『ガンバ!Fly high(15)』自分の楽しい体操を求める話(ネタバレ含む感想)
最初はド素人の主人公が五輪の金メダリストを目指して体操を始めるという『ガンバ!Fly high』ですが、その五輪の最終選考会もいよいよ大詰め。真田、内田、そして藤巻駿がそれぞれ最も得意とする競技では新技を披露して幕を閉じます。
しかし、クライマックス感が凄いですが、まだまだ五輪の入り口にすら立っていません。
新たな技へ思いをはせる藤巻駿に、代表選手に起きた最大のピンチに代表選手の入れ替わり。五輪に向けての序章の序章すら胸が熱くなる展開です。
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大きくなりすぎた体格を理由に体操選手は引退してプロレスラーを目指す東と協力して、大きく成長した真田は得意の床で新技を二つも披露し、代表入り確実かと思えるほどの上位に付けます。
そして、僅かながら代表入りの可能性が見えてきた内田も跳馬で新たな・・いや、6年ぶりの大技・三回宙に挑戦します。練習でレントゲン状態になるのは内田らしい愛嬌ですが見事に三回宙を決めます。
藤巻駿も持ち技のギンガー、そしてトカチェフ前宙をさらに発展させ、今までで一番の鉄棒の演技を見せて見事に代表入り。
三人とも最も得意とする種目で最も素晴らしい演技を見せてくれました。
しかし、残念なのは真田でした。代表入り確実かと思いきや最終演技の鉄棒でプロテクターが外れる事故があり、自ら下りた形に近い落下で大幅に減点されてしまうことになります。それでも、E難度の連続放し技で真田という選手の存在を強く印象付けることになります。
内田、真田の二人は惜しくも代表入りを逃しますが、解説の蓑山の言うようにこの二人が最終選考会の影の主役といっても過言ではありませんでしたね。
五輪予選のエピソードは恐らく『ガンバ!Fly high』の中でも最も長く、読み応えのある内容でしたが、祭りの前の盛り上がりとしては十分すぎるほどだったように感じられます。
久々に登場した藤巻駿の妹の藤巻あかねが友達とテレビで兄を応援するシーンがクロスしているのも、これまで藤巻駿が体操に捧げてきた時間が感じられて良かったですね。藤巻駿も初登場時と比較したら年齢的に成長しているのは分かるのですが、久々に登場するキャラクターがいるとより顕著にそれが分かります。
ちなみに、女子は折笠麗子とそのコーチとして岬コーチ。そして補助師としては上野が五輪関係者として招集されます。折笠麗子はともかく、上野が補助師として登場する展開は熱いですね。
しかし、そんな上野が藤巻駿を否定して帰宅しようとする一幕が印象的でした。
アジア大会における中国のポイントゲッターだった王景陽が中国の選考会の鉄棒で出した得点が10点満点という情報をもたらしたのは女性ジャーナリストのキャシー飛鳥ですが、現代では不可能と言われる10点満点を出す相手に藤巻駿も不可能といわれる新技で対抗したいと闘志を燃やすのですが、可能とは思えない。危険すぎるという理由で上野はそれに反対するのです。
上野が藤巻駿ではなく、その体操を否定する側に回る珍しい一幕ですが、これから藤巻駿がしようとしていることがそれだけ凄いことなのだと印象付ける役割としてこれ以上ない役割でしたね。
ともあれ、最終的には藤巻駿のこだわり、我儘を受け止める形で上野は協力することになります。
そんなこんなで立ち上がりは悪くない日本チームという感じでしたが、エースの杉原選手が慢性的な腰痛の悪化を理由に五輪を自体することになり、金メダルに向けていきなり暗雲が立ち込めます。
順位の繰り上げで五輪に内定することになった内田も最初は喜んでいましたが、その事実を知って複雑そうな面持ち。
ですが監督の徳丸が陰鬱とした選手たちのやる気を上手く引き出すやり手でした。あえてキャシー飛鳥の取材を内容が選手に筒抜けのロッカールームで行い、日本の優勝は無くなったと断定するかのような質問に、選手一人一人の役割を丁寧に説明した上で日本の優勝の可能性は何一つ変わらないと断言するのです。
それを聞いた選手たちは奮い立ちますが、やはり周囲からダメだダメだと言われたら自分たちでもダメだと感じてしまうもので、しかしその陰鬱さのベクトルを上手く正の方向へ変換したという感じでした。
そして、いよいよ次巻からは五輪が開幕します。
『ガンバ!Fly high』の最後のエピソード。名残惜しいですが楽しみですね。
『葬送のフリーレン(1)』クリア後のクリア後って感じのファンタジー(ネタバレ含む感想)
ファンタジーにおける冒険の終わり。しかし、往々にして終わりとは次の始まりに繋がるもので、『葬送のフリーレン』とはその次の始まりを描いた作品なのだと思います。
ゲームではクリア後の冒険が定番になりつつありますが、あれは次の始まりではなくあくまでも現在の冒険のオマケ要素というか、定番になりすぎてクリア後も含めて一つのストーリーになっているようなことも少なくないので、そういう意味で『葬送のフリーレン』はクリア後の更にクリア後の始まり。あるいは続きを描いたスピンオフのような作品と近いのかもしれませんが、それをメインとして描いているところに新しさがありますね。
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ところでファンタジー作品には人間とは寿命の異なる長命な種族が登場するのが当たり前になっています。エルフなんてその最たるもので、その生きる時間の違いに言及することのある作品は多々あるような気がしますが、多くは言及するだけで実際にその時間の違いを実感できるような作品は思い当たりません。
『葬送のフリーレン』では、勇者一行が魔王を倒す旅に要した時間は10年とかなり長いですが、勇者一行の一人であったエルフのフリーレンにとっては僅かな時間でしかなく、魔王を倒した後の人生においてはフリーレン以外のパーティメンバーが次々と年老いていくのにフリーレンは全く変わりません。そこにある何とも言えない郷愁が『葬送のフリーレン』という作品の最大の魅力でしょうか?
「50年後。もっと綺麗に見える場所知ってるから、案内するよ」とは平和な時代の幕開けに相応しいと勇者一行で鑑賞した流星群を観た際に、まるで再会を約束するかのように放ったフリーレンのセリフですが、あまりにも長い期間にフリーレンの持つ100年足らずしか生きない人間とは違った時間感覚が如実に表れていますね。
実際、勇者ヒンメルとは約束の50年後に再会することになるのですが、イケメン風だった風貌の面影の無い年老いた老人になっていました。
他の仲間とも再会し、約束通り流星群を見ることになるのですが、それで思い残すことは無くなったとばかりに勇者ヒンメルが真っ先にこの世を去ります。
そこでフリーレンは気付きます。たった10年一緒に旅をしただけの人間ヒンメル。人間の寿命の短さを知っていたのに、何でもっとその人のことを知ろうとしなかったのか?
その経験は、フリーレンにもっと人間を知ろうと考えさせるキッカケとなるのですが、ここまでが第1話の物語です。
何とも濃厚な第1話ですが、ともあれフリーレンの人間を知るための旅が始まります。
ところでファンタジーで旅というと、どこかの街や国を目指したり、多くの人はそういう旅を想像するかと思われます。
このフリーレンの旅にもそういう側面はありますが、それ以上に長い長い人生の旅という意味合いの方を強く感じます。わずか1巻の時間の流れがとても速く、フリーレン以外のキャラクターの時間の流れは速いのに、変わらないフリーレンが何だか寂しいですよね。
さて、そんな人間より長命な種族の時間間隔での人生の旅路を描くという興味深い作品ですが、今までに無かった作品ということもありストーリーの行く末どころかすぐ後の展開すら予想が難しい『葬送のフリーレン』。予想できないこれからの展開にとてもワクワクします。
『結婚するって、本当ですか?(1)』結婚する理由に驚く漫画の感想(ネタバレ注意)
『結婚するって、本当ですか?』と問いかけるようなタイトルの漫画ですが、たぶん最初に結婚しようと言った本人すらそう問いかけたいと思ってしまうような結婚のキッカケに驚くような漫画だと感じました。
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結婚の前段階の恋愛すらすっ飛ばして、ただただお互いの利益のために結婚すると聞けば、例えば前時代的な政略結婚などを思い出しますが、それが個人的な事情のみとなると話は違ってくると思います。
『結婚するって、本当ですか?』の大原拓也と本城寺莉香の場合、なんと互いの生活を守るため、独身者が優先される転勤を回避するためという個人的な事情で婚約者となります。
旅行会社の企画造成部。シベリアにある支店の支店長としての転勤で、単身赴任には遠いこともあるので独身者が優先的に募集されることになったわけなのですが、主人公の大原拓也は飼い猫を連れていけないことを理由に断ろうとするも、それは理由にならないと跳ねのけられてしまいます。
とはいえ、どんな理由であれその重さは人それぞれで、シベリアに行くことになるくらいなら会社を退職しようと大原拓也は考えていました。
そしてもう一人、コミュ障気味なのにシベリアに単身行くのはムリだと考える者がいました。それは大原拓也の1年先輩の本城寺莉香。どうやら、かなりのコミュ障で接する人に誤解を与えるタイプの女性みたいですね。
どちらもシベリアの支店には何としても行きたくないようですが、別の社員が冗談でその回避方法を示しています。
「思いきって結婚するんですよー!! だって独身者が優先なんですよねー?」
なるほど、確かに独身者が優先なら結婚は有効な回避策になりますし、新婚ならなおさら配慮されるような気もします・・が、そのあてがあったとしてもタイミング良く結婚するのは難しい話な気がしますね。
しかし、そこで本城寺莉香は大原拓也にそれこそ思いきった提案をします。
それは自分たちが結婚することになったという嘘を周知することで一人の生活を守り、転勤の可能性が無くなったところで結婚のことはうやむやにしてしまうという作戦みたいですね。
大原拓也も本城寺莉香も社内では目立たないタイプの人間なので誰もそこまで興味は持たないだろうし、この作戦でうまくいくと思っていたようですが、しかし二人の予想に反して周囲の反応は大きく盛大に祝福されてしまいます。
ということで、想像以上に婚約者らしく振舞う必要性が出てきてしまった状況になり、その状況が巻き起こすエピソードというのが『結婚するって、本当ですか?』という作品の骨子になるのだと考えられます。
結婚を祝うサプライズパーティが開かれたり、想像以上に周囲の注目を集めてしまったためボロがでないように「なれそめ」を作ろうとしたり、そういうドタバタが面白い。
そして、そういうドタバタを通して大原拓也と本城寺莉香の二人が思うことは同じでした。
「かんちがいしちゃダメだ」
つまり、双方ともに婚約者を演じる内に相手に惹かれ始めているということ。
これは人間何に対しても卵が先か鶏が先かということは起こりえることで、得意なことは得意だから得意なのではなく得意だと思ったから得意になったのだとか、趣味は好きだから趣味になったのではなく、新たな趣味にしようと思い触れてきたから趣味になったのだとか、そういう話と同じですね。
恋愛も同じで、とりあえず付き合った相手のことを後から好きになるというのも往々にしてあるものだと思います。
大原拓也と本城寺莉香の二人が置かれた状況がまさにそうなのだと思いますが、しかしこの二人の場合はとりあえず付き合ったというのとは見かけ上は似ていても実情はかなり異なります。
とりあえず付き合った相手を好きになることは、できればそうなったら良いということが前提なので好きになったら幸せ・・ってことで大団円ですが、あくまでも演技。相手を本当に好きになることを前提にしていない付き合いなので、そこで相手を好きになってしまったら少々面倒くさいことが巻き起こる可能性があります。
なんせ、この状況では相手の本心すら分からなくなる可能性が高いですから、双方ともにかなりモヤモヤするような展開が続くのではないでしょうか?
