『鬼滅の刃』の発行部数の凄さ。実は『ONE PIECE』以上!?
『鬼滅の刃』が大変な社会現象になっています。2019年のアニメ化の際にも一気に人気が爆発したという印象を受けましたが、劇場版である『無限列車編』の興行収入がとてつもない短期間で300億円を突破し、もはや普段は漫画やアニメに縁も興味も無い人ですら『鬼滅の刃』のことは認知しているのではないでしょうか?
そして、劇場版の大ヒットの裏で原作漫画の累計発行部数が驚異的に伸びたことも話題になりました。
1億2000万部
それが『鬼滅の刃』の最終巻発売時点での累計発行部数で、歴代でも8位に該当する大記録ではあるのですが、現在進行形で歴代最高を軽々と超えていきそうな勢いの劇場版の興行収入の記録に比べると少々霞んで見えてしまうかもしれません。
しかし、実はこの1億2000万部という数字には歴代の累計発行部数ランキングで不動の1位である『ONE PIECE』以上の凄さがあるのではないかと考えます。
本記事では、あくまでも個人的な見解ですが、なぜ『鬼滅の刃』の累計発行部数が『ONE PIECE』より凄いのか、その根拠を述べていきたいと思います。
なお、本記事に記載している歴代発行部数は全て漫画全巻ドットコム(2020年12月時点)のものを参考にさせていただいており、こちら から確認することができます。
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累計発行部数が1億部を超えた作品
長期連載の漫画が昔よりも増えてきているとはいえ、累計発行部数が数百万部もあれば十分以上にヒット作品と言えるのが漫画の世界なのではないかと思います。そんな中で1億部を超えるような作品はいずれも漫画史に残るようなものであることは間違いないでしょう。この度『鬼滅の刃』がその仲間入りをしたわけですが、現在(2020年12月時点)時点で累計発行部数が1億部を超えている作品にはどのようなものがあるのでしょうか?
『鬼滅の刃』の発行部数の凄さを語る前にまずは累計発行部数の多い順におさらいしてみましょう。
- ONE PIECE(4億7000万部)※97巻
- ゴルゴ13(2億8000万部)※199巻
- ドラゴンボール(2億6000万部)※42巻
- NARUTO(2億5000万部)※72巻
- 名探偵コナン(2億3000万部)※98巻
- こちら葛飾区亀有公園前派出所(1億5650万部)※200巻
- 美味しんぼ(1億3000万部)※76巻
- SLAMDUNK(1億2000万部)※31巻
- BLEACH(1億2000万部)※74巻
- 鬼滅の刃(1億2000万部)※23巻
- ドラえもん(1億部)※45巻
- 鉄腕アトム(1億部)※21巻
- ジョジョの奇妙な冒険(1億部)※129巻
- タッチ(1億部)※26巻
- 金田一少年の事件簿(1億部)※70巻
- 北斗の拳(1億部)※27巻
- 進撃の巨人(1億部)※32巻
並べてみるとこんな感じですね。17作品もあるとは結構多い気もしますが、それでも誰もが知っているレジェンド級の作品ばかりが並んでいてとても壮観です。そんな中に並んだだけでも『鬼滅の刃』がいかに漫画史に残る作品であることは間違いありません。
誰だ劇場版の興行収入に比べたら霞んで見えるとか言ったのは。(笑)
『鬼滅の刃』の発行部数の何が凄い?
さて、とても壮観なラインナップを眺めてみたところで、やっぱり『ONE PIECE』の4億7000万部がダブルスコア並にずば抜けて感じられますね。
ではなぜ『鬼滅の刃』の発行部数が『ONE PIECE』より凄いのか?
まあ、勘の良い人なら前述のラインナップに巻数を並べて記載した時点で気付いているかと思いますが、1巻あたりの発行部数で『鬼滅の刃』は『ONE PIECE』を上回っているのです。
『ONE PIECE』が約485万部に対して、『鬼滅の刃』が約522万部ですね。1巻あたり約620万部の『ドラゴンボール』には及ばないものの、これはとても凄いことなのではないでしょうか?
それに最終巻である23巻の初版発行部数が395万部というのもとてつもない数字で、かの『ONE PIECE』ですら初版発行部数が300万部を初めて超えたのは57巻の時点。25巻の時点では250万部という数字が話題になっていた記憶があります。それと比較すると『鬼滅の刃』の勢いの凄まじさが伺えますね。
もちろん、20年以上も第一線で大人気漫画であり続けている。100巻近くも人気を維持し続けているという点に『ONE PIECE』の凄さはあるので、この2作品の凄さを純粋に比較することはできないし、それは愚かしいことなのかもしれません。
しかし、現代的な感覚では決して多くはない23巻完結の漫画で1億2000万部ということの凄さは感じていただけたのではないかと思います。
また、『鬼滅の刃』の累計発行部数はその急激な伸び方も話題になりました。
2019年4月、アニメ開始時点では累計で350万部だったものが2年かけずに1億2000万部に達したことになります。
また、既に完結したとはいえその勢いは衰えていないのではないかと思います。劇場版の大ヒットの影響もあるでしょうし、これから読んでみようという人も少なくないのではないでしょうか?
そうなると、もしかしたら『ドラゴンボール』の1巻あたり約620万部という数字も見えてくるかもしれませんね。
今からでも遅くない。『鬼滅の刃』を読んでみよう!
本記事の読者の中には『鬼滅の刃』のファンもいれば、「話題だけどどんな話なの?」って思っているような人もいると思います。「なんか数字の記録の上では凄いのは分かった。・・で、面白いの?」てな感じです。(笑)
万人受けする大ヒット作が、しかし本当の意味で全員にとって面白いとは限りませんからね。実際、最初にラインナップした累計発行部数1億部超の漫画の中にも、個人的には何が面白いのかが分からない作品もあったりします。(何かは言わないけど)
そして、ここまで散々『鬼滅の刃』の凄さについて語っておきながら、実は『鬼滅の刃』こそが何が面白いのかが分からない作品の一つでした。ほんの数週間前までは。
週刊少年ジャンプでは頻繁に新連載が始まり、そして終わっていきます。読み慣れた人なら何となく終わっていく漫画の雰囲気が感じられるようになってくるので不思議ですよね。
僕は『鬼滅の刃』の連載開始時、最初の数話で「これは終わっていく漫画っぽい。正直面白くない」と感じて読むのを止めてしまっていました。
その後も知人から「最初ガマンして読んだら面白くなる」と言われたこともあったのですが、どうも受け付けないと毛嫌いしてしまっていたのです。
しかし、劇場版の大ヒットを受けて「ここまで話題なのだからさすがに観てみよう。原作の中盤のエピソードらしいから原作で少し予習しておこう」とまずは劇場版の無限列車編の直前まで原作を読んでみたわけです。
そしたら、確かに序盤に少々退屈なエピソードが続くもののその後は急激に面白くなってきて驚きました。「最初ガマンして読んだら面白くなる」という知人の助言は正しかったわけです。
王道だけど個性的なストーリーにキャラクター。独特の台詞回しのセンスも抜群で飽きさせませんし、シリアスなシーンにも時折挟まれるコミカルなギャグもバランスが絶妙です。
週末に劇場版を観るために平日に無限列車編の直前まで読むつもりが、一気に最後まで読み切ってしまいました。というのが先週の話。(笑)
つまりは読み進めると止まらない。続きが気になって仕方が無くなるタイプの漫画なので、完結直後である今はある意味読み始めるベストなタイミングと言えます。
週刊少年ジャンプの人気作品には珍しく、引き伸ばしてマンネリ化したような感じも無く、23巻で一貫したストーリーを綺麗に完成させており、分量的にも手を出しやすいのではないでしょうか?
『鬼滅の刃』の魅力については、また別の機会にもっと深入りして語ってみたいと思います。
『魔女に捧げるトリック』マジックで魔法を演出する異世界転生の感想(ネタバレ注意)
子供の頃マジックが好きでした。目の前にある不思議な現象にワクワクしたもので、マジックを見た時の感想を一言でいえば「まるで魔法のようだ」というものに集約されるのではないかと思います。
そんな魔法のようなマジックを、多くの場合は魔法が存在する世界へ異世界転生・転移する類の物語に、魔法の代わりに導入する発想はとても面白いと思います。
そして、そんな発想が根幹にはあるのが『魔女に捧げるトリック』という漫画です。
改めて言いますが、僕は子供の頃マジックが好きでした。しかし、まるで魔法のような現象の裏側に必ずトリックがあることも当然の常識のように知っていました。何ならトリックは知っているマジックすら、それを演じるマジシャンの技量にほれぼれするといった楽しみ方をするまであります。(笑)
つまり、まるで魔法のようだと感じつつもそれが魔法でないことを僕たち現代人は知っています。
そもそもマジシャンがマジックを演じる時、演出の都合で魔法使いや超能力者を演じることはあっても、それはあくまでもマジックショーという中でのこと。だから僕たちは魔法使いのようだけどこの人は人間だと安心してマジシャンを見ることができます。
しかし、こうしたマジシャンが演出ではなく本当に自分は魔法使いや超能力者など名乗ったら?
そしてもし自分がマジックというものを知らなかったら?
僕たちはマジシャンのことを本当に魔法使いや超能力者だと思ってしまうかもしれません。
とはいえ、トリックがある以上は魔法のようにいかない部分も絶対にあるはずです。
トリックのあるマジックで中世時代のような異世界を主人公がどう乗り切っていくのか。そんなところが楽しみな漫画です。
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ところで異世界転生・転移ものの作品には多くの場合、いわゆる昔ながらのファンタジー的な魔法の存在する世界が登場します。
火を熾せたり、怪我や病気を回復させてしまったり、空を飛べるなんてのもありますよね。
しかし、実際の歴史上に存在する魔法はそのようなものではありません。キセキを演出するトリックだったり、人々の不満を解消するためにでっち上げられた魔女だったり、そのようなものです。
後者は中世の時代に行われたいわゆる魔女裁判の犠牲者たちを指すわけですが、『魔女に捧げるトリック』でいう魔女とはこの魔女裁判の犠牲者たちのことを指すようです。
魔女裁判の時代(本来の歴史上のタイプスリップなのかは不明ですが)に転移した主人公の針井マキトは子供の頃から天才マジック少年と言われたマジシャンで、脱出マジックの失敗をキッカケに転移することになったようですが、彼が魔女裁判の被害者である魔女たちに、教会と戦うためのトリックを捧げるというのが物語の骨子のようです。
『魔女に捧げるトリック』の面白いところは、天才マジック少年という役どころを主人公に据えているものの、だからといって何でもマジックであることを理由にチートな活躍ができるようにはしていないところなのではないかと思います。
こうしたフィクション作品に登場するマジシャンの中には、例えそれが現実世界を舞台にした作品であったとしても、不思議な現象を起こすことに対して何の説明も無く単に「マジックだから」と片付けてしまっていることが少なくありません。創意工夫を凝らしたトリックのあるマジックには無限の可能性があるのであろうことは分かりますが、だからといって全てを「マジックだから」と一括りにしてしまうのは些か言い訳じみていると感じなくもありませんよね。
しかし、『魔女に捧げるトリック』において針井マキトが実演するマジックについては基本的にトリックが明示されているようです。不思議な現象を起こすためには相応の下準備が必要で、だからこそピンチな状況であっても「天才的なマジックで一気に解決!」みたいにチートな展開にはなりません。
僕はマジックに詳しくないので、提示されているトリックがツッコミどころのあるものなのか否かは分かりませんが、例えツッコミどころのあるものだったとしてもマジックに対してマジックであることの説明を付けようとしている所に好感が持てますね。
そういえば、タイトルも『魔女に捧げるトリック』であって『魔女に捧げるマジック』ではありません。そういう所からも、本作品が何でも「マジックだから」で言い訳のように不思議な現象を説明する作品ではなく、トリックありきで主人公や魔女たちを活躍させようとしている作品であることが窺えます。
僕自身、どちらかと言えばフィクション作品の不思議な現象に対して、どんなに破綻していても良いから何かしらの説明が欲しいと思うタイプなので、こういう作品は本当に面白いと感じます。
『ガンバ!Fly high(17)』何度読んでも飽きないフィナーレ!(ネタバレ含む感想)
文庫版『ガンバ!Fly high』もついに最終巻!
