考えたら仁太郎はまたもやファインプレーすぎますよね。

もし仮にここで常世が死んでいたら、その時点での常世は痛みから解放されたのかもしれませんが、結論から言えば仁太郎はその後更に時間が経過してから生きて戻ってくるわけで、その時に仁太郎を襲う痛みはそれこそ想像を絶しますし、本当なら二人にあったはずのそこからの幸せすら無くなってしまっていたわけですからね。

そういうわけで本作品のラストはハッピーエンド、長くて痛い時間が続きましたが、最後にはこれから仁太郎と常世の二人が死ぬまで寄り添って生きていく物語が始まるのだと思います。

「これは俺と彼女が死ぬまでの痛くて甘い御伽話」とは、不穏な響きこそあったものの痛い痛い時間の後にある幸せのことを意味していたわけですね。

昭和オトメナインも終わりです

「こうして全世界にたくさんの野球狂を創り出し、一年後無差別級世界一決定戦で戦わせるの」

・・なんて、まるで打ち切り漫画のような超展開だけどオマケ漫画なら許されますよね。(笑)

本作品のファンであっても10人が10人ともこの表紙裏のオマケ漫画を読んでいるわけではないと思いますが、そんな表紙裏のオマケ漫画にまでちょっとしたストーリーがあったのが面白かったです。

総括

いかがでしたでしょうか?

最初は同作者の前作である大正処女御伽話と同じ世界観の物語というところから興味を持って、前作のキャラクターの登場に一喜一憂したりしていたものですが、結論から言うと前作がどうとか関係なく本当の面白い漫画だったと思います。

僕は基本的に不幸なこととか痛々しいは物語よりはハッピーな物語の方が好きな人間です。感情移入しやすいタイプなので、だったらハッピーに感情移入できる方が当然嬉しいのが当然という話ですね。

昭和オトメ御伽話は正直なところ不幸な部分や痛々しいところの多い物語なので、そういう意味では僕好みの作品ではないのかもしれません。しかし、そういった痛々しい部分を乗り越えていこうとする作品でもあるので、その先にある幸せもチラチラと垣間見えるところがあって、それが本作品の魅力であり、痛々しくても楽しんで読み進められた理由なのではないかと思います。

大正、昭和ときたので次は平成、そして令和・・といくのかどうかは分かりませんけど、もしそんな作品が描かれるのであれば是非読んでみたいと思うくらいには大正処女御伽話昭和オトメ御伽話の二作品は良かったと思います。