まあ、それが読者視点ではニヤニヤしてしまうような微笑ましいものになるのだと予想しますが。(笑)
いずれにしても、最終的には演技だったつもりが本当に結婚するまでに至るという展開を予想しますが、そこまでに何があるのかが楽しみな作品だと感じました。
『龍と苺(1)』将棋を「打つ」と言ってしまうほどの初心者の活躍の感想(ネタバレ注意)
最年少でタイトルを獲得し、立て続けに二冠になった藤井聡太先生の効果で盛り上がる将棋の世界ですが、フィクションの世界でも定期的に将棋をテーマにした作品は生まれ続けています。
とりわけ、近年では女性の将棋指しをテーマにした作品が増えてきたようにも感じます。
やっぱり、女性初のプロ棋士というのも将棋界の関心ごとの一つだからでしょうか?
そのもの女性初のプロ棋士を目指しているキャラクターや、フィクションの世界ということで既にプロ棋士になっている女性が活躍する作品というものもありますね。
それでは、今回紹介する『龍と苺』の場合はどうでしょうか?
1巻はまだ導入部で、将棋初心者である主人公の目的は定まっていないように感じられますが、話の流れから恐らく女性プロ棋士を目指していく物語になるのではないかと推測されます。
初心者のまま強豪も出場する大会で勝ち進む展開には現実感がないものの、そういうファンタジーも面白いと思わされる魅力がある作品だと感じました。
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『龍と苺』の世界観は現実に則していて、女性でプロ棋士になった者は誰もいないという状況となります。それ故、女性は男性よりも将棋が弱いというのが周知の事実となっているのも現実と同じですが、その辺に関しては現実よりもかなり強調して描かれている印象があります。
実際には強い将棋指しに男性が多いのは頭の良さの優劣ではなく向き不向きでしかないはずですが、『龍と苺』の場合は女性の方が頭が悪いから・・と、かなり極端なことになっています。
恐らくですが、これは主人公である藍田苺という女子中学生の天才性をより強調するための演出なのだと思います。
誰もが女性の将棋指しを軽視している世界観の中で、ルールを覚えたばかりの女子中学生が何年もの将棋経験がある男性をなぎ倒していく姿はとても爽快に感じられますね。
この爽快さには覚えがあると思って考えてみたら、例えば近年多い異世界ファンタジーにおいて多々ある、その作品の世界観の中においては最弱だったり何かしらのハンデを持った者に無双させる展開の爽快さに似ているような気がします。
将棋の世界における女性の不利を、この爽快さのために上手く利用した作品と言えるかもしれません。
もちろん、将棋経験者から見たら有段者や元奨励会員すらなぎ倒す初心者なんて、主人公が女性であろうがそうでなかろうが現実感が無いと感じるのかもしれませんが、そこはそれフィクション作品故の魅力と捉えてしまっても良いと思います。
超有名将棋ライトノベル『りゅうおうのおしごと』では、作者の白鳥先生がフィクションの世界観が現実に追い付かれそうなことを度々ネタにされていますが、『龍と苺』のように現実を突き放してしまうような作品もそれはそれで面白いものですし、こういう作品する10年20年後はひょっとしたら現実に追い付かれたりするかもしれないという興味も残りますよね。
しかし、1巻の最後では主人公の藍田苺は八段のプロ棋士を相手に敗れています。いくら天才性を発揮していると言ってもルールを覚えたばかりの初心者なのだから当然と言えば当然ですが、同じくプロ棋士を目指す女性を相手に投了まで追い込んだ局面から逆転されたとあればさすがに驚きの展開です。
というわけで1巻の最後にはプロ棋士によって折られてしまったわけなのですが、それこそが藍田苺がプロ棋士を目指し始めるキッカケになるのではないかと推測します。
まあ、藍田苺の性格的に、挑発された形なのでアッサリ乗るか、あまりにも分かりやすい挑発だったのであえて最初は乗らないのか、その辺の紆余曲折は予想ができませんが、今後どのような展開になっていくのか楽しみですね。
『幽遊白書(11)』短めだけど濃密な名作の感想(ネタバレ注意)
魔界の扉編がエンディングを迎え、いよいよ『幽遊白書』という作品そのもののクライマックスである魔界編が始まります。
あれだけ苦労して魔界の扉が開くのを阻止しようとしていたのに、意外と簡単に魔界を行き来する展開になるわけなのですが、何事にも裏があるというところを付くのが上手な作家さんなので、その辺も面白く読むことができます。
浦飯幽助がまさかの魔族の子孫だったというところから仙水を圧倒して魔界の扉編は集結するわけですが、そこから実は魔族の子孫だった浦飯幽助が魔界のいざこざに巻き込まれていく流れは興味深いですね。
ネタバレすると、この魔界の扉編は若干消化不良な感じでサラッと終わってしまうのですけれども、個人的にはもっと深掘りしてみて欲しかったエピソードだった気がします。
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本作の概要
浦飯幽助の仇を取るために桑原、蔵馬、飛影の3人は仙水を追って魔界に突入しますが、圧倒的な強さを誇る仙水には敵いません。しかし、実は魔族の子孫で仙水に殺されたことでその血が覚醒した浦飯幽助も魔界に突入し、仙水との最終決戦が始まります。
仙水とも伯仲した戦いを見せる浦飯幽助でしたが、しかし何者かの介入で仙水をも大きく上回る力を発揮した浦飯幽助は仙水にトドメを刺します。
本作の見所
魔族の血
色々な妖怪と戦ってきた浦飯幽助ですが、なんと自分自身が妖怪の子孫であることが発覚し、その上一度仙水に殺されたことで妖怪として復活を果たします。
それも大幅にパワーアップして。
今思うと浦飯幽助が魔族の子孫だったなんて伏線は直前にしか現れていないので咄嗟に登場した設定何だろうなぁとも思うのですけど、最初読んだ時はただただ大幅なパワーアップを見せた激熱な展開を喜んでいました。
ストーリーの整合性が綺麗だとは言えませんが、面白ければオールOKです。
あれだけ圧倒的だった戸愚呂弟に勝った浦飯幽助をアッサリと倒し、パワーアップした桑原、蔵馬、飛影も圧倒している仙水の強さはS級クラスと言われてなるほどと納得できるようなものです。
そんな仙水と互角に対峙できるまでにパワーアップし、更には何者かの介入があったとはいえそんなパワーアップした状態を遥かに上回る潜在能力を発揮して仙水を圧倒するという展開は、浦飯幽助自身が不満に感じているように仙水との決着に水を差された部分があるのは否めませんが、その一方で魔界の深さを示唆しているようで凄く興味深く感じられました。
それだけにその後の魔界編がアッサリしすぎていたのがもったいないと感じられるものの、消化不良を次への期待に繋げる感じは好きでした。
魔界の使者
魔界に残るか人間界に帰るか。仙水との対決の決着が消化不良に終わったことで浦飯幽助は当初自分の身体を乗っ取った妖怪を探しに行こうとしますが、魔界の扉が閉じられることを知ったらアッサリと人間界に帰ります。
まあ、これは冷静な判断ではあったと思うのですが、しかし消化不良な思いは残したままですし、人間界で浦飯幽助の相手になる者がいなくなってしまったので、戸愚呂弟ではありませんがどこか物足りない思いもあったことと考えられます。
幻海はそんな浦飯幽助に対して、浦飯幽助は何もかもが嫌になった時に壊せるものの大きさが他人とは異なるだけだと諭すのですが、個人的にはこの諭しがメッチャ印象的で好きでした。
ともあれ、幻海は浦飯幽助に相談相手として初代霊界探偵である佐藤黒呼を紹介します。霊界探偵探偵って3代しかいなかったのかよというツッコミは置いておいて。(笑)
そして、そこにやって来たのが魔界の使者。
魔族としての浦飯幽助の父親である雷禅。その使者である北神たち4人の妖怪です。
魔界の扉編ではあれだけ警戒していたA級、S級妖怪が自ら人間界と出入りする手段があることには驚きましたが、恐らくあえてなのだと思いますがそこまで強そうに見えないキャラクターだというのも興味深いですよね。何というか、上には上がいることを示唆しているように感じられました。
総括
いかがでしたでしょうか?
