あるいは 迷った 困った

漫画、ラノベ、映画、アニメ、囲碁など、好きなものを紹介する雑記ブログです。

『走れ!川田くん(1)』運動音痴な少年が長距離ランナーとして才能を発揮する漫画の感想(ネタバレ注意)

 

走れ!川田くんは、運動音痴な上に成績も悪く、人間関係において要領が良いわけでもないという、良いとこ無しな主人公が校内マラソン大会で長距離走の才能に開花するところから始まるマラソン漫画です。

ラソン競技は絵的に地味になりそうなものなのでスポーツ漫画としても珍しいのかと思いきや、意外とマラソンをテーマにしたスポーツ漫画は少なくないですよね。

僕が長距離経験者だから目に入りやすいというのもあるかもしれませんけど。(笑)

他がダメな主人公がある分野では才能を発揮するというテンプレートな展開ではありますが、それだけにストーリーに隙が無く面白いですし、長距離の練習法やその効果に触れられている点も興味深いです。

正直なところ、読む前の第一印象は「地味そうな漫画」だったのですが、読んでみたら続きのweb掲載分を全部読んでしまおうと思うくらいに面白い漫画でした。

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本作の概要

100メートルを18秒で走る高校生男子・川田ゲン。多くの男子高校生が12~14秒で走ることを考えればあまりにも鈍足ですが、校内マラソン大会でまさかの長距離走の才能が開花します。

その才能が認められ陸上部の駅伝メンバーに選ばれた川田ゲンは、その身体を長距離選手のものに作り替えるように練習を開始します。

本作の見所

校内マラソン大会

僕は小中高のいずれでも経験したことが無いので正直なところ都市伝説のように感じているのですが、校内マラソン大会は学園ものの定番エピソードでもありますよね。

しかし、普通は物語ある程度進展した時に描かれるエピソードという気もしますが、陸上漫画なだけあって走れ!川田くんの場合は校内マラソンのエピソードから開幕します。そういうわけで、考えてみれば珍しい導入という気もします。(笑)

そして、主人公の川田ゲンは高校生にして100メートルを走るのに18秒もかかる鈍足。小学校中学年並の速度ですが、どうやらこの川田ゲン。運動ができないだけではなく、勉強も苦手で要領も悪いタイプの人間で、かんたんに一言で表すとのび太君のようなキャラクターとも言えますね。

そして、のび太君といえばダメなところも多いけれど、その分特技は突き抜けていたりしますよね。あやとりだったり、射撃だったり、昼寝だったり。(笑)

そして、川田ゲンの場合はそれが長距離走だったようです。

誰からも期待されずに、しかし弟には格好良いところを見せたくて、何とか小学校の前は格好良く駆け抜けて完走することだけを目標に気楽に走っていたら、気付かない内に校内記録を塗り替えるほどのハイペースで走り抜けてしまったことでその才能が衆目のものとなります。

10キロを31分39秒。100メートルを18秒で走る人間が、一体全速力の何割の速度で走り切ったのか考えるだけでも恐ろしいですね。

そうやって唐突に才能が開花するところから始まる漫画はスポーツものに限らず少なくありませんが、飽きない展開というか、読んでいて非常に爽快な気持ちになれますね。

長距離走の効果

東大を目指す学年トップの高見健吾は正直なところあまり協調的な性格ではなく、校内マラソン大会に対しても労力の無駄だと否定的でした。

しかし、そんなキャラクターだからこそ合理的な説明が無ければ走りたがらないので、彼への説明を通して長距離走の効果を機械的にではなく教えてくれるのですが、それもまた走れ!川田くんという漫画の魅力なのではないかと思います。

有酸素運動をすると脳の毛細血管まで広がって血流が良くなり、結果的に頭も良くなる。そんな説明を受けて校内マラソン大会に参加した高見健吾は、川田ゲンには及ばないまでも優秀な成績を収めたため、川田ゲンと一緒に初心者として駅伝チームに加わることになりました。

そして、初心者二人が最初に行うことになった練習がLSDです。

LSDとは、怪しいお薬と同じ名前ですが、当然そんなものではなく長距離走の練習の一つです。歩くより少し早いくらいの速さでゆっくりと走ることで毛細血管を活性化させ、より強度の高い練習に耐えられる体を作るための練習ですね。

走れ!川田くんではキロ12分というとんでもなく遅いペースでLSDとしてもかなり遅い部類かと思いますが、この遅いペースで走り続けるというのが意外とキツイくて、疲れてくるとペースが上がってくるという、疲れるイコール遅くなると思っている人にとっては不思議な経験ができます。

そして、そんな専門的な練習を機械的ではなく面白く説明してくれるのに高見健吾というキャラクターが一役買っているように感じられました。

ちなみに、このLSDという練習法をタイトルにしたLSD〜ろんぐすろーでぃすたんす〜という四コマ漫画もあったりします。女子たちが姦しい萌え四コマ漫画としては珍しいテーマで面白いですよ。

総括

いかがでしたでしょうか?

少なくないと言ってもそれなりに珍しい陸上競技の漫画ですが、個人的にはやっぱり中長距離がテーマになっている作品が面白いと思えます。

それはやっぱり、競技時間が長いからそこにドラマがあるような気がするからなのではないかと思います。

僕が初めて読んだ陸上漫画はなぎさMe公認というラブコメよりの作品でしたが、競技初心者の天才が登場する点では走れ!川田くんと共通しています。

他の一定の技術が必要な競技と違って、走るという誰にでもできる競技だからこそある意味では才能の有無が分かりやすく、最初から活躍させるという展開に持っていきやすいのかもしれませんね。

実は、あまりにも面白くて走れ!川田くんのweb掲載分まで全て読んでしまったのですが、長距離の練習法やその効果についてまで分かりやすく描かれている点も含めて面白く、今後が楽しみな漫画のひとつとなりました。

『ガンバ!Fly high(14)』自分の楽しい体操を求める話(ネタバレ含む感想)

 

ガンバ!Fly highにおいて重要なウエイトを占める「楽しい体操」というキーワードがあります。

楽し気で個性的な演技で観客を沸かせる平成学園の体操の根源にはやっぱりアンドレアノフコーチの指導があります。

これまでの藤巻駿たちの「楽しい体操」は、ある意味ではアンドレアノフの体操であるとも言えますね。

しかし、13巻のラストでアンドレアノフは平成学園の元を去ります。自分の「楽しい体操」を見つけるための自立を促すために。

大学への進学というのも節目ですが、藤巻駿がどのような自分の楽しい体操を見つけるのかが楽しみな14巻です。

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本作の概要

アンドレアノフが去った後、藤巻駿は自分の楽しい体操を見つけるための大学進学先に悩みますが、そこで選んだのはお世辞にも体操選手にとって恵まれた環境とはいえない大学でした。

しかし、その明鏡学院大学でこそ自分の楽しい体操を見つけられると感じた藤巻駿はそこを進学先に選びます。

藤巻駿の補助としての実力を認められた上野とともに、新たな楽しい体操が始まります。

本作の見所

自分の楽しい体操

14巻の前半は、ほぼ藤巻駿が上野とともに自分の楽しい体操を見つけるための進学先探しに奔走するエピソードになっています。これまでもガンバ!Fly highにはこういう日常寄りのエピソードが閑話に描かれていることがありましたが、試合でも練習でもないエピソードがこれほど長く描かれているのは作中通してもここだけなのではないかと思います。

それだけ、アンドレアノフの楽しい体操ではなく、自分の楽しい体操を見つけるということが大切なことだと据えられているということが分かりますね。

アジア大会の銀メダリストである藤巻駿には、立派な設備にコーチが用意された大学からの誘いがあります。

「用意されているもの・・それを受け入れるだけで、それが自分の体操を見つけることになるのかな?」

しかし、藤巻駿はそんな用意された環境に疑問を持ちます。

なるほど。確かに体操競技に限らず様々なスポーツにおいても大学ごとの個性はあるもので、そういったものを受け入れてもそれは自分の体操とは言えないのかもしれませんね。

そして、そんな藤巻駿のお眼鏡に適ったのは明鏡学院大学という四流大学でした。

入学者は減少傾向で、それを打開するためにスポーツ特待生をダメ元で募っており、知らずに訪れた藤巻駿を詐欺まがいの手段で強引に入学させようとするような大学で、最終的に藤巻駿に提供できるのはまるで倉庫のような体育館のみという状況でした。

しかし、そんな環境だからこそ自分の楽しい体操を見つけることができるのではないかと藤巻駿は明鏡学院大学に入学を決めたわけですね。

ちなみに、明鏡学院大学の教員で体操部の部長に任命された山崎の頑張りは見所のひとつなので注目して欲しいところです。この山崎の頑張りが、藤巻駿が明鏡学院大学への入学を決めた一因であることも間違いないと思います。

選手のためのものを用意できなかった大学にこそ価値を見出すという変わった選択ではありますが、それが面白いところだったのではないかと思います。

藤巻駿以外の自分の体操

明鏡学院大学の練習でさっそく高難度の新技を身に付けている藤巻駿を見て、真田もまた触発されます。自分の体操という言葉自体は使われていませんが、プロレスに転向した東と協力して新たな境地を目指して練習していました。

一次選考会のエピソードでは内田の方が優遇されているようなところもありましたが、二次選考会のエピソードでは真田の活躍が目立ちましたね。

鉄棒では持ち技のイエーガーを更に進化させ、得意の床では東と練習したらしい新技は温存していたにも関わらず嵯峨に勝利します。

これは最終選考では一体どんな新技を見せてくれるのかが楽しみになってきますね。

そして、そんな真田に敗れはしたものの、一番興味深いのは李軍団の嵯峨なのではないかとも思います。

嵯峨の回想シーンでの李東生は、アジア大会に自分の教えを超えた活躍を見せた嵯峨に自分の体操に自信を持つように応援します。

徹底的に完璧な体操を選手に求めるスタイルの李東生は、アンドレアノフの楽しい体操とはある意味では対極にあるとも言えます。実際、この二人が敬遠の仲であるということに異論のある読者はいないことでしょう。

しかし、最終的に自分の教え子に求めるものが「自分の体操」であるという点に行きつくというのは興味深いですよね。

道は違えど行き着く先は同じというか、そういうことなのかもしれませんね。

まあ、「自分の体操」という言葉は「個性」とも言い換えることができますし、李東生は自身の完璧な体操から「個性」というものを徹底的に排除しようとしていたところがあったと思うのですが、教え子の成長がその考えに柔軟さを与えたのではないかと思っています。

総括

いかがでしたでしょうか?

いよいよ五輪選考会のエピソードも佳境で、次巻では五輪の出場選手も決まりそうですよね。

五輪に突入したら、いよいよガンバ!Fly highの全体通してのクライマックスも近く、一話一話から目が離せません。

『いじめるヤバイ奴(8)』いじめ成分少な目なのに狂気は増してる漫画の感想(ネタバレ注意)

 

仲島君によるいじめ成分は少な目ですが、それでも狂気は増しているように感じれれるいじめるヤバイ奴という漫画は本当にヤバイです。

最初は、正直こんなに続いていく漫画になるとは思っていませんでした。いくら興味深くても、あまりにも狂気的ですし、それについて行く人も限られると思っていたからです。

しかし、恐らく現在の生徒会選挙のエピソードだけでもあと2巻分くらいは掛かりそうですし、そう考えるとまさかの二桁巻に突入することになります。

そして、8巻においては白咲さんがあまり白咲さんらしくない言動をしていることがある点も気になる所です。具体的には、黒宮さんに中学時代のことを語られことと、仲島君にいじめられていること(正確にはいじめさせているのだが)を知られるのを極端に嫌っていることの二つが白咲さんっぽくなく、後者に関しては仲島君もそれを指摘していますね。

いよいよ作中最も狂気的な白咲さんの狂気の源泉が明らかになっていく伏線なのではないかと思うのですが、その辺もやっぱり気になる見所となります。

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本作の概要

徳光君に毒されていない場井高校の生徒を炙り出そうとする仲島君の作戦は、徳光君には勘づかれつつも上手くハマって中間選挙では徳光君に勝利します。しかし、上手く行き過ぎた結果は徳光君の掌の上なのではないかと思わされるほど徳光君は余裕の様子で、徐々に徳光君の考えも明らかになって行きます。

本作の見所

白咲さんの過去は秘密

白咲さんの過去を知っていそうな黒宮さんの登場で、何か白咲さんの過去が明らかになっていくことがあるのではないか、自らをいじめさせる謎の奇行の源泉が少しでも詳らかになるのかと思っていましたが、ひとまず8巻時点ではその辺は明かされていません。

