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『天鏡のアルデラミン』は働き方改革を推奨する物語だった!?【考察】

 

2018/8月発売の14巻でついに大団円を迎えた天鏡のアルデラミンですが、よくよく考えてみると働き方改革」の大切さを唱えている物語なのではないかという気付きがありました。

いや、もちろん天鏡のアルデラミンはそれだけの物語ではないのですが、間違いなく「働き方改革」を推奨するような一面があったように思います。

本記事では天鏡のアルデラミンの中で、どのように「働き方改革」について触れられているかについて考察していきます!

※この考察の中にはネタバレが含まれますので未読の人はご注意ください!

 

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働き方改革とは?

働き方改革」という言葉が世に浸透しだして久しいですが、そもそも「働き方改革」とは何なのでしょうか?

漠然と「働き方改革」が謳われだしてから職場環境が改善してきているという実感はあるものの、実はちゃんと「働き方改革」のことがわかっているのかと言えば、改めて考えてみるとそんなことはありませんでした。

そういうわけで少し勉強してきました。

まず、「働き方改革」を一言で表現すると・・

誰もが気持ち良く働ける世の中を、国民1人1人が当事者となって作り上げること。

・・だと解釈しました。 

漠然と長時間労働の是正」のことだと思っている人が多いと思いますが、実はこれは「働き方改革」の一面ですらありません。(僕もそう思っていましたが)

確かに、よくよく考えると「労働時間を短くすること」と「働き方を変えること」は全くの別問題ですからね。

もちろん、「働き方改革」の背景には長時間労働ブラック企業、過労死問題もあり、「長時間労働の是正」は目的の一つではあるのですが、あくまでもこれは「働き方を変えること」による結果の一つだということなのでしょう。

そして、「長時間労働の是正」以外にも、労働力の減少する社会背景にあって「より多くの労働力を確保する」という目的もあります。

その為に政府や企業は、フレックスタイムの導入やテレワークの活用などの多様な働き方を広げていくようにし、どのような人でも働きやすくするために育児休暇や有休休暇を取得しやすい環境を構築していく必要があります。

そして、このような世の中を実現していくためには「生産性の向上」が必要不可欠となります。

サラリーマンの人達にとっては「そんなの昔から言われてることだし、言われたからって簡単にできることじゃない!」と感じることかもしれませんが、本当にそうでしょうか?

今までの日本の企業の中にあって労働者は「どうせ長時間働くことになるんだから」と無意識に生産性が低くなるような仕事をしている人も多かったように思います。(思い返せば僕もそうでした)

そんな意識を変えて生産性を向上・・というより、あるべき姿に戻すだけでも相当効果があるものと考えられます。

実際、数年前と比較して僕の職場では、この辺がかなり改善されてきています。

このように、労働者1人1人の意識改革も「働き方改革」には必要なのですね。

しかし、これはもちろん本当の意味での「生産性の向上」にはなっていません。

本当の意味での「生産性の向上」を成し遂げるには、個々人の努力、成長も必要ですが、それ以上に多くの企業が抱えているであろう問題点を解決していく必要があります。

多くの企業が抱えている問題とは、企業という組織にあって個人の能力に頼るような仕事が未だに存在する」ということでしょう。

企業が優秀な労働者を確保・育成しようとするのは当然のことで、それを否定するつもりはありません。

しかし、それ以上に企業は「誰でも同じように成果を上げることのできる環境」を作り上げていく必要があり、それができてこその組織だと考えます。

ITシステムの導入など、その為の手法はいくらでもありますよね?

そして、このような改革が「長時間労働の是正」「より多くの労働者を確保する」という目的に繋がっていくことになります。

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・・長々と時事問題について語りましたが、そういえば本記事はライトノベルの考察記事でしたね。(笑)

話題を元に戻しましょう。

イクタ・ソロークの哲学

本作品の主人公であるイクタ・ソローク。

イクタ最初はいわゆる怠け者を体現したようなキャラクターでした。

最終的には誰よりも働いていたような気もしますが、しかしこれはイクタの考え方がブレたからではありません。

イクタの信念は最初から最後まで一貫しています。

そもそも、イクタは怠け者といってもただの怠け者ではありません。目的に向かって真っ直ぐひたむきに取り組むような真面目さを持っています。

それのどこが怠け者やねん・・って思う人もいるかもしれません。

しかし、そもそも働く上で怠け者であることは、必ずしも悪いことではありません。

働き方改革」を実現するための一要素に「生産性の向上」があることは先ほど述べましたが、この生産性を向上させるということはすなわち、上手に怠けることと同意だったりします。

ここで言う怠けるとは「仕事をしない」「サボる」という意味での怠けるではありません。

どうしたらもっと楽に、そして早くこの仕事を終わらせることができるだろう?

そういうことを考えて実現していくこと。それを上手に怠けることだと言っているわけですね。

意外と当たり前のことを言っていますが、しかしこれを実現できないどころか、やろうとすらしない人が非常に多い。

それは何故か?