魔界編は、その壮大さや、散りばめられた伏線や数々の魅力的なキャラクターが登場することもあって、その興味深さだけでいえば作中でも一番だと思うのでもっと深掘りして欲しかったところですが、そこはサラッと終わって次巻で最終巻となります。
『幽遊白書』は本当に面白い名作ですが、そこだけが残念なところ。
ちなみに、魔界編は原作よりアニメ版の方がより深く描かれているので、興味がある人はアニメ版を見てみると良いかもしれません。
『走れ!川田くん(1)』運動音痴な少年が長距離ランナーとして才能を発揮する漫画の感想(ネタバレ注意)
『走れ!川田くん』は、運動音痴な上に成績も悪く、人間関係において要領が良いわけでもないという、良いとこ無しな主人公が校内マラソン大会で長距離走の才能に開花するところから始まるマラソン漫画です。
マラソン競技は絵的に地味になりそうなものなのでスポーツ漫画としても珍しいのかと思いきや、意外とマラソンをテーマにしたスポーツ漫画は少なくないですよね。
僕が長距離経験者だから目に入りやすいというのもあるかもしれませんけど。(笑)
他がダメな主人公がある分野では才能を発揮するというテンプレートな展開ではありますが、それだけにストーリーに隙が無く面白いですし、長距離の練習法やその効果に触れられている点も興味深いです。
正直なところ、読む前の第一印象は「地味そうな漫画」だったのですが、読んでみたら続きのweb掲載分を全部読んでしまおうと思うくらいに面白い漫画でした。
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本作の概要
100メートルを18秒で走る高校生男子・川田ゲン。多くの男子高校生が12~14秒で走ることを考えればあまりにも鈍足ですが、校内マラソン大会でまさかの長距離走の才能が開花します。
その才能が認められ陸上部の駅伝メンバーに選ばれた川田ゲンは、その身体を長距離選手のものに作り替えるように練習を開始します。
本作の見所
校内マラソン大会
僕は小中高のいずれでも経験したことが無いので正直なところ都市伝説のように感じているのですが、校内マラソン大会は学園ものの定番エピソードでもありますよね。
しかし、普通は物語ある程度進展した時に描かれるエピソードという気もしますが、陸上漫画なだけあって『走れ!川田くん』の場合は校内マラソンのエピソードから開幕します。そういうわけで、考えてみれば珍しい導入という気もします。(笑)
そして、主人公の川田ゲンは高校生にして100メートルを走るのに18秒もかかる鈍足。小学校中学年並の速度ですが、どうやらこの川田ゲン。運動ができないだけではなく、勉強も苦手で要領も悪いタイプの人間で、かんたんに一言で表すとのび太君のようなキャラクターとも言えますね。
そして、のび太君といえばダメなところも多いけれど、その分特技は突き抜けていたりしますよね。あやとりだったり、射撃だったり、昼寝だったり。(笑)
そして、川田ゲンの場合はそれが長距離走だったようです。
誰からも期待されずに、しかし弟には格好良いところを見せたくて、何とか小学校の前は格好良く駆け抜けて完走することだけを目標に気楽に走っていたら、気付かない内に校内記録を塗り替えるほどのハイペースで走り抜けてしまったことでその才能が衆目のものとなります。
10キロを31分39秒。100メートルを18秒で走る人間が、一体全速力の何割の速度で走り切ったのか考えるだけでも恐ろしいですね。
そうやって唐突に才能が開花するところから始まる漫画はスポーツものに限らず少なくありませんが、飽きない展開というか、読んでいて非常に爽快な気持ちになれますね。
長距離走の効果
東大を目指す学年トップの高見健吾は正直なところあまり協調的な性格ではなく、校内マラソン大会に対しても労力の無駄だと否定的でした。
しかし、そんなキャラクターだからこそ合理的な説明が無ければ走りたがらないので、彼への説明を通して長距離走の効果を機械的にではなく教えてくれるのですが、それもまた『走れ!川田くん』という漫画の魅力なのではないかと思います。
有酸素運動をすると脳の毛細血管まで広がって血流が良くなり、結果的に頭も良くなる。そんな説明を受けて校内マラソン大会に参加した高見健吾は、川田ゲンには及ばないまでも優秀な成績を収めたため、川田ゲンと一緒に初心者として駅伝チームに加わることになりました。
そして、初心者二人が最初に行うことになった練習がLSDです。
LSDとは、怪しいお薬と同じ名前ですが、当然そんなものではなく長距離走の練習の一つです。歩くより少し早いくらいの速さでゆっくりと走ることで毛細血管を活性化させ、より強度の高い練習に耐えられる体を作るための練習ですね。
『走れ!川田くん』ではキロ12分というとんでもなく遅いペースでLSDとしてもかなり遅い部類かと思いますが、この遅いペースで走り続けるというのが意外とキツイくて、疲れてくるとペースが上がってくるという、疲れるイコール遅くなると思っている人にとっては不思議な経験ができます。
そして、そんな専門的な練習を機械的ではなく面白く説明してくれるのに高見健吾というキャラクターが一役買っているように感じられました。
ちなみに、このLSDという練習法をタイトルにした『LSD〜ろんぐすろーでぃすたんす〜』という四コマ漫画もあったりします。女子たちが姦しい萌え四コマ漫画としては珍しいテーマで面白いですよ。
総括
いかがでしたでしょうか?
少なくないと言ってもそれなりに珍しい陸上競技の漫画ですが、個人的にはやっぱり中長距離がテーマになっている作品が面白いと思えます。
それはやっぱり、競技時間が長いからそこにドラマがあるような気がするからなのではないかと思います。
僕が初めて読んだ陸上漫画は『なぎさMe公認』というラブコメよりの作品でしたが、競技初心者の天才が登場する点では『走れ!川田くん』と共通しています。
他の一定の技術が必要な競技と違って、走るという誰にでもできる競技だからこそある意味では才能の有無が分かりやすく、最初から活躍させるという展開に持っていきやすいのかもしれませんね。
実は、あまりにも面白くて『走れ!川田くん』のweb掲載分まで全て読んでしまったのですが、長距離の練習法やその効果についてまで分かりやすく描かれている点も含めて面白く、今後が楽しみな漫画のひとつとなりました。
『ガンバ!Fly high(14)』自分の楽しい体操を求める話(ネタバレ含む感想)
『ガンバ!Fly high』において重要なウエイトを占める「楽しい体操」というキーワードがあります。
楽し気で個性的な演技で観客を沸かせる平成学園の体操の根源にはやっぱりアンドレアノフコーチの指導があります。
これまでの藤巻駿たちの「楽しい体操」は、ある意味ではアンドレアノフの体操であるとも言えますね。
しかし、13巻のラストでアンドレアノフは平成学園の元を去ります。自分の「楽しい体操」を見つけるための自立を促すために。
大学への進学というのも節目ですが、藤巻駿がどのような自分の楽しい体操を見つけるのかが楽しみな14巻です。
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本作の概要
アンドレアノフが去った後、藤巻駿は自分の楽しい体操を見つけるための大学進学先に悩みますが、そこで選んだのはお世辞にも体操選手にとって恵まれた環境とはいえない大学でした。
しかし、その明鏡学院大学でこそ自分の楽しい体操を見つけられると感じた藤巻駿はそこを進学先に選びます。
藤巻駿の補助としての実力を認められた上野とともに、新たな楽しい体操が始まります。
本作の見所
自分の楽しい体操
14巻の前半は、ほぼ藤巻駿が上野とともに自分の楽しい体操を見つけるための進学先探しに奔走するエピソードになっています。これまでも『ガンバ!Fly high』にはこういう日常寄りのエピソードが閑話に描かれていることがありましたが、試合でも練習でもないエピソードがこれほど長く描かれているのは作中通してもここだけなのではないかと思います。
それだけ、アンドレアノフの楽しい体操ではなく、自分の楽しい体操を見つけるということが大切なことだと据えられているということが分かりますね。
アジア大会の銀メダリストである藤巻駿には、立派な設備にコーチが用意された大学からの誘いがあります。
「用意されているもの・・それを受け入れるだけで、それが自分の体操を見つけることになるのかな?」
しかし、藤巻駿はそんな用意された環境に疑問を持ちます。
なるほど。確かに体操競技に限らず様々なスポーツにおいても大学ごとの個性はあるもので、そういったものを受け入れてもそれは自分の体操とは言えないのかもしれませんね。
そして、そんな藤巻駿のお眼鏡に適ったのは明鏡学院大学という四流大学でした。
入学者は減少傾向で、それを打開するためにスポーツ特待生をダメ元で募っており、知らずに訪れた藤巻駿を詐欺まがいの手段で強引に入学させようとするような大学で、最終的に藤巻駿に提供できるのはまるで倉庫のような体育館のみという状況でした。
しかし、そんな環境だからこそ自分の楽しい体操を見つけることができるのではないかと藤巻駿は明鏡学院大学に入学を決めたわけですね。
ちなみに、明鏡学院大学の教員で体操部の部長に任命された山崎の頑張りは見所のひとつなので注目して欲しいところです。この山崎の頑張りが、藤巻駿が明鏡学院大学への入学を決めた一因であることも間違いないと思います。
選手のためのものを用意できなかった大学にこそ価値を見出すという変わった選択ではありますが、それが面白いところだったのではないかと思います。
藤巻駿以外の自分の体操
明鏡学院大学の練習でさっそく高難度の新技を身に付けている藤巻駿を見て、真田もまた触発されます。自分の体操という言葉自体は使われていませんが、プロレスに転向した東と協力して新たな境地を目指して練習していました。
一次選考会のエピソードでは内田の方が優遇されているようなところもありましたが、二次選考会のエピソードでは真田の活躍が目立ちましたね。
鉄棒では持ち技のイエーガーを更に進化させ、得意の床では東と練習したらしい新技は温存していたにも関わらず嵯峨に勝利します。
これは最終選考では一体どんな新技を見せてくれるのかが楽しみになってきますね。
そして、そんな真田に敗れはしたものの、一番興味深いのは李軍団の嵯峨なのではないかとも思います。
嵯峨の回想シーンでの李東生は、アジア大会に自分の教えを超えた活躍を見せた嵯峨に自分の体操に自信を持つように応援します。
徹底的に完璧な体操を選手に求めるスタイルの李東生は、アンドレアノフの楽しい体操とはある意味では対極にあるとも言えます。実際、この二人が敬遠の仲であるということに異論のある読者はいないことでしょう。
しかし、最終的に自分の教え子に求めるものが「自分の体操」であるという点に行きつくというのは興味深いですよね。
道は違えど行き着く先は同じというか、そういうことなのかもしれませんね。
まあ、「自分の体操」という言葉は「個性」とも言い換えることができますし、李東生は自身の完璧な体操から「個性」というものを徹底的に排除しようとしていたところがあったと思うのですが、教え子の成長がその考えに柔軟さを与えたのではないかと思っています。
総括
いかがでしたでしょうか?