しかし、興味深い出来事として白咲さんが黒宮さんに過去の何か(事件?)を仲島君には話さないようにと釘をさしていたこと。そして、珍しく仲島君のゴキゲンを取るような様子で、黒宮さんの前ではいじめをしないことを約束させようとしていたこと。

この辺の、仲島君も不自然に感じるほどのあまり白咲さんらしからぬ言動の背景には、やっぱり白咲さんの過去、そして現在の奇行の背景があるのだあと思っていますが、仄めかされるばかりで中々明らかにならないそれが何なのかがとても気になります。

とはいえ、黒宮さんという白咲さんの過去を知るキャラクターも出てきていることですし、この生徒会選挙のエピソードで何かしら明らかにされるのではないかと推測しています。

生徒会選挙と仲島君の企み

仲島君といえば、初登場時は一瞬ヤバいくらいのいじめっ子かと思いきや、実は被害者であるはずの白咲さんにいじめを強要されているだけのちょっと可哀そうなヤツという立ち位置で、そこだけ切り取ればあまり強キャラ感はありません。

とはいえ、白咲さんの恐怖で常に切羽詰まった状態にあるとはいえ、これまで非常に賢い立ち回りを見せてきていたようにも思えます。

一方で少々楽観的なところもあったような気もしますが、それもある意味では自分の考えに自信を持って行動できる男らしさと捉えることもできるでしょう。

しかし、今回早々に打ち出された生徒会選挙に勝利するための反徳光君の生徒たちの票を集める案は理にかなっているとはいえ、早々過ぎて「あ~この案は上手くいかないんだろうな」ということはメタ的にもすぐに気付きました。ただし、徳光君の反応は予想外で、いったん仲島君の案に反発することで一本取ることで一区切りかと思いきや、なんと仲島君の案に乗ってしまいます。

意外と仲島君の案は意図が分かりやすいので回避は容易なものの、実行されてしまえば仲島君の有利に生徒会選挙が進みそうなものでした。

しかし、徳光君は余裕そうな様子。どのような立ち居振る舞いを見せるのかが気になる所でしたが、仮にも進学校のトップの人間とは思えないような強攻策で仲島君の企みを潰しにかかります。

最初はもっと搦め手を使ってくるようなキャラクターかと思いきや、意外にも力技の徳光君。搦め手を使う相手ならその分対策も取れそうなものですが、現在の仲島君には徳光君の力技に対抗する術がないような気がします。

黒宮さんという新キャラや、以前とは様子の違う白咲さんの立ち居振る舞いも含めて、どのように徳光君を攻略していくのかが気になる所ですね。

総括

いかがでしたでしょうか?

一本取った気でいたようで実は徳光君に一本取られていた仲島君陣営。生徒会選挙の敗北は白咲さんの怒りを買うことも意味する仲島君はかなり追いつめられた状況になっていると言えます。

既に徳光君によっていじめを正義とする歪んだ価値観を植え付けられた場井高校の生徒会選挙の行く末が気になりますね。

『りゅうおうのおしごと(13)』JS研まみれの閑話休題(ネタバレ含む感想)

 

本記事は将棋ラノベの名作であるりゅうおうのおしごと!の魅力を、ネタバレ含む感想を交えて全力でオススメするレビュー記事となります。

JS研まみれの閑話休題な13巻目となります。

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本作の概要

あらすじ(ストーリー)

特に9巻以降、毎巻今回が一番だと思えるほどの勢いがあったりゅうおうのおしごと!ですが、空銀子の三段リーグ編がひと段落したところで13巻は久々の閑話休題となります。

父親のヨーロッパ転勤の影響で引っ越すことになった水越澪との別れを、過去のドラマCDのエピソードを思い出話として絡めながら一冊かけて描いた内容になっています。

というわけで、かつてないほどにJS研に溢れた内容になっているのではないかと思います。

思い出話のエピソードが再録に近い形なので不満に感じている人も多いようですが、個人的にはドラマCDという媒体はあまり好きではなく今まで聞いていなかったこともあり新鮮な気持ちで読めました。

作者の白鳥士郎先生曰く、もともと水越澪との別れはちゃんと描きたかったことと、コロナ禍で本編を進める上での十分な取材ができなかったために13巻はこのような形式になったそうなのですが、三段リーグ編がひと段落したところで結果的にタイミングとしては絶妙だったのではないでしょうか?

とはいえ、ロリコン将棋ラノベといっても実のところ将棋成分の方に魅力がある作品なので、ロリコン成分が多めの13巻は少々消化不良は否めないかもしれません。逆にロリコン成分を求めている人には嬉しい内容かも?

ただし、将棋の対局シーンは水越澪と雛鶴あいの対局の一つだけですが、こちらは三段リーグの人生を賭けた対局とは別種の、少女たちの友情を確かめ合うような熱さがある魅力的なシーンになっていました。

なお、次巻の14巻からは最終章となるようです。

同じく過去の短編の再録であった8巻を振り返ると、力を溜めていたかのようにその後の9巻から12巻の物語の勢いは凄かったので、最終章となる14巻以降はそれ以上の勢いが期待できるのではないかと思っています。

ピックアップキャラクター

実のところJS研は本編のストーリー上そこまで重要な役割を果たしているキャラクターではありませんが、主人公の九頭竜八一のロリコン指数を示す上での重要なバロメーターになっています。(笑)

というのは半分冗談にしても、雛鶴あいに同世代の仲間が必要だったことがJS研の大きな存在理由だったのではないかと思います。

しかし、物語が進むにつれJS研のストーリーも深掘りされてきました。なにわ王将戦のエピソードもそうでしたが、13巻の水越澪の旅立ちのエピソードもまたりゅうおうのおしごと!におけるJS研の役割が想像以上に高いことを示しているのではないかと思います。

水越澪

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雛鶴あいの初めての将棋友達でJS研のリーダー格。とても明るい人懐っこい性格ですが、将棋指しとしては雛鶴あいに対して少々複雑な思いも抱えていたようです。「あいちゃんの友達になんてなりたくなかった」と水越澪が雛鶴あいに放った言葉の真意。そして水越澪が雛鶴あいに送った本当の贈り物は何だったのか。その辺が13巻の見所にもなってきます。

ネタバレ含む感想

JS研の思い出話

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天衣

誰が天●飯よ!?

思い出話は本編には直接関係が無いので個人的に気になったエピソードを振り返ってみたいと思います。本編ではいつの間にか雛鶴あいからも「天ちゃん」と呼ばれていた夜叉神天衣ですが、ドラマCDのエピソードで水越澪が「天ちゃん」と呼んだのが最初だったのですね。

本編では最初から自然に受け入れていたのが夜叉神天衣の性格的に不思議に感じていたのですが、既に仇名に対するひと悶着は終えた後だったようです。

馴れ馴れしいと文句を言う夜叉神天衣の反応を受けて「じゃあ・・天さん?」と言われた後の夜叉神天衣の反応がまた面白い。

お嬢様、ドラゴンボールを読んでるんですね。(笑)

なんとなくですけど、付き人の池田晶の影響な気がします。

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空銀子

小童。桂香さんは?

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あい

二度とこんなことを思いつかないよう制裁を加えておきました

本編でも何となく空銀子贔屓の気がある清滝桂香ですが、最近はちょっと面白いキャラ扱いになっていることも多いですよね。当初は主人公の九頭竜八一が慕っていることもあって憧れのお姉さん的なキャラだったのに、ちょっとオジサン化が進んでいる上に他のキャラからの扱いも酷いことが増えてきているような気がします。(笑)

その分親しみもありますけど、どうしても思わずクスリとしてしまいますね。

ちなみに、これは空銀子の誕生日に空銀子と九頭竜八一が二人きりで食事できるように画策したことで、空銀子本人からも雛鶴あいからも怒りを買ったというシーンでした。

いずれのドラマCDのエピソードも、何故か基本的には九頭竜八一がロリコンであるということを本編以上に強調するようなものでしたが、まあJS研まみれの13巻らしい内容といえばそんな気もします。

強烈な努力

水越澪とJS研の別れのエピソードに何故か登場してきたのは本因坊秀埋こと天辻埋でした。放送禁止用語を連呼する酔っ払いのお姉さんですが、将棋のお隣囲碁の世界で女性でありながら本因坊のタイトルを保持する凄い人です。

今まで誰もなし得なかったことをなし得た女性として空銀子に関連したエピソードに登場するなら分かるのですが、何故彼女がJS研のエピソードに絡んできたのか?

それは恐らく、今回雛鶴あいに悔しさをプレゼントするために「強烈な努力」を行った水越澪の見届け人として本因坊秀埋が相応しいキャラクターだったからなのではないかと思います。

なぜ本因坊秀埋が相応しいのかといえば、「強烈な努力」とは本因坊秀埋の元ネタである囲碁界の大棋士藤沢秀行名誉棋聖の言葉だからです。

そして、そんな水越澪の「強烈な努力」の結果こそが13巻の最大の見所なのではないかと思います。正直なところ、僕は水越澪に限らずJS研のキャラクターはあまり好きではありませんでしたが、今回のエピソードで結構好きになったかもしれません。

雛鶴あいに対して非常に友好的だった水越澪でしたが、もちろん雛鶴あいに対する感情の中に友情も含まれていたのでしょうけど、そうではない嫉妬もあったことが語られています。

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水越澪

でもね? だったらもっと頑張ってみようって思ったの! 一番になれないからこそ、いっぱい負けて悔しい思いをたくさんするからこそ、もう一度だけ全力で頑張ってみようかなって思ったんだ!

しかし、その嫉妬こそが水越澪のモチベーションにもなったようです。

この別れの対局に向けて水越澪がしてきた努力。徹底的な雛鶴あいの研究と番外戦術まで駆使したとはいえ、本来駒落ちの実力差のある相手を負かすのは並大抵のことではなかったのではないかと思われます。そう考えると、悔しさという感情はその人に諦めをもたらすこともあるかもしれませんが、それ以上に成長を促す可能性を秘めているとも言えますね。

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水越澪

澪は、あいちゃんの友達になんてなりたくなかった

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あい

みお・・ちゃん・・?

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水越澪

だって澪が本当になりたかったのは・・あいちゃんのライバルだから!

今まで自分より格上に追い付いて、追い抜いていくばかりであった雛鶴あいにとっては初めて本気の本気で格下相手に敗れた経験となるわけですが、なるほどそういう経験を与えるというか、追い抜き合うことができる関係をライバルというのであれば、水越澪はここで初めて雛鶴あいのライバルになり得たのかもしれませんね。

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あい

・・わたしは、強くなる。強く・・なりたいっ!!

そして、この雛鶴あいの決意こそが水越澪によってもたらされた贈り物でした。

水越澪は、空銀子がプロになれてもなれなくても雛鶴あいのモチベーションが下がり、最悪将棋を辞めてしまう原因になるのではないかと危惧していました。それを心配して・・というだけではないとは思いますが、少なくとも雛鶴あいが将棋を辞めることは無いでしょうし、今まで以上に高いモチベーションを得たことは間違いないと思います。

また、水越澪によってもたらされた大量の雛鶴あいの研究成果もまた雛鶴あいの将棋に大きな影響を与えることが予想されます・・が、気になるのはこれらの研究成果を以って強くなることは師匠である九頭竜八一の意図からは外れてしまう可能性があるということですよね。

AIにしても序盤の勉強にしても、九頭竜八一は圧倒的な終盤力を伸ばすために意図的に雛鶴あいの修行からは省いていたところとなるはずです。

雛鶴あいは大好きな師匠の意に反したことをするタイプの少女ではありませんが、今度は一体どうでしょうか?

