あるいは 迷った 困った

漫画、ラノベ、映画、アニメ、囲碁など、好きなものを紹介する雑記ブログです。

『千と千尋の神隠し』国内最高峰のアニメ映画の率直な感想(ネタバレ注意)

 

千と千尋の神隠しがどれだけ凄いアニメ映画なのかを語るのはあまりにも今更のことだと思います。

僕は、例えば好きな漫画を問われて『ONE PIECE』と答える人をにわか扱いし、ちょっと知る人の少ない作品を挙げては通ぶりたいタイプの人間です。いや、普段はこんなことを露骨に言ったりしませんけど、今回はあえて言っているので悪しからず。(笑)

まあ、これはどんなジャンルにも言えることで、ワールドカップの時だけのサッカーファンだとか、最近であればラグビーファンだとか、そういう人たちを見ているとブームとか関係なく好きな人からしたら何だか複雑な気持ちになってしまうのは分かりますよね?

好きなものが注目されて嬉しい!

だけど自分はもっと深く知ってるし、自分もブームに乗ったにわかだと思われたくないなぁ・・

そんな風に感じしまいそうなものです。

少なくとも、僕も自分が好きなものに対してはそう感じることがあります。

いきなり本題から逸れましたが、これは千と千尋の神隠しの記事でした。(笑)

いわずと知れた国内歴代最高の興行収入(約308億円)を誇るスタジオジブリ制作の名作アニメ映画ですね。

・・で、前述した通り僕は通ぶりたいタイプの人間で、アニメ映画にもそれなりに精通しています。年間最低20本以上は映画館で映画を観ていて、その半数近くはアニメ映画なのだと言えば少なくとも一般的な人よりは精通していることが分かっていただけるかと思います。

さて、そんな僕が今まで見たアニメ映画の中で一番面白かったものは何なのかと考えてみたら、正直千と千尋の神隠しを挙げざるを得ませんでした。

通ぶりたいなら最高のヒット作ではなく知る人ぞ知る名作を挙げるべきなのでしょうけど、そういう通ぶりたい感情を差し引いても千と千尋の神隠しが一番だったので仕方がありません。

考えてみればアニメ映画としてそれほど王道的な物語というわけでもなく、また分かりやすいわけでもなく、完成されきっているわけでもない。

しかし、驚くほど濃密な僅か124分になっています。

興味がある人は今見ているシーンが開始から何分なのかを確認しながら見てみてください。観る者を千と千尋の神隠しの不思議な世界に引き込むのに、恐らく10分もかかっていません。たった10分がとてつもなく濃密だからです。

実は本記事を書くにあたって久しぶりに千と千尋の神隠しを通しで見返してみたんですけど、何度見ても引き込まれてしまう名作であると改めて再認識させられました。

一般的なアニメ映画にも、とても印象に残る強烈なカットがいくつかはあるものですが、まずその数が尋常じゃありませんでした。

・・と、本記事の趣旨はそんなアニメファンにしかピンとこないようなことを書き綴ることではありません。

千と千尋の神隠しは、あまりにも完成度の高い作品であることからアニメーションの作りとしての考察がなされたり、神秘的なストーリーの中に点在する謎や制作されるにあたっての経緯なんかは頻繁に語られています。

しかし、あまりにも有名すぎるが故にまっさらな気持ちで綴られた感想って実はあまり見当たらないとも感じました。

というわけで前書きが長くなりましたが、本記事では千と千尋の神隠しを初めて観た当時のことを思い出しながら、読書感想文を書く時のようなまっさらな気持ちで率直な感想を綴っていきます。

?

