『さよならの朝に約束の花をかざろう』BD発売で改めて感動!ネタバレ注意の感想文
親子愛を描いた名作『さよならの朝に約束の花をかざろう』のBDがついに発売しました。
どんな映画でも、映画館で最初に観た時のインパクトや感動をもう一度同じレベルで体感するのは難しいものですが・・
自宅の小さなディスプレイでも全く色褪せない感動を得ることができました。
しかし、凄い名作ではあるものの公開時には上映館も少なく、興行収入もそれほどではない作品ということもあり、まだ未視聴の人は多いのではないでしょうか?
それはもったいない!
BD発売のこの機会に是非とも見てみましょう。
本記事では『さよならの朝に約束の花をかざろう』の魅力について存分に紹介していきたいと思います。
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本作の概要
数百年の寿命を持ち「別れの一族」と呼ばれる不老の一族イオルフ。
そんなイオルフの仲間たちに囲まれて楽しく暮らしながらも、漠然とした孤独感を覚えている少女マキアが主人公となります。
平穏な暮らしの中にイオルフの長寿の血を求めるメザーテ軍が攻め込んでくるのですが、赤目病に罹ったレナトに連れ去られる形でマキアは故郷を離れることになります。
助かったのは不幸中の幸いですが、仲間と故郷を失ったマキアは本当の"ひとりぼっち"になってしまうのですが・・
賊に襲われた集落の生き残りである赤ん坊と出会うことになります。
「外の世界で出会いに触れたなら、誰も愛してはいけない。愛すれば本当の一人になってしまう」
イオルフの長老にマキアはそう教えられています。
しかし、母親にきつく抱きしめられた赤ん坊をマキアは、救わずにはいられませんでした。
ひとりぼっちがひとりぼっちと出会う。「別れの一族」の出会いと別れの物語がここからスタートします。
赤ん坊の名はエリアル。
変わらないマキアの側で、どんどん成長し変わっていくエリアルに注目です。
本作の見所
マキアとエリアルの出会い
なぜマキアがエリアルを助けたのか?
このまま放っておけば死んでいく赤ん坊に対する同情でしょうか?
確かにそれもあるでしょうが・・
しかし、それだけなら自分が母親代わりになって育てていこうとはまでは思わないのではないでしょうか?
恐らく、ひとりぼっちで両親のいないマキアにとって、ひとりぼっちになってしまったエリアルが他人とは思えなかったのだと僕は思います。
とはいえ、ミドに誰の子供なのかと問われて「わからない」と答えたマキアには、この時点ではエリアルに対する迷いがあったのだと思いますが、結果的にミドの元で母親の真似事のようなことを始めることになりました。
ミドはある意味マキアにとっても母親としての在り方を教えてくれる、それこそ母親のような存在になってくれていて、ミドの元にたどり着いたのはマキアにとってかなり幸運なことだったのかもしれませんね。
幼稚園児くらいの年齢まで成長したエリアルにも母親と呼ばれるようになり、まるでホントの親子のようになってきました。
生きる時間の差
ミド家の飼い犬であるオノラの死によって、マキアは生きる時間の差を実感してしまいます。
犬の寿命が人間よりもずっと短いように、イオルフであるマキアの寿命よりも人間の寿命の方がずっと短い。
それは当たり前のことなのでしょうが、既にイオルフの仲間も故郷も失っているマキアにとっては、普通の人間以上にそのことが哀しいのだと思います。
なぜなら、例え順番がどうであれ普通の人間には同じ時を生きる兄弟だったり友達だったり仲間だったりがいるものですが、マキアにとっては同じ時を生きる存在は既に失われてしまっているからです。
しかし、ラングに「母親は泣かない」と叱咤激励され、エリアルの母親として少しずつ強さを見せていくようになります。
成長するエリアルと変わらないマキアの最初の別れ
何年経っても姿の変わらないマキアは同じ地にずっと住まうことはできません。
ミド家の元も去り、いつの間にかエリアルも青年と言っても差し支えない年齢まで成長しています。
一方でマキアの姿には一切の変化がありません。
いや兄妹くらいに見える感じになってきていて、周囲からは駆け落ちしてきた恋人のように見られているようです。
そんな状況に、以前はただただ無邪気にマキアのことを母親と慕っていたエリアルの心境にも変化があります。
マキアのことを母親とは呼ばなくなったのも、そういう年頃というのもあるかもしれませんが、既にマキアが本当の母親ではないと気付いているからというのも無関係ではないような気がします。
マキアのことを慕ってはいて、マキアのくれる無償の愛を実感してはいるものの、なぜマキアがそこまでしてくれるのかがわからないのだとエリアルは言います。
特に言及は無かったかと思いますが、エリアル自身もどう接すれば良いのかわからなくなってきていたのかもしれませんね。