いつかは雛は羽ばたいていくものですし、もしかしたらその時は近いのかもしれませんね。

14巻からは最終章ということですしね。(笑)

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『iメンター(1)』AIに支配される世の中の黎明期感が面白い漫画の感想(ネタバレ注意)

 

AIの進化が著しくその真価が問われる時代に突入しつつあり、シンギュラリティ(技術的特異点)という言葉を耳にする機会も増えてきた昨今ですが、それだけにAIをテーマに据えたフィクション作品も増えてきたように感じられます。

iメンターもそういったフィクション作品の一つだと思いますが、今よりはAIが日常に溶け込んでいるがシンギュラリティという程までは至っていないような近未来を舞台としたSF作品となります。

いや、数十年前であれば間違いなくSF作品と言って差し支えなかったと思いますが、現代であれば最早想定しえる現実であるような気もするので、そういった作品をSF作品と称するべきなのかは議論の余地がありそうですが、いずれにしてもSF作品と呼ばれているような作品がSF作品でなくなっていくことには一種のロマンがありますよね。

SF作品はSF作品であるからこそロマンがあるはずですけど、SF作品でなくなっていくことにもロマンがあるというのは興味深い話です。

前置きが長くなりましたが、AIとは『人間のように思考・学習してそれをアウトプットする機械』であると僕は認識しています。そして、それが近代になって急速に進化している背景には思考・学習に必要な膨大なデータを処理する技術が伴ってきているからという理解です。ド素人の理解なので雑な部分はあるかもしれませんが、大筋は外していないかと。

それだけに、iメンターでテーマにされている『遺伝子情報からその人間の様々な適正・可能性を数値で教える』というシステムは実現可能な未来であるようにも感じられるところです。もちろん、遺伝子という膨大な情報をコンピューターが処理しきれるものなんかには議論の余地はあるものの、考え方は現代のAIの延長線上にあるのが面白いところです。

もっと面白いのは、そのiメンターというシステムの学習には人間の手助けがある程度加わっているようで、そういう意味ではシンギュラリティへの過程の段階が描かれているとも言えます。

また、人々の行動がiメンターの示す確率に左右されているのはAIに支配される未来を示唆しているようで怖さもあって、それはAIの進化を語る上で度々議論されるテーマではありますが、本作品ではそのAIに人間の手が加わっているという途中の過程が描かれていることで、なるほどこれはAIに支配される未来を語る前にやはり人間の手が入っている状態のAIについて考えさせられる良い機会となる作品だとも感じました。

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本作の概要

国民に「iメンター」と呼ばれる遺伝子情報を元に結婚相性や犯罪、職業適性といったその人の可能性を可視化するタブレットが配布される近未未来が舞台です。

「iメンター」はその人の未来まである意味可視化されているようなもので、そのような世の中がどのようなものなのかが描かれています。

1巻は婚姻遺伝子、犯罪遺伝子、就職遺伝子の3つのエピソードが描かれており、本記事では各話ごとの感想を紹介したいと思います。

考察してみたくなる内容なので、感想というよりは考察になっているかもしれませんが。(笑)

本作の見所

婚姻遺伝子

異性との結婚相性をパーセンテージで可視化されるというのは、恋愛・結婚の在り方そのものに影響を与えそうですよね。

異性に対して「いいな」と思う要因は本来とても多種多様なもので、趣味が同じだったり、会話のペースが心地良かったり、容姿が好みだったり、一緒に何かをした経験だったり、分かりやすいのはこの辺として、いずれにしてもとても複雑なものです。

しかし、そうして「いいな」と感じた異性と恋人や夫婦になったとして必ずしも良好な関係を保てるかといえばそうでもないのが難しいところ。

相性が良いと思っていた人と付き合って別れたような経験、多かれ少なかれ誰にでもあるのではないでしょうか?

そして、興味深いのは現代における恋愛の「いいな」のほとんどは趣味にしろ経験にしろ遺伝子とは無関係そうなものであるという点。例えば趣味が一致していても遺伝子レベルで相性が悪ければいずれ上手くいかなくなるという論理には一定の説得力がありそうです。

逆に、何で共通点も何も無いこの人とこんなに相性が良いんだろうと思うような人間関係もありますよね。

恐らく、遺伝子レベルの相性というものが存在するとすれば、長い付き合いの中で行き着く先の相性であるとも言えるのではないかと思います。最初は様々な共通点による仲間意識とか、見えていない部分もあったり、本当は相性が悪くても取り繕えている部分があったりするものの、遺伝子レベルで相性が悪いと最終的には上手くいかない・・みたいな?

そして、そんな遺伝子レベルでの相性が可視化されるとすると誰にとっても人間関係が大きく変化しそうですよね。

本作品でも「iメンター」に示された結婚相性が高いことを理由に付き合ったのに、僅か1%高い他の男性が見つかったことであっさりと乗り換えるシーンが描かれていますが、もしかしたらこうして選んだ相手と結ばれることは幸せなのかもしれないけど、少々味気ない恋愛だとも感じます。

その証拠に、本作品ではとある理由で結婚相性が僅か3%しかない男女のハッピーエンドが描かれていて、そこに感動がありました。

これは「iメンター」は確かに便利だけれども、温か味があるわけではないと示唆していたのだと思います。

確かに、結婚に限らず人間関係が遺伝子レベルので相性で可視化されてしまったら、極端な話初対面の人間相手でも、「あの人は90%超えてるから好ましい」とか「あの人は10%無いから嫌いだ」とか、良く知りもしないはずの人間の好き嫌いの根拠にもなってしまいそうで怖いですよね。

犯罪遺伝子

この人は犯罪を犯すということが分かるのは安定した社会のためにはとても頼もしく感じられる一方、何も悪いことをしていないが犯罪を犯す可能性が高いと判定された人物の取り扱いがとてもデリケートな問題として生じてきますよね。

本作品では、長い時間を掛けて対象者を自発的に犯罪を犯させるという罠に嵌めて社会的に抹殺してしまったりしていますが、それが道徳的に許されるのか否かが興味深い議論点ですね。

いくら犯罪者となる遺伝子であってもそれだけでは犯罪者ではありません。

そして、教唆されて犯した犯罪も犯罪であることに間違いはありません。

しかし、犯罪者になる遺伝子だからと言って意図的に犯罪を起こすであろう状況を作って犯罪を犯させるというのは、果たしてアリなのでしょうか?

もちろん、犯罪を未然に防ぐ意味では良いことなのかもしれませんが、この対象者に選ばれた時点ではまだ犯罪を犯していないのに裁きが始まってしまっているとも言えます。

それに、どんな状況でも絶対に犯罪を犯さないほど潔白な人間など存在しないのではないかとも思ってしまうんですよね。

なぜなら、犯罪とは日常生活の不足が良心を上回った時に起きるものだと思っていて、だとすれば状況によっては誰にでも犯罪を犯すというか、犯さざるを得ない可能性があると考えるからです。

だとしたら、どのレベルの犯罪遺伝子であれば犯罪を犯す前に裁くことになるのかとか、その辺のさじ加減は恐ろしく難しいはずですし、感情的には許されざることのような気もします。

一方で、犯罪遺伝子というものが分かるのに何の手も打たずに犯罪が発生してしまっては、それはそれで問題がありそう。

もし犯罪遺伝子というものが本当に明らかになったら、清廉潔白な人ですら裁かれることを不安に思わなければならないわけで、怖い世の中だと感じました。

就職遺伝子

婚姻遺伝子は温か味が無さそうですし、犯罪遺伝子には怖さもありますが、就職遺伝子は人によっては嬉しいところですよね。

目指すものがある人にとってはそれをバッサリと切り捨てられる恐れがあるものの、そうではない人にとっては最も適切な未来を選ぶことができると考えられるからです。

それに、人は何かを目指す時には必ずキッカケがあるはずです。それは憧れの人だったり過去の経験だったり様々でしょうけど、あらかじめ就職遺伝子で様々な職業遺伝子が分かっていたら、そもそもそれが一番の目指すキッカケになりそうなものです。

・・と、比較的平和な遺伝子ですがこのエピソードの興味深いところは「iメンター」の運営側で様々な適正の数値の操作が行われていることが詳らかになる点です。

未知のものに対する人間の行動は様々ですが、可視化されたものに対する人間の行動は著しく制限されます。

赤信号で立ち止まるように、低い可能性に賭ける人は少ないでしょうし、その逆もまた然りです。

つまり、「iメンター」の数値の操作ほど簡単に人間を操作できるものはありません。

それを世の中を良くするためという名目があるとはいえ、人為的に数値を操作するということの意味、その結果がもたらすものは何なのか、その辺が今後気になるところだと思います。

総括

いかがでしたでしょうか?

AIをテーマにしたフィクション作品は増加傾向にあるような気がしますが、身近になりつつあるからこそちょっとあり得そうなところがあって、どの作品も非常に興味深くも面白いものに感じられます。

iメンターもとても面白かったので、こんな作品を描く人が他にどんな作品を描いているのかと調べてみたらサイコろまんちかという知っている作品が出てきたので少し納得しました。

こちらも心理学をテーマにしたギャグマンガという興味深い漫画で、なるほどちょっと興味深いテーマを面白く描くことが上手な作家さんなんだと感じました。

そんなiメンターも1巻目は設定の説明に留めているようなところがありますが、これからその設定を生かしてどのような物語が展開されていくのかというワクワク感があります。そういうわけで2巻は相当楽しみにしています。

『幽遊白書(10)』短めだけど濃密な名作の感想(ネタバレ注意)

 

魔界の扉編も佳境に差し掛かってきた『幽遊白書』の10巻です。

次作である『HUNTER×HUNTER』を彷彿とさせるようなトリッキーな能力も魅力ですが、ラスボスの仙水忍はやっぱり王道的な少年漫画のバトルを見せてくれます。とはいえ、多重人格という特殊なメンタルのキャラクターというのもまた『HUNTER×HUNTER』を彷彿とさせるような気もしますね。

そんな謎めいたキャラクターであった仙水忍のベールがはがされていく10巻ですが、ゲームマスターという最も『HUNTER×HUNTER』っぽい能力を使用する天沼月人との戦闘(?)シーンにも注目です。

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本作の概要

桑原を救出するために浦飯幽助たちは入魔洞窟に突入していきますが、そこにはゲームマスターの天沼月人が待ち受けています。海藤優のタブーと同じく力押しでは突破できない能力を相手に最後に活躍したのはやっぱり蔵馬でしたが、天沼月人自身が気付いていなかった仙水忍のとある罠に気付いていた蔵馬は、それでもなお非常に天沼月人に勝利します。

そうしてたどり着いた入魔洞窟の奥には仙水忍が待ち受けてい、ついに最終決戦が開幕していきます。

本作の見所

ゲームマスター

実は魔界の扉編で一番面白いのではないかと思っているのが、ゲームマスターこと天沼月人と蔵馬の戦いです。

少年バトル漫画でゲームというと『HUNTER×HUNTER』のグリードアイランドを思い出しますが、『幽遊白書』でもゲームを題材にしていたのですね。

実在のゲームを現実にするような能力で、天沼月人の能力のテリトリー内ではどんな人物もゲームのルールに則ったことしかできなくなります。飛影も炎が出せなくて自分は役に立たないと眠ってしまってしましました・・って、黒龍派を打たなくても寝るのかよってツッコミたくなりますね。(笑)

しかし、このエピソードの興味深いところは天沼月人自身が自分の能力の本当の怖さに気付いていないという点ではないでしょうか?

実在のゲームを現実にするということは、ゲームの登場人物が死ぬような事態までもを現実のものとしてしまいます。そして、今回の場合は浦飯幽助陣営は何度負けても諦めない限りは死ぬことはありませんが、天沼月人の敗北はイコール死を意味します。

天沼月人は明らかに仙水忍のしようとしていることを分かってはいても本当の意味で理解できていないような子供で、これはそんな子供を簡単に殺すことはできないという心理を逆手に取った仙水忍の時間稼ぎだったのです。

蔵馬がその事実を天沼月人に説明することで動揺を誘い、そこで初めて自らの能力の危険性を知ったが能力を中断することができない天沼月人にトドメを刺すのですが、この時の二人のやり取りがとても印象的でした。

恐らく蔵馬もできることなら天沼月人を殺したくはなかったはずです。

殺したいわけではなく殺さなければならないと考えているだけに、ある意味ではその決意は固いはずで、そんな決意を持った蔵馬に天沼月人は命乞いをするのですが、これもある意味ではただの殺人鬼への命乞い以上にどうにもならなさそうで、なんとも言えない哀しさと怖さが入り混じったエピソードでした。

多重人格の仙水忍

入魔洞窟の奥で相まみえた浦飯幽助と仙水忍。ついに最終決戦が始まるかと思いきや、実は最初このシーンを見た時には仙水忍がラスボスにしてはあまり強くないように感じていました。

経験で上回る仙水忍が浦飯幽助をあしらっているものの、慣れてくれば浦飯幽助の方も順当に闘えていけそうな雰囲気に感じられたからです。

いくら仙水忍が戸愚呂弟と違ってトリッキーそうなタイプ、浦飯幽助も戸愚呂弟が豪速球を投げるなら仙水忍は魔球を投げてきそうだと称していましたが、それにしたって圧倒的な強者を前にしているような感じは受けませんでした。

しかし、その代わりに仙水忍は想像以上にトリッキーな奴でした。

実はこれまでの仙水忍はミノルという名の別人格。なんと仙水忍は7人の人格を有する多重人格者だったのです。

なるほど、つまり仙水忍との最終決戦が始まっているのかと思いきや、実のところ本当の意味では仙水忍とはまだ会ってすらいないことが判明したわけですね。

そして、浦飯幽助がミノルにカズヤといった仙水忍の別人格を圧倒し始めた時に初めて主人格の仙水忍が登場します。

いよいよ追いつめてきたと思われた時に「はじめまして」と主人格が登場するシーンはとても印象的ですよね。

そして、あっという間に浦飯幽助を圧倒してこれまでの仙水忍の別人格とは文字通り別物であることをその実力で示します。

アッサリと浦飯幽助は敗れてしまい、それこそ戸愚呂弟と相対していた時以上の実力差を感じさせられる敗北で、この後どうなるのかが非常に気になる所です。

総括

いかがでしたでしょうか。最後に仙水忍も言っていましたが、「本当のフィナーレはこれから」です。

アッサリと仙水忍の主人格に殺されてしまった浦飯幽助と怒れる仲間たち。

僕が初めてこのシーンに触れたのはアニメ版でしたが、いずれにしてもこの先どのような展開になるのか予想が難しいところでした。

もちろん、ネタバレになりますが浦飯幽助はただ死んだだけではありません。

では死んだと思われた浦飯幽助に一体何が起こるのか?