1巻が出た頃、東京オリンピック(当時の予定)に完結を合わせてくるのかと思っていましたが、閉幕してしばらくたった時期になりましたね。
予想は盛大に外れました。(笑)
しかし、偶然か故意かは分かりませんが東京オリンピックの時期を作者が意識していたことは間違いないようです。
巻末の対談で、本来であれば東京オリンピックの結果について語る予定だったと言及されているのがその証拠ですね。『ガンバ!Fly high』の作者が現代の体操の最高峰の結果をどのように語るのかとても興味深いところですが、今となってはないものねだりです。とはいえ、『ガンバ!Fly high』の当時からどのように体操が進化しているのか、作者の予想を超えていったのかについて語られていて、それはそれでとても興味深いものでした。
本編の話に移しましょう。いよいよ最後のエピソードであるオリンピック編のクライマックスまで来ました。
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日本代表チームは、これまで国内で戦ってきた強敵が集結した『ガンバ!Fly high』ファンにとってのドリームチームって感じですが、それが好調な演技を続けても予選での結果は良いものではありませんでした。
だからこそ限界ギリギリの演技に臨むという展開はとても熱いですね。藤巻駿はアンドレアノフコーチの元から独り立ちしましたが、それこそ李軍団の嵯峨までがその気持ちを同じくして限界に挑もうとしているところを見ると、体操選手として一人前になっているのは藤巻駿だけではないと感じさせられます。
そうして一種目目の床を好成績で終えて、いよいよって所から始まるのがこの17巻(最終巻)なわけですが、最初の1ページ目が東のプロレスシーンなのはちょっと面白いですね。(笑)
何でここで東のシーンなのかって、なるほど日本の二種目目がつり輪で、つり輪に関しては東と因縁がある李軍団の嵯峨の演技があったからなのです。そうやって、過去の因縁のようなことも回収していっているのも見所なのではないかと思います。
また、ベラルーシ、ロシア、中国と日本のライバルになる国が順番にクローズアップされて描かれているのも面白い。単に日本が優勝したという結果でなく、そのライバルたちもただの強敵ではなく個性あるキャラクターとして描かれたからこそ、その結末の感動も一塩だったのではないでしょうか?
まずは何故かアンドレアノフがコーチとして就任していたベラルーシ。予選では大活躍だったアレクサンドル・グレンコが本選では調子を崩していて、一体何のためにベラルーシがクローズアップされて描かれたのかは連載当時に読んだ時にはよく分かっていませんでした。
アンドレアノフはベラルーシのコーチになった理由として、アレクサンドル・グレンコが若い頃の自分に似ていたからだと言及していますが、それをクライマックスとなるオリンピックのエピソードで描く必要があった理由は何なのか?
それは、藤巻駿が独り立ちした体操選手に成長したということを示すためだったのではないかと思います。
アンドレアノフがベラルーシのコーチになったのは『裏切り』のようにも捉えられていましたが、そうではなくむしろ必ず独り立ちした体操選手に自身の教え子が、かつて自分に大きな影響を与えた田所誠治のような体操選手に成長しているであろうという『信頼』があったからこそ、かつての自分に似たところのあるアレクサンドル・グレンコと競わせてみたかった意図があったのではないでしょうか?
そして、そうしたアンドレアノフとアレクサンドル・グレンコを描くことで間接的に藤巻駿の成長を表現することができたわけですね。
実際、最後の藤巻駿の鉄棒の演技では自分のことを体操選手として超えていった藤巻駿に感動するアンドレアノフの姿が描かれています。
『ガンバ!Fly high』はこのオリンピックのエピソードで完結ですが、もしこの先が描かれていたとしたら、かつて田所誠治の影響で世界チャンピオンにまで上り詰めたアンドレアノフのように、藤巻駿を追う立場としてのアレクサンドル・グレンコが強敵として描かれたりしていたかもしれませんね。
そういうわけで、ロシアや中国がどうしても気になってしまうオリンピックのエピソードですが、実はベラルーシこそが完結後のこれからと、そして主人公の成長を最も表していたのではないかと思います。
次にロシアですが、言い方は悪いですが恐ろしく強力な当て馬のような描かれ方をしているという印象を受けました。
中国と並んで日本が優勝するためには越えなければならない壁として存在したロシアですが、なぜか中国のエースである王景陽は予選では4位だった日本をライバル視してロシアを軽視していたからです。ロシアの実力自体は確かで、予選時点の成績では日本より上でもあるにもかかわらず何故なのか?
その差には王景陽や藤巻駿の演技を見たロシアのチェレンコフ兄弟は自ら気付きます。
ロシアの体操は、たった一つの勝つための演技の完成度を高めていくというもので、中国の王景陽の体操は10点満点の演技構成すら簡単に放り捨てて更に上を目指す挑戦者であり続けるというもの。どんなに優れていても挑戦しない者が挑戦する者に敵わないというのは言われてみれば自明ですね。
そして、決勝ではギリギリの演技構成を持ってきた日本も、藤巻駿もまた挑戦者であり、だからこそ王景陽はロシアではなく日本をライバル視していたわけです。
そう考えると『ガンバ!Fly high』におけるロシアの役割にはやっぱり当て馬っぽさがあるのですが、それでも最後の最後まで優勝争いに絡む強力なライバルとして盛り上げてくれました。
最後に中国ですが、アジア大会編で最大のライバルとして描かれた王景陽がラスボス的に描かれています。代表選考会の鉄棒の演技で10点満点を出した強力な選手。主人公である藤巻駿が最も得意とする鉄棒で最高の演技を見せた選手ということで、なるほど王景陽こそがオリンピック編でも最大のライバルであり、藤巻駿がそれを超える鉄棒の演技を見せる展開の布石だったのだと察しが良い人なら予想できたことでしょう。
藤巻駿は体操選手として大きく成長していますが、それでも王景陽にはまだまだ藤巻駿よりも、日本のどの選手よりも格上だというオーラがあるように感じられました。
挑戦者ではあって、本番でまで日本のようにギリギリに臨んでいるというよりは、以前以上の自分をしっかり仕上げて本番では安定させてきているような印象がありましたよね。
だからこそ王景陽は最後に超えるべき壁として相応しい選手に感じられました。アジア大会の頃の王景陽よりもそういう壁としての存在感が大きくなっていたような気がします。
とまあ、日本のライバルの見所を紹介してきましたが、何と言っても日本の選手たちの活躍こそが最大の見所でしょう。堀田の見せ場は前巻の床でしたが、次のつり輪では嵯峨が東へのリスペクトを見せ、跳馬では内田が新技を見せました。
なぜか斉藤はジンクスに拘りまくるという今まで見せたことがない程の弱さを見せたものの、予定上の大技を跳馬で見せました。
そして、何と言っても藤巻駿の鉄棒です。そもそも『ガンバ!Fly high』は藤巻駿の鉄棒で1点という最低得点から始まりました。それが鉄棒のスペシャリストと呼ばれるまでに成長して、満を持してオリンピックでの最後の演技となる鉄棒に挑むわけなのですが、まさに集大成という感じの演技で格好良かったです。
もともと伸身ゲイロード一回捻りという技に挑戦しようとしていたことはオリンピック前のエピソードから語られていたことで、ギリギリの演技に挑戦しようとしている藤巻駿がここでそれに挑戦することは読者的には予想の範疇だったことだと思います。
だからチェレンコフ兄弟の弟であるイゴーリがたまたま藤巻駿の練習を覗いて見ることになった「とんでもない技」も伸身ゲイロード一回捻りなのだと思った人が多いのではないでしょうか?
しかし、藤巻駿が伸身ゲイロード一回捻りを決めてそこがハイライトだと思わせた後に、イゴーリに自分が見たのは別の技だと発言させることで更なる驚きがあることを予感させた演出はさすがの一言です。
なんというか、この鉄棒の演技のエピソードを単体だけで読んでもという感じではあるのですが、通して読んだ後のこの鉄棒の演技のエピソードの感動が一塩なので『ガンバ!Fly high』は何度でも読み返せる漫画になっていると感じます。
というわけで、これで『ガンバ!Fly high』は完結してしまいました。
文庫版の発売日を毎月楽しみにする生活もここまでだと思うと寂しいですが、また少し時を置いたらまとめて読み返してみたいと思います。
『今日もカレーですか?(1)』実在のカレー屋を紹介するほのぼのグルメ漫画(ネタバレ含む感想)
『今日もカレーですか?』って問いかけられるほどではないけど僕はカレーが大好物です。(笑)
だから美味しそうにカレーを食べる女の子が可愛い表紙に釣られてついつい本作品を購読してみました。表紙買いって、外食に例えると匂いに釣られるようなものなのかもしれないと思いつつ読んでみたら、上京したばかりの女子大生が東京に実在するカレー屋を楽しみつつ紹介してくれる実にカレーを食べに行きたくなる漫画でした。
何かに似てるなぁと思ったら、『ラーメン大好き小泉さん』のカレー版って感じでしょうか?
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グルメ漫画って、例えば創意工夫を駆使した料理を主人公が作り上げたりしてそれがとても美味しそうに見えたりするものの、でもその美味しさを実際に味わうことは困難だったりすることが多いと思います。
創作だからこその料理だったり、実現可能な料理だったとしてもそれを提供している店があるわけではなかったり、素人が気軽に再現できるものではなかったり、再現できたとしても劣化版の印象は拭えなかったり、とにもかくにも実際に味わうことは難しいです。
しかし、『今日もカレーですか?』のように実在の店を舞台にしてくれたら、聖地巡礼というわけではありませんが気になる店には当然ながら実際に行ってみることができるわけです。
味わいたければ実際に味わえるタイプのグルメ漫画の歴史は割と浅い気がしますが、とても画期的な気がして個人的にはついつい読んでしまいます。家から遠くて悶々とする可能性も否定できませんが。(笑)
1巻に登場するのは新宿中村屋、西葛西のスパイスマジックカルカッタ、神田のボルツ、全国チェーンのCOCO壱、日本橋のたいめいけん。そんな店舗のカレーがとても美味しそうに紹介されています。
僕が行ったことがあるのは新宿中村屋とCOCO壱だけですが、行ったことがある店でもなるほどと思わされるマメ知識と共に、改めて行きたくなるように紹介されており、なんとなく今後カレー頻度が高まりそうな気がします。(笑)
基本的には東京都内のカレー屋が紹介されているものの、金沢カレーなどを筆頭に全国にも美味しいカレーは存在するはずなので、ひょっとしたら今後『ラーメン大好き小泉さん』のように全国へ展開していく展開も考えられるかもしれませんね。
ちなみに、僕が今まで食べたカレーの中で一番おいしいと感じているのはこちらで紹介しているカレーなのですけど、これも『今日もカレーですか?』の中で紹介されたら嬉しいなぁと思います。それとも、東京にも店舗はあるけど関西の店だから可能性は低いのかな?