いよいよ五輪選考会のエピソードも佳境で、次巻では五輪の出場選手も決まりそうですよね。
五輪に突入したら、いよいよ『ガンバ!Fly high』の全体通してのクライマックスも近く、一話一話から目が離せません。
『いじめるヤバイ奴(8)』いじめ成分少な目なのに狂気は増してる漫画の感想(ネタバレ注意)
仲島君によるいじめ成分は少な目ですが、それでも狂気は増しているように感じれれる『いじめるヤバイ奴』という漫画は本当にヤバイです。
最初は、正直こんなに続いていく漫画になるとは思っていませんでした。いくら興味深くても、あまりにも狂気的ですし、それについて行く人も限られると思っていたからです。
しかし、恐らく現在の生徒会選挙のエピソードだけでもあと2巻分くらいは掛かりそうですし、そう考えるとまさかの二桁巻に突入することになります。
そして、8巻においては白咲さんがあまり白咲さんらしくない言動をしていることがある点も気になる所です。具体的には、黒宮さんに中学時代のことを語られことと、仲島君にいじめられていること(正確にはいじめさせているのだが)を知られるのを極端に嫌っていることの二つが白咲さんっぽくなく、後者に関しては仲島君もそれを指摘していますね。
いよいよ作中最も狂気的な白咲さんの狂気の源泉が明らかになっていく伏線なのではないかと思うのですが、その辺もやっぱり気になる見所となります。
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本作の概要
徳光君に毒されていない場井高校の生徒を炙り出そうとする仲島君の作戦は、徳光君には勘づかれつつも上手くハマって中間選挙では徳光君に勝利します。しかし、上手く行き過ぎた結果は徳光君の掌の上なのではないかと思わされるほど徳光君は余裕の様子で、徐々に徳光君の考えも明らかになって行きます。
本作の見所
白咲さんの過去は秘密
白咲さんの過去を知っていそうな黒宮さんの登場で、何か白咲さんの過去が明らかになっていくことがあるのではないか、自らをいじめさせる謎の奇行の源泉が少しでも詳らかになるのかと思っていましたが、ひとまず8巻時点ではその辺は明かされていません。
しかし、興味深い出来事として白咲さんが黒宮さんに過去の何か(事件?)を仲島君には話さないようにと釘をさしていたこと。そして、珍しく仲島君のゴキゲンを取るような様子で、黒宮さんの前ではいじめをしないことを約束させようとしていたこと。
この辺の、仲島君も不自然に感じるほどのあまり白咲さんらしからぬ言動の背景には、やっぱり白咲さんの過去、そして現在の奇行の背景があるのだあと思っていますが、仄めかされるばかりで中々明らかにならないそれが何なのかがとても気になります。
とはいえ、黒宮さんという白咲さんの過去を知るキャラクターも出てきていることですし、この生徒会選挙のエピソードで何かしら明らかにされるのではないかと推測しています。
生徒会選挙と仲島君の企み
仲島君といえば、初登場時は一瞬ヤバいくらいのいじめっ子かと思いきや、実は被害者であるはずの白咲さんにいじめを強要されているだけのちょっと可哀そうなヤツという立ち位置で、そこだけ切り取ればあまり強キャラ感はありません。
とはいえ、白咲さんの恐怖で常に切羽詰まった状態にあるとはいえ、これまで非常に賢い立ち回りを見せてきていたようにも思えます。
一方で少々楽観的なところもあったような気もしますが、それもある意味では自分の考えに自信を持って行動できる男らしさと捉えることもできるでしょう。
しかし、今回早々に打ち出された生徒会選挙に勝利するための反徳光君の生徒たちの票を集める案は理にかなっているとはいえ、早々過ぎて「あ~この案は上手くいかないんだろうな」ということはメタ的にもすぐに気付きました。ただし、徳光君の反応は予想外で、いったん仲島君の案に反発することで一本取ることで一区切りかと思いきや、なんと仲島君の案に乗ってしまいます。
意外と仲島君の案は意図が分かりやすいので回避は容易なものの、実行されてしまえば仲島君の有利に生徒会選挙が進みそうなものでした。
しかし、徳光君は余裕そうな様子。どのような立ち居振る舞いを見せるのかが気になる所でしたが、仮にも進学校のトップの人間とは思えないような強攻策で仲島君の企みを潰しにかかります。
最初はもっと搦め手を使ってくるようなキャラクターかと思いきや、意外にも力技の徳光君。搦め手を使う相手ならその分対策も取れそうなものですが、現在の仲島君には徳光君の力技に対抗する術がないような気がします。
黒宮さんという新キャラや、以前とは様子の違う白咲さんの立ち居振る舞いも含めて、どのように徳光君を攻略していくのかが気になる所ですね。
総括
いかがでしたでしょうか?
一本取った気でいたようで実は徳光君に一本取られていた仲島君陣営。生徒会選挙の敗北は白咲さんの怒りを買うことも意味する仲島君はかなり追いつめられた状況になっていると言えます。
既に徳光君によっていじめを正義とする歪んだ価値観を植え付けられた場井高校の生徒会選挙の行く末が気になりますね。
『りゅうおうのおしごと(13)』JS研まみれの閑話休題(ネタバレ含む感想)
本記事は将棋ラノベの名作である『りゅうおうのおしごと!』の魅力を、ネタバレ含む感想を交えて全力でオススメするレビュー記事となります。
JS研まみれの閑話休題な13巻目となります。
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本作の概要
あらすじ(ストーリー)
特に9巻以降、毎巻今回が一番だと思えるほどの勢いがあった『りゅうおうのおしごと!』ですが、空銀子の三段リーグ編がひと段落したところで13巻は久々の閑話休題となります。
父親のヨーロッパ転勤の影響で引っ越すことになった水越澪との別れを、過去のドラマCDのエピソードを思い出話として絡めながら一冊かけて描いた内容になっています。
というわけで、かつてないほどにJS研に溢れた内容になっているのではないかと思います。
思い出話のエピソードが再録に近い形なので不満に感じている人も多いようですが、個人的にはドラマCDという媒体はあまり好きではなく今まで聞いていなかったこともあり新鮮な気持ちで読めました。
作者の白鳥士郎先生曰く、もともと水越澪との別れはちゃんと描きたかったことと、コロナ禍で本編を進める上での十分な取材ができなかったために13巻はこのような形式になったそうなのですが、三段リーグ編がひと段落したところで結果的にタイミングとしては絶妙だったのではないでしょうか?
とはいえ、ロリコン将棋ラノベといっても実のところ将棋成分の方に魅力がある作品なので、ロリコン成分が多めの13巻は少々消化不良は否めないかもしれません。逆にロリコン成分を求めている人には嬉しい内容かも?
ただし、将棋の対局シーンは水越澪と雛鶴あいの対局の一つだけですが、こちらは三段リーグの人生を賭けた対局とは別種の、少女たちの友情を確かめ合うような熱さがある魅力的なシーンになっていました。
なお、次巻の14巻からは最終章となるようです。
同じく過去の短編の再録であった8巻を振り返ると、力を溜めていたかのようにその後の9巻から12巻の物語の勢いは凄かったので、最終章となる14巻以降はそれ以上の勢いが期待できるのではないかと思っています。
ピックアップキャラクター
実のところJS研は本編のストーリー上そこまで重要な役割を果たしているキャラクターではありませんが、主人公の九頭竜八一のロリコン指数を示す上での重要なバロメーターになっています。(笑)
というのは半分冗談にしても、雛鶴あいに同世代の仲間が必要だったことがJS研の大きな存在理由だったのではないかと思います。
しかし、物語が進むにつれJS研のストーリーも深掘りされてきました。なにわ王将戦のエピソードもそうでしたが、13巻の水越澪の旅立ちのエピソードもまた『りゅうおうのおしごと!』におけるJS研の役割が想像以上に高いことを示しているのではないかと思います。
水越澪
雛鶴あいの初めての将棋友達でJS研のリーダー格。とても明るい人懐っこい性格ですが、将棋指しとしては雛鶴あいに対して少々複雑な思いも抱えていたようです。「あいちゃんの友達になんてなりたくなかった」と水越澪が雛鶴あいに放った言葉の真意。そして水越澪が雛鶴あいに送った本当の贈り物は何だったのか。その辺が13巻の見所にもなってきます。
ネタバレ含む感想
JS研の思い出話
誰が天●飯よ!?
思い出話は本編には直接関係が無いので個人的に気になったエピソードを振り返ってみたいと思います。本編ではいつの間にか雛鶴あいからも「天ちゃん」と呼ばれていた夜叉神天衣ですが、ドラマCDのエピソードで水越澪が「天ちゃん」と呼んだのが最初だったのですね。
本編では最初から自然に受け入れていたのが夜叉神天衣の性格的に不思議に感じていたのですが、既に仇名に対するひと悶着は終えた後だったようです。
馴れ馴れしいと文句を言う夜叉神天衣の反応を受けて「じゃあ・・天さん?」と言われた後の夜叉神天衣の反応がまた面白い。
お嬢様、ドラゴンボールを読んでるんですね。(笑)
なんとなくですけど、付き人の池田晶の影響な気がします。
小童。桂香さんは?
二度とこんなことを思いつかないよう制裁を加えておきました
本編でも何となく空銀子贔屓の気がある清滝桂香ですが、最近はちょっと面白いキャラ扱いになっていることも多いですよね。当初は主人公の九頭竜八一が慕っていることもあって憧れのお姉さん的なキャラだったのに、ちょっとオジサン化が進んでいる上に他のキャラからの扱いも酷いことが増えてきているような気がします。(笑)
その分親しみもありますけど、どうしても思わずクスリとしてしまいますね。
ちなみに、これは空銀子の誕生日に空銀子と九頭竜八一が二人きりで食事できるように画策したことで、空銀子本人からも雛鶴あいからも怒りを買ったというシーンでした。
いずれのドラマCDのエピソードも、何故か基本的には九頭竜八一がロリコンであるということを本編以上に強調するようなものでしたが、まあJS研まみれの13巻らしい内容といえばそんな気もします。
強烈な努力
水越澪とJS研の別れのエピソードに何故か登場してきたのは本因坊秀埋こと天辻埋でした。放送禁止用語を連呼する酔っ払いのお姉さんですが、将棋のお隣囲碁の世界で女性でありながら本因坊のタイトルを保持する凄い人です。
今まで誰もなし得なかったことをなし得た女性として空銀子に関連したエピソードに登場するなら分かるのですが、何故彼女がJS研のエピソードに絡んできたのか?