それが次巻の最大の見所なのではないかと思います。

禁断の女装男子・男の娘属性のキャラクター10選

 

昔から一定の人気があるいわゆる男の娘というキャラクター属性があります。通常男にはほぼ存在しないはずの女性的な可愛らしさを前面に押し出した属性ですが、こういったキャラクターは存在しないものを持っているからこそ魅力的に感じられるのかもしれませんね。

中高生の文化祭の演劇なんかで女装・男装が一種の定番になっているのも、多くの人が存在しないものへの魅力への憧れが大なり小なりあるからなのかもしれません。

僕も決してアブノーマルな嗜好の持ち主というわけではありませんが、男の娘キャラクターは決して嫌いではありません。何故か好きなキャラクターだと言いづらいところもありますが。(笑)

また、そういった男の娘属性のキャラクターも一種類だけではありません。女体化や外見が女子っぽいだけのキャラクターもまた男の娘とされることがありますが、本記事で紹介しようとしているのは全て女装による男の娘となります。

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10.綾崎ハヤテハヤテのごとく!

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週刊少年サンデーで連載されていた人気ラブコメの『ハヤテのごとく!』から、主人公の綾崎ハヤテです。

基本的には何をさせてもハイスペックな借金執事という独特なキャラクターだが、一発ネタのような形で登場した女装姿が割と頻繁に登場するようになってきます。

女装がバレないように名乗った綾崎ハーマイオニーという『ハリーポッター』のハーマイオニー・グレンジャーが由来だと明らかな偽名が特徴的で、コスプレ感の強い女装ではありますが、知らない人には本当に女性であると思わせるほどのクオリティがあるようです。

9.白鳥隆士まほらば

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解離性同一性障害、いわゆる多重人格のヒロインの人格がそれぞれヒロインとなる珍しいハーレム系ラブコメまほらば』から、主人公の白鳥隆士です。

女装系キャラには、完全に女性と見分けが付かないキャラクターと、確かに綺麗で可愛いけどよく観察したら分かりそうなキャラクターがいると思いますが、白鳥隆士の場合は後者なのではないかと思います。

女装させられてる感の強さが妙にそそられます。(笑)

そういえば中の人は綾崎ハヤテと同じ白石涼子さんですが、それもあって女装が似合う男性キャラの役柄のイメージが一時期強かったような気がします。

ちなみに、白鳥隆士にも女装時にも綾崎ハーマイオニーほどのインパクトはありませんが、白鳥隆子なる名前があります。

8.漆原るか(STEINS;GATE

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タイムリープものの名作『STEINS;GATE』から、主要キャラの一人である漆原るかです。

女性よりも女性らしく、その女性らしさを褒められることが多いが、「だが男だ」と最後にオチを付けられるのがお約束のキャラクター。

ちなみに、本記事では紹介していませんが中の人は『まりあ†ほりっく』の衹堂鞠也というメイン級の女装キャラも演じている小林ゆうさんです。白石涼子さんもですが、女装キャラを演じる声優さんは他の女装キャラも演じるのが上手いのかもしれませんね。

7.不動権三郎(カイチュー!)

不動権三郎というなかなかお堅い名前の『カイチュー!』の主人公です。

神の子と呼ばれるほどの弓道の天才ですが、その才能ゆえに実家の道場から破門されてしまい真面目に弓道できなくなったが、その後紆余曲折あり弓道への情熱を取り戻していく・・というスポーツ漫画に登場しそうな経歴のキャラクターではあるのですが、漆原るかと同じく男をドキドキさせてしまうほどの女装男子で、「だが男だ!」とツッコミたくなるほどです。(笑)

ちなみに、そんな不動権三郎という女装男子がヒロインという変わった作品ですが、この『カイチュー!』は弓道を描いたスポーツ漫画としても普通に面白い作品なので興味を持った人は読んでみて欲しいです。

6.國崎出雲(國崎出雲の事情

いわゆる歌舞伎の女形である『國崎出雲の事情』より國崎出雲です。なるほど女装男子や男の娘という言葉がありますが、女形というもっと歴史のある呼び名もありましたね。(笑)

役者として物心つく前の幼少から女形をしてきたのですが、ある日自分が女形をさせられていることに気付いてそのことに拒否感を持っていて、男の中の男に憧れています。

ただし、役者としての才能は抜群で、その上努力も惜しまない性格です。

そんな國崎出雲が主人公だからでしょう。『國崎出雲の事情』は役者を描いた作品としての完成度が非常に高い作品であるとも言えます。

5.波戸賢二郎(げんしけん

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オタクの感情表現がちょっと古臭くはありつつもリアリティのある『げんしけん』より波戸賢二郎です。

もともとは腐女子と一緒にBLを楽しみたいがために女装しているという建前を持って女装していたが、本当にそれだけなのか恐らく本人すら分かっていなさそうなところが面白いキャラクターです。

女装キャラは、あくまでもノーマルな男子が何かしらの理由で無理に女装しているか、心に女性的なところがあるか、あるいは普通の男だけどファッション的に女性のファッションを好んでいるだけか、大きくはこの三つに大別されると思います。

波戸賢二郎の場合、一つ目の要素は薄めですがこの三つの間を揺れているような雰囲気があって、その不安定な感情が妙にリアルに感じられます。

4.小鳥遊練無(Vシリーズ)

森博嗣先生の『Vシリーズ』より小鳥遊練無です。

登場する作品の傾向が本記事で紹介している他の作品とは少し違うので、本記事の読者にはもしかしたら知らない人も多いかもしれませんが、個人的には女装男子と聞いて真っ先に思い浮かぶキャラクターの一人なのでピックアップしました。

内面はあくまでも普通の男(といってもぶりっ子っぽい感じだが)だが、スカートがヒラヒラ広がるようなファンシーな服装を好んでいて、小柄でもあるので女装が気付かれにくい系男子である。

しかし、少林寺拳法の心得もあって荒事にも対応できる男らしい一面もあります。

本記事で紹介している中では唯一の活字の女装キャラだが、それだけに原作である『Vシリーズ』の一冊目となる『黒猫の三角』がコミカライズされた際には小鳥遊練無がどのように描かれるのかにかなり興味がありました。

3.大空ひばり(ストップ!! ひばりくん!)

暴力団の組長の長男で、頭も良く運動神経も良い優等生・・だが、一部の関係者を除いて男であることを知らないという『ストップ!! ひばりくん!』の大空ひばりです。

女装男子のキャラクターには、女装しているという一点を除けば非常にハイスペックなキャラクターが多いと思いますが、その元祖なのではないかと思われます。

子供の頃、テレビアニメ版の再放送を見たことで知った作品ですが、大空ひばりというキャラクターには当時衝撃を受けた記憶があります。(笑)

『ストップ!! ひばりくん!』は本記事で紹介している中では圧倒的に最古の作品であり、有名な打ち切り作品でもありますが、大空ひばりはとても中毒性のあるキャラクターになっていて、女装男子の可能性を示した作品なのではないかと思います。

2.二鳥修一(放浪息子

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放浪息子』より主人公の一人である二鳥修一です。

放浪息子』はかつてこれほどまでに自らの性別に疑問のあるトランスジェンダーについて真摯に描いた作品があったかと思わされるほどに特徴的な作品となります。

二鳥修一は女の子になりたい男の子で、同じく男の子になりたい女の子であるヒロインが傍にいます。そんな二人を取り巻く周囲の視点も含めてトランスジェンダーに向き合っているところが興味深くも面白い作品なのですが、それだけに二鳥修一の女装には他の女装男子キャラとは違った興味深さがあると思います。

二鳥修一本人以上に、その周囲が二鳥修一のことをどう捉えていて、それがどう変化していくのか。そんなところに面白さがあります。

1.南野のえる(ミントな僕ら

男が主人公という珍しい少女漫画『ミントな僕ら』から主人公の南野のえるです。

吉住渉先生の少女漫画の舞台は基本的に普通の日常という感じのものが多いですが、その中によくよく考えるとぶっ飛んだ設定が多いのが特徴で、『ミントな僕ら』ではシスコン気味の南野のえるが双子の姉の転入先の学校に女装してまで追いかけていくという物語になっています。

女装男子が主人公の作品は癖が強いことが多いですが、昔ながらの恋愛もの少女漫画が好きな人でも楽しみやすい割と普通の少女漫画であるところも興味深い作品で、そういう意味では南野のえるはそこまで癖が強いわけではないのに強烈なアクセントになっている主人公であると言えるのではないかと思います。

『ガンバ!Fly high(13)』ある意味原点回帰の五輪選考会(ネタバレ含む感想)

 

ガンバ!Fly highにおいて一番印象深いチームが平成学園男子体操部であることに異論がある人は少ないと思います。序盤、ほとんどのエピソードで平成学園男子体操部というチームが主人公になっていましたからね。

しかし、アジア大会の選考会では初めて平成学園男子体操部のメンバーがライバル同士となり、ひとりアジア大会に出場して大活躍した藤巻駿を先輩たちがライバル視するようになっていき、五輪選考会では完全にライバル同士になっています。

そういう意味では作中の人間関係が大きく変化しているともいえ、人によって平成学園男子体操部がチームで戦っていた序盤こそがガンバ!Fly highで最も面白い部分だと思う人もいれば、いやいやそんな互いを尊敬し合う仲間がライバル同士になる展開こそが面白いと思う人もいるでしょう。

ちなみに、僕は全てをひっくるめてガンバ!Fly highという作品が好きな読者ですが、それでも何だか新しくて新鮮に感じられる五輪選考会のエピソードはかなり好きなところとなります。

主人公の藤巻駿ではなく、どちらかといえば三バカの一人である内田の視点になっているのが興味深い見所となります。

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本作の概要

五輪選考会の一次予選。アジア大会で活躍した藤巻駿に負けまいと奮起した内田は、藤巻駿と同じ組で演技に臨みます。

しかし、内田が藤巻駿をライバル視する一方で今までと同じでチームメイトのように内田を気に掛ける藤巻駿に、内田はプライドを傷つけられてしまいます。

それが演技の失敗に繋がり、藤巻駿も内田を傷つけてしまったことで演技中に混乱して失敗してしまいます。

しかし、そんなどん底からの戦いこそが平成学園らしい戦いなのだと冷静さを取り戻していきます。

本作の見所

内田のプライド

久々に再会した藤巻駿と内田は五輪選考会の一次予選で同じ組で演技をしていくことになります。内田は最初、軽口の冗談で藤巻駿に自分たちは敵同士なのだと言及しますが、恐らく冗談ではあっても半分は本心だったことが窺えます。

その証拠に、内田のことは眼中に無さそうな堀田や藤巻駿の悪気の無い言動から始まり、最初の跳馬では先に演技した藤巻駿から器具の調子を教えられてしまいます。

そして、チームメイトならまだしも、あくまでもライバルとして演技しているのにこのアドバイスはさすがに内田のプライドを傷つけてしまいます。

それで動揺した内田は盛大に着地を失敗してしまうのですが、その原因が自分にあると気付けていない藤巻駿は次の平行棒では自分の演技構成をメリハリの無いものにして、次の内田の演技を際立たせようとします。