『トニカクカワイイ(1)』ひかれ逃げした少年が年下の女の子に一目惚れする話の感想(ネタバレ注意)
『トニカクカワイイ』は『ハヤテのごとく!』で有名な畑健二郎先生の最新作・・と言っても現時点で既に二桁巻も刊行していてアニメ化もされた人気作ですね。
前作『ハヤテのごとく!』がラブコメ作品にして50巻オーバーの大作だったので、十数冊程度ならまだまだ最近始まった作品という感じがします。
しかし、個人的にはこの『トニカクカワイイ』という作品は1巻相当分を連載で読んだっきりで、その後が追えていない作品でした。というのも、丁度僕が週刊少年サンデーを定期購読するのを止めた時期に始まった作品で、しかも当初はそれほど魅力を感じなかったというのもあります。『ハヤテのごとく!』にマンネリを感じて、その延長のように捉えてしまっていたというか、そんな感じですね。
ですが、この度アニメ版を見てみてかろうじて知っている序盤のストーリーに改めて触れたところ、「あっ、これって普通に面白くね?」って思い直すことになり、原作漫画も改めて読んでみようと感じるようになりました。
こんな感じで一度面白くないと感じた作品に時間を置いて触れたら面白いと感じるようなことが、時々あったりするから不思議です。
『トニカクカワイイ』の場合、連載で読むよりある程度纏めて読む方が僕に合っていたということもあるかもしれません。そういえば、『ハヤテのごとく!』も単行本で読んでいた時は楽しんでいたけど、連載で追うようになってから飽きてしまったことがあるような・・
ともかく、アニメ版でもトニカクカワイイ夫婦の物語の1巻の感想です。
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お笑いタレントのとにかく明るい安村を彷彿とさせるようなタイトルですが、『トニカクカワイイ』はすぐに裸が飛び出すようなギャグマンガではありません。だからといって安易に裸が飛び出すようなラブコメでもありませんが。(笑)
程度と内容にもよりますが、あんまりお色気成分の強いラブコメ作品は個人的には苦手で、どちらかと言えば安易なお色気要素を含めていないけど上手なキャラクターの掛け合いでドキドキさせるようなラブコメ作品の方が個人的には好みなのですが、『トニカクカワイイ』はそっち寄りのラブコメ作品なのではないかと思います。
もっとも、普通のラブコメ作品と違って主人公とヒロインが結婚するところから始まるという少年向け作品としてはかなり珍しいタイプの作品でもあり、それが『トニカクカワイイ』で最も個性的な部分と言えます。いや、もっと大人向けの作品であれば結婚生活を描くような作品は珍しくありませんが、中高生の年代を描くラブコメ作品では掟破りというか、普通であればゴールとなるエピソードを最初に描いてしまったという感じがしますね。
だって、『トニカクカワイイ』という作品を全く知らない人がヒロインのウエディングドレス姿の1巻の表紙だけを見たら間違いなく最終巻だと感じるはずです。そして、1巻という数字を見てビックリすると。(笑)
主人公は星空と書いてナサと読む少年で、幼い頃からそのキラキラネームを馬鹿にされていると感じて、馬鹿にされない人間になろうと勉強に運動にと猛烈に努力して中学生になる頃には中々の天才児が仕上がっています。
しかし、理屈など無くとにかく可愛いととある女の子に目を奪われ、それが原因でトラックに轢かれてしまいます。そのとある女の子が気付いて庇わなければどなっていたのかという事故で、かなり強く体を打っているはずなのに何故か無事な様子な女の子はトラックの運転手の制止を振り切ってクールにその場を立ち去ります。
そして、ナサもまたあまり無事では無さそうな様子なのに、トラックの運転手の制止を振り切って「とにかく可愛いから」とその場を立ち去ります。
これじゃあひき逃げならず、ひかれ逃げですね。トラックの運転手からしたら通報義務があるのに、警察が到着する頃には被害者がいなくなっているという説明が難しい状況です。(笑)
とにもかくにも、女の子を追いかけたナサ君ですが、なんと名前も知らない女の子にその場で告白。そして、女の子の方も結婚するなら付き合うとまさかのオーケー。なんというか、ファンタジーな要素は何もないのにあまりにも超展開すぎて記憶に残るプロローグですよね。
一目惚れってのは現実にもあるのかもしれませんが、ここまで素早く行動に移すようなケースって現実には・・ありますね。いわゆるナンパとかなんて「あの娘が可愛い」って声を掛けるのと同じといえば同じです。(笑)
しかし、ナサ君のケースはもっと重々しいというか、ナンパには見えません。こんな真剣な告白を名前を知らない女の子にするってのはさすがに現実には無いでしょう。あるとすればテレビ番組で後々紹介されるレベルです。
なんて夢の中のような経験をしたナサ君ですが、目が覚めてみればその女の子が自分を訪ねてくるようなことも無く、そのまま3年ほど時間が経過するのですが、「久しぶり」とあまりにもアッサリと女の子はナサ君の家にやってきます。結婚できる年齢まで待ったということなのでしょうけど、主人公とヒロインの出会いとしては間違いなく初めてのケースですね。
そして司という名前をここで初めて自己紹介し、その直後に婚姻届けを渡すヒロインとか、行動だけ見たらヤンデレっぽいですけど、あくまでもクールで正直何を考えているのか分からないところがあります。
ですが、『トニカクカワイイ』は何故か結婚がゴールではなくスタートだった二人のラブコメを描いた作品なので、その何故かを気にしていては素直に楽しめません。僕も連載開始時に読んだ時にハマらなかったのはその辺が気になってしまったからだと思います。
しかし、その辺の細かいところを気にせずにいれば結婚から始まるラブコメを素直に楽しめる作品だと思います。
いろいろなものをすっ飛ばしているから初々しいナサ君に、クールだけど不意打ちには弱いところのある司ちゃん。夫婦であれば当然の言動に一喜一憂する姿が面白いと感じました。
『ガンバ!Fly high(16)』ついにオリンピックが開幕(ネタバレ含む感想)
『ガンバ!Fly high』は、逆上がりもできない運動音痴な少年が自分にも何か誇れるものが欲しいと、何もないところからオリンピックで金メダルが取りたいと体操を始める物語の漫画でした。
繰り返しますが何もないところから始まります。
今でこそ鉄棒の天才と言われる藤巻駿ですが、最初の試合では参加点のみの1点を叩き出し、苦手だった跳び箱(跳馬)も不細工ながら初めて跳べたと喜んでいるような始末でした。
そんな主人公・藤巻駿が、文庫版16巻にしてついにオリンピックまでやってきました。
感慨深くありつつも、もうこれが最後の大会で最後のエピソードなのだと既に寂しさも覚えていますが、その分盛り上がりも一塩なのではないかと思います。
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シドニーオリンピックは藤巻駿にとって二度目の国際大会になるわけですが、一度目の国際大会であるアジア大会の予選において日本は不調を極めていたのに対して、シドニーオリンピックは予選から好調の滑り出しでした。
しかし、好調で日本にミスがあったわけでもないのに3位以上に大きく差を付けられての4位という結果。ミスがあったのであれば調整のしようもあるのでしょうけど、むしろ良いと思える演技ができたにも関わらずこの結果は日本に暗い影を落とします。
とはいえ、最良の演技が世界に届かないこの結果は『ガンバ!Fly high』のファンとしては望むところって気もします。
どん底から勝ち上がるってのが『ガンバ!Fly high』らしくある展開だとも思えますし、何よりこのことは日本に決死の体操に挑戦させるキッカケともなります。
個人戦である種目別競技ですら、本来であればある程度の安全マージンを取った演技構成にするものなのでしょうけど、団体戦でギリギリの演技に臨もうというわけですね。
そんなギリギリの演技はそれこそ初期の平成学園の体操を彷彿とさせますし、成長した藤巻駿たちがどのような演技を見せるのかとワクワクします。
王景陽を擁する中国が強敵なのかと思いきや、ロシアのチェレンコフ兄弟も手ごわそうですし、まさかのアンドレアノフがコーチとなり日本の前に立ちはだかったベラルーシに、藤巻駿のトカチェフ前宙を始め高難度の技をこなすアレクサンドル・グレンコは藤巻駿に敵愾心を燃やしています。
そんな強敵たちを相手に日本はどう立ち向かうのか?