だからなのか、エリアルはマキアの元を離れ、ラングの伝手で兵士になることになりました。
エリアルのことを快く見送りつつも、「エリアルの嘘つき」と言って泣いているマキアが可哀想だと思うものの、エリアルの気持ちも相当複雑なものだったに違いありません。
そもそも人間大人になったら自立するものですが、マキアにとってもエリアルにとってもこれが最善の形だったのかと言えば微妙な所ですね。
マキアとレイリアの帰還
マキアはエリアルに、レイリアはメドメルに、自分の子供に別れを告げてイオルフの故郷に帰還します。
メドメルに、自分もメドメルのことを忘れるから自分のことは忘れるようにと言うレイリアに対して、「大丈夫、わすれないから」と小さく諭すマキアが印象的でした。
マキアは、最初にエリアルとあった時にエリアルのことを「私のヒビオルです」と言っています。(ヒビオルとは長い年月の中で擦り切れていく記憶を織り込んだ布のこと)
レイリアに対しても、メドメルというヒビオルのことは忘れないと言っているのだと僕は解釈しました。
最初の頃の頼りない少女が、随分と尊い感じに成長してきて感慨深いですね。
マキアとエリアルの最後の別れ
そして、とうとう最後の時を迎えるエリアルの元にマキアは訪れます。
相変わらずマキアは少女の姿のままですが、恐らく100歳近いのでしょうね。
ある意味、最初から決まっていたような別れのシーンですが、不思議と哀しさを感じさせません。
エリアルは大往生だし、マキアもエリアルの最後に会えて嬉しそうで、幸せそうですらあります。
母親は泣かないものだって、ラングにも言われましたからね。
それにマキアが生きている限り、エリアルというヒビオルは残り続けるからというのもあるのでしょう。
しかし、エリアルの前では母親らしく気丈に振舞っていたマキアも、エリアルとの本当の意味での「別れ」はやっぱり哀しかったのでしょう。
「ごめんね。約束、やぶっちゃう!」
そう言ってマキアは号泣してしまします。
まるで最初の頃の頼りない少女のように泣いているマキアに、僕ももらい泣きしてしまいました。
コミカライズ版もあるよ!
ちなみに、『さよならの朝に約束の花をかざろう』はコミカライズ版の1巻も発売しています。
作品の導入部くらいまでの話なので、「BDは高い!」って人はまずコミカライズ版を読んでみるのも良いかもしれません。
キャラクターの構図や仕草も含め、映画をかなり忠実に再現したような感じになっているので、映画版未視聴の人にとってのお試しとしてはかなりオススメです!
その上で、面白そうだと思ったらBDを観てみたら良いかと。
ただし一方で、映画版のファンとしては忠実すぎてちょっと退屈な印象を受けました。
いや、もちろん元が名作なので面白いのですが、ここまでそのままなら映画版を観れば良いかな~というのが正直な感想です。
漫画版なら漫画ならではの表現や、「遊び」のような部分がもっとあって欲しいと思いました。
例えば、非常に長い時間の流れを短い上映時間の中で描いている都合もあるのでしょうが、『さよならの朝に約束の花をかざろう』にはすっ飛ばされたエピソードがかなりあるような気がしています。
赤目病って何なのかとか、エリアルとディタが夫婦になるに至った経緯とか、バロウのこととか、あれこれと気になる部分がありますよね?
時間の制限を受けない漫画版なら、その辺を描いてくれたらファン的には嬉しいと思いました。
そういう意味では、最後のおまけ漫画についてはちょっと嬉しいと思いました。
総括
いかがでしたでしょうか?
エリアルという一人の人間の一生を横断する壮大な物語が本当に素晴らしいですね。
ちなみに、僕は本作品を観た時にとある古い映画を思い出しました。
20年ほど前のSF映画『アンドリューNDR114』です。
こちらは『さよならの朝に約束の花をかざろう』と同じく人間の一生をトレースするように長い時間が経過していくという意味で似ている作品となり、僕もかなり好きな映画になっています。
主人公は不老の一族ではなく、家事手伝いのロボットですが、人間よりもずっと長い時間を生きるという点では同じですね。
マキアとエリアルという親子。マキアの母親としての在り方に注目されがちな作品ではありますが、こういう人の一生をトレースしていくことの感慨深さというのも味わい深いものがあると思います。
最後に一つだけ未視聴の人に注意点を。
名作映画を観た後、しばらく余韻から抜け出せない現象に誰しも覚えがあるとは思いますが、本作品の余韻はかなりのものです。
というわけで、視聴の際はしばらく抜け出せなくなって何も手が付かなくなるので、就寝前に観ることをオススメします。
僕も、視聴後に本記事を書こうとBDを観たものの、全く手を付ける気分になれなくなってしまったので、書いているのは実は翌日になってからだったりします。(笑)
本記事を読んで『さよならの朝に約束の花をかざろう』に興味を持ってくれる人がいたら幸いです。