それは恐らく、今回雛鶴あいに悔しさをプレゼントするために「強烈な努力」を行った水越澪の見届け人として本因坊秀埋が相応しいキャラクターだったからなのではないかと思います。
なぜ本因坊秀埋が相応しいのかといえば、「強烈な努力」とは本因坊秀埋の元ネタである囲碁界の大棋士、藤沢秀行名誉棋聖の言葉だからです。
そして、そんな水越澪の「強烈な努力」の結果こそが13巻の最大の見所なのではないかと思います。正直なところ、僕は水越澪に限らずJS研のキャラクターはあまり好きではありませんでしたが、今回のエピソードで結構好きになったかもしれません。
雛鶴あいに対して非常に友好的だった水越澪でしたが、もちろん雛鶴あいに対する感情の中に友情も含まれていたのでしょうけど、そうではない嫉妬もあったことが語られています。
でもね? だったらもっと頑張ってみようって思ったの! 一番になれないからこそ、いっぱい負けて悔しい思いをたくさんするからこそ、もう一度だけ全力で頑張ってみようかなって思ったんだ!
しかし、その嫉妬こそが水越澪のモチベーションにもなったようです。
この別れの対局に向けて水越澪がしてきた努力。徹底的な雛鶴あいの研究と番外戦術まで駆使したとはいえ、本来駒落ちの実力差のある相手を負かすのは並大抵のことではなかったのではないかと思われます。そう考えると、悔しさという感情はその人に諦めをもたらすこともあるかもしれませんが、それ以上に成長を促す可能性を秘めているとも言えますね。
澪は、あいちゃんの友達になんてなりたくなかった
みお・・ちゃん・・?
だって澪が本当になりたかったのは・・あいちゃんのライバルだから!
今まで自分より格上に追い付いて、追い抜いていくばかりであった雛鶴あいにとっては初めて本気の本気で格下相手に敗れた経験となるわけですが、なるほどそういう経験を与えるというか、追い抜き合うことができる関係をライバルというのであれば、水越澪はここで初めて雛鶴あいのライバルになり得たのかもしれませんね。
・・わたしは、強くなる。強く・・なりたいっ!!
そして、この雛鶴あいの決意こそが水越澪によってもたらされた贈り物でした。
水越澪は、空銀子がプロになれてもなれなくても雛鶴あいのモチベーションが下がり、最悪将棋を辞めてしまう原因になるのではないかと危惧していました。それを心配して・・というだけではないとは思いますが、少なくとも雛鶴あいが将棋を辞めることは無いでしょうし、今まで以上に高いモチベーションを得たことは間違いないと思います。
また、水越澪によってもたらされた大量の雛鶴あいの研究成果もまた雛鶴あいの将棋に大きな影響を与えることが予想されます・・が、気になるのはこれらの研究成果を以って強くなることは師匠である九頭竜八一の意図からは外れてしまう可能性があるということですよね。
AIにしても序盤の勉強にしても、九頭竜八一は圧倒的な終盤力を伸ばすために意図的に雛鶴あいの修行からは省いていたところとなるはずです。
雛鶴あいは大好きな師匠の意に反したことをするタイプの少女ではありませんが、今度は一体どうでしょうか?
いつかは雛は羽ばたいていくものですし、もしかしたらその時は近いのかもしれませんね。
14巻からは最終章ということですしね。(笑)
シリーズ関連記事リンク
『りゅうおうのおしごと!』のゲームがSWITCH・PS4で出るらしい!
デビュー直後から快進撃を続け、遂には最年少でのタイトル獲得を果たした藤井聡太先生の活躍によって将棋界はコアなファンの枠を超えて活気づいています。お隣囲碁の世界のファンとしては複雑な思いもありますが、コロナ禍にあってこういう話題には元気づけられもしますよね。
ラノベ作家である白鳥士郎先生も、藤井聡太先生の活躍を著書の『りゅうおうのおしごと!』の設定と比較して、フィクションの世界に追い付いた、あるいは超えたと最大限の称賛を送っています。
とはいえ、このように現実がフィクションの世界を超えていくことは珍しいことではありません。
科学にしろスポーツにしろ、余程極端な例でもない限りいつかはフィクションを現実が超えていくものなのではないかと思うのです。
もちろん、そうして超えられていく作品はある意味で、もしかしたら超えられるかもしれないくらいの領域で描かれているからこそリアリティがあって、そこが魅力になるのだと思いますが、だからこそ超えられたとしてもその作品の魅力が損なわれるものでは決してありません。
・・なんて、前置きが長くなりましたがそんな『りゅうおうのおしごと!』がニンテンドースイッチとPS4でゲーム化されるようで、2020年11月26日に発売するようです。
とても将棋のゲームとは思えないパッケージの将棋のゲームですが、ある意味では将棋に興味を持たない層にも将棋に触れさせるキッカケとなるゲームなのではないかとも思います。
実際、将棋に興味を持ちつつも実際に手を出そうとはしなかった僕がこのゲームに興味津々になっているわけですから。(笑)
ええ、囲碁ファンと言いつつ将棋やオセロにも興味はある人間なのですよ僕は。ただ、いざとなるとあまり前向きになれないだけで。
しかし、こうして人気作品をゲーム化する形であれば興味はとても持ちやすくなりますよね。
かつて囲碁界で『ヒカルの碁』が流行った時に、『ヒカルの碁』のゲームをプレイしていた人がそれなりにいたように。
実は、僕も『ヒカルの碁』のゲームをかつてプレイしていて、囲碁のルールや基本的な打ち方はそこで学んだものです。
上記のような記事を書くくらいにはゲームが僕の囲碁入門に果たした役割は大きかったのですが、僕は今度の『りゅうおうのおしごと!』のゲームにそれと同じくらいの入門効果があるのではないかと期待しているのです。
というか、そういう期待はゲーム化が発表される前から、『りゅうおうのおしごと!』ってゲーム化されたりしないのかなぁ・・って感じで随分前から思っていたことでもあります。
『りゅうおうのおしごと!』は可愛らしいキャラクターが出てくるロリ系ラノベであると思わせておいて実際のところはかなり泥臭くて熱いところのあるギャップが魅力の作品ですが、このゲームもまた「可愛らしいゲームでありながら将棋が学べる」みたいなギャップがあるゲームになってくれると嬉しいですね。
『iメンター(1)』AIに支配される世の中の黎明期感が面白い漫画の感想(ネタバレ注意)
AIの進化が著しくその真価が問われる時代に突入しつつあり、シンギュラリティ(技術的特異点)という言葉を耳にする機会も増えてきた昨今ですが、それだけにAIをテーマに据えたフィクション作品も増えてきたように感じられます。
『iメンター』もそういったフィクション作品の一つだと思いますが、今よりはAIが日常に溶け込んでいるがシンギュラリティという程までは至っていないような近未来を舞台としたSF作品となります。
いや、数十年前であれば間違いなくSF作品と言って差し支えなかったと思いますが、現代であれば最早想定しえる現実であるような気もするので、そういった作品をSF作品と称するべきなのかは議論の余地がありそうですが、いずれにしてもSF作品と呼ばれているような作品がSF作品でなくなっていくことには一種のロマンがありますよね。
SF作品はSF作品であるからこそロマンがあるはずですけど、SF作品でなくなっていくことにもロマンがあるというのは興味深い話です。
前置きが長くなりましたが、AIとは『人間のように思考・学習してそれをアウトプットする機械』であると僕は認識しています。そして、それが近代になって急速に進化している背景には思考・学習に必要な膨大なデータを処理する技術が伴ってきているからという理解です。ド素人の理解なので雑な部分はあるかもしれませんが、大筋は外していないかと。
それだけに、『iメンター』でテーマにされている『遺伝子情報からその人間の様々な適正・可能性を数値で教える』というシステムは実現可能な未来であるようにも感じられるところです。もちろん、遺伝子という膨大な情報をコンピューターが処理しきれるものなんかには議論の余地はあるものの、考え方は現代のAIの延長線上にあるのが面白いところです。
もっと面白いのは、その『iメンター』というシステムの学習には人間の手助けがある程度加わっているようで、そういう意味ではシンギュラリティへの過程の段階が描かれているとも言えます。
また、人々の行動が『iメンター』の示す確率に左右されているのはAIに支配される未来を示唆しているようで怖さもあって、それはAIの進化を語る上で度々議論されるテーマではありますが、本作品ではそのAIに人間の手が加わっているという途中の過程が描かれていることで、なるほどこれはAIに支配される未来を語る前にやはり人間の手が入っている状態のAIについて考えさせられる良い機会となる作品だとも感じました。
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本作の概要
国民に「iメンター」と呼ばれる遺伝子情報を元に結婚相性や犯罪、職業適性といったその人の可能性を可視化するタブレットが配布される近未未来が舞台です。
「iメンター」はその人の未来まである意味可視化されているようなもので、そのような世の中がどのようなものなのかが描かれています。
1巻は婚姻遺伝子、犯罪遺伝子、就職遺伝子の3つのエピソードが描かれており、本記事では各話ごとの感想を紹介したいと思います。
考察してみたくなる内容なので、感想というよりは考察になっているかもしれませんが。(笑)
本作の見所
婚姻遺伝子
異性との結婚相性をパーセンテージで可視化されるというのは、恋愛・結婚の在り方そのものに影響を与えそうですよね。
異性に対して「いいな」と思う要因は本来とても多種多様なもので、趣味が同じだったり、会話のペースが心地良かったり、容姿が好みだったり、一緒に何かをした経験だったり、分かりやすいのはこの辺として、いずれにしてもとても複雑なものです。
しかし、そうして「いいな」と感じた異性と恋人や夫婦になったとして必ずしも良好な関係を保てるかといえばそうでもないのが難しいところ。
相性が良いと思っていた人と付き合って別れたような経験、多かれ少なかれ誰にでもあるのではないでしょうか?
