『終末の貞子さん』人のいない世界では呪いも悩む!?(ネタバレと感想)
最近やたらと露出の多い貞子さん。
映画『貞子』をベースとしたコメディ『貞子さんとさだこちゃん』が記憶に新しいですが、またまた貞子が主人公の漫画作品が登場しました。
『終末の貞子さん』は、タイトルの通りいわゆる終末ものの作品で、文明が滅んでほとんど人のいない世界を舞台とした作品となります。
タイトルは以前から知っていたので、終末ってどういうことなんだろうと思っていましたが、まさか文字通りの終末だとは思いませんでした。
例えば、貞子さんが呪いに呪い尽くして終末の世がやってくる。きっとくるとか、そういうのは予想のひとつではありましたけど。(笑)
まあ『終末の貞子さん』を一言で表すなら・・
呪いたいけど呪う人がいないじゃん!?
・・とまあ、そんな感じの作品だと思います。
『貞子さんとさだこちゃん』と同じで怖いところはありませんが、最後まで読んだら読んだ人が呪われる仕様になっています。(笑)
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本作の概要
いわゆる荒廃した終末の世界。
廃墟に住む少女アイとその妹ひーちゃんは、遺物であるビデオを始めてみることになるのですが、そのビデオはなんと貞子の呪いのビデオでした。
人のいない世界で、自分の呪いの終わりも近いことを悟る貞子さんの物語となります。
本作の見所
サダちゃん登場
見たら1週間後に呪い殺されるという貞子さんの呪いのビデオ。
そして、廃墟に住むアイとひーちゃんが初めて見たビデオが、なんと貞子さんの呪いのビデオでした。
当然、画面の中から貞子さんが登場します。
「「びでお」はじめて観た!! それどころか動いてる人間久しぶりに見た。わっ、触れる! 3Dってこういうこと? 昔の技術力ってやっぱ凄まじいなあー!」
それにはアイも驚きますが、その驚きの種類は恐怖ではなく単純な好奇心でした。
なるほど、例えばテレビの無い世界の住人がテレビに驚く展開は多くのフィクション作品において定番ネタのひとつですが、そういう驚きを持つキャラクターって小さな箱の中に人が入っているという発想を持ったりするものです。
貞子さんを3D技術扱いするアイたちの反応も、まさにそれに近いものだったのかもしれませんね。
そして、怖がるどころか好奇心むき出しで、自分のことをサダちゃんと親し気に呼んでくるアイに戸惑う貞子さんが面白いですね。
キューティクル
一応、『終末の貞子さん』における貞子さんの目的は、アイたちを呪い殺すこと。
戸惑いながらもアイたちと行動を共にする貞子さんは、あくまでも恐怖の呪いを振りまく存在なのです。
そんな貞子さん達が最初に出会った人間は美容師のヤマネ。
ハサミを取り出したところを警戒してなのか、貞子さんはいきなり長い髪で首を絞めにかかるのですが・・
「キューティクルが・・死んでる!!」
そりゃあ、ずっとジメジメした井戸の底にいたわけですからね。
貞子さんの髪はズタズタですよ。
美容師の性か、何とかそれを手入れしようとするヤマネと押され気味の貞子という構図が面白いです。
そして、このヤマネは明言こそしていないものの貞子さんの呪いのビデオのことを知っていた節があります。
「ーいい髪なんだから毎日梳かしなさいね。アンタも触らせてくれたし、仕事させてあげる」
貞子さんの仕事とは、つまり呪い殺すこと。
明確に描写されているわけではないですが、気付いた上で無抵抗で貞子さんに殺されたっぽいヤマネは、ひょっとしたら最初から荒廃して誰もいない世界で生きる意志が薄くなっていたのかもしれませんね。
ちなみに、本編では前髪を切られることだけは死守した貞子さんですが、巻末のオマケ漫画では切られてしまっています。
手で覆って顔は隠していますが、結構レアな貞子さんですよね。
貞子さんの大先輩
貞子さんは井戸を住処とする怪異ですが、井戸の怪異といえば皿屋敷のお菊さんが大先輩ですよね。
貞子さんもちゃんと皿屋敷のお菊さんのことを知っていて、大先輩だと認識しているところが面白いと思います。
そして、皿屋敷のお菊さんによってアイにあることが伝えられます。
「世界の最後の優しいおふたりに、ひとつお節介を。その女性と一緒にいるとね。死にますよ」
このことは恐らく、アイに貞子さんの言っていた1週間の意味を悟らせた可能性が高いと思われます。
そして結末は・・!?
ここまで出会った人間は、呪いであれそれ以外が原因であれ、アイとひーちゃんを除いて死んでしまっています。
世界の最後の2人となったアイたちを呪いきれば、貞子さんの呪いも終わりです。
「私、サダちゃんがこわい子でも大丈夫だよ」
恐らくアイは、自分が呪われていることに既に気付いています。
というか、貞子さんのビデオがハッピーエンドではないことにも薄々気付いていたようです。
「サダちゃんのやりたいこと私が叶えるよ」
これはヤマネもそうでしたが、『終末の貞子さん』の物語は本当に文字通りの終末の直前を描いた物語だったのかもしれません。
それに、貞子さんの呪いは1週間。
1週間の終わりである週末と、本当の意味での終末をかけた物語にもなっているのかもしれません。
だから、どのキャラクターも貞子さんに呪われる前からある程度終末を覚悟している。
貞子さんが呪いで人を殺すところは本家と同じなのに、ホラーではなく何だか切ない物語に思えるのが興味深いですね。
総括
いかがでしたでしょうか?
映画『貞子』の公開に合わせているとはいえ、何で今頃になって貞子さんがここまでフューチャーされるのかは不思議なところです。
今までだって時々『リング』系列の作品は登場していますが、こういう風に一種のマスコットキャラクター的に扱われることはありませんでした。
そりゃあそうですよね。
貞子さんはあくまでも人を呪い殺す恐怖の存在。人に媚びたり愛嬌をふりまいたりする活動や作品は、そのイメージを傷つける可能性すらあります。
では、なぜ今になってそういうことをするのか?
それは、既に傷つく余地がないほどに貞子さんの恐怖のイメージが世に定着しつつあるからなのだと思います。
だからこそ、こういう本来のイメージとは少し違ったギャップのある貞子さんを見せるようなことが可能になったのだと思います。
ひとまず貞子さんが題材となった作品はここまでのようですが、もっと読んでみたいという気もしますね。