跳馬の失敗から立ち直れていない内田はそこでも失敗してしまいますが、自身の予想と反して首の皮一枚繋がるような点数が出ます。そして、それが藤巻駿のおかげだと気付いた時に更にプライドを傷つけられて、後輩である藤巻駿に強く反発心を見せてしまいました。

すぐに試合中の選手、それも仲の良い後輩に対してぶつけるような不満では無いと仲直りしようとしますが、表面的には取り繕っても動揺は残ります。それは、ここで初めて自分が内田のプライドを傷つけるようなことをしたのだと気付いた藤巻駿も同様ですね。

一方はあくまでも相手を仲間として見ていて、一方は仲間ではあってもライバルだと見ていたことによるすれ違いでしょうけど、お互いに尊敬も信頼関係もある間柄だからこそ生じる衝突なので読んでいて胸が痛くなります。

平成学園の体操

「自分の失敗を藤巻のせいにしてブチ切れるなんて・・。まったく俺って奴は情けねえぜ・・クソッ・・」

藤巻駿に怒りをぶつけたことで、この時点で内田の方は少し冷静さを取り戻しているような気がします。しかし、これで藤巻駿が調子を崩したら今度は自分のせいだと悩んでしまうのですが、その不安は的中してしまいます。

得意であるはずの鉄棒の演技で藤巻駿はまさかの落下。落下しただけならまだしも、もともと不安定な精神状態で演技していたからか混乱してしまし自らの演技構成すら分からなくなってしまいます。

このままでは演技を再開してもまともな演技が果たして可能なのかという精神状態ですね。

そして、そんな藤巻駿を落ち着かせたのは内田でした。

「あの頃と同じだよ。こんなドン底からが俺達の体操だよ。本当の俺達の・・な」

お互いにドン底の状況。しかし、考えてみればいつもギリギリの戦いをしていたのが平成学園で、その舞台がランクアップしているだけなのだと内田は言います。

なんというか、内田って最初は後輩である藤巻駿を嫌っていたようなところもあったと思うのですが、一番センパイらしいセンパイであるようにも感じられますね。

新堂はともかく、三バカの三人は先輩というよりは仲間という印象が強かったですが、このシーンの内田は本当に良い先輩らしくて格好良いと思います。

そして、藤巻駿は完全復活。一度失敗した技をもう一度決めても得点にはならない・・にもかかわらず、失敗したトカチェフ前宙を決めて精神的に完全に復活していることを示します。こんな体操も、まさに平成学園の体操という感じですね。

地味な真田

藤巻駿と内田が良い先輩と後輩の関係を見せてくれましたが、今度は真田がそれを見せてくれます。ただし、真田は先輩側ではなく進学先の清琉大学の後輩の立場として描かれていますが。

平成学園の男子体操部、とりわけ三バカはとても目立ちたがり屋でしたが、頭一つ抜けてその筆頭だったのは真田だと思います。中学時代の種目別選手権の床の演技では伸身ムーンサルトでボディプレスを決めて目立っていたのが印象的ですよね。(笑)

しかし、今回は清琉大学の先鋒として先輩たちに地味だが堅実な演技を強いられています。髪形も地味になって、なんとも真田らしくない。

真田らしくなさすぎて何故か内田がキレています。キレすぎて、見かねた折笠麗子がグーで殴って止めようとするくらいです。(笑)

目立ちたがり屋の真田がそういう地味な立ち居振る舞いに甘んじているのは、先輩たちに抑えられているからで、真田はそのことに疑問を持ち始めています。

しかし、それは才能はあるのにすぐに目立とうとして無謀な演技をしてしまう癖のある真田を抑えるための先輩たちの心遣いでした。

平成学園のやり方とは違いますが、こういう先輩後輩の関係も良いですね。

アンドレアノフの帰還

ガンバ!Fly highにおける師匠ポジはアンドレアノフですが、そんなアンドレアノフとの別れが描かれています。

アンドレアノフが去った理由の一つに岬コーチを女性とみてしまいそうになるというのがあるのも気になる所ですが、いずれにしてもここから藤巻駿の体操が始まるということを感じられさせますね。

総括

いかがでしたでしょうか?

ガンバ!Fly highの主人公は藤巻駿であり、ほとんどのエピソードでは藤巻駿こそが主人公なのだと分かりやすく描かれています。

しかし、文庫版13巻に該当する五輪選考会の予選のエピソードでは、ほとんどが内田、そして真田が主人公になっているようで、とても新鮮味があるように感じられました。

特に内田は作中の序盤では後輩である藤巻駿を目の敵にしていたこともあるキャラクターなのですが、それがこのような互いに信頼と尊敬があるような関係になっているのが感慨深いですね。

『ヒカルの碁』の名場面、名台詞から囲碁を学ぼう!(その6)

ヒカルは少年漫画の主人公としては負けることの多い主人公です。格上相手にも良い勝負はしても結果的には敗北することはほとんどで、格好良く勝利を収めているシーンでは単純にその時点でヒカルよりも格下になっているだけだったりします。

とりわけヒカルの碁の作中でヒカルの負けが続いていることで印象的なシーンと言えば、院生になったものの2組で成績不振に陥っているところなのではないでしょうか?

今回はそんな成績不振のヒカルに対して友人であり師匠でもある佐為がした指摘についてのお話です。

今回の名場面・名台詞

ヒカルが院生2組で不調の頃に佐為から自分と打っているから勝てなくなっていると指摘されるシーンについて

ヒカルは成績不振の自分に苛立ち、どうして佐為ほどの実力者と打ち続けているのに成績が上がるどころか下がってしまうのかという疑問を佐為にぶつけます。

それに対する佐為の答えは、それは自分と打っているからこそなのではないかという相反するものでした。

佐為と打っているから勝てるようになるはずと考えるヒカルと、佐為と打っているから成績不振に陥っていると考える佐為。

そんな矛盾した考え方を、僕は一番最初にヒカルの碁を読んだ時には理解することができませんでした。理解できませんでしたけど、雰囲気で何となく佐為が格好良いなぁと楽しんでいただけでした。(笑)

佐為の説明する理屈。ヒカルがある程度強くなってきたからこそ、以前は闇雲に佐為に立ち向かっていたのに、そこに恐れが混じって手が控えてしまうようになってしまったというのがヒカルの成績不振の原因であると佐為は分析します。

その理屈になるほどと思いつつも、「いやいやそこは実力が全てで、もちろん同じくらいの実力だと多少の誤差はあってもある程度強い方が勝つだけなんじゃないの?」という風に当時の僕は思っていたものです。

しかし、実はこの成績不振時のヒカルを彷彿とさせるようなスランプに陥ることって珍しくないと思うのです。少なくとも、僕は長く囲碁を楽しんできた中でこのシーンを思い出すようなスランプに陥ってしまったことが何度かありました。

もともと勝てていたような相手に何故か勝てなくなり、打っている時の感覚的には相手が自分よりも格上とは思えないし、事実序盤中盤までは優勢に打ち進めたりしているのに何故か勝ち切ることができない。

そして、そのようなことが何度も続くようになってしまうのですね。

そんなスランプの原因についてはこちらの記事で過去に言及しているのですが、「勉強が過剰になること」「強気な手が増える」「弱気な手が増える」という三つが原因なのだと分析しています。

その内三つ目の「弱気な手が増える」という部分が本記事の趣旨となるのですが、要は相手の実力を信頼しすぎてしまうあまり自分の打つ手に自信が持ちきれず弱気な手を打ってしまうという現象ですね。

これは理屈は分かるけど本当にそんなことがあるのか、あったとしても勝敗に直結するほどのものなのかと疑問に思う人も多いと思います。しかし、経験してみると分かるのですが、これは本当にあり得ることなのです。

僕の場合は、特に大石が頓死してしまうような負け方を繰り返してしまったような後に、たぶん無意識に戦いを避けてしまっているからなのか僅差の作り碁になって負けてしまうような状態が続くことがたまにありますし、今では分かっていてもたまにそういう状態になってしまいます。

不思議なもので、分かっていてもそういう状態になった後に負けた棋譜を検討してみると、必要以上に固く打っている手に気付いたりすることもあります。

というわけで何が言いたいのかというと、佐為のこの格好良い指摘はただ格好良いだけではなく、意外と囲碁におけるスランプの状態を本当に分かりやすく表現しているのではないかということなのです。

これが実感できるほど囲碁にのめり込むファンはヒカルの碁の読者でも少ないとは思いますが、もし真剣に囲碁を趣味にしていてスランプに陥ってしまうようなことがあれば、このシーンを思い出してみると良いかもしれませんね。

こちらは、ヒカルの碁囲碁を覚えたい人にオススメの書籍です!

単にキャラクターの知名度を借りただけのような書籍ではなく、この3冊で基礎の基礎から相当に実践的なところまでをキッチリ楽しく学べる良書で、真面目に学べば有段者になるまでの知識が詰まった内容になっていると思います。

『桐谷さん ちょっそれ食うんすか!?(9)』トナカイはちょっと美味しそうかも(ネタバレ含む感想)

 

飯テロにならないグルメ漫画である桐谷さん ちょっそれ食うんすか!?の9巻目。

9巻には目立って「コレは凄い」と思わされるほどの雑食は登場しませんが・・というかそう感じてしまうこと自体が麻痺しているのかもしれませんが、この一冊の目玉というのはいなかった印象です。

しかし、その分9巻では登場する雑食の数が多い。

雑食プレゼンバトルのエピソードでは、人によって興味をそそられる雑食に違いがありそうで面白そうですよね。

また、季節イベントも雑食が絡むだけでなかなか恐ろしい感じになっていて面白いです。

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本作の概要

見た目は普通の食材ですがただ普通よりデカかったり、お馴染みの昆虫食にはついに昆虫の王者が登場し、増えてきた雑食仲間たちがプレゼンするちょっぴり毒のある雑食の数々。

相変わらず新たな世界へと読者を誘おうとする圧が凄いものの、全く誘われる気にはならず、しかし興味だけは惹かれる面白い漫画です。

本作の見所

巨大シジミ

お酒を飲んだ翌朝のアルコールの残った体に染みるシジミ汁ですが、桐谷さんが今回取り出してきたのはシジミという馴染みの深い食材。

しかし、桐谷さんが意気揚々と取り出してくるシジミが普通のシジミであるわけがありません。

シジミといえば島根県宍道湖シジミが有名ですが、桐谷さんのテンションを上げるシジミは沖縄のマングローブ産の巨大シジミでした。

貝殻の部分を合わせた大きさとはいえ通常のシジミの200倍近い重さがあり、まさに圧巻なシジミです。通常よりオーバーサイズな同名の食材は無くはないですが、それにしたって大きいですよね。(笑)

それにしても、大きな野菜とかならまだ何とか生理的に受け付けそうな気もするものの、グロテスクなところもあるけど小さいからそこまで気にならないシジミが巨大化してしまったら・・

正直食指は動かないですね。(笑)

とはいえ、榊先生の反応からはシジミ感は無いもののホタテっぽくて美味しいらしいです。まあ、貝殻の大きさに比して身は驚くほどの大きさというわけでもありませんでしたし、本作品に登場する雑食の中ではおとなし目の食材だったのではないかと思います。

イカと言えば・・

小学生。昆虫採集。カブトムシ。そしてスイカ

いきなり何を言っているのかといえば、何故かカブトムシを捕まえた時にその餌としてスイカが定番ですよねということなのですけど、桐谷さんはこれをカブトムシに付け合わされたスイカという料理と捉えてしまっています。

本作品では何度も昆虫食が登場していますが、馴染みのない昆虫であればまだ「あ~そういう食材もあるのか」と思えるものの、カブトムシのような馴染みのある昆虫だと拒否感が倍増しになりますよね。

カブトムシの場合はちょっとゴキブリっぽいのもキツイですし、そもそも甲羅っぽい羽根の部分の食材感の無さが強い。桐谷さん曰くエビの尻尾みたいらしいですが、その例えを聞いてもやっぱり美味しそうには聞こえませんね。

桐谷さんはエビの尻尾っぽい味にテンションが上がっていますが。(笑)

雑食プレゼンバトル

たくさんのちょっぴり毒のある食材が登場します。

タピオカドリンクかと思えば神経毒を持つカエルの卵ドリンクだったり、普通に美味しい野草の天ぷらかと思えばあえて毒草が混ぜられていたり、おどろおどろしい雰囲気のコウモリには感染症狂犬病のリスクがあったり、何だか怖いですよね。