そして、興味深いのは現代における恋愛の「いいな」のほとんどは趣味にしろ経験にしろ遺伝子とは無関係そうなものであるという点。例えば趣味が一致していても遺伝子レベルで相性が悪ければいずれ上手くいかなくなるという論理には一定の説得力がありそうです。
逆に、何で共通点も何も無いこの人とこんなに相性が良いんだろうと思うような人間関係もありますよね。
恐らく、遺伝子レベルの相性というものが存在するとすれば、長い付き合いの中で行き着く先の相性であるとも言えるのではないかと思います。最初は様々な共通点による仲間意識とか、見えていない部分もあったり、本当は相性が悪くても取り繕えている部分があったりするものの、遺伝子レベルで相性が悪いと最終的には上手くいかない・・みたいな?
そして、そんな遺伝子レベルでの相性が可視化されるとすると誰にとっても人間関係が大きく変化しそうですよね。
本作品でも「iメンター」に示された結婚相性が高いことを理由に付き合ったのに、僅か1%高い他の男性が見つかったことであっさりと乗り換えるシーンが描かれていますが、もしかしたらこうして選んだ相手と結ばれることは幸せなのかもしれないけど、少々味気ない恋愛だとも感じます。
その証拠に、本作品ではとある理由で結婚相性が僅か3%しかない男女のハッピーエンドが描かれていて、そこに感動がありました。
これは「iメンター」は確かに便利だけれども、温か味があるわけではないと示唆していたのだと思います。
確かに、結婚に限らず人間関係が遺伝子レベルので相性で可視化されてしまったら、極端な話初対面の人間相手でも、「あの人は90%超えてるから好ましい」とか「あの人は10%無いから嫌いだ」とか、良く知りもしないはずの人間の好き嫌いの根拠にもなってしまいそうで怖いですよね。
犯罪遺伝子
この人は犯罪を犯すということが分かるのは安定した社会のためにはとても頼もしく感じられる一方、何も悪いことをしていないが犯罪を犯す可能性が高いと判定された人物の取り扱いがとてもデリケートな問題として生じてきますよね。
本作品では、長い時間を掛けて対象者を自発的に犯罪を犯させるという罠に嵌めて社会的に抹殺してしまったりしていますが、それが道徳的に許されるのか否かが興味深い議論点ですね。
いくら犯罪者となる遺伝子であってもそれだけでは犯罪者ではありません。
そして、教唆されて犯した犯罪も犯罪であることに間違いはありません。
しかし、犯罪者になる遺伝子だからと言って意図的に犯罪を起こすであろう状況を作って犯罪を犯させるというのは、果たしてアリなのでしょうか?
もちろん、犯罪を未然に防ぐ意味では良いことなのかもしれませんが、この対象者に選ばれた時点ではまだ犯罪を犯していないのに裁きが始まってしまっているとも言えます。
それに、どんな状況でも絶対に犯罪を犯さないほど潔白な人間など存在しないのではないかとも思ってしまうんですよね。
なぜなら、犯罪とは日常生活の不足が良心を上回った時に起きるものだと思っていて、だとすれば状況によっては誰にでも犯罪を犯すというか、犯さざるを得ない可能性があると考えるからです。
だとしたら、どのレベルの犯罪遺伝子であれば犯罪を犯す前に裁くことになるのかとか、その辺のさじ加減は恐ろしく難しいはずですし、感情的には許されざることのような気もします。
一方で、犯罪遺伝子というものが分かるのに何の手も打たずに犯罪が発生してしまっては、それはそれで問題がありそう。
もし犯罪遺伝子というものが本当に明らかになったら、清廉潔白な人ですら裁かれることを不安に思わなければならないわけで、怖い世の中だと感じました。
就職遺伝子
婚姻遺伝子は温か味が無さそうですし、犯罪遺伝子には怖さもありますが、就職遺伝子は人によっては嬉しいところですよね。
目指すものがある人にとってはそれをバッサリと切り捨てられる恐れがあるものの、そうではない人にとっては最も適切な未来を選ぶことができると考えられるからです。
それに、人は何かを目指す時には必ずキッカケがあるはずです。それは憧れの人だったり過去の経験だったり様々でしょうけど、あらかじめ就職遺伝子で様々な職業遺伝子が分かっていたら、そもそもそれが一番の目指すキッカケになりそうなものです。
・・と、比較的平和な遺伝子ですがこのエピソードの興味深いところは「iメンター」の運営側で様々な適正の数値の操作が行われていることが詳らかになる点です。
未知のものに対する人間の行動は様々ですが、可視化されたものに対する人間の行動は著しく制限されます。
赤信号で立ち止まるように、低い可能性に賭ける人は少ないでしょうし、その逆もまた然りです。
つまり、「iメンター」の数値の操作ほど簡単に人間を操作できるものはありません。
それを世の中を良くするためという名目があるとはいえ、人為的に数値を操作するということの意味、その結果がもたらすものは何なのか、その辺が今後気になるところだと思います。
総括
いかがでしたでしょうか?
AIをテーマにしたフィクション作品は増加傾向にあるような気がしますが、身近になりつつあるからこそちょっとあり得そうなところがあって、どの作品も非常に興味深くも面白いものに感じられます。
『iメンター』もとても面白かったので、こんな作品を描く人が他にどんな作品を描いているのかと調べてみたら『サイコろまんちか』という知っている作品が出てきたので少し納得しました。
こちらも心理学をテーマにしたギャグマンガという興味深い漫画で、なるほどちょっと興味深いテーマを面白く描くことが上手な作家さんなんだと感じました。
そんな『iメンター』も1巻目は設定の説明に留めているようなところがありますが、これからその設定を生かしてどのような物語が展開されていくのかというワクワク感があります。そういうわけで2巻は相当楽しみにしています。
『幽遊白書(10)』短めだけど濃密な名作の感想(ネタバレ注意)
魔界の扉編も佳境に差し掛かってきた『幽遊白書』の10巻です。
次作である『HUNTER×HUNTER』を彷彿とさせるようなトリッキーな能力も魅力ですが、ラスボスの仙水忍はやっぱり王道的な少年漫画のバトルを見せてくれます。とはいえ、多重人格という特殊なメンタルのキャラクターというのもまた『HUNTER×HUNTER』を彷彿とさせるような気もしますね。
そんな謎めいたキャラクターであった仙水忍のベールがはがされていく10巻ですが、ゲームマスターという最も『HUNTER×HUNTER』っぽい能力を使用する天沼月人との戦闘(?)シーンにも注目です。
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本作の概要
桑原を救出するために浦飯幽助たちは入魔洞窟に突入していきますが、そこにはゲームマスターの天沼月人が待ち受けています。海藤優のタブーと同じく力押しでは突破できない能力を相手に最後に活躍したのはやっぱり蔵馬でしたが、天沼月人自身が気付いていなかった仙水忍のとある罠に気付いていた蔵馬は、それでもなお非常に天沼月人に勝利します。
そうしてたどり着いた入魔洞窟の奥には仙水忍が待ち受けてい、ついに最終決戦が開幕していきます。
本作の見所
ゲームマスター
実は魔界の扉編で一番面白いのではないかと思っているのが、ゲームマスターこと天沼月人と蔵馬の戦いです。
少年バトル漫画でゲームというと『HUNTER×HUNTER』のグリードアイランドを思い出しますが、『幽遊白書』でもゲームを題材にしていたのですね。
実在のゲームを現実にするような能力で、天沼月人の能力のテリトリー内ではどんな人物もゲームのルールに則ったことしかできなくなります。飛影も炎が出せなくて自分は役に立たないと眠ってしまってしましました・・って、黒龍派を打たなくても寝るのかよってツッコミたくなりますね。(笑)
しかし、このエピソードの興味深いところは天沼月人自身が自分の能力の本当の怖さに気付いていないという点ではないでしょうか?
実在のゲームを現実にするということは、ゲームの登場人物が死ぬような事態までもを現実のものとしてしまいます。そして、今回の場合は浦飯幽助陣営は何度負けても諦めない限りは死ぬことはありませんが、天沼月人の敗北はイコール死を意味します。
天沼月人は明らかに仙水忍のしようとしていることを分かってはいても本当の意味で理解できていないような子供で、これはそんな子供を簡単に殺すことはできないという心理を逆手に取った仙水忍の時間稼ぎだったのです。
蔵馬がその事実を天沼月人に説明することで動揺を誘い、そこで初めて自らの能力の危険性を知ったが能力を中断することができない天沼月人にトドメを刺すのですが、この時の二人のやり取りがとても印象的でした。
恐らく蔵馬もできることなら天沼月人を殺したくはなかったはずです。
殺したいわけではなく殺さなければならないと考えているだけに、ある意味ではその決意は固いはずで、そんな決意を持った蔵馬に天沼月人は命乞いをするのですが、これもある意味ではただの殺人鬼への命乞い以上にどうにもならなさそうで、なんとも言えない哀しさと怖さが入り混じったエピソードでした。
多重人格の仙水忍
入魔洞窟の奥で相まみえた浦飯幽助と仙水忍。ついに最終決戦が始まるかと思いきや、実は最初このシーンを見た時には仙水忍がラスボスにしてはあまり強くないように感じていました。
経験で上回る仙水忍が浦飯幽助をあしらっているものの、慣れてくれば浦飯幽助の方も順当に闘えていけそうな雰囲気に感じられたからです。
いくら仙水忍が戸愚呂弟と違ってトリッキーそうなタイプ、浦飯幽助も戸愚呂弟が豪速球を投げるなら仙水忍は魔球を投げてきそうだと称していましたが、それにしたって圧倒的な強者を前にしているような感じは受けませんでした。
しかし、その代わりに仙水忍は想像以上にトリッキーな奴でした。
実はこれまでの仙水忍はミノルという名の別人格。なんと仙水忍は7人の人格を有する多重人格者だったのです。
なるほど、つまり仙水忍との最終決戦が始まっているのかと思いきや、実のところ本当の意味では仙水忍とはまだ会ってすらいないことが判明したわけですね。
そして、浦飯幽助がミノルにカズヤといった仙水忍の別人格を圧倒し始めた時に初めて主人格の仙水忍が登場します。
いよいよ追いつめてきたと思われた時に「はじめまして」と主人格が登場するシーンはとても印象的ですよね。
そして、あっという間に浦飯幽助を圧倒してこれまでの仙水忍の別人格とは文字通り別物であることをその実力で示します。
アッサリと浦飯幽助は敗れてしまい、それこそ戸愚呂弟と相対していた時以上の実力差を感じさせられる敗北で、この後どうなるのかが非常に気になる所です。
総括
いかがでしたでしょうか。最後に仙水忍も言っていましたが、「本当のフィナーレはこれから」です。
アッサリと仙水忍の主人格に殺されてしまった浦飯幽助と怒れる仲間たち。
僕が初めてこのシーンに触れたのはアニメ版でしたが、いずれにしてもこの先どのような展開になるのか予想が難しいところでした。
もちろん、ネタバレになりますが浦飯幽助はただ死んだだけではありません。
では死んだと思われた浦飯幽助に一体何が起こるのか?