それは、「時間と労力をかけてできた成果」と「楽をしてできた成果」を天秤にかけた時に、それが同レベルの成果であっても無意識に前者の方が優れていると思ってしまっている人が多いからではないでしょうか?

こんなに頑張ったんだから、優れているに決まっている・・といった具合です。

イクタにはそのことがわかっていて、最初から最後まで一貫して上手に怠けることを謳い続けています。

現代社会においても、一昔前までは「時間と労力をかけてできた成果」が優れている勘違いしたような働き方をする人が多かったですが、上手に怠けるような働き方ができる人も増えてきていますね。

  1. 楽して同じ成果を上げることができれば時間ができる。
  2. 時間ができれば人間の心は豊かになる。
  3. それは余裕へと繋がり、更なる成長へと繋がっていく。

そんな素晴らしいスパイラルを上手に怠けることから創出していくのが、目指すべき形なのでしょうね。

あらゆる英雄は過労で死ぬ

イクタが何度も繰り返し言っている言葉ですね。

自身も英雄扱いされたことのあるイクタですが、英雄というものの存在を毛嫌いしていて、「英雄に成り果てる」といった明らかに否定の意味を込めたことも発言しています。

英雄とは、英雄たらしめる才能があって生まれるのではなく、「英雄を必要とする環境」によって作られるというのがイクタの考えで、その「英雄を必要とする環境」自体をイクタは否定しているのだと思います。

ネタバレになりますが、最後の最後で英雄だったイクタは掌を返します。

それは英雄であったイクタ自身を殺すことで、「英雄を必要とする環境」への警鐘を鳴らし、国民1人1人が自主性を持って国を作り替えていくことを促したかったからこその行動だったのだと思います。

その結末はドラマチックで、やり方は物語的なものでしたが、イクタのやりたかったことはまさに「働き方改革だったのだと僕は考えます。

現代社会に例えるとイクタの言う英雄とは、属人的な仕事をこなすことのできる職人のことであり、「英雄を必要とする環境」とは、まさに企業という組織にあって個人の能力に頼るような仕事が未だに存在する環境」のことに当てはめることができます。

そう考えると、「あらゆる英雄は過労で死ぬ」という何だか格好良いセリフも、そこそこ世知辛い社会風刺を含んだセリフに聞こえてくるから不思議ですね。

働きすぎのジャン・アルキネクス

一方、敵国の将であるジャン・アルキネクス

能力的にも申し分ない主人公イクタのライバルでしたが、その考え方は極端なまでに対照的でした。

両者とも英雄扱いされた立場にいた点では共通していますが、あくまでも組織としての力を高めることに注力し、自身はそこまで表に出ようとしなかったイクタに対して、ジャンは進んで自分が前に出て、英雄になろうとしていました。

英雄を忌避した英雄と、英雄になろうとした英雄。

これもネタバレになりますが、帝国とキオカの最終決戦において、帝国側ではイクタ配下の兵士たちがそれぞれ活躍していたのに対して、相対するキオカ側の兵士たちの背後には常にジャンの影が見え隠れしているのが印象的でした。

ジャン1人が各地の戦局を全て把握して指示を出す。

とてつもない、それこそ英雄と呼ぶにふさわしい能力ではありますが、そのジャンが倒れたのと同時にキオカは戦争を続けることができないような状態になってしまいました。

イクタとジャン。この2人の知略は拮抗していたのかもしれません。

しかし、組織を作り上げていく能力はイクタの方がはるかに優れていたということなのでしょうね。

ちなみに、ジャンの二つ名は『不眠(ねむらず)の輝将』です。まるで、現代社会における寝る間を惜しんで働くスーパーサラリーマンを象徴しているかのようです。

イクタが現代社会における「これから」を象徴したキャラクターなのだとしたら、ジャンは「今まで」を象徴したキャラクターだと見ることができそうですね。

総括

さて、ここまでで「働き方改革」において、多少極端な面もありますがイクタのような人間が必要で、そういう人が皆を引っ張っていく立場にいる必要があるということがわかったと思います。

しかし、周囲を見回してみて下さい。

一体イクタのような人間がどれだけいるでしょうか?

イクタもジャンも両極端な性質のキャラクターですが、どちらかと言えば現代日本においては、特に皆を引っ張っていくような立場の人間にはジャンのような性質の人間の方が多いように思います。

働き方改革」が謳われだしてから久しく、これが推進されてきている実感もあるものの、働く人の根本的な考え方まではなかなか変えるのは難しいということなのでしょう。

しかし、特に若い世代ほどイクタのような考え方を持って働いている人が増えてきているのも事実です。

管理する立場の人間の考え方が変わっておらず、改善すべきところが改善しきれていないのに、管理される立場の人間だけが考えを改めていけばどうなるか?

恐らくですが、そのしわ寄せは管理する立場の人間に向かうことになると思います。

そうならないためにも、管理する立場の人間、年配の方々ももっと考えを改めていくべきなのかもしれませんね。

職人を育てるのではなく、職人を必要としない組織を育てていきましょう!