16巻では、本選の一種目目をようやく終えたという所ですが、それだけに次巻の盛り上がりを煽るだけ煽られたという感じがします。
繰り上げで代表選手になった内田も、他の選手を立てつつもチームの原動力となる役割を任されて活躍したり、堀田は珍しく緊張の表情を浮かべるものの王景陽に迫る決死の床の演技を成功させたり、嵯峨なんてそういえば初登場時には内田との確執がありましたが、今はチームメイトとして認めている様子を見せたり、ある意味では即席とも言える日本代表チームではありますが、今まで戦ってきた相手だからこそ即席ではない感じが良いですよね。
さて、いきなり180度話が変わりますが、『ガンバ!Fly high』の文庫版が刊行されるにあたって一つだけ気になっていることがありました。
それは、「果たして『ガンバ!Fly high外伝』に収録された短編たちは果たして文庫版に収録されるのか?」ということです。
個人的には、後日談なんかも含まれる『ガンバ!Fly high外伝』も含めて完結した作品だと思っているので、是非とも収録して欲しいと思っていたのですが、この16巻にその内の一つである『初恋純情編』が収録されていました。
恐らく次の17巻が最終巻かと思いますが、分けて収録されるという感じになるのではないかと推測します。いずれにしても、ちゃんと収録されて良かったと思いました。
ちなみに、『初恋純情編』とは岬コーチの高校生時代のちょっと苦い初恋を田所のおばあちゃんが相楽まり子と折笠麗子に語るという『ガンバ!Fly high』には珍しい女性しか登場しないコイバナのエピソードとなります。
『意味がわかると怖い4コマ』オチの先を用意した4コマが面白い!(ネタバレ含む感想)
意味がわかると怖い話って昔から怖い話の定番の一つです。
「あれ、その話のどこが怖いの?」
「で、そのオチはどこにあるの?」
そんな風に思わせておいて、実はよくよく考えると・・「ひぇ~!」って話のことですね。
そういう話には、あえて本当のオチを語らない所に怖さと面白さがあると思います。
『意味がわかると怖い4コマ』はそれを文字通り4コマで表現した作品なのですが、基本的には起承転結で最後にはオチを求められる4コマで本当のオチを語らないというところに興味深さがありますね。
普通であればオチの説明なんて興覚めもいいところですけど、『意味がわかると怖い4コマ』の場合はまるで答え合わせのように本編の裏側に一体何が怖いのかが書かれています。
これには賛否もありそうなところですが、個人的には面白かったと思います。
「いったい本当のオチは何なのだろう?」とちょっとしたクイズ感覚で読むことができますし、実際中には4コマ本編を読んだだけでは何が怖いのかが分からなかったけど、答えを読んで「なるほど。こわっ!」ってなる作品もあったりして面白かったです。
更にはその答え合わせすら、少なくとも怖さの理由は教えてくれつつもある程度の想像の余地を残したものになっているものも多いのも面白いところ。
こういう怖さって結局のところ人間の想像力が作り出すものなので、最後まで想像力を掻き立てさせようとする演出なのだと思われますが、なんとも新しいタイプの発想の4コマで楽しかったです。
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さて、『意味がわかると怖い4コマ』なんて作品に興味を持って読んでみた僕ですが、実は怖い話にはそれほど詳しくはありません。あまり触れていないジャンルというか、そんな感じです。
しかし、4コマという特性上多くのエピソードが語られていますが、意味がわかると怖い話のバリエーションの多さに驚かされました。
中には、話そのものではなく絵の中に怖さのヒントがあるようなエピソードもあったりして、セリフやモノローグの中に怖さのヒントがあると思って読んでいた僕は最初なぜ怖いのか分からなかったりもしたのですが、答え合わせを見て改めて絵をじっくり見るなんて読み方も楽しかったです。
というか、慣れた人が漫画を読む時は絵もセリフもサラッと読み流してしまいがちだと思うのですが、恐らく作家さんの立場から言えばもっとジックリ読んで欲しいと感じているのは間違いないのではないかと思います。そういう意味で、何が怖いのかを考えさせた上に、分からなかった場合に答え合わせとして改めて読ませるということを自然に実現している本作品は、ジックリ読ませるという点においても秀逸なのかもしれませんね。
ちなみに、『意味がわかると怖い4コマ』は意味がわかると怖い「ひと」「あの世」「この世」「未来」「童話」の5章立てになっていました。
「ひと」は文字通り人が怖い話で、「あの世」は生死に関わる怖い話。「この世」は人が怖い話と被る部分もありますが、日常の中に潜む怖い話という感じでしょうか。「未来」も人と生死が被る部分もありますが、現時点ではなくこれから起きる怖さを彷彿とさせる話。「童話」と聞くと本当は怖いグリム童話的なものを想像しそうですが、童話の新解釈といった話になっているように感じました。
怖い話に詳しい人なら「あ~あのパターンね」ってそこまで新鮮には感じないのかもしれませんが、詳しくない僕としてはこのエピソードの豊富さを楽しめました。
また、前述した通りクイズ感覚で何が怖いのだろうと考えながら読むからか、怖さそのものはあまり感じませんでした。これは良し悪しだとは思うのですが、本当にゾッとするような怖さを求めている人には物足りないと感じられそうなものの、怖い話が苦手な人でも様々な怖い話を手軽に楽しめるという良さがある作品なのではないかと思います。
『ヒカルの碁』の最強棋士・佐為に勝ったヤツがいるらしい
週刊少年ジャンプ系の作品。とりわけバトル系の作品には必ずと言って良いほど師匠ポジのキャラクターが登場しますよね。
代表的な所だと『ドラゴンボール』の亀仙人や『幽遊白書』の幻海。最近再アニメ化された『ダイの大冒険』のアバンや、映画化や続編の連載などで勢いが残っている『るろうに剣心』の比古清十郎。エトセトラエトセトラ・・
師匠ポジのキャラクターに限らず、目指すべき、あるいは超えるべき存在がいるということは物語に深みを与える役割があるのかもしれませんね。
そして、バトル漫画でこそありませんが同じく週刊少年ジャンプの連載作品である『ヒカルの碁』にも師匠ポジのキャラクターとして藤原佐為が登場します。
本記事では、絶対無敵の無敗の棋士として描かれた藤原佐為について、その魅力や主人公の片割れでありながら途中で消えた理由。そして実は最強棋士である佐為に勝ったことがあるヤツもいるのだということに触れていきたいと思います。
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藤原佐為とは?
『ヒカルの碁』の主人公・進藤ヒカルの師匠ポジのキャラクターで、平安時代に天皇の囲碁指南役をしていた棋士の幽霊である。
実在の江戸時代の天才棋士・本因坊秀策に取り付いていたこともあり、『ヒカルの碁』においては本因坊秀策の打った碁は佐為によるものということになっています。
そして本因坊秀策といえば当時の公式戦である御城碁における19戦無敗のエピソードが有名で、その影響もあるのか佐為は作中で絶対無敵・無敗の棋士として描かれています。
烏帽子を被ったイメージ通りの平安貴族といった風貌で、囲碁の対局シーンでは真剣でキリっとした格好良い表情を見せますが、直接コミュニケーションを取れるのが子供であるヒカルだけだからか、子供っぽい可愛らしい姿を見せることも多かったりします。いや、佐為の年齢は不詳なので実は本当にかなり若いのかもしれませんが。(笑)
それに容姿端麗なので女性と勘違いしている原作の読者がアニメを見て「えっ、佐為って男だったの!?」と驚くケースも多かったとか。(笑)
また、ヒカルにしか認識できない存在でありながら、謎の最強の打ち手がいると世界中に存在を認識させたという意味で興味深いキャラクターでもあります。『ヒカルの碁』の連載当時はインターネットが黎明期を終え、世間一般に普及し始めたような時代だったかと思いますが、そんな中でネット対局という形で存在を知らしめたのは新しかったのではないかと思います。
佐為は何故消えたのか?
さて、ほとんどダブル主人公の片割れくらいの扱いだった佐為というキャラクターですが、しかし物語の半ばで完全に成仏して退場してしまいます。
明らかな人気キャラクターだっただけに、あまりにも意外な展開というか、どうしてそんな展開にしてしまったんだという疑問があります。
これにはメタ的な視点と物語的な視点の両方から理由付けができると思います。これらが絶対に正解なのかは分かりませんが、いくつか佐為が消えた理由を考察してみましょう。
物語が延長されることになったから
かなりメタい理由ですが、もともとは佐為が消えてからそこまで長く物語を継続させる想定は無かったのではないかと推測されます。実際、北斗杯編以降は第二部として少しに休みを挟んでから連載を再開されていました。
第一部までであれば、佐為が消えて、ヒカルがその失意から立ち直り、ライバルであるアキラと本当の初対局を迎えるところまでで完結しています。つまり、佐為が消えてからもそこそこ長く続いているものの、物語としてはかなり綺麗なエンディングを迎えているのです。
しかし、人気があったらから第二部が継続したものの、さすがに成仏した佐為を復活させるわけにはいかないですよね?
そして恐らくですが、この辺りが佐為が消えた理由の本命なのではないかと思われます・・が、メタ的な視点だろうが物語的な視点だろうがもう少しちゃんとした理由付けをしてみたい所です。
佐為が現世に留まる理由がヒカルに引き継がれたから
物語の途中で佐為が消えたのは第一部で完結する想定だったからという予想ですが、しかしそれでも佐為が消えた物語的な理由付けにはなっていません。
本因坊秀策に憑いて、そして本因坊秀策が亡くなった後も長い間ヒカルのじいちゃんの碁盤に憑いていたにも関わらず、僅か数年のヒカルとの日々を経ただけで成仏した理由。
佐為自身は、塔矢行洋との対局をヒカルに見せるために神は自分に千年の時を与えたのだと納得していましたが、恐らくそれは微妙にズレた正解だったのではないかと僕は推測します。
話が少し逸れますが、そもそも幽霊が現世に留まる理由といえばこの世への未練のはずです。
そして、佐為の未練とは当初より語られていた通り「神の一手をまだ極めていない」という一点に尽きるのではないかと思います。いや、「もっと碁が打ちたい」とかそういう未練もあったとは思いますが。(笑)
そして、恐らく佐為が本因坊秀策に憑いた時は一心不乱にその未練を果たそうとしていたのではないでしょうか?
だからこそ本因坊秀策が亡くなった後にも、その未練は果たされていないから現世まで再び永らえたのだと思います。
しかし、現世でヒカルに憑いた佐為は自分自身が囲碁を打つことは少なくなり、前述した通りヒカルの師匠のポジションに付きます。
囲碁への未練はあり、自由に囲碁を打てるヒカルを羨ましく感じつつも、ヒカルの成長のために動いています。
そして、「神の一手」なんていう遠い未来に行き着くかどうかも分からないようなものなんて、師匠から弟子へ、そしてまたその弟子へと、長く長く引き継がれていった経験があって初めて到達できるかもしれないもののはずです。
ひょっとしたら佐為は、ヒカルの師匠として振舞う内に無意識の内に「神の一手を極める」という悲願を無意識の内にヒカルに託す気になっていて、それを塔矢行洋との対局で無意識に自覚したのではないでしょうか?
つまり、佐為が消えたのは神の意志などではなく、佐為自身が無意識の内に自身の役割をヒカルに引き継ごうとしていたからなのではないかと思うわけです。
終盤の、未来のあるヒカルへの嫉妬心が抑えられない佐為を見ているととても自分の意思で成仏しそうな感じではありませんが、先達が自分よりも先の長い若者を羨ましく思うのはある意味当然のことで、そのこと自体は成仏しない理由にはならなかったのかもしれませんね。
佐為は絶対無敵・無敗の棋士だから消えた
こちらもメタい理由ですが、佐為は絶対無敵・無敗の棋士だから消えたのではないかという推測です。
前提として、佐為は絶対無敵・無敗といっても佐為の棋力は一体どの程度なのかについて考察しておく必要があります。それは、作中でも語られている通り本因坊秀策が現代の定石を覚えたくらいの強さなのだと思いますが、それは恐らく現代のトップ棋士に通用こそすれさすがに絶対無敵・無敗とはいかないのではないかと思います。
つまり、ヒカルのいるステージがプロの世界に上がったことで、相対する相手も佐為ですら絶対に勝てるとは限らない相手になってきたわけですね。
なんなら、何度も練習対極をしているであろうヒカルが相手でも描かれていないだけで必勝とまではいかなくなっている可能性すらあったと思われます。ヒカルも中学生でプロ棋士になるくらいの才能がある棋士なわけで、それくらいのレベルの棋士であればトップ棋士に一発入れてもそこまで不思議なことはありませんしね。
とはいえ、佐為はそのキャラクター性からして絶対無敵・無敗の棋士という立ち位置なわけで、負けてもおかしくないくらい周囲のレベルが上がった段階でいつまでも登場させるわけにはいかなくなったというのも考えられない話ではありません。
しかし、実はそんな佐為に本編で勝ったことのある棋士が、それぞれ何かしらの特別な事情があったとはいえ3名だけいたりします。
佐為に勝ったヤツって誰?