それが次巻の最大の見所なのではないかと思います。
禁断の女装男子・男の娘属性のキャラクター10選
昔から一定の人気があるいわゆる男の娘というキャラクター属性があります。通常男にはほぼ存在しないはずの女性的な可愛らしさを前面に押し出した属性ですが、こういったキャラクターは存在しないものを持っているからこそ魅力的に感じられるのかもしれませんね。
中高生の文化祭の演劇なんかで女装・男装が一種の定番になっているのも、多くの人が存在しないものへの魅力への憧れが大なり小なりあるからなのかもしれません。
僕も決してアブノーマルな嗜好の持ち主というわけではありませんが、男の娘キャラクターは決して嫌いではありません。何故か好きなキャラクターだと言いづらいところもありますが。(笑)
また、そういった男の娘属性のキャラクターも一種類だけではありません。女体化や外見が女子っぽいだけのキャラクターもまた男の娘とされることがありますが、本記事で紹介しようとしているのは全て女装による男の娘となります。
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- 10.綾崎ハヤテ(ハヤテのごとく!)
- 9.白鳥隆士(まほらば)
- 8.漆原るか(STEINS;GATE)
- 7.不動権三郎(カイチュー!)
- 6.國崎出雲(國崎出雲の事情)
- 5.波戸賢二郎(げんしけん)
- 4.小鳥遊練無(Vシリーズ)
- 3.大空ひばり(ストップ!! ひばりくん!)
- 2.二鳥修一(放浪息子)
- 1.南野のえる(ミントな僕ら)
10.綾崎ハヤテ(ハヤテのごとく!)
週刊少年サンデーで連載されていた人気ラブコメの『ハヤテのごとく!』から、主人公の綾崎ハヤテです。
基本的には何をさせてもハイスペックな借金執事という独特なキャラクターだが、一発ネタのような形で登場した女装姿が割と頻繁に登場するようになってきます。
女装がバレないように名乗った綾崎ハーマイオニーという『ハリーポッター』のハーマイオニー・グレンジャーが由来だと明らかな偽名が特徴的で、コスプレ感の強い女装ではありますが、知らない人には本当に女性であると思わせるほどのクオリティがあるようです。
9.白鳥隆士(まほらば)
解離性同一性障害、いわゆる多重人格のヒロインの人格がそれぞれヒロインとなる珍しいハーレム系ラブコメ『まほらば』から、主人公の白鳥隆士です。
女装系キャラには、完全に女性と見分けが付かないキャラクターと、確かに綺麗で可愛いけどよく観察したら分かりそうなキャラクターがいると思いますが、白鳥隆士の場合は後者なのではないかと思います。
女装させられてる感の強さが妙にそそられます。(笑)
そういえば中の人は綾崎ハヤテと同じ白石涼子さんですが、それもあって女装が似合う男性キャラの役柄のイメージが一時期強かったような気がします。
8.漆原るか(STEINS;GATE)
タイムリープものの名作『STEINS;GATE』から、主要キャラの一人である漆原るかです。
女性よりも女性らしく、その女性らしさを褒められることが多いが、「だが男だ」と最後にオチを付けられるのがお約束のキャラクター。
ちなみに、本記事では紹介していませんが中の人は『まりあ†ほりっく』の衹堂鞠也というメイン級の女装キャラも演じている小林ゆうさんです。白石涼子さんもですが、女装キャラを演じる声優さんは他の女装キャラも演じるのが上手いのかもしれませんね。
7.不動権三郎(カイチュー!)
不動権三郎というなかなかお堅い名前の『カイチュー!』の主人公です。
神の子と呼ばれるほどの弓道の天才ですが、その才能ゆえに実家の道場から破門されてしまい真面目に弓道できなくなったが、その後紆余曲折あり弓道への情熱を取り戻していく・・というスポーツ漫画に登場しそうな経歴のキャラクターではあるのですが、漆原るかと同じく男をドキドキさせてしまうほどの女装男子で、「だが男だ!」とツッコミたくなるほどです。(笑)
ちなみに、そんな不動権三郎という女装男子がヒロインという変わった作品ですが、この『カイチュー!』は弓道を描いたスポーツ漫画としても普通に面白い作品なので興味を持った人は読んでみて欲しいです。
6.國崎出雲(國崎出雲の事情)
いわゆる歌舞伎の女形である『國崎出雲の事情』より國崎出雲です。なるほど女装男子や男の娘という言葉がありますが、女形というもっと歴史のある呼び名もありましたね。(笑)
役者として物心つく前の幼少から女形をしてきたのですが、ある日自分が女形をさせられていることに気付いてそのことに拒否感を持っていて、男の中の男に憧れています。
ただし、役者としての才能は抜群で、その上努力も惜しまない性格です。
そんな國崎出雲が主人公だからでしょう。『國崎出雲の事情』は役者を描いた作品としての完成度が非常に高い作品であるとも言えます。
5.波戸賢二郎(げんしけん)
オタクの感情表現がちょっと古臭くはありつつもリアリティのある『げんしけん』より波戸賢二郎です。
もともとは腐女子と一緒にBLを楽しみたいがために女装しているという建前を持って女装していたが、本当にそれだけなのか恐らく本人すら分かっていなさそうなところが面白いキャラクターです。
女装キャラは、あくまでもノーマルな男子が何かしらの理由で無理に女装しているか、心に女性的なところがあるか、あるいは普通の男だけどファッション的に女性のファッションを好んでいるだけか、大きくはこの三つに大別されると思います。
波戸賢二郎の場合、一つ目の要素は薄めですがこの三つの間を揺れているような雰囲気があって、その不安定な感情が妙にリアルに感じられます。
4.小鳥遊練無(Vシリーズ)
森博嗣先生の『Vシリーズ』より小鳥遊練無です。
登場する作品の傾向が本記事で紹介している他の作品とは少し違うので、本記事の読者にはもしかしたら知らない人も多いかもしれませんが、個人的には女装男子と聞いて真っ先に思い浮かぶキャラクターの一人なのでピックアップしました。
内面はあくまでも普通の男(といってもぶりっ子っぽい感じだが)だが、スカートがヒラヒラ広がるようなファンシーな服装を好んでいて、小柄でもあるので女装が気付かれにくい系男子である。
しかし、少林寺拳法の心得もあって荒事にも対応できる男らしい一面もあります。
本記事で紹介している中では唯一の活字の女装キャラだが、それだけに原作である『Vシリーズ』の一冊目となる『黒猫の三角』がコミカライズされた際には小鳥遊練無がどのように描かれるのかにかなり興味がありました。
3.大空ひばり(ストップ!! ひばりくん!)
暴力団の組長の長男で、頭も良く運動神経も良い優等生・・だが、一部の関係者を除いて男であることを知らないという『ストップ!! ひばりくん!』の大空ひばりです。
女装男子のキャラクターには、女装しているという一点を除けば非常にハイスペックなキャラクターが多いと思いますが、その元祖なのではないかと思われます。
子供の頃、テレビアニメ版の再放送を見たことで知った作品ですが、大空ひばりというキャラクターには当時衝撃を受けた記憶があります。(笑)
『ストップ!! ひばりくん!』は本記事で紹介している中では圧倒的に最古の作品であり、有名な打ち切り作品でもありますが、大空ひばりはとても中毒性のあるキャラクターになっていて、女装男子の可能性を示した作品なのではないかと思います。
2.二鳥修一(放浪息子)
『放浪息子』より主人公の一人である二鳥修一です。
『放浪息子』はかつてこれほどまでに自らの性別に疑問のあるトランスジェンダーについて真摯に描いた作品があったかと思わされるほどに特徴的な作品となります。
二鳥修一は女の子になりたい男の子で、同じく男の子になりたい女の子であるヒロインが傍にいます。そんな二人を取り巻く周囲の視点も含めてトランスジェンダーに向き合っているところが興味深くも面白い作品なのですが、それだけに二鳥修一の女装には他の女装男子キャラとは違った興味深さがあると思います。
二鳥修一本人以上に、その周囲が二鳥修一のことをどう捉えていて、それがどう変化していくのか。そんなところに面白さがあります。
1.南野のえる(ミントな僕ら)
男が主人公という珍しい少女漫画『ミントな僕ら』から主人公の南野のえるです。
吉住渉先生の少女漫画の舞台は基本的に普通の日常という感じのものが多いですが、その中によくよく考えるとぶっ飛んだ設定が多いのが特徴で、『ミントな僕ら』ではシスコン気味の南野のえるが双子の姉の転入先の学校に女装してまで追いかけていくという物語になっています。
女装男子が主人公の作品は癖が強いことが多いですが、昔ながらの恋愛もの少女漫画が好きな人でも楽しみやすい割と普通の少女漫画であるところも興味深い作品で、そういう意味では南野のえるはそこまで癖が強いわけではないのに強烈なアクセントになっている主人公であると言えるのではないかと思います。
『ガンバ!Fly high(13)』ある意味原点回帰の五輪選考会(ネタバレ含む感想)
『ガンバ!Fly high』において一番印象深いチームが平成学園男子体操部であることに異論がある人は少ないと思います。序盤、ほとんどのエピソードで平成学園男子体操部というチームが主人公になっていましたからね。
しかし、アジア大会の選考会では初めて平成学園男子体操部のメンバーがライバル同士となり、ひとりアジア大会に出場して大活躍した藤巻駿を先輩たちがライバル視するようになっていき、五輪選考会では完全にライバル同士になっています。
そういう意味では作中の人間関係が大きく変化しているともいえ、人によって平成学園男子体操部がチームで戦っていた序盤こそが『ガンバ!Fly high』で最も面白い部分だと思う人もいれば、いやいやそんな互いを尊敬し合う仲間がライバル同士になる展開こそが面白いと思う人もいるでしょう。
ちなみに、僕は全てをひっくるめて『ガンバ!Fly high』という作品が好きな読者ですが、それでも何だか新しくて新鮮に感じられる五輪選考会のエピソードはかなり好きなところとなります。
主人公の藤巻駿ではなく、どちらかといえば三バカの一人である内田の視点になっているのが興味深い見所となります。
