あるいは 迷った 困った

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新元号「令和」と聞いた瞬間に二人零和有限確定完全情報ゲームが思い浮かんだ人は絶対に囲碁・将棋が好きだと思います。

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ついに新元号が発表されました!

令和ですって!

何が発表されてもそうなったんでしょうけど、何だか慣れないフワフワした気持ちになりますねぇ~

今では慣れ親しんだ平成だって、僕の世代では実感ありませんけど最初は何だコレみたいな感じだったらしいですからね。

まあ、すぐに慣れるのかもしれません。

ちなみに、僕はこうして雑記ブログを運営しているわけなので新元号が発表されたら何かしら記事にしようと思っていたのですが・・

何かタイトルの通りのネタになりました。(笑)

いや、令和という音を聞いて真っ先に二人零和有限確定完全情報ゲームという単語が脳裏をよぎってしまったので。

音が同じなだけで漢字も意味も違いますが、聞きなれない音の単語ってところは共通してますからね。

恐らく、囲碁や将棋が好きで、それぞれのAIにも興味を持っているような人なら僕と同じような思考に至った人も多いのではないでしょうか?

多いのではないでしょうかって、たぶんほとんどいないとは思いますけど。(笑)

そんなわけで本記事では令和という新元号と、二人零和有限確定完全情報ゲームという似た音が混じっているだけで全く関係のない2つの言葉について語っていきたいと思います。

たまにはそんな記事があっても良いですよね?

?

令和時代

平成時代がいつかは終わることは自明の理ではありましたが、今上天皇生前退位という形で為されることになるとは、昔は思いもよりませんでしたね。

しかし、2019年4月に平成が終わり2019年5月から新しい時代が始まるとあらかじめわかっていたこともあって、他のイベントごととは比較できない何とも言えない独特の盛り上がりがあるように感じます。

令和という新元号が発表されたことで、まだ新しい時代は始まっていないにも関わらず既に新しい時代が始まったかのような独特なムードが漂っています。

新年度の始まりに新元号が発表されるとあって、2019年3月で平成が終わると勘違いした人も多かったらしく、3月31日にふとtwitterを見てたら#平成最後の日がトレンド入りしていてビックリした覚えがあります。(笑)

みんな気が早いよ~

それにしても、最初は微妙な気もしましたけど、語源が万葉集の一節からというのは奥ゆかしい感じがしてお洒落ですよね。

ローマ字表記だとReiwaとなるので、今まで「M、T、S、H」しか無かった生年月日とかを書く書類には「R」が追加されるのだと思われます。

何となく、そういう書類を見かけるようになったら令和になったのだと実感するようになっていくのではないかと想像します。

二人零和有限確定完全情報ゲームとは?

囲碁や将棋、それからチェスやオセロが好きな人であれば聞いたことのある人も多い言葉だと思いますが、一般的には馴染みの薄い言葉だと思います。

二人零和有限確定完全情報ゲームとは、ゲーム理論におけるゲームの分類の一つで、「理論上は必勝法が存在するゲーム」を示す言葉なのですが、単純なようでいて奥深いゲームが多いのが特徴となります。

また、分かりやすく一言で表すなら「理論上は必勝法が存在するゲーム」となるのですが、正確な定義はこのようになります。

二人:プレイヤーが二人である。

零和:双方のプレイヤーは平等である。

有限:手数が有限である。

確定:ランダム要素が無い。

完全情報:すべての情報が双方に公開されている。

本記事のポイントである零和とは、つまり損得の完全な平等であることを示すわけですね。

当然ながら新元号令和とは何の関係もない言葉です。(笑)

実は本当の意味で定義通りのゲームは存在しない?

囲碁や将棋にチェスやオセロ。五目並べなんかもそうですが、こういう運の要素が介在しないボードゲーム二人零和有限確定完全情報ゲームの代表例とされることが多いですが、実は前述した定義に厳密な意味で該当するゲームは存在しないのではないかと思います。

なぜなら、二人零和有限確定完全情報ゲームという言葉はそもそも矛盾をはらんでいると感じるからです。

「理論上は必勝法が存在するゲーム」であるにも関わらず、零和という「双方のプレイヤーは平等である」という定義を持っているところが、どう考えてもおかしいですよね?

例えば、もっとも単純な二人零和有限確定完全情報ゲームとしてはマルバツゲームが有名ですが、このゲームが先手必勝であることは多くの人が知っていると思います。

さて、マルバツゲームであなたは後手番を引きました。

それでも「双方のプレイヤーは平等である」と思えますか?

とまあ、そこが二人零和有限確定完全情報ゲームという言葉の矛盾だと思うのですが・・

必勝法が存在すると言っても、あくまでも「理論上は」であるところがポイント。

現実的には数多くのゲームで必勝法は見つかっていません。

将棋では先手が有利とされていて実際に一流棋士でも先手の勝率が高いようですが、本当に先手必勝なのかは明らかになっていませんし、囲碁の場合はゲームの特性上明らかに先手必勝ですが、後手の不利を無くして平等にするためのコミというシステムの影響によって、果たして先手必勝なのか後手必勝なのかは明らかではありません。

つまり、確かに「理論上は必勝法が存在するゲーム」ではあるものの、その理論上の必勝法は見つかっていないので、実質「双方のプレイヤーは平等である」状態になっているのですね。

必勝法の発見がもたらす影響

必勝法の発見はロマンのあるテーマだと思います。

自分でやろうとは決して思いませんけど。(笑)

しかし、二人零和有限確定完全情報ゲームにおける必勝法の発見は、恐らくそのゲームの結末を意味するのではないかと思います。

暇つぶしにマルバツゲームをすることはあるかもしれませんが、明らかに先手必勝のマルバツゲームには絶対に囲碁や将棋のような奥深さは持ちえません。

後出しのジャンケンのようなもので、誰も真剣には取り組まないでしょう?

囲碁や将棋のプレイヤーは、誰もが最善を目指すところに魅力を感じているわけで、必勝法の存在にはロマンを感じること間違いなしだと思いますが、それでいて必勝法の発見など望んでいないのではないかと思います。

ちなみに、マルバツゲームよりもずっと複雑なゲームでも必勝法が見つかっているゲームは存在します。

実は、五目並べが先手必勝であることは何と19世紀末には明らかになっています。

それがどのような影響を及ぼしたのかというと、五目並べというゲームのルールを変更する結果に繋がったわけですね。

必勝法の発見はロマンですが、ルールを変えなければ慣れ親しんだゲームを続けられないようになってしまうのは、何だか寂しそうな気がします。

二人零和有限確定完全情報ゲームの魅力

 

必勝法の発見は寂しいねという話をしました。

しかし、プロ制度があるくらいに奥深さのある二人零和有限確定完全情報ゲームにおいては、現実的に必勝法の発見はほとんどあり得ないのではないかと思います。

そのゲームをプレイしたことのある人ほど、その実感は強くなるのではないでしょうか?

どれだけの組み合わせと可能性があって、どれだけの奥深さがあるのかは、具体的な数値を出されるまでもなく自明のこと。

確かに理論上は必勝法が存在するはずであることは理解できても、それが見つかることが感覚的に全く理解できないのですよね。

そもそも仮に必勝法を発見することができたところで、恐らく常人にはもちろん、ハイスペックなコンピューターにだって必勝の手順を辿ることは不可能なのではないかと思います。

そんな必勝法が存在するはずでありながら、現実にはそうではない奥深さが二人零和有限確定完全情報ゲームの魅力なのだと思います。