平安の都の囲碁指南役
一人は佐為が入水自殺する原因を作った平安の都の囲碁指南役ですね。アゲハマを誤魔化すというズルを巡るいざこざに動揺して佐為は敗れてしまうのですが、ズルしたアゲハマは1目だけのようですし、負けたということは本来の対局結果も少なくとも持碁か負けていたということになります。
佐為が動揺していたとはいえ、持碁以上の結果を得るとはこの平安の都の囲碁指南役は相当な実力者だったに違いありません。
ズルなんてしなきゃ凄いヤツだっただろうに、それだけちょっとした勝敗が人生を分けかねない時代だったのかもしれませんね。
加賀鉄男
将棋部の加賀も実は佐為に勝ったことのある数少ない一人です。
と言っても、完全な勝利というよりはヒカルが一手だけ間違えて佐為の指示通りの手を打てなかったからなのですが、そんなミスがあったとはいえ佐為ほどの実力者の猛追から最後まで逃げ切った加賀の実力は相当なものなのではないかと思われます。
ちなみに、たった一手のミスで結構な実力者とはいえ一般の中学生でしかない加賀に負けてしまう佐為の実力を囲碁を知らない読者がどう感じたのかが気になる所です。
ちなみに、連載当時囲碁のことをあまり知らなかった僕は、「えっ、たった一手だけで負けるとか弱くね?」って感じました。
まあ、一手といってもその価値は様々なので一概には言えませんが、加賀と佐為の対局でのミスはかなり大きいものの、まだ逆転の余地がありそうなタイミングでした。実際は、佐為は半目差まで迫っていますし、それだけに加賀の勝利は貴重なものだったのではないかと思います。
塔矢行洋
最後は佐為に勝ったと聞いて最も違和感のない塔矢行洋ですね。
こちらはヒカルの新初段戦で、佐為が我儘で15目のハンデがあるつもりで打った一局です。もともとパワーで相手の石を取って勝つような棋風の打ち手であれば、15目のハンデがあるつもりでもそこまで普段と違った打ち方にはならないかもしれませんが、佐為は明らかにそういう棋風ではないので15目差のハンデがあるつもりで塔矢行洋と打つのはかなりの負担だったのではないかと思われます。
これが、佐為がズルもミスも無く負けた唯一の対局となります。ズルもミスも無い代わりに自らにハンデをも課していましたが、ルール上はハンデどころか自分の方が有利(逆コミ)なハンデがある状況。かつ佐為自身が納得して臨んだ対局なのでこの敗北には文句の付けようがありません。
それだけに、塔矢行洋が佐為が最後にヒカルに見せた対局の相手として相応しいことが強調されたような気もします。
数話しか登場しないのに物語の骨子を作った名脇役といえば?
『金色のガッシュ!!』に登場するコルルというキャラクターをご存じでしょうか?
出オチになりますが、この『金色のガッシュ!!』のコルルそが「数話しか登場しないのに物語の骨子を作った名脇役」として本記事で紹介したいキャラクターとなります。
漫画に限らず、世の中のフィクション作品の中には数多くの名脇役が登場します。
それは例えば、最初は敵だったり最初から主人公についてまわる親友だったりとその役どころは様々ですが、いずれにしても主人公やヒロインに次ぐ頻度くらいで登場するキャラクターであることが多いのではないかと思います。
そういう意味では物語の序盤に数話登場したきりであるにも関わらず、物語の骨子に影響を与え続け、いつまでも記憶に残る存在感を放っていたコルルがとても特殊なキャラクターに感じられます。
厳密には、コルルのような役割を果たすキャラクターも少ないものの他に存在はしますが、個人的にはコルルほど印象に残っているキャラクターはいません。
とても魅力的なキャラクターなので、本記事を読んでコルルのようなキャラクターが登場する『金色のガッシュ!!』を読んでみたい。あるいは見てみたいと感じてくれる人がいたらとても嬉しいです。
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金色のガッシュ!!とは?
『金色のガッシュ!!』とは週刊少年サンデーで2001年から2008年にかけて連載された漫画で、2003年から2006年の約3年に渡りアニメ放送もされていた人気作品となります。
1990年代くらいまでは1年からそれ以上放送されるアニメも珍しくありませんでしたが、一部の長寿アニメを除けば3年もアニメ放送されるのは当時としては既に珍しかったような気がします。
それだけ『金色のガッシュ!!』が人気作品だったということが分かりますね。最終章のみアニメ化されなかったのは残念でなりませんが、それでもこれほど満足のいく形のアニメ化は近年では見られないのではないかと思います。
興味がある人はこちらでみられますよ!
・・とまあ、どれだけ人気作なのかは置いておいて本記事の読者が知りたいのは「結局どんな作品なんだ!」ってことかと思いますのでそれを語りましょうか。
端的に言うと、魔物の王様を決めるための戦い参加する100人の魔物の子供たちが、魔界から人間界にやってきてパートナーとなる人間とタッグを組み勝ち残りを目指す物語となります。
主人公の天才中学生・高嶺清麿と記憶喪失の魔物・ガッシュベルも、その人間と魔物のコンビとなります。いわゆるバディもののダブル主人公ですね。
本ブログでも「平成最高の激熱バディもの漫画」として『金色のガッシュ!!』を紹介していますので、興味がある人はこちらもご覧ください。
さて、そんな『金色のガッシュ!!』の魅力は一体何なのか?
名作名作とだけ連呼されても、何がそんなに良いのか分からないかと思うので、コルルの話に入る前に簡単に『金色のガッシュ!!』の魅力をおさらいしておこうかと思います。
1.魅力的で個性的なキャラクター
本記事で紹介しようとしているコルルに限らず、『金色のガッシュ!!』に登場するキャラクターの誰もが非常に個性的で魅力的です。
主人公ペアのあずかり知らない所でつぶし合っているような魔物と人間のペアもいるため、100体全ての魔物と人間のペアが描かれているわけではありませんが、それでも敵味方併せて50組以上のペアが登場しています。高嶺清麿のクラスメイトなど、魔物と人間のペア以外のレギュラーキャラクターも併せたら少なく見積もっても150近いキャラクターが登場していたのではないでしょうか?
とはいえ、そのキャラクターの登場数だけであれば特に驚くことは無いかもしれません。同じくらいの連載期間の作品であれば、まあそれくらいの登場人数は珍しくないところでしょう。
しかし、『金色のガッシュ!!』の凄いところはこれらのキャラクターのほとんどが、作中では描かれていない部分も含めて何かしらの物語の存在を感じさせるほどに作り込まれているのです。
魔物の王様を目指すという最終的な目標は同じであるにもかかわらず、魔物も、パートナーの人間も、それぞれが抱えている思惑が異なっていて、その微妙な違いがきっちりと描き分けられている。
だからこそどのキャラクターにも愛着が湧きますし、魅力的に感じられます。
また、キャラデザもキャラクターの性格も、多くは作者の雷句誠先生でなければ描けないのではないかと感じられるほどに個性的なのです。
それに普通、150人ものキャラクターが登場していたら似たようなキャラクターが絶対に生じてくるはずだと思うのですが、『金色のガッシュ!!』の場合はほぼ完璧に描き分けられている。
これは改めて考えても凄まじいことなのではないでしょうか?
本記事で「数話しか登場しないのに物語の骨子を作った名脇役」として紹介しようとしているコルルはまさにその最たる例であるとも言えるのですが、恐らく作者の雷句誠先生が脇役まで含めて登場人物の一人一人を大事にしている漫画家だからこそ、これほどのキャラクターが生まれたのではないかと思います。
ヒロイン的な位置づけのティオと大海恵のペア。
ライバル的な位置づけのブラゴとシェリーのペア。
友達的な位置づけのキャンチョメとフォルゴレのペア。
ペット的な位置づけのウマゴンとサンビームのペア。
ガッシュたちメイン所の人間と魔物のペアだけでもこれだけの個性的なキャラクターが登場していますし、魔物の王様を巡る戦いからは脱落したペアの人間の中には、ペアの魔物が魔界に帰ってしまった後もレギュラー化しているほど個性的なキャラクターもいます。ナゾナゾ博士とかいうなんじゃそれって名前のキャラクターはその筆頭になるのではないかと思います。
それだけ魅力的で個性的なキャラクターが数多く登場するのに、一人絞って紹介したくなるようなキャラクターが数話しか登場しないコルルなのだと考えたら、より一層コルルってどんなキャラクターなんだろうって気になってきませんか?
2.友情・努力・勝利
友情・努力・勝利といえば週刊少年ジャンプの三大原則で、全ての掲載作品に三大原則の最低一要素を入れることを編集方針としています。
そして『金色のガッシュ!!』は週刊少年ジャンプの作品ではありませんが、個人的な感想としては週刊少年ジャンプのどんな作品よりも友情・努力・勝利がバランスよく描かれていたのではないかと思います。
「金色のガッシュ!!」より引用
高嶺清麿とガッシュの主人公ペアをはじめ、魔物と人間のペアの間には様々な形の友情が描かれています。兄弟や姉妹のようであったり、親子のようであったり、戦友のようであったり、 中には友情とは呼べないような間柄のペアもいたりしましたが、とにかく雷句誠先生には一体どれだけ友情の引き出しがあるのだと驚かされます。
また、魔物の王様を巡る戦いはいわゆるバトルロイヤル形式のため、その時点で魔物と人間のペア同士が仲間になるという要素は無いようにも感じられますが、「自分自身が王になる」のではなく「〇〇な王様がいる魔界を作る」ことをガッシュが志すようになったことで、魔物と人間のペア同士の友情も自然に成立させてしまった所が『金色のガッシュ!!』の秀逸なところ。やはり、少年漫画における友情を語る上で仲間の存在は外せませんからね。
「金色のガッシュ!!」より引用
また、序盤におけるガッシュたちは決して強いキャラクターではありませんでした。強い部分があるとしたら、ずっと一貫した目標意識の強さのみだったのではないでしょうか?
格上相手に仲間と協力しながら勝利し続ける泥臭さ。そしてそこに至る努力も『金色のガッシュ!!』の魅力を語る上で欠かせない要素であることは間違いありません。
そして、そんなガッシュたちの一貫した目標意識に基づく努力の根源にあるのもまたコルルというキャラクターなのです。
だから早くコルルについて話せって思われるかもしれませんが、コルルを語る上ではやはり『金色のガッシュ!!』という漫画の素晴らしさをある程度知っておく必要があると思うのでもうちょっと待ってくださいね!