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本作の概要
五輪選考会の一次予選。アジア大会で活躍した藤巻駿に負けまいと奮起した内田は、藤巻駿と同じ組で演技に臨みます。
しかし、内田が藤巻駿をライバル視する一方で今までと同じでチームメイトのように内田を気に掛ける藤巻駿に、内田はプライドを傷つけられてしまいます。
それが演技の失敗に繋がり、藤巻駿も内田を傷つけてしまったことで演技中に混乱して失敗してしまいます。
しかし、そんなどん底からの戦いこそが平成学園らしい戦いなのだと冷静さを取り戻していきます。
本作の見所
内田のプライド
久々に再会した藤巻駿と内田は五輪選考会の一次予選で同じ組で演技をしていくことになります。内田は最初、軽口の冗談で藤巻駿に自分たちは敵同士なのだと言及しますが、恐らく冗談ではあっても半分は本心だったことが窺えます。
その証拠に、内田のことは眼中に無さそうな堀田や藤巻駿の悪気の無い言動から始まり、最初の跳馬では先に演技した藤巻駿から器具の調子を教えられてしまいます。
そして、チームメイトならまだしも、あくまでもライバルとして演技しているのにこのアドバイスはさすがに内田のプライドを傷つけてしまいます。
それで動揺した内田は盛大に着地を失敗してしまうのですが、その原因が自分にあると気付けていない藤巻駿は次の平行棒では自分の演技構成をメリハリの無いものにして、次の内田の演技を際立たせようとします。
跳馬の失敗から立ち直れていない内田はそこでも失敗してしまいますが、自身の予想と反して首の皮一枚繋がるような点数が出ます。そして、それが藤巻駿のおかげだと気付いた時に更にプライドを傷つけられて、後輩である藤巻駿に強く反発心を見せてしまいました。
すぐに試合中の選手、それも仲の良い後輩に対してぶつけるような不満では無いと仲直りしようとしますが、表面的には取り繕っても動揺は残ります。それは、ここで初めて自分が内田のプライドを傷つけるようなことをしたのだと気付いた藤巻駿も同様ですね。
一方はあくまでも相手を仲間として見ていて、一方は仲間ではあってもライバルだと見ていたことによるすれ違いでしょうけど、お互いに尊敬も信頼関係もある間柄だからこそ生じる衝突なので読んでいて胸が痛くなります。
平成学園の体操
「自分の失敗を藤巻のせいにしてブチ切れるなんて・・。まったく俺って奴は情けねえぜ・・クソッ・・」
藤巻駿に怒りをぶつけたことで、この時点で内田の方は少し冷静さを取り戻しているような気がします。しかし、これで藤巻駿が調子を崩したら今度は自分のせいだと悩んでしまうのですが、その不安は的中してしまいます。
得意であるはずの鉄棒の演技で藤巻駿はまさかの落下。落下しただけならまだしも、もともと不安定な精神状態で演技していたからか混乱してしまし自らの演技構成すら分からなくなってしまいます。
このままでは演技を再開してもまともな演技が果たして可能なのかという精神状態ですね。
そして、そんな藤巻駿を落ち着かせたのは内田でした。
「あの頃と同じだよ。こんなドン底からが俺達の体操だよ。本当の俺達の・・な」
お互いにドン底の状況。しかし、考えてみればいつもギリギリの戦いをしていたのが平成学園で、その舞台がランクアップしているだけなのだと内田は言います。
なんというか、内田って最初は後輩である藤巻駿を嫌っていたようなところもあったと思うのですが、一番センパイらしいセンパイであるようにも感じられますね。
新堂はともかく、三バカの三人は先輩というよりは仲間という印象が強かったですが、このシーンの内田は本当に良い先輩らしくて格好良いと思います。
そして、藤巻駿は完全復活。一度失敗した技をもう一度決めても得点にはならない・・にもかかわらず、失敗したトカチェフ前宙を決めて精神的に完全に復活していることを示します。こんな体操も、まさに平成学園の体操という感じですね。
地味な真田
藤巻駿と内田が良い先輩と後輩の関係を見せてくれましたが、今度は真田がそれを見せてくれます。ただし、真田は先輩側ではなく進学先の清琉大学の後輩の立場として描かれていますが。
平成学園の男子体操部、とりわけ三バカはとても目立ちたがり屋でしたが、頭一つ抜けてその筆頭だったのは真田だと思います。中学時代の種目別選手権の床の演技では伸身ムーンサルトでボディプレスを決めて目立っていたのが印象的ですよね。(笑)
しかし、今回は清琉大学の先鋒として先輩たちに地味だが堅実な演技を強いられています。髪形も地味になって、なんとも真田らしくない。
真田らしくなさすぎて何故か内田がキレています。キレすぎて、見かねた折笠麗子がグーで殴って止めようとするくらいです。(笑)
目立ちたがり屋の真田がそういう地味な立ち居振る舞いに甘んじているのは、先輩たちに抑えられているからで、真田はそのことに疑問を持ち始めています。
しかし、それは才能はあるのにすぐに目立とうとして無謀な演技をしてしまう癖のある真田を抑えるための先輩たちの心遣いでした。
平成学園のやり方とは違いますが、こういう先輩後輩の関係も良いですね。
アンドレアノフの帰還
『ガンバ!Fly high』における師匠ポジはアンドレアノフですが、そんなアンドレアノフとの別れが描かれています。
アンドレアノフが去った理由の一つに岬コーチを女性とみてしまいそうになるというのがあるのも気になる所ですが、いずれにしてもここから藤巻駿の体操が始まるということを感じられさせますね。
総括
いかがでしたでしょうか?
『ガンバ!Fly high』の主人公は藤巻駿であり、ほとんどのエピソードでは藤巻駿こそが主人公なのだと分かりやすく描かれています。
しかし、文庫版13巻に該当する五輪選考会の予選のエピソードでは、ほとんどが内田、そして真田が主人公になっているようで、とても新鮮味があるように感じられました。
特に内田は作中の序盤では後輩である藤巻駿を目の敵にしていたこともあるキャラクターなのですが、それがこのような互いに信頼と尊敬があるような関係になっているのが感慨深いですね。
『ヒカルの碁』の名場面、名台詞から囲碁を学ぼう!(その6)
ヒカルは少年漫画の主人公としては負けることの多い主人公です。格上相手にも良い勝負はしても結果的には敗北することはほとんどで、格好良く勝利を収めているシーンでは単純にその時点でヒカルよりも格下になっているだけだったりします。
とりわけ『ヒカルの碁』の作中でヒカルの負けが続いていることで印象的なシーンと言えば、院生になったものの2組で成績不振に陥っているところなのではないでしょうか?
今回はそんな成績不振のヒカルに対して友人であり師匠でもある佐為がした指摘についてのお話です。
今回の名場面・名台詞
ヒカルが院生2組で不調の頃に佐為から自分と打っているから勝てなくなっていると指摘されるシーンについて
ヒカルは成績不振の自分に苛立ち、どうして佐為ほどの実力者と打ち続けているのに成績が上がるどころか下がってしまうのかという疑問を佐為にぶつけます。
それに対する佐為の答えは、それは自分と打っているからこそなのではないかという相反するものでした。
佐為と打っているから勝てるようになるはずと考えるヒカルと、佐為と打っているから成績不振に陥っていると考える佐為。
そんな矛盾した考え方を、僕は一番最初に『ヒカルの碁』を読んだ時には理解することができませんでした。理解できませんでしたけど、雰囲気で何となく佐為が格好良いなぁと楽しんでいただけでした。(笑)
佐為の説明する理屈。ヒカルがある程度強くなってきたからこそ、以前は闇雲に佐為に立ち向かっていたのに、そこに恐れが混じって手が控えてしまうようになってしまったというのがヒカルの成績不振の原因であると佐為は分析します。
その理屈になるほどと思いつつも、「いやいやそこは実力が全てで、もちろん同じくらいの実力だと多少の誤差はあってもある程度強い方が勝つだけなんじゃないの?」という風に当時の僕は思っていたものです。
しかし、実はこの成績不振時のヒカルを彷彿とさせるようなスランプに陥ることって珍しくないと思うのです。少なくとも、僕は長く囲碁を楽しんできた中でこのシーンを思い出すようなスランプに陥ってしまったことが何度かありました。
もともと勝てていたような相手に何故か勝てなくなり、打っている時の感覚的には相手が自分よりも格上とは思えないし、事実序盤中盤までは優勢に打ち進めたりしているのに何故か勝ち切ることができない。
そして、そのようなことが何度も続くようになってしまうのですね。
そんなスランプの原因についてはこちらの記事で過去に言及しているのですが、「勉強が過剰になること」「強気な手が増える」「弱気な手が増える」という三つが原因なのだと分析しています。
その内三つ目の「弱気な手が増える」という部分が本記事の趣旨となるのですが、要は相手の実力を信頼しすぎてしまうあまり自分の打つ手に自信が持ちきれず弱気な手を打ってしまうという現象ですね。
これは理屈は分かるけど本当にそんなことがあるのか、あったとしても勝敗に直結するほどのものなのかと疑問に思う人も多いと思います。しかし、経験してみると分かるのですが、これは本当にあり得ることなのです。
僕の場合は、特に大石が頓死してしまうような負け方を繰り返してしまったような後に、たぶん無意識に戦いを避けてしまっているからなのか僅差の作り碁になって負けてしまうような状態が続くことがたまにありますし、今では分かっていてもたまにそういう状態になってしまいます。
不思議なもので、分かっていてもそういう状態になった後に負けた棋譜を検討してみると、必要以上に固く打っている手に気付いたりすることもあります。
というわけで何が言いたいのかというと、佐為のこの格好良い指摘はただ格好良いだけではなく、意外と囲碁におけるスランプの状態を本当に分かりやすく表現しているのではないかということなのです。
これが実感できるほど囲碁にのめり込むファンは『ヒカルの碁』の読者でも少ないとは思いますが、もし真剣に囲碁を趣味にしていてスランプに陥ってしまうようなことがあれば、このシーンを思い出してみると良いかもしれませんね。