トンネルのむこうは、不思議の町でした。

そんな川端康成の雪国を彷彿とさせるキャッチーな謳い文句で千と千尋の神隠しという作品を初めて認識したのは、公開直前何かしらのジブリ作品が金曜ロードショーで放送された後に流れた長い予告映像を見た時でした。

その時に放送されていたのが『天空の城ラピュタ』だったのか、それとも『魔女の宅急便』だったのか、実はその辺の記憶は曖昧なのですが千と千尋の神隠しの予告映像を見た時の衝撃は今でも覚えています。

千尋とその両親が迷い込んだ不思議の町で繰り広げられる幻想的だがなかなかに恐ろしい怪奇現象に不安を煽られ、しかし千と千尋の神隠し以前に見たどのジブリ作品とも違う独特な雰囲気に一気に飲み込まれました。

普段はアニメーションになど興味を示さない母親すら「コレ、何だか面白そうね」と予告映像を注視していたのを覚えています。

考えてみれば、アニメーションに興味を示さない層にすら訴えかけなければ国内歴代最高の興行収入など達成できないでしょうし、そういう意味では公開前から歴史が作られる予兆はあったのかもしれません。

たかだか予告映像ですが、それを見た人は既にトンネルのむこうの不思議の町に誘われていたのかもしれませんね。(笑)

しかし、これは僕にとってあまりにも大きな後悔なのですが、年間20本以上の映画を観ているような人間なのに実は千と千尋の神隠しを劇場で観てはいないのです。

これは、当時はまだ劇場で映画を観る習慣が無かったのと、「高校生にもなってアニメなんて・・」というくだらないプライドがあったからなのですが、正直当時の自分を殴り飛ばしたいくらいの大きな後悔でした。

ともあれ、そういうわけで僕が初めて千と千尋の神隠しを観たのは父親がレンタルビデオ店で借りてきた時と相成りました。

そうそう、そういえば父親も母親以上にアニメーションに興味のない人間なのですけど、それでもレンタルくらいはしてみようと思わされる作品だったということになりますね。

可愛くない主人公

ところで、こう言ってはなんですが千と千尋の神隠しの主人公でありヒロインでもある荻野千尋はお世辞にも可愛らしい女の子ではないと思っていました。

天空の城ラピュタ』のシータのように清楚だが芯の強さのあるヒロインでも、『魔女の宅急便』のキキのように快活さのあるヒロインでもなく、何よりキャラクターデザインに可愛らしく描こうという意思が感じられません。

いや、そんなことを言えば「そんなことはない!」と否定されてしまいそうですし、実際もちろん千尋は十分に魅力的な主人公でありヒロインでした。

しかし、少なくとも媚びた可愛らしさは無かったのではないかと思います。

f:id:Aruiha:20200105202701j:plain

(『千と千尋の神隠しより)

物語の導入部では、転校が気に食わないのかアンニュイな様子で目も虚ろ。何に対してもやる気が無さそうで元気も無い。考えてみればジブリ作品における千尋と同年代のキャラクターで、ここまで可愛げのないキャラクターも珍しいのではないでしょうか?

とはいえ、それこそが千尋というキャラクターの持つリアリティであり、今時の子供っぽさでもあるのではないかと感じました。

常に元気いっぱいで可愛げがあることだけが子供らしさってわけじゃないんだぞと、そう言われたような気がします。

そんな感じで、序盤の千尋にはある意味でリアリティのある子供っぽさが見え隠れしていました。

f:id:Aruiha:20200105203318j:plain

(『千と千尋の神隠しより)

例えば、両親がどんどんと不気味なトンネルをくぐり、人気のない寂れた町を歩くのを不安そうについて行く姿。こういう時、子供の方が無邪気に恐いもの知らずな行動をしそうなイメージもありますけど、意外と子供には未知のものに対しては保守的な生き物だということが現れています。

大人になるほど未知のものに対して「何とかなる」という根拠のない自信を持てるようになるということですね。

僕も、子供の頃にこのシーンの千尋と同じような不安を持っていたことがあったと思います。僕の父親もまた千尋の父親のように根拠のない自信が強いタイプだったので、なんでそんな楽観できるのだと僕は気が気ではありませんでした。

f:id:Aruiha:20200108074203j:plain

(『千と千尋の神隠しより)