3.魔本という秀逸な設定
魔本というのは、魔物の子供たちがその能力を人間界で発動させるためにひつようなもので、パートナーの人間が心の力を込めて呪文を唱えることでその魔物の子供が持っている能力・術を発動することができます。
それだけでも、魔物と人間のペアを自然に形にする役割を担っていますが、もっと秀逸なのは魔本が燃やされてしまうとその魔物の子供は強制的に魔界に帰らされてしまうという点です。
これにはバトルロイヤル形式である魔物の王様を巡る戦いのルールを厳正なものにする意味合いもあったかと思いますが、どちらかと言えば対象年齢が低めの作品である『金色のガッシュ!!』において、『死』という要素を排しておきながら『死』という要素を演出できている点こそが秀逸なのではないかと思うのです。
「金色のガッシュ!!」より引用
魔物の子供が魔界に帰ることは、人間界との、パートナーの人間との永遠の別れを意味します。別に魔物の子供はそれで死ぬわけではないのですが、そのワンシーンは『死』を彷彿とさせる永遠の別れのようで、だからこそ幼い子供でも楽しめる健全な物語でありながら、様々な形の『死』を演出するということに成功しているのですね。
そしてフィクション作品における死者は、残されたキャラクターに何かしらの意思を残すのが常です。コルルもまたそうして『死』を演出され、ガッシュたちにとても重要な意思を残したキャラクターなのです。
4.とても一貫性のあるストーリー
ある程度の長さのあるストーリーものの漫画の場合、名作といわれる作品の中にも幾度かの方向転換を強いられているものは少なくありません。
有名どころだと例えば、最初は冒険要素のあるギャグ漫画だった『ドラゴンボール』がいつの間にかバトル漫画になっていたりしたのが顕著な例でしょうか。
これは長期連載があくまでもビジネスである以上、その時その時の読者のニーズに応えるために致し方ない部分もあるのだと思います。それに同じ路線を貫くためには、作者自身にも自信と確信が必要なのかもしれませんね。
しかし、『金色のガッシュ!!』の場合はストーリーもキャラクターの考え方も最初から最後まで驚くほどに一貫しているのです。
100名の魔物の子供たちによる魔物の王様を決めるための戦いという、余程の技量が無ければ続ければ続けるほどマンネリ化してしまいそうな設定を最後まで貫き、最後に魔物の王様を決めるところまで綺麗に完走させているのです。
また、一貫しているのはストーリーだけではなくキャラクターの考え方もです。
主人公ペアの魔物であるガッシュは、序盤にあるキッカケで生じたやさしい王様になる。やさしい王様のいる魔界を作るという意思を最後まで貫き通して、要所要所での言動にそれが現れています。
そんな風にキャラクターが一貫しているからこそ魅力があるのですが、そんなやさしい王様のいる魔界を作るというガッシュの最終目標を生み出すキッカケになったのがまたコルルなのです。
コルルってどんなキャラクター?
前置きが長くなりましたが、いよいよコルルについて紹介していきましょうか。
どちらかと言えば好戦的な魔物の方が多く参加している魔物の王様を決める戦いですが、コルルはそんな中でも際立って心優しい性格の魔物となります。
「金色のガッシュ!!」より引用
パートナーの人間である女子高生・しおりに雨の中拾われますが、本物の家族とはうまくいっていないしおりとは本物の姉妹のように仲が良くなります。
本当に優しい姉妹のようで、最初にガッシュと出会った時もその仲が良い姉妹っぷりにガッシュが嫉妬してしまう程。いや、ガッシュはそもそもが割とヤキモチ焼きな正確な気がしますが。(笑)
「金色のガッシュ!!」より引用
高嶺清麿とガッシュの関係も日常時はまるで兄弟のようですし、幸せそうなコルルにガッシュが当てられてしまうのも分からなくはありませんね。
とはいえ、コルルは魔物の王様を決める戦いに参加するために人間界に来たのであって、パートナーの人間と姉妹ごっこをするために来たのではありません。
しかし、だからといって戦う意思の無い者が無理に戦う必要もないのでしょうけど、そうは問屋が卸さないようです。
「金色のガッシュ!!」より引用
ゼルクというコルルの魔本の呪文をしおりが唱えると、優しいコルルの面影も無い凶暴な魔物の姿へと変化してしまいます。実は、戦う意思の無いコルルのような魔物には戦いから逃げられないように別人格が与えらえることになっていたようです。
最終的にコルルのように別人格を与えられた魔物が少なくともガッシュたちが出会った中には登場していないことからも、コルルがずば抜けて優しい性格の魔物だったということが窺えますね。
しかし、こうなってみるとしおりがコルルのパートナーであったことは不幸中の幸いとは全く逆で、パートナーではなかった方が幸せな姉妹ごっこを続けることができたかもしれません。しおりがパートナーでなければ、魔本の呪文を唱えることも無かったわけですしね。
「金色のガッシュ!!」より引用
強制的な戦いに涙を流しながら投じるコルルとしおりの姿は、ド派手な技も少ない最序盤であるにも関わらず『金色のガッシュ!!』の全編通してもトップクラスに印象的な戦闘シーンだったのではないかと思います。
そんなコルルを相手に、自らは手出しをせずにコルルとしおりを信じて攻撃に耐え続けたガッシュの姿にも、強制的に与えられた人格に打ち勝って攻撃の手を止めることに成功したコルルの姿にも、胸を打たれるものがありますね。
「金色のガッシュ!!」より引用
そして、自分の中にある凶悪な魔物の人格がガッシュを、公園をボロボロにしたことに気付いて、自ら魔本を燃やして魔界に帰ることを決意します。本当はしおりと人間界で暮らしたかったのだと思われますが、それでもこのまま魔界の王様を決める戦いに参加し続けたらいつか自分の手でしおりを危険な目に合わせてしまうかもしれないという考えもあったのかもしれませんね。
その時にコルルが言い残した「魔界にやさしい王様がいてくれたら・・。こんな・・つらい戦いはしなくてよかったのかな・・?」というセリフ。
これこそが『金色のガッシュ!!』という漫画の物語の骨子を作ることになった作中でも最重要なセリフとなります。
やさしい王様になること。
それこそがガッシュと高嶺清麿の目指すところとなり、コルルが魔界に帰ってから物語の最後の最後までの間、ずっと根付いていく意思となります。
つまり、ガッシュや高嶺清麿が頑張って戦っている背景には常にコルルがいるわけですね。
原作では3話(LEVEL.16~18)しか登場していないにも関わらず、常にその存在を感じさせるとは凄まじい存在感のキャラクターでした。
ちなみに、アニメ版に至っては僅か1話(第8話)しか登場していないので、興味がある人はこちらを見てみましょう。
アニメ版では最初からガッシュのことを知っていてコルルがガッシュのことを警戒するというようなシーンが一瞬ですが描かれているので、原作ファンが読んでも興味深いと思いますよ。
「金色のガッシュ!!」より引用
ここで一つやさしい王様になるというガッシュの意思がどれだけ強いものなのかを象徴するエピソードを紹介します。バリー(魔物)とグスタフ(人間)のペアは、序盤に登場する敵の中ではかなりの強敵でガッシュたちは敗北スレスレまで追い込まれます。
ただでさえ強敵が相手なのに、戦いに巻き込まれた者を逃がしたりしていたので更に不利な状況に陥ってしまっていました。
まあ、結果的にその時のガッシュが放っていた凄味に圧されてバリーはトドメを刺すことができなかったのですが、グスタフはそんなガッシュにどのような王を目指しているのかと問いかけます。
当然、それはやさしい王様だとガッシュは答えるのですが、この時の戦いではそのせいで敗北しそうになってしまっていたのも事実です。それでもやさしい王様を目指すのかと問われ「それ以外に・・。私の王はない!!」とガッシュは変わらぬ意思を答えます。
なんともしびれるセリフですが、『金色のガッシュ!!』にある数々の名シーンにはこのようなやさしい王様を目指す意思の力が必ずと言っていいほど関係しているのです。
邂逅編でも、石板編でも、ファウード編でも、クリア・ノート編でも、かなりの頻度でやさしい王様というキーワードは登場していて、それだけやさしい王様というのは重要なキーワードなのですが、何度も繰り返します。その背景にいるキャラクターこそがコルルなのです。
・・なんて。
どんなに持ち上げたって所詮はたった3話しか登場していないキャラクターなんでしょ? ・・と、『金色のガッシュ!!』を未読の人の中にはそんな風に感じる人もいるかもしれませんね。
3話しか登場していないという事実は確かにその通りでそれは否定のしようがないのですが、『金色のガッシュ!!』を最後まで読んでいる人であれば、確かにコルルは早々に物語から退場したものの最後の最後まで存在感を放っていて輝いていたという筆者の意見に同意してくれるのではないかと思います。
そして、それは恐らく作者の雷句誠先生によって意図されたものなのではないかと考えられます。
その根拠としては、最後のクリア・ノート編でのコルルの扱いにあります。
「金色のガッシュ!!」より引用
ずっとコルルは3話しか登場していないと言及してきましたが、実はクリア・ノート編のクライマックスと最終回で描かれた魔界ではセリフ付きで少しだけ登場しています。
そして、クリア・ノート編のクライマックスでのコルルが驚くほど美味しい役割を果たしているのですね。
強敵クリア・ノートに追いつめられてもうダメだって時に、ガッシュの赤い魔本が金色に輝きだして、今まで仲間に、友達になった魔物の最大呪文を一時的にとはいえ使えるようになったのです。
大量の最大呪文の猛攻に耐え兼ねたクリア・ノートは宇宙へと逃げ出しますが、その時に満を持して現れたのがコルルの最大呪文であるシン・ライフォジオでした。
それは発動した光の中であれば水の中でも宇宙空間でも生命を守ってくれるというやさしい術で、クリア・ノートを追いかけるための必要不可欠な術でもありました。
なんせ、ガッシュの仲間の魔物の中ではヒロイン的な立ち位置であったティオや、もっと強力な力を持っていてクリア・ノートに大ダメージを与えた魔物以上に目立っていましたからね。(笑)
凶暴な人格が現れる術ではなくこういうやさしい術をコルルが持っていたことも感動的ですが、やさしい王様を目指すガッシュの前に、いよいよという場面でやさしい術を携えて現れたのが、ガッシュにやさしい王様を目指すキッカケを与えたコルルだというのが、今風に言うとエモいですよね。
そして、そんな美味しい描かれ方をするということは、コルルの重要性はやっぱり意図されたものなのではないかということが言いたいわけです。
とまあ、長くなりましたがコルルの魅力は伝わりましたでしょうか?
