『ヤクザの大親分が幼女に生まれ変わった話(1)』幼女ヤクザが可愛い漫画の感想(ネタバレ注意)
Twitterやらpixivやら、近年はネット発の漫画作品が増えてきましたね。
こういった作品には、有名誌の連載作品とかに比べて味わいが薄いところがあるような気がしなくもないのですが、なんだか違った味わいもあって定期的に読みたくなるような魅力があるのも確かだと思います。
誤解を恐れずに言えば、食べ物でいうところのB級グルメみたいな?
発想が安易だったり、使い古されたものだったりすることも少なくないような気がするんですけど、だからこそサラッと気軽に楽しめるのが魅力だと思います。
『ヤクザの大親分が幼女に生まれ変わった話』もそういう作品群のひとつだそうですが、ヤクザにヤクザっぽくないことをさせる作品は意外と定番になりつつありますよね。
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本作の概要
神代紫は普通の女子小学生です。
ヤクザの大親分の生まれ変わりで、しかもその記憶があるということを除けばですが。
普通の女子小学生として、学校の友達に合わせて生活しようとしていくのですが、一方でヤクザの大親分としての顔も持っていて、組員からは今でも大親分として接されています。
そんなあまりにもギャップのある二重生活を送る神代紫の日常を面白おかしく描いたコメディ作品となります。
本作の見所
女子小学生の流行
小学二年生といえば、まだまだ大抵の子は子供向けアニメの話題で盛り上がる年齢ではないでしょうか?
そんな友達の話についていくために神代紫は子供向けアニメを嗜み、組員になんとかして映画版の得点のステッキを手に入れようとしたり、小学二年生の女子を満喫していると言えば満喫しています。
「学校でステッキ持ってねえのはこの俺だけだ・・っ!! 情けねぇ・・っ!!」
言い方は極道っぽいですが、他人を羨ましがってるだけの普通の子供にも見えます。ギャップがあるようでいてちゃんと両方の要素を備えているところが面白いですよね。
また、何とかして手に入れたステッキが転売品だと知って怒るなど、筋の通ったところもあったりします。(でも結局ステッキはもらったんだろうか?)
しかし、一方で小学二年生といえば少し大人び始める年齢でもあります。
友達に合わせようと神代紫がアニメの話題を振ろうとしたら、いつの間にか話題はドラマの話になってしまっていました。
子供の流行の移り変わりは、自分自身が子供の頃を思い出しても本当に早いものでしたからね。
そもそも時間の感じ方が違うからなのでしょうけど、そういう意味で神代紫にとって今の流行についていくことはできたとしても、移り変わりにまでついていくことは結構大変なのかもしれません。(笑)
白い粉
ヤクザと白い粉というワードを組み合わせたら、どうしても怪しいお薬が思い浮かぶところですが、本書に登場する白い粉はもっと健全なものです。
それは粉ラムネ。
若頭さんも懐かしがっていますが、最近はあまり粉ラムネって見かけませんよね。
僕も小学生の頃に駄菓子屋で食べたことがあるくらいでした。
しかし、結構中毒性のある味だったような覚えがあって、そういう意味ではちょっと怪しい白い粉と共通していますね。というか、しばしばそういうネタに使われますからね。粉ラムネって。
だからといって、神代紫が前世の記憶を思い出すきっかけが粉ラムネというのは若干風評被害になっていなくもなさそうですけど。(笑)
行列のできるパンケーキ
少なくともヤクザの大親分は行列のできるオシャレなお店に並んだりしないと思うので、そういう行動はギャップとなって面白くはあるのですが、小学二年生の女子もあまりしないような気がしないでもありません。
そこのところ実際どうなんでしょうね?
僕は男なので小学二年生の女子だったことはありませんし、まして最近の小学二年生女子の事情なんてわかるわけもないので想像になりますが、実際に並んだりすることは稀でも大人ぶって並んでみたくなったりするものなのかもしれませんね。
神代紫もSNSに写真をアップするためにパンケーキを食べに来たのですが・・
明らかにそっち系の人たちが女子小学生を引き連れて女子力の高そうなパンケーキ屋に並ぶ姿は非常にシュールですよね。
そして、ついに神代紫の順番が来て、しかもそれでラストというラッキーな状況になってしまったのですが・・
「紫やっぱりパンケーキの気分じゃな~い」
なんとも我儘なお嬢様っぽい振舞いをそこで見せます。
振舞いだけなら我儘お嬢様なのですが、それが神代紫のひとつ後ろに並んでいた女の子にパンケーキを譲るためというところが渋いですね。
渋い良い男の振舞っぽいんですけど、ただのツンデレに見えるのは仕方のないところでしょうか?(笑)
小学生は正直ですよね
どうやら前世がヤクザだというのは神代紫だけではないようです。
転校性の黒瀧沙羅もまた、前世で因縁のあるヤクザなのですが、神代紫に比べると少々器の小さいところのあるキャラクターとなります。
黒瀧沙羅はなかなかに陰湿な方法で神代紫を排除しようとするのですが、小学生の世界においてこれはなかなかにリスクのある行為なのではないかと思います。
最初はものにつられて人気のあった黒瀧沙羅でしたが、意図的に神代紫を仲間外れにしようとしたことでむしろ自分が孤立してしまうようなことになってしまいます。
こういうところ、小学生は正直ですよね。
「今回はこの辺りでひいとけ」
そして、黒瀧沙羅に陥れられるところだったはずの神代紫が、孤立する黒瀧沙羅を助けた上でこの一言。
器が違うというか、格好良いですよね。
運の悪い誘拐犯
こういう転生ものでは、前世の記憶はあっても現在の体にあった性格も併せ持っているようなパターンもあると思うのですが、神代紫の場合は割と前世の記憶に引きずられた性格をしているような気がします。
とはいえ、見かけは小学二年生の女の子でしかありません。
それも私立の小学校に通うお嬢様。というわけで、まさかの誘拐事件の被害者になってしまいます。
しかし、この場合同情すべきは誘拐された神代紫というべきか、ヤクザの大親分と知らずに誘拐してしまった誘拐犯と言うべきか。
いや、犯罪者に同情の余地は無いのでしょうけど、それでも運が悪かったと言わざるを得ませんね。
「阿呆、オレがその親分だ」
そして、ヤクザに取り囲まれたことでやっと神代紫がヤクザの関係者。ヤクザの親玉の子供なのかと危機感に襲われるのですが、さすがに誘拐した神代紫自身が親玉だとは思わなかったようです。
特段珍しい展開でもなんでもないんですけど、こういうプチカタルシスを得られるような展開、僕は嫌いではありません。
総括
いかがでしたでしょうか?
タイトルの通りヤクザの大親分としての顔と、普通(?)の女子小学生として顔という二つの顔を持つ神代紫というキャラクターが非常に魅力的でしたね。
こういうある世界にいるキャラクターを、意外で馴染みのなさそうな世界に放り込んだ時に生じるギャップを楽しむような作品が最近増えてきているような気がしますが、よくよく考えるとそれって異世界転生・転移ものに通じる要素でもあるような気がします。
そう考えると、なるほどこういった作品群って近年の流行に合ったものなのかもしれませんね。
僕はヤクザの世界を全く知らず、完全に『龍が如く』のイメージでしかないのですが、いずれにしても自分とは縁遠い非日常だとは思っています。
そんな非日常の住人が普通の女子小学生をやっているというのは本当に面白いと思います。