僕はタピオカドリンクは好きですけど、飲めなくなるからやめろって思いました。(笑)

まあ、普通に食べている食材の中にも冷静に考えたら、最初に食べようと思った人すげ~なって思えるようなものもありますし、生まれた環境によっては胃が受け付けないような食材もあったりするものですから、こういった雑食もいざ食べてみたら美味しかったりするのかとも思ってしまいます。

まあ、僕にはその度胸が足りませんが。(笑)

侵略!! 外来種

料理の中には一種のコンセプトがあるようなものもありますよね。季節を感じられるような料理なんかはその代表格ですし、親子丼のように文字通り親子の食材を使った料理もコンセプト料理であると言えるでしょう。鶏卵と鶏肉で親子ってね。

そして、雑食大好き桐谷さんの作るコンセプト料理は一味違います。

アライグマに雑草、ムラサキイガイブラックバス。名前だけ聞くとどういうコンセプトなのか分かりづらいですが、どれも外来種という共通点があるそうですね。そして、それらをぶち込んだ外来種鍋というのが桐谷さんたちの作った鍋料理のコンセプト。

昆虫鍋とかにならなかっただけまだ食べられそうな気もしますが、発想が一味違っていて面白いです。(笑)

クリスマスと言えば・・

クリスマスと言えばサンタクロース。

サンタクロースと言えばソリを引くトナカイ。

そして桐谷さんが今回料理するのはトナカイです。ジビエ系の食材は雑食と言っても普通に美味しそうというか、食べて見たくなるものが多いような気がしますが、トナカイもまた普通に食べてみたいとは思います。

しかし、そういう食材では主に調理過程をおどろおどろしい感じにするのが本作品の特徴ですよね。トナカイもまたサンタクロースの相棒としての可愛らしいイメージを一気に壊しにかかっていて、それがまた桐谷さん ちょっそれ食うんすか!?らしくて良かったです。

お正月と言えば・・

外来種鍋もコンセプト料理でしたが、このエピソードで登場する花札おせちもそんな感じですよね。

花札のこいこいで勝利したらおせちを食べられるというルールのゲームが開始されるのですが、勝利した時の手札にあやかった料理を食べられるということで、手札によってはかなり雑食感のある料理になるのが面白いです。

花札のことはほぼ知らない僕でも知っている有名な猪鹿蝶という役なんて前2つのジビエは良いですけど最後のインパクトが大きすぎますよね。同じ昆虫食でも、蝶々の羽根の食材感の無さはずば抜けている気がします。

総括

いかがでしたでしょうか?

飯テロにはならないグルメ漫画古今東西の雑食をとことん楽しむ桐谷さん ちょっそれ食うんすか!?も次でいよいよ巻数が二桁に突入します。

食欲をそそられて「飯テロじゃん!」って文句の一つでも言ってしまいたくなるようなところがグルメ漫画の魅力の一つであることは間違いありませんが、その要素を自ら捨てているような作品であるにもかかわらずここまで続いているのが驚きですね。

まあ、食欲がそそられないかわりに、それ以上の好奇心がそそられる作品になっているからこそなのではないかと思います。

次巻予告を見てもピラニア茶漬けなるこれまた好奇心をそそられる食材が出てきそうですし、まだまだ楽しませてくれそうな漫画です。

『昭和オトメ御伽話(5)』痛くて甘い御伽話の最終巻の感想(ネタバレ注意)

 

大人っぽくなった常世が表紙の昭和オトメ御伽話の最終巻ですが、痛い時間がかなりのスピードで経過していきます。

1巻で要約された「これは俺と彼女が死ぬまでの痛くて甘い御伽話」という捉えようによってはバッドエンドを彷彿とさせるようなフレーズに、毎巻ドキドキしながら読み進めていて、4巻目のラストではかなりの不安を煽られました。

そんな不安が最終巻でも長く続いて、まさに痛い物語なのですけど、ただ痛いだけではない結末が素敵な漫画でした。

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本作の概要

パーラーの開店準備をしていた常世を襲ったのは結核で、そこから仁太郎たちの協力の元に常世の闘病生活が始まります。

あまりにも長くてツラい闘病生活に自死を選んでしまいそうになるほど苦悩する常世でしたが、本当にツラさはそれを乗り越えた後で、徴兵された仁太郎が戻ってこない常世にとって病気以上にツラい生活が始まります。

あの時一緒に死んでおけば良かったと思ってしまうほどツラくて長い時間の末に訪れる結末に注目です。

本作の見所

結核常世

前巻のレビューで常世はいったいどんな病気なんだと予想したりしていましたが、なるほど結核といえば盲点でした。いや、当時であれば盲点どころか不安な時に真っ先に脳裏を過ってもおかしくないような病気なのかもしれません。

ともかく、歴史上の有名人の死因としても度々上がるような結核常世は罹ってしまったということです。

当時の結核に対する感覚というか、認識レベルは正直なところよく分からないのですが、イメージ的には若くして癌になったようなものと同じくらいのものでしょうか?

だとしたら自身が結核だと知った常世も、それを知った仁太郎も、パーラーの開店準備で幸せだったところから突き落とされたような気持ちだったのではないかと思います。

朝になっても目を覚まさないかもしれない恐怖

最終巻の序盤の中心は常世の闘病生活で、なかなかに痛々しい時間が続きます。

結核は不治の病ではない。最初は前向きに闘病生活が開始されるのですが、それが長引くほどに常世の精神は徐々に不安に侵されていくようになります。

自らが棺に入って焼かれるところを仁太郎が止める・・という夢で朝目が覚める。それで目が覚めるなら良いけど、もしかしたらもう目を覚ますことは無いかもしれないという恐怖は、病気そのもの以上に常世を蝕んでいっているように感じられました。

そしてついには自ら命を絶ってしまいかねないような精神状態になってしまうのですが、常世が死ぬなら自分も後を追うと言う仁太郎の意思が強いことを知ってとても混乱してしまいます。

しかし、そこから先の仁太郎がファインプレーで、一緒に死ぬというマインドから一緒に生きるというマインドに常世を誘導していきます。

「俺もほんまはな、今やりたいのは一緒に死ぬことやない。一緒に生きることや」

自死を選んでしまいかねない様子の常世の精神状態は、将来への期待を意図的に見ないようなものになっていたのではないかと思います。そんな常世に、これからやりたいことを次々と聞いていくのはある意味で残酷な行為なのかもしれませんが、しかしそれが常世に仁太郎と一緒に生きたいと思わせることに繋がりました。

仁太郎の徴兵とからたち姫の痛くて甘い御伽話の結末

前巻のレビューにて、常世が倒れるまでの幸せな展開がこれから始まる暗い展開の前振りのように感じられると言及しましたがまさにその通りの展開になっています。

しかし、仁太郎の徴兵からの展開は予想外でした・・というか、時代背景から考えてそれを予想していなかったのはあまりにも想像力が足りていませんでしたね。(笑)

仁太郎が徴兵され、そして予定された時期になっても戻ってこない。そして仁太郎の帰りを心待ちにした常世の元に戻ってきたのは仁太郎の訃報でした。

僕には病気と闘いながらも長期間安否の分からない恋人の帰りを待ち続けた挙句、その訃報を告げられた女性の気持ちなんて想像することもできませんが、常世が再び自死を選んでしまうほどの苦痛を伴うことには想像に難くありません。

実際、仁太郎によって昇汞水が砂糖水にすり替えられていなかったら常世の命はありませんし、結論から言えば常世は生き延びているので実感はしづらいものの、常世は確かに自殺を実行しています。

最後の結末を考えたら仁太郎はまたもやファインプレーすぎますよね。

もし仮にここで常世が死んでいたら、その時点での常世は痛みから解放されたのかもしれませんが、結論から言えば仁太郎はその後更に時間が経過してから生きて戻ってくるわけで、その時に仁太郎を襲う痛みはそれこそ想像を絶しますし、本当なら二人にあったはずのそこからの幸せすら無くなってしまっていたわけですからね。

そういうわけで本作品のラストはハッピーエンド、長くて痛い時間が続きましたが、最後にはこれから仁太郎と常世の二人が死ぬまで寄り添って生きていく物語が始まるのだと思います。

「これは俺と彼女が死ぬまでの痛くて甘い御伽話」とは、不穏な響きこそあったものの痛い痛い時間の後にある幸せのことを意味していたわけですね。

昭和オトメナインも終わりです

「こうして全世界にたくさんの野球狂を創り出し、一年後無差別級世界一決定戦で戦わせるの」

・・なんて、まるで打ち切り漫画のような超展開だけどオマケ漫画なら許されますよね。(笑)

本作品のファンであっても10人が10人ともこの表紙裏のオマケ漫画を読んでいるわけではないと思いますが、そんな表紙裏のオマケ漫画にまでちょっとしたストーリーがあったのが面白かったです。

総括

いかがでしたでしょうか?

最初は同作者の前作である大正処女御伽話と同じ世界観の物語というところから興味を持って、前作のキャラクターの登場に一喜一憂したりしていたものですが、結論から言うと前作がどうとか関係なく本当の面白い漫画だったと思います。

僕は基本的に不幸なこととか痛々しいは物語よりはハッピーな物語の方が好きな人間です。感情移入しやすいタイプなので、だったらハッピーに感情移入できる方が当然嬉しいのが当然という話ですね。

昭和オトメ御伽話は正直なところ不幸な部分や痛々しいところの多い物語なので、そういう意味では僕好みの作品ではないのかもしれません。しかし、そういった痛々しい部分を乗り越えていこうとする作品でもあるので、その先にある幸せもチラチラと垣間見えるところがあって、それが本作品の魅力であり、痛々しくても楽しんで読み進められた理由なのではないかと思います。

大正、昭和ときたので次は平成、そして令和・・といくのかどうかは分かりませんけど、もしそんな作品が描かれるのであれば是非読んでみたいと思うくらいには大正処女御伽話昭和オトメ御伽話の二作品は良かったと思います。

『焼きたて!!ジャパン~超現実~(1)』懐かしいノリが健在のスピンオフの感想(ネタバレ注意)

 

焼きたて!!ジャパン~超現実~が書店に並んでいるのを見かけた時、一瞬かつて週刊少年サンデーで連載されていた焼きたて!!ジャパンが表紙を変えて再版されているのかと思いましたが、どうやらLINE漫画上で連載されている完全なスピンオフ作品のようです。

あまりスピンオフ展開向けの作品ではないような気もしますが、「なるほどそうきたか」と思わされるような世界観でスピンオフ作品にしてしまっているのが面白い作品だと感じました。

ちなみに、作画は元祖焼きたて!!ジャパンと同じく橋口たかし先生なので、当時読んでいた人は読んでいて懐かしい気持ちになるのではないかと思います。絵柄だけではなく、独特のノリが当時を思い出させてくれます。

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本作の概要

日本独自のパンである通称『ジャぱん』を作ることを目指す焼きたて!!ジャパンという漫画・アニメ作品が連載・放送されていた現実が舞台で、焼きたて!!ジャパンに憧れてパン職人になった少年が、フィクションのように華やかではない現実のパン職人にウンザリしているところから始まるスピンオフ作品となります。

主人公の弘見大作と小作(シャーロット)と同じく焼きたて!!ジャパンに影響されてパン職人になったコスプレおじさんとか、原作のキャラクターである河内恭介・・らしきキャラクターが登場するところも面白いです。

本作の見所

そもそも『焼きたて!!ジャパン』とは?