たった数話しか登場していないにも関わらず、ここまで語ることのあるキャラクターなんて『金色のガッシュ!!』以外の作品に手を広げてもほとんどいないのではないかと思います。
とはいえ、『金色のガッシュ!!』を読んだことがある人でもそこまでコルルの存在を意識しながら読んでいる人は少ないのではないかと思います。
そういう人は、次に『金色のガッシュ!!』を読み返す時にはコルルの存在を意識しながら読んでみてください。
回想シーンに度々登場するというのもありますが、それだけではなくガッシュや高嶺清麿の言動の裏側に、常にコルルの存在を感じ取ることができるのではないかと思います。
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『味噌汁でカンパイ!(10)』表紙の二人は一体何を約束したのか?(ネタバレ含む感想)
『味噌汁でカンパイ!』もついに10巻目。二桁の大台に突入しました。
作者の笹乃さい先生もそのことを感慨深いとおっしゃっていますが、ファンとしては当然の結果なのではないかと思います。
知名度こそあまり高くない作品ですが、とても素敵な作品であることは間違いなく、長く続いても絵もストーリーもクオリティが落ちたりはしていないので一度ファンになった人が離れるタイプの作品では無いと感じられるのが当然の結果だと思う理由です。
ホント、もっと広く知られるべき作品の筆頭ですよね。
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しかし、二桁巻の大台には突入しましたがクライマックスもそう遠くはないとも感じられます。クライマックスに向けての伏線もジワジワと育っている気がするからです。
9巻では親子と夫婦の境目の曖昧さに八重が気付くエピソードがありましたが、北海道編では八重の姉夫婦に触れることでより夫婦というものを意識するようになっているのではないかと思われます。
そして、一方の善一郎も母親のいない九馬に触れて、ずっと向き合わないでいた母親の故郷である京都に行ってみたいと考え始めます。
表紙の二人の指切りは、善一郎の母親役の八重としては何としても着いて行かなければと考えた八重と、その時は一緒に行くのだと約束しているのですね。
八重は母親を早くに亡くした善一郎の母親役。ということは、善一郎が母親と向き合うというエピソードは物語的に八重との関係に向き合おうとする符号であるようにも感じられます。考えすぎかもしれませんが、八重は今まで善一郎の母親役であることを理由に本来であれば幼馴染の関係からは一線を越えているような言動をしていたところもあり、それが二人の関係性をよく分からないものにしていたような気がしますが、善一郎が母親と向き合うというエピソードではそこもクリアにしていくのではないかと予想されます。
10巻の最後では、停電中の雷に驚いた八重が善一郎のことを幼い頃のように「善ちゃん」と呼んでしまい謝る一幕がありますが、善一郎が八重に恥ずかしいから善ちゃんとは呼ぶなと言ったことがある設定はすっかり忘れていました。(笑)
しかし、少し大人になった今の善一郎は八重に「善ちゃん」と呼んでも良いと許します。こういうある意味では昔に戻るような変化も変化であることには違いなく、主人公とヒロインの二人の関係をクライマックスに向けて進展させていっているように感じられますね。
という感じで、他巻に比べると味噌汁成分が薄めの内容にはなっているのですが、次巻予告によると自家製味噌もついに完成するようですし、もしかしたらこの自家製味噌のエピソードが少なくとも一つの区切りになるのではないでしょうか?
『ガンバ!Fly high(15)』自分の楽しい体操を求める話(ネタバレ含む感想)
最初はド素人の主人公が五輪の金メダリストを目指して体操を始めるという『ガンバ!Fly high』ですが、その五輪の最終選考会もいよいよ大詰め。真田、内田、そして藤巻駿がそれぞれ最も得意とする競技では新技を披露して幕を閉じます。
しかし、クライマックス感が凄いですが、まだまだ五輪の入り口にすら立っていません。
新たな技へ思いをはせる藤巻駿に、代表選手に起きた最大のピンチに代表選手の入れ替わり。五輪に向けての序章の序章すら胸が熱くなる展開です。
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大きくなりすぎた体格を理由に体操選手は引退してプロレスラーを目指す東と協力して、大きく成長した真田は得意の床で新技を二つも披露し、代表入り確実かと思えるほどの上位に付けます。
そして、僅かながら代表入りの可能性が見えてきた内田も跳馬で新たな・・いや、6年ぶりの大技・三回宙に挑戦します。練習でレントゲン状態になるのは内田らしい愛嬌ですが見事に三回宙を決めます。
藤巻駿も持ち技のギンガー、そしてトカチェフ前宙をさらに発展させ、今までで一番の鉄棒の演技を見せて見事に代表入り。
三人とも最も得意とする種目で最も素晴らしい演技を見せてくれました。
しかし、残念なのは真田でした。代表入り確実かと思いきや最終演技の鉄棒でプロテクターが外れる事故があり、自ら下りた形に近い落下で大幅に減点されてしまうことになります。それでも、E難度の連続放し技で真田という選手の存在を強く印象付けることになります。
内田、真田の二人は惜しくも代表入りを逃しますが、解説の蓑山の言うようにこの二人が最終選考会の影の主役といっても過言ではありませんでしたね。
五輪予選のエピソードは恐らく『ガンバ!Fly high』の中でも最も長く、読み応えのある内容でしたが、祭りの前の盛り上がりとしては十分すぎるほどだったように感じられます。
久々に登場した藤巻駿の妹の藤巻あかねが友達とテレビで兄を応援するシーンがクロスしているのも、これまで藤巻駿が体操に捧げてきた時間が感じられて良かったですね。藤巻駿も初登場時と比較したら年齢的に成長しているのは分かるのですが、久々に登場するキャラクターがいるとより顕著にそれが分かります。
ちなみに、女子は折笠麗子とそのコーチとして岬コーチ。そして補助師としては上野が五輪関係者として招集されます。折笠麗子はともかく、上野が補助師として登場する展開は熱いですね。
しかし、そんな上野が藤巻駿を否定して帰宅しようとする一幕が印象的でした。
アジア大会における中国のポイントゲッターだった王景陽が中国の選考会の鉄棒で出した得点が10点満点という情報をもたらしたのは女性ジャーナリストのキャシー飛鳥ですが、現代では不可能と言われる10点満点を出す相手に藤巻駿も不可能といわれる新技で対抗したいと闘志を燃やすのですが、可能とは思えない。危険すぎるという理由で上野はそれに反対するのです。
上野が藤巻駿ではなく、その体操を否定する側に回る珍しい一幕ですが、これから藤巻駿がしようとしていることがそれだけ凄いことなのだと印象付ける役割としてこれ以上ない役割でしたね。
ともあれ、最終的には藤巻駿のこだわり、我儘を受け止める形で上野は協力することになります。
そんなこんなで立ち上がりは悪くない日本チームという感じでしたが、エースの杉原選手が慢性的な腰痛の悪化を理由に五輪を自体することになり、金メダルに向けていきなり暗雲が立ち込めます。
順位の繰り上げで五輪に内定することになった内田も最初は喜んでいましたが、その事実を知って複雑そうな面持ち。
ですが監督の徳丸が陰鬱とした選手たちのやる気を上手く引き出すやり手でした。あえてキャシー飛鳥の取材を内容が選手に筒抜けのロッカールームで行い、日本の優勝は無くなったと断定するかのような質問に、選手一人一人の役割を丁寧に説明した上で日本の優勝の可能性は何一つ変わらないと断言するのです。
それを聞いた選手たちは奮い立ちますが、やはり周囲からダメだダメだと言われたら自分たちでもダメだと感じてしまうもので、しかしその陰鬱さのベクトルを上手く正の方向へ変換したという感じでした。
そして、いよいよ次巻からは五輪が開幕します。
『ガンバ!Fly high』の最後のエピソード。名残惜しいですが楽しみですね。
『葬送のフリーレン(1)』クリア後のクリア後って感じのファンタジー(ネタバレ含む感想)
ファンタジーにおける冒険の終わり。しかし、往々にして終わりとは次の始まりに繋がるもので、『葬送のフリーレン』とはその次の始まりを描いた作品なのだと思います。
ゲームではクリア後の冒険が定番になりつつありますが、あれは次の始まりではなくあくまでも現在の冒険のオマケ要素というか、定番になりすぎてクリア後も含めて一つのストーリーになっているようなことも少なくないので、そういう意味で『葬送のフリーレン』はクリア後の更にクリア後の始まり。あるいは続きを描いたスピンオフのような作品と近いのかもしれませんが、それをメインとして描いているところに新しさがありますね。
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ところでファンタジー作品には人間とは寿命の異なる長命な種族が登場するのが当たり前になっています。エルフなんてその最たるもので、その生きる時間の違いに言及することのある作品は多々あるような気がしますが、多くは言及するだけで実際にその時間の違いを実感できるような作品は思い当たりません。
『葬送のフリーレン』では、勇者一行が魔王を倒す旅に要した時間は10年とかなり長いですが、勇者一行の一人であったエルフのフリーレンにとっては僅かな時間でしかなく、魔王を倒した後の人生においてはフリーレン以外のパーティメンバーが次々と年老いていくのにフリーレンは全く変わりません。そこにある何とも言えない郷愁が『葬送のフリーレン』という作品の最大の魅力でしょうか?
「50年後。もっと綺麗に見える場所知ってるから、案内するよ」とは平和な時代の幕開けに相応しいと勇者一行で鑑賞した流星群を観た際に、まるで再会を約束するかのように放ったフリーレンのセリフですが、あまりにも長い期間にフリーレンの持つ100年足らずしか生きない人間とは違った時間感覚が如実に表れていますね。
実際、勇者ヒンメルとは約束の50年後に再会することになるのですが、イケメン風だった風貌の面影の無い年老いた老人になっていました。
他の仲間とも再会し、約束通り流星群を見ることになるのですが、それで思い残すことは無くなったとばかりに勇者ヒンメルが真っ先にこの世を去ります。
そこでフリーレンは気付きます。たった10年一緒に旅をしただけの人間ヒンメル。人間の寿命の短さを知っていたのに、何でもっとその人のことを知ろうとしなかったのか?
