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『味噌汁でカンパイ!(10)』表紙の二人は一体何を約束したのか?(ネタバレ含む感想)

 

味噌汁でカンパイ!もついに10巻目。二桁の大台に突入しました。

作者の笹乃さい先生もそのことを感慨深いとおっしゃっていますが、ファンとしては当然の結果なのではないかと思います。

知名度こそあまり高くない作品ですが、とても素敵な作品であることは間違いなく、長く続いても絵もストーリーもクオリティが落ちたりはしていないので一度ファンになった人が離れるタイプの作品では無いと感じられるのが当然の結果だと思う理由です。

ホント、もっと広く知られるべき作品の筆頭ですよね。

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しかし、二桁巻の大台には突入しましたがクライマックスもそう遠くはないとも感じられます。クライマックスに向けての伏線もジワジワと育っている気がするからです。

9巻では親子と夫婦の境目の曖昧さに八重が気付くエピソードがありましたが、北海道編では八重の姉夫婦に触れることでより夫婦というものを意識するようになっているのではないかと思われます。

そして、一方の善一郎も母親のいない九馬に触れて、ずっと向き合わないでいた母親の故郷である京都に行ってみたいと考え始めます。

表紙の二人の指切りは、善一郎の母親役の八重としては何としても着いて行かなければと考えた八重と、その時は一緒に行くのだと約束しているのですね。

八重は母親を早くに亡くした善一郎の母親役。ということは、善一郎が母親と向き合うというエピソードは物語的に八重との関係に向き合おうとする符号であるようにも感じられます。考えすぎかもしれませんが、八重は今まで善一郎の母親役であることを理由に本来であれば幼馴染の関係からは一線を越えているような言動をしていたところもあり、それが二人の関係性をよく分からないものにしていたような気がしますが、善一郎が母親と向き合うというエピソードではそこもクリアにしていくのではないかと予想されます。

10巻の最後では、停電中の雷に驚いた八重が善一郎のことを幼い頃のように「善ちゃん」と呼んでしまい謝る一幕がありますが、善一郎が八重に恥ずかしいから善ちゃんとは呼ぶなと言ったことがある設定はすっかり忘れていました。(笑)

しかし、少し大人になった今の善一郎は八重に「善ちゃん」と呼んでも良いと許します。こういうある意味では昔に戻るような変化も変化であることには違いなく、主人公とヒロインの二人の関係をクライマックスに向けて進展させていっているように感じられますね。

という感じで、他巻に比べると味噌汁成分が薄めの内容にはなっているのですが、次巻予告によると自家製味噌もついに完成するようですし、もしかしたらこの自家製味噌のエピソードが少なくとも一つの区切りになるのではないでしょうか?