例えば、「お店の人に怒られるよ」と千尋は怒られることを怖がっているのに、それに対する父親の答えは自分がいるから大丈夫だし財布もカードも持っているというもので、千尋の恐怖の答えになっていませんね。(笑)

怒られることは前提で大丈夫だと言っているわけです。

こういう温度感の違いが、子供を不安にさせてしまうのに気付いていないということなのだと思います。

f:id:Aruiha:20200105203051j:plain

(『千と千尋の神隠しより)

また、少々冷たい雰囲気で子供である千尋の歩く速度など気にせずに先行する母親に、必死でついて行って不安そうに腕を組むシーンからも子供らしさが現れていますね。

ホラー映画としての千と千尋の神隠し

そして、大人である千尋の両親にはない未知への恐怖が、子供である千尋にはあるというギャップが、序盤における千と千尋の神隠しにホラー映画としての要素を与えていたように感じられます。

千尋にとっては、自分にある恐れが一番の理解者であるはずの両親に伝わらない。そしてその不安は誰もが子供の頃に少なからず感じたことがあるはずのもので、だからこそその不安にはとても共感できるようになっています。

最初は純粋なホラーではなく、理解されないことの怖さから始まるわけですね。

f:id:Aruiha:20200105210157j:plain

(『千と千尋の神隠しより)

そしてハクとの出会い。そこからがジブリ作品でも稀に見るホラー展開になっています。

赤い橋の欄干の影が急激に変化するのと同時にハクに逃げろと急かされ、わけも分からず逃げ出す千尋。影がさしかかると人気のなかった町に明かりがともり、徐々に人ならざる者の気配が増していくのですが、これはまたなかなかの恐怖ですね。

そして、頼りの両親は何故かブタに。千尋の感じる怖さを理解してくれなかった両親でしたが、文字通り理解できなさそうな状態に変化してしまうのです。

f:id:Aruiha:20200105211409j:plain

(『千と千尋の神隠しより)

そしてこの表情です。(笑)

いや、笑い事ではなく千尋の感じている恐怖がありありと伝わってきますね。

この後千尋は、ブタになった両親から離れて再び大声で両親に呼びかけます。恐らく千尋はブタになった両親を両親であると認識できているはず(でなければ最初に呼びかけたりしないはずなので)ですが、それなのに再び探すように呼び掛けるとは、その混乱の度合いが伺えますね。

ブタになったのを信じたくないだけなのか、分かっているけど何かにすがらずにはいられなかったのか、あるいはその両方なのか、それは分かりませんがとにかくここでの千尋が尋常ではない恐怖を抱えながら走り回っていたことは間違いありません。

f:id:Aruiha:20200105212628j:plain

(『千と千尋の神隠しより)

これは夢なのだと何度も自分に言い聞かせ、「消えろ消えろ」と念仏のように唱える千尋ですが、そこで消え始めるのが自分自身の体だというのがまた恐ろしい。

これを体験しているのが十歳の女の子でなくても軽くトラウマになりそうです。

そして、畳みかけるように水中から現れる変な妖怪(?)。「ぎゃああ~!」と分かりやすい悲鳴を上げて千尋は再び駆け出すのですが、この叫び声がまたリアルなんですよね。

演者さんのセリフなのでもちろん演技なんですけど、あまり演技っぽくない叫び声になっているんです。それが演者の柊瑠美さんがまだ若くて未熟だったからなのか、あえてそうしているのかは分かりませんが、いずれにしても本物の叫び声という感じがして僕はこのシーンが結構好きだったりします。

まあ、柊瑠美さんの千尋役はどこをとっても素晴らしいので後者が正解な気がしますが、どうなんでしょうね。

いずれにしても、最序盤のこの畳みかけるようなホラーシーン。実は十数分程度の尺しか割かれていないにもかかわらず、とてつもなく濃密に千尋の恐怖が描かれていると感じられました。