その経験は、フリーレンにもっと人間を知ろうと考えさせるキッカケとなるのですが、ここまでが第1話の物語です。
何とも濃厚な第1話ですが、ともあれフリーレンの人間を知るための旅が始まります。
ところでファンタジーで旅というと、どこかの街や国を目指したり、多くの人はそういう旅を想像するかと思われます。
このフリーレンの旅にもそういう側面はありますが、それ以上に長い長い人生の旅という意味合いの方を強く感じます。わずか1巻の時間の流れがとても速く、フリーレン以外のキャラクターの時間の流れは速いのに、変わらないフリーレンが何だか寂しいですよね。
さて、そんな人間より長命な種族の時間間隔での人生の旅路を描くという興味深い作品ですが、今までに無かった作品ということもありストーリーの行く末どころかすぐ後の展開すら予想が難しい『葬送のフリーレン』。予想できないこれからの展開にとてもワクワクします。
『結婚するって、本当ですか?(1)』結婚する理由に驚く漫画の感想(ネタバレ注意)
『結婚するって、本当ですか?』と問いかけるようなタイトルの漫画ですが、たぶん最初に結婚しようと言った本人すらそう問いかけたいと思ってしまうような結婚のキッカケに驚くような漫画だと感じました。
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結婚の前段階の恋愛すらすっ飛ばして、ただただお互いの利益のために結婚すると聞けば、例えば前時代的な政略結婚などを思い出しますが、それが個人的な事情のみとなると話は違ってくると思います。
『結婚するって、本当ですか?』の大原拓也と本城寺莉香の場合、なんと互いの生活を守るため、独身者が優先される転勤を回避するためという個人的な事情で婚約者となります。
旅行会社の企画造成部。シベリアにある支店の支店長としての転勤で、単身赴任には遠いこともあるので独身者が優先的に募集されることになったわけなのですが、主人公の大原拓也は飼い猫を連れていけないことを理由に断ろうとするも、それは理由にならないと跳ねのけられてしまいます。
とはいえ、どんな理由であれその重さは人それぞれで、シベリアに行くことになるくらいなら会社を退職しようと大原拓也は考えていました。
そしてもう一人、コミュ障気味なのにシベリアに単身行くのはムリだと考える者がいました。それは大原拓也の1年先輩の本城寺莉香。どうやら、かなりのコミュ障で接する人に誤解を与えるタイプの女性みたいですね。
どちらもシベリアの支店には何としても行きたくないようですが、別の社員が冗談でその回避方法を示しています。
「思いきって結婚するんですよー!! だって独身者が優先なんですよねー?」
なるほど、確かに独身者が優先なら結婚は有効な回避策になりますし、新婚ならなおさら配慮されるような気もします・・が、そのあてがあったとしてもタイミング良く結婚するのは難しい話な気がしますね。
しかし、そこで本城寺莉香は大原拓也にそれこそ思いきった提案をします。
それは自分たちが結婚することになったという嘘を周知することで一人の生活を守り、転勤の可能性が無くなったところで結婚のことはうやむやにしてしまうという作戦みたいですね。
大原拓也も本城寺莉香も社内では目立たないタイプの人間なので誰もそこまで興味は持たないだろうし、この作戦でうまくいくと思っていたようですが、しかし二人の予想に反して周囲の反応は大きく盛大に祝福されてしまいます。
ということで、想像以上に婚約者らしく振舞う必要性が出てきてしまった状況になり、その状況が巻き起こすエピソードというのが『結婚するって、本当ですか?』という作品の骨子になるのだと考えられます。
結婚を祝うサプライズパーティが開かれたり、想像以上に周囲の注目を集めてしまったためボロがでないように「なれそめ」を作ろうとしたり、そういうドタバタが面白い。
そして、そういうドタバタを通して大原拓也と本城寺莉香の二人が思うことは同じでした。
「かんちがいしちゃダメだ」
つまり、双方ともに婚約者を演じる内に相手に惹かれ始めているということ。
これは人間何に対しても卵が先か鶏が先かということは起こりえることで、得意なことは得意だから得意なのではなく得意だと思ったから得意になったのだとか、趣味は好きだから趣味になったのではなく、新たな趣味にしようと思い触れてきたから趣味になったのだとか、そういう話と同じですね。
恋愛も同じで、とりあえず付き合った相手のことを後から好きになるというのも往々にしてあるものだと思います。
大原拓也と本城寺莉香の二人が置かれた状況がまさにそうなのだと思いますが、しかしこの二人の場合はとりあえず付き合ったというのとは見かけ上は似ていても実情はかなり異なります。
とりあえず付き合った相手を好きになることは、できればそうなったら良いということが前提なので好きになったら幸せ・・ってことで大団円ですが、あくまでも演技。相手を本当に好きになることを前提にしていない付き合いなので、そこで相手を好きになってしまったら少々面倒くさいことが巻き起こる可能性があります。
なんせ、この状況では相手の本心すら分からなくなる可能性が高いですから、双方ともにかなりモヤモヤするような展開が続くのではないでしょうか?
まあ、それが読者視点ではニヤニヤしてしまうような微笑ましいものになるのだと予想しますが。(笑)
いずれにしても、最終的には演技だったつもりが本当に結婚するまでに至るという展開を予想しますが、そこまでに何があるのかが楽しみな作品だと感じました。
『龍と苺(1)』将棋を「打つ」と言ってしまうほどの初心者の活躍の感想(ネタバレ注意)
最年少でタイトルを獲得し、立て続けに二冠になった藤井聡太先生の効果で盛り上がる将棋の世界ですが、フィクションの世界でも定期的に将棋をテーマにした作品は生まれ続けています。
とりわけ、近年では女性の将棋指しをテーマにした作品が増えてきたようにも感じます。
やっぱり、女性初のプロ棋士というのも将棋界の関心ごとの一つだからでしょうか?
そのもの女性初のプロ棋士を目指しているキャラクターや、フィクションの世界ということで既にプロ棋士になっている女性が活躍する作品というものもありますね。
それでは、今回紹介する『龍と苺』の場合はどうでしょうか?
1巻はまだ導入部で、将棋初心者である主人公の目的は定まっていないように感じられますが、話の流れから恐らく女性プロ棋士を目指していく物語になるのではないかと推測されます。
初心者のまま強豪も出場する大会で勝ち進む展開には現実感がないものの、そういうファンタジーも面白いと思わされる魅力がある作品だと感じました。
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『龍と苺』の世界観は現実に則していて、女性でプロ棋士になった者は誰もいないという状況となります。それ故、女性は男性よりも将棋が弱いというのが周知の事実となっているのも現実と同じですが、その辺に関しては現実よりもかなり強調して描かれている印象があります。
実際には強い将棋指しに男性が多いのは頭の良さの優劣ではなく向き不向きでしかないはずですが、『龍と苺』の場合は女性の方が頭が悪いから・・と、かなり極端なことになっています。
恐らくですが、これは主人公である藍田苺という女子中学生の天才性をより強調するための演出なのだと思います。
誰もが女性の将棋指しを軽視している世界観の中で、ルールを覚えたばかりの女子中学生が何年もの将棋経験がある男性をなぎ倒していく姿はとても爽快に感じられますね。
この爽快さには覚えがあると思って考えてみたら、例えば近年多い異世界ファンタジーにおいて多々ある、その作品の世界観の中においては最弱だったり何かしらのハンデを持った者に無双させる展開の爽快さに似ているような気がします。
将棋の世界における女性の不利を、この爽快さのために上手く利用した作品と言えるかもしれません。
もちろん、将棋経験者から見たら有段者や元奨励会員すらなぎ倒す初心者なんて、主人公が女性であろうがそうでなかろうが現実感が無いと感じるのかもしれませんが、そこはそれフィクション作品故の魅力と捉えてしまっても良いと思います。
超有名将棋ライトノベル『りゅうおうのおしごと』では、作者の白鳥先生がフィクションの世界観が現実に追い付かれそうなことを度々ネタにされていますが、『龍と苺』のように現実を突き放してしまうような作品もそれはそれで面白いものですし、こういう作品する10年20年後はひょっとしたら現実に追い付かれたりするかもしれないという興味も残りますよね。
しかし、1巻の最後では主人公の藍田苺は八段のプロ棋士を相手に敗れています。いくら天才性を発揮していると言ってもルールを覚えたばかりの初心者なのだから当然と言えば当然ですが、同じくプロ棋士を目指す女性を相手に投了まで追い込んだ局面から逆転されたとあればさすがに驚きの展開です。
というわけで1巻の最後にはプロ棋士によって折られてしまったわけなのですが、それこそが藍田苺がプロ棋士を目指し始めるキッカケになるのではないかと推測します。
まあ、藍田苺の性格的に、挑発された形なのでアッサリ乗るか、あまりにも分かりやすい挑発だったのであえて最初は乗らないのか、その辺の紆余曲折は予想ができませんが、今後どのような展開になっていくのか楽しみですね。
『幽遊白書(11)』短めだけど濃密な名作の感想(ネタバレ注意)
魔界の扉編がエンディングを迎え、いよいよ『幽遊白書』という作品そのもののクライマックスである魔界編が始まります。
あれだけ苦労して魔界の扉が開くのを阻止しようとしていたのに、意外と簡単に魔界を行き来する展開になるわけなのですが、何事にも裏があるというところを付くのが上手な作家さんなので、その辺も面白く読むことができます。
浦飯幽助がまさかの魔族の子孫だったというところから仙水を圧倒して魔界の扉編は集結するわけですが、そこから実は魔族の子孫だった浦飯幽助が魔界のいざこざに巻き込まれていく流れは興味深いですね。
ネタバレすると、この魔界の扉編は若干消化不良な感じでサラッと終わってしまうのですけれども、個人的にはもっと深掘りしてみて欲しかったエピソードだった気がします。
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本作の概要
浦飯幽助の仇を取るために桑原、蔵馬、飛影の3人は仙水を追って魔界に突入しますが、圧倒的な強さを誇る仙水には敵いません。しかし、実は魔族の子孫で仙水に殺されたことでその血が覚醒した浦飯幽助も魔界に突入し、仙水との最終決戦が始まります。
仙水とも伯仲した戦いを見せる浦飯幽助でしたが、しかし何者かの介入で仙水をも大きく上回る力を発揮した浦飯幽助は仙水にトドメを刺します。
本作の見所
魔族の血
色々な妖怪と戦ってきた浦飯幽助ですが、なんと自分自身が妖怪の子孫であることが発覚し、その上一度仙水に殺されたことで妖怪として復活を果たします。
それも大幅にパワーアップして。
今思うと浦飯幽助が魔族の子孫だったなんて伏線は直前にしか現れていないので咄嗟に登場した設定何だろうなぁとも思うのですけど、最初読んだ時はただただ大幅なパワーアップを見せた激熱な展開を喜んでいました。
ストーリーの整合性が綺麗だとは言えませんが、面白ければオールOKです。
あれだけ圧倒的だった戸愚呂弟に勝った浦飯幽助をアッサリと倒し、パワーアップした桑原、蔵馬、飛影も圧倒している仙水の強さはS級クラスと言われてなるほどと納得できるようなものです。
そんな仙水と互角に対峙できるまでにパワーアップし、更には何者かの介入があったとはいえそんなパワーアップした状態を遥かに上回る潜在能力を発揮して仙水を圧倒するという展開は、浦飯幽助自身が不満に感じているように仙水との決着に水を差された部分があるのは否めませんが、その一方で魔界の深さを示唆しているようで凄く興味深く感じられました。
それだけにその後の魔界編がアッサリしすぎていたのがもったいないと感じられるものの、消化不良を次への期待に繋げる感じは好きでした。
魔界の使者
魔界に残るか人間界に帰るか。仙水との対決の決着が消化不良に終わったことで浦飯幽助は当初自分の身体を乗っ取った妖怪を探しに行こうとしますが、魔界の扉が閉じられることを知ったらアッサリと人間界に帰ります。
まあ、これは冷静な判断ではあったと思うのですが、しかし消化不良な思いは残したままですし、人間界で浦飯幽助の相手になる者がいなくなってしまったので、戸愚呂弟ではありませんがどこか物足りない思いもあったことと考えられます。
幻海はそんな浦飯幽助に対して、浦飯幽助は何もかもが嫌になった時に壊せるものの大きさが他人とは異なるだけだと諭すのですが、個人的にはこの諭しがメッチャ印象的で好きでした。
ともあれ、幻海は浦飯幽助に相談相手として初代霊界探偵である佐藤黒呼を紹介します。霊界探偵探偵って3代しかいなかったのかよというツッコミは置いておいて。(笑)
そして、そこにやって来たのが魔界の使者。
魔族としての浦飯幽助の父親である雷禅。その使者である北神たち4人の妖怪です。
魔界の扉編ではあれだけ警戒していたA級、S級妖怪が自ら人間界と出入りする手段があることには驚きましたが、恐らくあえてなのだと思いますがそこまで強そうに見えないキャラクターだというのも興味深いですよね。何というか、上には上がいることを示唆しているように感じられました。
総括
いかがでしたでしょうか?
魔界編は、その壮大さや、散りばめられた伏線や数々の魅力的なキャラクターが登場することもあって、その興味深さだけでいえば作中でも一番だと思うのでもっと深掘りして欲しかったところですが、そこはサラッと終わって次巻で最終巻となります。
『幽遊白書』は本当に面白い名作ですが、そこだけが残念なところ。
ちなみに、魔界編は原作よりアニメ版の方がより深く描かれているので、興味がある人はアニメ版を見てみると良いかもしれません。