『タイムスリップオタガール(5)』中身大人でも子供の世界で上手く立ち回れるとは限らない話(ネタバレ含む感想)
1996年というのは個人的にも何だかノスタルジックに感じられる年代で、『タイムスリップオタガール』の主人公であるはとこと同世代(タイムリープ前)の読者にとっては共感しやすいところの多い漫画なのではないかと思います。
はとこは1996年に中学生なので僕よりは少し年上、兄とか姉の世代くらいですが、まあ同世代といって差し支えはないでしょう。
当時の僕は小学生でしたが、別に『タイムスリップオタガール』を読んだ時に限らず1990年代の後半くらいは時たまぼーっとして懐かしむことのある年代なんですよね。
なんでなんだろうって、それは子供の頃の思い出が懐かしいということ以外の意味もあったのではないかと思います。
この頃は時代が目まぐるしかったというか、まだまだカオスな部分があったというか、そんな楽しさがあったからだと思います。
今でも時代は大きく移り変わっていますが、それでも劇的な変化は少ないというか、ある程度安定しているような気がするからです。
1996年と2006年。
2006年と2016年。
この二つの十年間を比較したら、明らかに前者の方が混沌としていた。
そんな1996年が舞台というだけで、『タイムスリップオタガール』は読む価値のある漫画だと思います。
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本作の概要
中身は30歳の大人であるはとこは、事故でタイムスリップして13歳の人生を謳歌しています。
友達と合同誌を作って即売会のイベントに参加したり、漫画を出版社に初投稿したりと充実した毎日を送っています。
しかし、その充実した日々が徐々に元のはとこの人生と乖離し始めてきています。
本作の見所
子供の喧嘩
大人になると子供の頃よりも喧嘩しなくなるものです。
しかし、それは上手く立ち回るために諦めを覚えているだけなのかもしれません。
実際、はとこも友人同士の喧嘩に巻き込まれて、そこでは上手く立ち回ることができませんでした。
まあ、確かに大人同士の喧嘩にある行き着くとこまで行き着いた時の怖さは子供同士の喧嘩にはありません。
一方で子供同士の喧嘩には腫れ物に触るような慎重さが無いと何が喧嘩に発展するのかわからない怖さがありますね。
友人同士で合同誌を作ると同じ目的に向かって、しかしそのスタンス・真剣度の差からすれ違いが発生する。
これが大人なら互いの意見を尊重した落としどころを見つけることができます。しかし、子供は自分の考え方に大人以上に素直なのでこれが決定的な決裂に繋がることもあるわけですね。
「「好き」がたくさん詰まったあの場所に、私は皆で行きたい。けど・・このまま2人の友情が壊れちゃうほうが・・嫌だ」
だから合同誌を作ること自体をやめてしまおう。
それがはとこの出した答えでした。泣きながらそんなことを言うはとこは自分でもそう思っているように大人的ではなかったかもしれませんが、しかし喧嘩していた2人に大人的な落としどころを見つけさせるキッカケにはなっていたのではないかと思います。
要は喧嘩している2人は互いを悪者にしているわけですが、はとこの素直な意見はその両方に罪悪感を持たせることに繋がったわけです。
自分に悪い部分があるという思いを持てることが仲直りのキッカケになるのは子供も大人も同じですね。
出版社に投稿
多かれ少なかれ漫画や小説が好きな人って、それを作る側に回ってみたいと思うものなのではないでしょうか?
僕も昔は自作の小説を・・ゲフンゲフン(笑)
まあ、こんな風にブログでレビュー記事を書いている時点で、僕が発信する側になりたい人間であることは明らかですね。
それに、コミケをはじめとする同人誌即売会のイベントの多さが作り手になりたい人間の多さを物語っています。
そして、はとこも発信者側。漫画家を目指しています。今巻では漫画原稿の初投稿を達成していますが、こういう行動力は正直なところ尊敬に値します。
いや、はとこは人生をやり直しているようなものなので、後悔していたことをやり直すのは難しくないのかもしれません。
しかし、例えば自分がはとこのようにタイムスリップしたとして、何かしらの失敗をやり直せるかと考えたら、意外とうまくいかないような気もするんですよね。
人間子供から大人になってそんなに器用になっているかといえば案外そんなことはなくて、今度は上手くやろうとして、それでも同じような失敗をしてしまうのがオチなのではないかと思うんです。
だって、タイムスリップなんてしてもしなくても、何度だって同じ失敗を繰り返しているんですから、意外とやり直しは難しいのではないかと。
だからこそ、『タイムスリップオタガール』を読んでいて、はとこはちゃんとやり直せているなぁと感じることが実は結構多いんですよね。
本人は失敗したと思ったり葛藤したりもしていますけど。(笑)
大人のコミュ力
中学生の頃、同級生の女子と話すのは少々苦手でした。
なんなら男子と話すのだって苦手でしたし。(笑)
これは学生の頃の僕の話ですが、はっきり言ってコミュ障でした。それに今でもどちらかといえばコミュ障な方だと感じている・・のですが、実際のところ客観的に見れば全くコミュ障には見えないのではないかと思います。
そして、そんな大人は意外と多いのではないでしょうか?
もちろん、例外はあると思いますけど、社会に出るとコミュ障だなんだと言っていられませんし、どうしたって対人能力は上がってくるものです。
はとこもどちらかといえば・・いや、明らかに学生時代はあまり対人能力に優れないタイプだったのではないかと思われますが、タイムスリップしてきた中身30歳の中学生のはとこのコミュ力は中学生としてはかなり高い方ではないかと思います。
男女問わず分け隔てなく接するのも大人的。実は子供の頃の方が男女の違いを意識するものですから、それを全く感じさせないはとこはかなり特殊に映っていたのではないでしょうか?
総括
いかがでしたでしょうか?
繰り返しますが1996年は個人的にもノスタルジックに感じられる年で、何かと思い出すことも多い年なのですが、一緒に働いている大卒の後輩が1996年生まれだったりするので時間の流れの速さを感じる今日この頃です。
なんなんでしょうね。
こういう時間の流れを感じさせるフィクション作品って、面白いと感じる以上に心に染み渡るものもあって、そういうところが素敵だと思います。
2019年現在、30代半ばの人には特におすすめの漫画です。