焼きたて!!ジャパンとは、2002年から2007年の間に週刊少年サンデーで連載されていたパンに特化した料理漫画で、テレビアニメ化されるほどの人気作でもありました。

日本の食卓にあまりにも浸透しているのにフランスパンやドイツパンは存在しても日本パンは存在しない。そんな日本のパンである通称『ジャぱん』を目指してパン職人になる少年が主人公の物語となります。

料理漫画といえば、食べた時のリアクション芸が一種のお約束のようになっていますが、なるほど絵とセリフのみで味を表現するというのはこういう所に行きつくのだろうと思わされますが、数ある料理漫画の中でも焼きたて!!ジャパンのリアクションはあまりにも個性的なもので、本作品の象徴でもあります。

そのリアクションのぶっ飛び具合は是非原作を読んで確かめて欲しい。なぜなら、あまりにもぶっ飛びすぎているが故に僕程度の筆力ではそのぶっ飛び具合を伝えきれないから。(笑)

時には1話から数話かけてリアクションのみが繰り広げられたり、リアクションの後遺症がいつまでも残っていたり、何より最終話の最後の最後をぶっ飛びまくりのリアクションで締めているあたりが本作品がリアクション漫画であることを象徴しています。

太陽の手とリアクション芸

さて、そんな焼きたて!!ジャパンが連載されていたりアニメ放送されていたという現実の世界・・という設定の世界が焼きたて!!ジャパン~超現実~の舞台となります。

漫画の世界に憧れて何かを目指すようなことは現実世界のあるあるだと思いますが、まさにそんな現実通り焼きたて!!ジャパンに憧れてリアクション芸人・・じゃなくてパン職人になったものの、華やかだったフィクションの世界とかけ離れた現実にウンザリしている何だか世知辛い現実から物語は始まります。

そんな舞台設定からどう面白くしていくのかと気になっていたら、主人公の大作と妹の小作の父親が初登場時から子供たちの作ったパンのリアクションで日本の大物ヒロミ・ゴウになっていたり等、本家に負けず劣らずのぶっ飛びリアクションで懐かしい気持ちにさせてくれます。

本家の焼きたて!!ジャパンでも序盤は料理漫画としての色の方が強く、まあ料理漫画なので当たり前ですが、いずれにしても最初からリアクションがぶっ飛んでいたわけではなく徐々にぶっ飛んできたところがあります。しかし、焼きたて!!ジャパン~超現実~では本家の良いところを継承しようという動きがあるからか最初からリアクションがぶっ飛んでいる。

いきなり大作と小作が融合して一人の人間になったりSFチックなリアクションまで登場したり、版権的に怪しいリアクションの存在が仄めかされたり、わりとやりたい放題です。(笑)

そして、本家の要素はリアクション芸だけではなく主人公の妹が太陽の手の持ち主だったり、主人公の大作は熱湯で手を温める力技の持ち主だったり、本家の主人公である東和馬と同じ能力が登場するのも懐かしいですよね。

原作っぽいキャラクター

スピンオフ作品に本家のキャラクターが登場することは珍しくありません。とはいえ主人公クラスは稀で、なるほどこの立ち位置のキャラクターをメインで登場させるのかと思わされることがしばしばです。

しかし、焼きたて!!ジャパン~超現実~の場合は本家が作品として登場する世界観という都合上、本家のキャラクターが登場することはあり得ません・・が、原作っぽいキャラクターは登場します。

師匠ポジのキャラクターである松代健。本記事を書くにあたって少し調べたら、いつの間にか年下になっていて驚いたキャラクターなのですけど(笑)、そのポリシーに憧れたパン職人がまさに松代健って感じのコスプレ姿で登場します。

なるほどと思わされる原作リスペクトですが、本家が作品として登場する世界観であるにも関わらず登場したのが恐らく本家のキャラクター本人と思われる河内恭介です。

「なんやて!」という当たり障りのないセリフが特徴的な本家の準主人公で、度重なるリアクションで心身ともに変貌を遂げていき、最終話ではダルシム化して最後を締めたほどのキャラクターです。はい、本家を知らない人には何を言っているのかサッパリですよね。(笑)

ともかく、そういう世界観の設定を飛び越えて登場してきそうなキャラクターの筆頭ではあるのですけど、いきなりのそういうキャラクターの登場が焼きたて!!ジャパンぽくて面白かったです。

総括

いかがでしたでしょうか?

料理とリアクションといえば、近年では食戟のソーマを思い出すところです。洋服が弾けるリアクションが進化していくのが独特でしたが、ことリアクションのぶっ飛び具合でいえば焼きたて!!ジャパンに軍配が上がると思います。

そんな焼きたて!!ジャパンのリアクションは焼きたて!!ジャパン~超現実~でも健在で、相変わらずぶっ飛んでるなぁ~というのが率直な感想です。

そんな懐かしくも新しい漫画。存在すら認知していなかったのですけど個人的にはとても続きが楽しみです。

『幽遊白書(9)』短めだけど濃密な名作の感想(ネタバレ注意)

 

憂鬱そうな仙水忍の表情が印象的な『幽遊白書』の文庫版9巻目。戸愚呂弟と並んで『幽遊白書』のラスボス二大巨頭って感じですが、どちらもどこか哀し気だったり儚げだったりする部分があるのに共通点がありますよね。

これは他の著作も含めて冨樫義博先生の特徴である気もしますが、王道バトル少年漫画の作品のラスボスとしては珍しいような気もします。まあ、そういう部分に個性があるのが魅力なのですが。

魔界の扉編に冨樫義博先生の次回作である『HUNTER×HUNTER』を彷彿とさせるところがあるというのは8巻のレビューでも触れましたが、いよいよそういう雰囲気が強くなってきました。

仙水忍自身も能力的には王道的な感じですけど、性格的には『HUNTER×HUNTER』っぽさがあるのが興味深いところ。

最後の仙水忍は別として、強いから勝利するという単純な構造になっていないのが魔界の扉編の真骨頂ですよね。

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本作の概要

力では劣っていてやり方次第で浦飯幽助たちを貶めることのできる人間は存在するということを幻海のエッジの聞いた諭し方で認識することとなった浦飯幽助たちですが、不思議な能力を持つ人間に次々と翻弄されていきます。

また、相手が妖怪ではなく人間であるが故にトドメを躊躇ってしまうなど、今までにない葛藤があるのも興味深いところ。

そして、そんな不思議な能力を持つ人間を配下に魔界の穴をこじ開けようとする黒幕である仙水忍もついに登場します。

本作の見所

首謀者が似合う幻海

さて、前巻で浦飯幽助を誘拐した上で桑原、蔵馬、飛影を呼び出した三人の学生。その首謀者が明らかになるのですが、まさかの幻海がそこで登場します。

蔵馬は途中から薄々気付いていたと言っていましたが、読者的には割と驚き予想外の展開でした。まあ、説明されてみれば三人の学生は能力を見せつけるだけで相手を害するような様子はありませんでしたし、「試す」という表現がピッタリの戦い方をしていたように感じられます。

そして、そういうことをしそうなキャラクターの筆頭が幻海なのは間違いありませんし、それに効果もありそうですね。

指定した言葉を口にしたら魂を抜かれる。

相手の影を踏んで動きを止める。

触れた相手の姿だけではなく性格や記憶までコピーする。

そういった能力は確かに使いようによっては力だけが強い者にも有効なものに思えます。

何というか、力が全てだと謳っていた暗黒武術会編の戸愚呂弟とは対極に位置するような能力ですが、そういうキャラクターが登場してきたことで暗黒武術会編とは違った面白さが出てきた感じがしますよね。

しかし、登場してきたキャラクターはそういうトリッキーな奴らですが、魔界の扉編の背景にあるのは戸愚呂弟以上の力であるとも言えます。

魔界の扉を開けようとしている奴らがいて、もし魔界の扉が開かれたらB級妖怪である戸愚呂弟以上の力を持つA級、S級の妖怪が脅威として控えているのです。

そんな両極端な脅威が混在しているところに魔界の扉編の面白さがあるような気がします。

はじめての殺人

不穏な表題を付けてみましたが、浦飯幽助が今まで戦ってきたのは基本的に妖怪であり、人間ではありませんでした。喧嘩はしていましたし、幻海の後継者選考会や暗黒武術会編におけるDr.イチガキTとの試合では人間と戦っていますが、少なくとも幻海の後継者選考会は殺し合いという感じではありませんでしたね。

そういう意味ではDr.イチガキTとの試合のみが唯一の例外だったような気がします。いや、正確には幻海のおかげで相手を殺すにまでは至りませんでしたが、初めて人間を殺さなければいけないかもしれない事態への葛藤が描かれていたエピソードだと思います。

そして、魔界の扉編では敵対勢力が人間であり、しかも厄介な能力を持っていたりするので相手を殺さざるを得ない状況に陥るような場面も出てきます。

9巻に登場するドクターの能力を持つ神谷実も浦飯幽助にとっては非常に厄介な相手でで、実力的には勝利するだけなら難しくなさそうなもののトドメを刺さざるを得ない状況に陥ります。

しかし、結果的に幻海がトドメを刺された後の神谷実を蘇生したため浦飯幽助は殺人者になることはありませんでしたが、浦飯幽助の手を汚させないようにしたのがDr.イチガキTとの試合の時と同じ幻海であるところが良いですね。

次元刀

浦飯幽助、蔵馬、飛影の3人に比べると、最重要のメインキャラ4人の中では実力的に見劣りする感が否めない桑原ですが、魔界の扉編においてはかなり重要なキーパーソンにもなっています。

元より霊気の剣という特徴的な技を使っていますが、どうやら桑原には次元そのものを切るような能力が潜在していたらしく、魔界の扉にある結界を切れる能力者として仙水陣営から狙われることになるわけですね。

仙水忍の仲間である御手洗清志に襲われた際にその能力が開花し、それでピンチを逃れたものの同時に狙われるようにもなったのは皮肉な気もしますが、いずれにしても浦飯幽助に遅らせながら桑原も本領を発揮するようになりました。

黒の章と仙水忍

戸愚呂弟はミステリアスな部分がありつつも最初からいわゆるパワーファイターらしい雰囲気はありましたが、仙水忍の場合は浦飯幽助もそう感じているように魔球を使ってきそうな掴みどころの無さがあります。そして、そういう所が仙水忍というキャラクターの特性であり魅力でもありますよね。

コエンマからもたらされた情報により仙水忍が浦飯幽助の先輩にあたる霊界探偵であることが判明しますが、もともと人間を守る立場でありながら何故現在は人間に仇名す立場にいるのか?

その理由がまた興味深いところです。正義感が強すぎるが故に融通が利かない性格で、だからこそその正義感を揺るがす出来事、守ろうとしていたはずの人間のあまりにも醜い部分に触れてしまったが故に考え方を大きく変えてしまったわけですね。

人間には醜い部分があると知ったが故に黒の章という人間の最も残酷な部分のみを保存したビデオテープに興味を示したのではないかと思われ、現在の配下たちにはその黒の章を通して自分と同じ価値観の変化を疑似体験させたのだと考えられます。

御手洗清志なんてまさに強い正義感のある人間らしく、黒の章を見たことで価値観が代えられた典型であることがわかりますよね。

もしこのようなビデオテープ、ビデオテープというところに時代を感じますが、それはともかく存在したとしたら興味はありつつも怖さの方が先立ちそうです。蔵馬の説明にちょっとビビっている浦飯幽助の姿が少し珍しくて面白かったです。(笑)

総括

いかがでしたでしょうか?

浦飯幽助の先輩にあたる元霊界探偵である仙水忍がどのようなキャラクターなのかが少しずつ分かってきますが、まだまだ分からない所が多いですし最後の最後までミステリアスを損なわない魅力的なキャラクターですよね。

そして、次巻はいよいよ核心へと迫っていくことになります。

一番の支え!魅力的な母親キャラが登場する漫画・ラノベ・アニメ作品10選

フィクション作品において、殊更2次元作品においては母親という属性のキャラクターがメインで活躍することはほとんどありません。
何でなんだろうと考えてみれば、やっぱりフィクション作品で描かれるのは未来に向けての話であって、そこに親子関係が描かれているのであれば子供の側がメインになるのは当たり前といえば当たり前の話なのかもしれません。
そういう意味では父親という属性のキャラクターも同じような扱いに感じられます。
しかし、良い意味でも悪い意味でも子供にとって親の影響力ほど大きいものはありません。 だからだと思いますが、物語の主人公の両親について主人公自身にスポットを当てるためにあえて触れない(ほとんど触れない)ようにしている作品も少なくありません。もちろん、そういう作品で主人公の両親が登場しない理由はそれだけではないかもしれませんが、そういう一面もあるのではないかと僕は考えています。
逆にメインキャラ級に両親が登場する作品の場合、かなりその影響力が大きいように感じられがちな気がします。
本記事では、そんな両親の中でも母親属性のキャラクターの中から個人的に魅力的だと感じるキャラクターを紹介したいと思います。

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10位.浦飯温子(幽遊白書

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幽遊白書』の主人公である浦飯幽助の母親であり、息子と同じく破天荒な性格をしています。その言動は一見するとあまり良い母親には見えないところもあり、いわゆる毒親のように感じられるところもあるのですが、息子への愛情は息子である浦飯幽助本人が想像もしていなかったほどに深く、事故死した際に泣き崩れていた姿は浦飯幽助が自分が死んだことを悲しみ人間がいると自覚するキッカケにもなりました。

そういう意味では、当初は浦飯幽助が生き返るための物語であった『幽遊白書』という作品の重要なキーパーソンでもあるのですが、アニメ版では大幅に出番を削られるなど不遇なところもあります。