もちろんこれは千と千尋の神隠しの見所のひとつなのですが、この最序盤の出来があまりにも秀逸であり、誰もが引き込まれるようなものになっていることが本作品がヒットした最大の要因なのではないかとも思います。

働く女性として強く成長していく千尋(千)

十歳という年齢は、少なくとも現代社会においては保護される対象であって間違っても自立した大人ではありません。そんな子供を働かせていたら、何を言われるか分かったものではありません。

しかし、それはあくまでも現代的な先進国における話で、まだまだ発展途上の国や、日本でももっと貧しかった時代であれば十歳なら自立して働いていてもおかしくはありません。

そして、千と千尋の神隠しおける千尋はあくまでも現代社会における十歳の女の子なのですが、不思議の町に迷い込んで湯婆婆に名前を取られて千になってからは働かざるを得ない状況に陥ります。

この状況、なんだか貧しい時代の日本における親元離れた奉公に近しいものがあるように感じられ、少々『おしん』の世界を彷彿とさせますね。

つまり、ある意味で千と千尋の神隠しは「もしも現代社会の女の子が貧しかった時代を経験したら?」というイフストーリーにもなっているのかもしれません。

両親を豚にされて湯屋で働くことになった千尋は、少々どん臭いところもあって失敗もしますが、しかし精神的には大きな変化を見せています。

トンネルに入る前の気だるげだった女の子が、元の世界に帰るために必死に頑張る姿にはとても心を打たれます。

f:id:Aruiha:20200106211854j:plain

(『千と千尋の神隠しより)

特に印象的なのは最初に湯婆婆と契約するシーン。ハクに言われた通り「働かせてください!」と繰り返し、魔法で口を閉ざされた上で千尋が帰りたくなるように脅された後に魔法を解かれ、再びどうしたいかと問われて「働かせてください!」と繰り返す千尋

なかなか根性があるところを見せたシーンにも感じられますが、僕には肩を小刻みに震わせる千尋が、ハクに言われた通りにすることに縋ることしかできないほどに追いつめられてるように感じられました。

これは比較的若い世代の大人なら共感してくれやすいと思うのですが、子供の頃は二十歳を過ぎて就職したら自分は大人になると思っていたのに、実際のところ中身はそんなに変わっていないと感じたことはないでしょうか?

僕は今でも感じています。(笑)

では大人と子供の違いって何なんだろうと考えてみたら、大人は大人らしく振舞わなければならない場面がたくさんあって、そんな場面の繰り返しこそが大人を大人に見せるのではないかと思うのです。

そして、そういう場面にはどうしても最初は怖さがあるものですが、千尋は僅か十歳で、しかも何の覚悟もなく突然立たされたわけで、挙句の果てに相手は超常的な存在ときたら普通は恐怖で漏らしてもおかしくありませんね。(笑)

ともあれ、千として湯屋で働くことになった千尋からは、不思議の町に迷い込む前の少し甘えたところのある子供らしさは鳴りを潜め、とても逞しい姿が目立つようになります。

f:id:Aruiha:20200106213752j:plain

(『千と千尋の神隠しより)

そんな千尋が泣き出してしまうシーンがありますが、これは豚になった両親をハクの案内で見せられた直後。両親に近付いた直後に大人らしい仮面が外れてしまい、元の子供らしい姿を見せているという構図が興味深いですね。

カオナシという化け物が示すこと

ここまでで何となく千と千尋の神隠しという物語では大人と子供の違いについて強調するように描かれているような気がしていました。

千尋千尋の両親。

それに千尋自身も、両親といる時の子供らしい姿から、名前を奪われて千となった後の逞しく大人的に描かれている姿。

f:id:Aruiha:20200106220136j:plain

(『千と千尋の神隠しより)