その理由も、主人公の母親が傍にいると影響力が強くて浦飯幽助を思うように動かせないというところにあったらしく、まさに母親という属性の影響力の強さを再認識させられるエピソードでもあると感じます。

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9位.野原みさえ(クレヨンしんちゃん

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クレヨンしんちゃん』の主人公は幼稚園児の野原しんのすけですが、そういう意味では全く自立していない上に狭い世界観の中にいる主人公なので両親の存在感が強くても違和感が無い珍しい作品なのではないかと思います。

どちらかといえば、時折素晴らしい言動を見せる上に実は意外と格好良い父親の野原ひろしにスポットが当たることが多いですが、母親の野原みさえもまた愛情深い良い母親だと思います。

近年の劇場版では、ヒロインどころかほとんど主人公クラスの活躍を見せたこともありますが、まさに母親の愛情が溢れた作品になっていました。

余談ですが、アニメ版放送開始時に野原しんのすけと同世代だった子供も今や野原みさえよりも年上になっています。そういう意味では今の世代の母親に母親の姿を教えてきたキャラクターであるとも言えるかもしれませんね。

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8位.工藤有希子(名探偵コナン

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フィクション作品に登場する母親キャラクターには一種の格好良さがあることが多いような気がしますが、『名探偵コナン』の工藤有希子もまた非常に格好良いキャラクターですよね。

怪盗のような変装の技術を持っていたり、探偵のような推理力も持っていたり、『名探偵コナン』に登場するキャラクターの中でも意外とハイブリッドな能力の持ち主でもあります。

主人公の工藤新一(江戸川コナン)の母親なわけですが、息子が命の危機に瀕して幼児化したことを聞いて心配して自身の元へと連れて帰ろうとするものの、しかしそれが息子の意思とは違うことを知ったらその意思を尊重しようとします。

少々浮世離れした母親ではありますが、息子とのことを心配はしつつも信頼している姿は母親のお手本のようでもあって興味深いと思います。

7位.坂井千草(灼眼のシャナ

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灼眼のシャナ』の舞台は普通の現代社会ですが、その裏側では異能力者と異世界の住人との戦いが行われているという作品となります。

主人公の坂井悠二はその裏側に巻き込まれていくタイプの主人公ですが、その母親である坂井千草はあくまでも普通の現代社会の住人であり、普通であれば存在こそするものの物語上はあまり関わってこないタイプのキャラクターなのではないかと思います。

しかし、坂井千草の場合はあくまでも一般人であるにもかかわらず坂井悠二を通してそれとは知らずに裏側の世界の住人とも関わることがあります。そして、あくまでも普通の一般人の母親らしさを損なわない範囲で、そうした裏側のキャラクターへも影響を与えていく所があるのが興味深いキャラクターなのではないかと思います。

母親という属性の影響力が邪魔になることもあるから多くの作品で母親はモブキャラになっているのではないかとは思っているのですが、モブキャラのまま実は物語に大きな影響を与えているという意味で珍しいキャラクターなのではないかと思います。

6位.野比玉子(ドラえもん

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遊んでばかりいて勉強しなかったりしたら母親は怒るものであるということを、のび太のママこと野比玉子から学んだ人は多いのではないでしょうか?(笑)

昭和後期から平成にかけての小学生の子を持つ母親のイメージとして、これほどしっくりくるキャラクターも逆に珍しいですね。いや、個人的に自分の母親と比較すると似ても似つかないのですけど、どうにも野比玉子には母親のイメージとイコールになるところがあるような気がするのです。

現代においてはあまりこのように怒る母親は珍しいような気もしますが、そもそも怒るという行為はもの凄く疲れるもの。のび太を繰り返し叱ることの労力は想像に難くありませんが、それを思うとこのママの怒りの度合いはそのままのび太への愛情であるとも捉えられます。

・・なんてことは子供にはなかなか理解できない所なのだと思いますが、そう考えると野比玉子もまた素敵な母親なのではないかと思います。

5位.ベルメールONE PIECE

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ONE PIECE』における麦わらの一味の航海士ナミの義母であるベルメールは、娘とも大人げなく喧嘩することもある子供っぽいところがあって、それに要領の悪いバカと言われてもしようがない性格をしているのですが、そんな不器用な愛情がとてつもなく格好良いキャラクターです。

長い『ONE PIECE』の連載の中では刹那的にしか登場していないキャラクターであるにもかかわらず、そんな不器用な格好良さがその他の個性的なキャラクターの数々を差し置いて印象に残っている人は少なくないのではないでしょうか?

「口先だけでも親になりたい」と、ナミやその姉のノジコの母親を名乗るために命を賭した姿は、あまりにも哀しくて感動的でした。

4位.天羽雅音(ウィッチブレイド

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母親という属性のキャラクターは物語への影響力の大きさからあえて存在感を薄くされがちとは前述したところですが、『ウィッチブレイド』の場合はその母親自身が主人公という珍しい例となります。

天羽雅音には記憶障害がありある時期より前の記憶が無いのですが、記憶喪失時に持っていた母子手帳から天羽梨穂子が娘であると認定されていました。しかし、実はこの母娘には血縁関係が無いことが後々明らかになるという複雑な関係だったりします。

実の娘だと思っていたら違ったことに葛藤はあったものの、最後に天羽梨穂子のために戦う姿は本物の母親と同じ愛情が含まれていたような気がします。

3位.チチ(ドラゴンボール

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ギャグ系から始まったバトル系少年漫画『ドラゴンボール』ですが、作中での時間経過が非常に長くキャラクターの年齢的な成長が地味に興味深い作品だったりします。

最初ははねっ返りでお転婆な小娘というキャラクター性で登場したチチも、その後は美しい女性へと成長したかと思えば、意外にも子供の教育に熱心な母親へと転身し、最後には孫ができておばあさんになるという歴史の感じられるキャラクターです。

年齢を重ねるごとに年相応の性格に変わっていくのに、しかしちゃんと根本のところは同じチチなのだということが分かるのが興味深いところですね。

息子の孫悟飯の将来が何より大切で、父親の孫悟空孫悟飯を修行に連れて行こうとする時は大抵何かしらの危機があるのですが、渋々修行を許可することもあるものの、それでも基本的には孫悟飯の将来の方が危機的状況よりも優先度が高いという息子大好きお母さんです。

2位.陽炎/影法師(烈火の炎

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烈火の炎』における主人公の烈火の母親である陽炎は、母親という属性のキャラクターの中では他にあまり例がないほど重要な役割を担っています。

最初は敵として登場した上で烈火たちを物語の主軸へと巻き込んでいく役割を担っているかと思えば、そもそも物語の主軸である火影の因縁の中心に近いところにもいて、母親でありながらヒロインの一人くらいのレベルで活躍することになります。

また、肉体年齢はかなり若いものの400年以上生きてきたこともあり、若い女性らしい可愛らしい一面を見せることもあるかと思えば、基本的には妖艶さのある面白いキャラクターでもあります。

赤ん坊だった息子が高校生になってから、しかも敵として再会したことで最初は親子関係がぎこちない感じなのですが、徐々に距離感が変わっていくところが見所です。

1位.本田今日子(フルーツバスケット

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フルーツバスケット』は様々な親子が描かれているのが特徴的な少女漫画ですが、そんな中でも最も心に残る親子はやはり主人公である本田透とその母親の本田今日子だと思います。

とはいえ、本田今日子は物語の最初から既に故人なのですが、であるにも関わらずその影響力が娘である本田透にあまりにも深く根付いていて、本田透を通して本田今日子とはどのような人物だったのかがひしひしと伝わってくるのが興味深いところです。

若い頃は伝説的なヤンキーだった本田今日子の影響を強く受けた娘が良心の塊のような人間に育っていることに妙な納得感があるのも面白いところで、その納得感の正体は本田今日子が娘によく言っていたという「人は良心(やさしさ)を持って生まれてこない」「良心は体が成長するのと同じで自分の中で育てていく心」というセリフにあるのだと考えられます。

本田今日子の良心が育つまでには本田透の父親との出会いをキッカケとした経緯があるわけなのですが、それで良心は育つものだと気付いた本田今日子は最初から自分の娘には良心が育つように育てたのだと思います。

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二次元キャラと自分の年齢を比較してみて感慨深くなる話

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アニメ、漫画、ライトノベルに登場するいわゆる二次元のキャラクターの中には現実にはあり得ないような能力や個性を持っていたりと、多かれ少なかれ浮世離れしたところがあります。

しかし、そんな彼らにも当然年齢は存在します。(不詳の場合もありますが)

なんて当たり前すぎる前置きをしてみましたが、僕はこの二次元キャラの年齢というものと自分の年齢を何となく比較してしまいがちなことがあって、ふとそのことを書き記してみたいと思った次第です。

例えば、ずっと年上だと思っていたキャラクターの年齢にいつの間にか追い付いていて、面白いと思うよりも感慨深くなったような経験をしたことがある人は少なくないのではないでしょうか?

そんな二次元キャラと自分の年齢を比較してみて感慨深くなる感覚に共感してくれると嬉しいです。

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サザエさん時空の長寿アニメ

キャラクターと自分の年齢を比較しがちなのはやっぱりサザエさん時空の長寿アニメなのではないかと思います。中でも主要な登場人物の年齢にバラツキがある作品で考えてみるのが面白いです。

個人的には『クレヨンしんちゃん』や『名探偵コナン』あたりで年齢比較してみることが多いのですが、ここで試しに比較してみましょうか。

クレヨンしんちゃん』の場合

原作開始:1990年

アニメ開始:1992年

野原しんのすけ:5歳

野原みさえ:29歳

野原ひろし:35歳

野原ひまわり:0歳

近年では親子二世代でのファンが多い長寿アニメの一つですが、ごくごく一般的な家庭(と言っても野原ひろしは中々の勝ち組ですが)が描かれているということで、自分の家族と比べて見ているような人も多そうですよね。

劇場版の作品も人気ですが、本記事のテーマで語る上で外せないのが2010年に公開された超時空!嵐を呼ぶオラの花嫁という作品。

これは未来のしんのすけの花嫁を名乗るタミコという女性が、未来のしんのすけを救うために5歳児のしんのすけの力を借りに来るという物語なのですが、そういうわけなので未来のしんのすけや春日部防衛隊にひまわりが描かれているのが興味深い作品なのです。

公開時期的に、『クレヨンしんちゃん』の原作やアニメが始まった頃にしんちゃんと同世代だった子供が成人を迎えて数年後になる作品であり、そういう意味でも大人になったしんちゃんが登場する作品という所に何かしらの意図を感じずにはいられません。

そして、そんな作品ですら今から10年前の作品になるわけで、時間の流れとは怖いものです。(笑)

ちなみに、しんのすけの生年月日は原作開始時点をリアルタイムと仮定すると1985年生まれということになります。1985年生まれの人にとっては一緒に成長してきた同級生というわけですね。

まあ、しんのすけは永遠の5歳児ですが。

本記事の筆者である僕も丁度1985年生まれなのですが、なんと今年でひろしと同い年になります。怖い怖い・・

しんのすけからオバサン扱いされるみさえよりは完全に年上で、みさえくらいの年齢の女性は普通に若くて可愛らしく見えるオジサンです。

元はしんのすけと同い年であったことを考えると、いかに『クレヨンしんちゃん』が長命な作品であるかが伺えますね。

名探偵コナン』の場合

原作開始:1994年

アニメ開始:1996年

少年探偵団:6~7歳

工藤新一:16歳

毛利小五郎:38歳

阿笠博士:52歳

少しズレがありますけど、『クレヨンしんちゃん』と似たような感覚を持てるのが『名探偵コナン』です。

個人的には工藤新一や毛利蘭と同い年になった時に少し大人になったように感じたのを覚えています。今思えば16歳くらいだとまだまだ子供ですが。(笑)

小さくなった名探偵のコナン君と連載開始時に同い年だった人は、2004年に工藤新一と同じ16歳、2020年現在は32歳でそろそろ毛利小五郎が見えてきています。

そう考えるやっぱり時間の流れって怖い怖い・・

さすがに阿笠博士はまだまだ先ですが、多くの人がそう感じるように大人になってからの時間の流れの感じ方は凄いスピードですし、それもあっという間なのかもしれませんね。

それまでには『名探偵コナン』もさすがに完結しているような気もしますが、連載開始時から『名探偵コナン』を読んでいた子供が阿笠博士と同い年になってもまだ読んでいる姿を想像すると感慨深くなります。