そしてカオナシというキャラクター。彼(彼女?)は非常に謎めいたキャラクターではありますが、湯屋の従業員を飲み込んで巨大で醜い化け物になったあとの姿は、欲望にまみれた汚い大人のようにも、無邪気に欲しいものを欲する子供のようにも感じられます。

正直なところ、このカオナシというキャラクターが何を示唆していたのかは今でも僕にはわかりません。

ひとつの物語の中で子供(千尋)と大人(千)の両方の一面を持つことになった主人公の鏡なのかもしれませんし、それはただの考えすぎなのかもしれません。(笑)

しかし、少なくとも千尋カオナシのことを無邪気な子供のように捉えていたのではないかと思っています。

お客様であるカオナシに対して千尋は最初敬語で接していましたが、化け物のような姿になり、だだをこねるような子供っぽい姿を見せてからは子供を諭すような声の掛け方をしているような気がしました。

そう考えると、大人っぽく逞しくなった千尋を引き立てるために存在したのがカオナシなのかもしれませんね。

最期に千尋が得たものとは?

全てが解決し人間の世界に戻れることになった千尋ですが、不思議な町の冒険を通して千尋が得たものは何だったのでしょうか?

湯屋では千として逞しく働いていた千尋ですが、両親と合流した後は再び少し甘えた子供らしさも取り戻しています。

f:id:Aruiha:20200106222138j:plain

(『千と千尋の神隠しより)

トンネルを抜けるまでは振り返ってはいけないとハクに言われ振り返らなかった千尋は、トンネルを抜けた後に一度ジッと振り返っています。

その時、銭婆の編んだ髪留めがキラリと目立っていますが、果たして千尋に残ったのはこの髪留めだけだったのか?

いや、あくまでもこの髪留めは不思議な町での出来事の証拠でしかなく、何かしら千尋には得られたものがあったはずです。

それは恐らく、転校でアンニュイな気持ちになっていたけど、少し前向きになれたというような、単純で小さな変化なのだと思います。

しかし、この少し前向きになれることが大事なのだと、そう千と千尋の神隠しという作品は言いたいのだと感じました。

いつも何度でも

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから

※「いつも何度でも」の歌詞より抜粋

これは千と千尋の神隠しのエンディングに流れる主題歌「いつも何度でも」の歌詞を抜粋したものとなります。

どうやら元々は千と千尋の神隠しのために作られた曲というわけでもないらしいのですけど、しかし驚くほど作品のテーマにマッチした主題歌になっており、最後にこの曲を聴くことで視聴後もしばらく千と千尋の神隠しの世界に浸っていられるような気持になります。

要約すると、千と千尋の神隠しは両親や名前を奪われた千尋が最後にはその両方を取り戻した上で前向きにもなれたという物語だと思うのですが、 まさにゼロになってしまったところから、これまで以上に充たされるというストーリーですからね。

そんな感じで、『いつも何度でも』の歌詞の最後は、まさに千尋の物語における最後の千尋の感情が歌われているように感じるのです。

最後の「振り向かないで」というハクのセリフは過去を顧みないという意味が含まれる隠喩だと思うのですが、「海の彼方にはもう探さない」というのはそれに対する千尋の「振り向かない」という返事になっているように思えますし、「輝くものはいつもここに わたしのなかに見つけられたから」というのは、不思議の町での経験を経た千尋には確かに得たものがあるのだという証拠になっているように思えます。

呼んでいる 胸のどこか奥で

いつも心躍る 夢を見たい

こちらは「いつも何度でも」の歌いだしの歌詞ですが、アンニュイでどこか拗ねた感じだった序盤の千尋の心情を歌っているようですね。

そんな感じで、千と千尋の神隠しを観た後にはスッと入ってきやすい歌詞になっているんです。

映画好きな人の中にも最後のエンディングは観ないタイプの人は一定数いると思いますし、僕も洋画なんかの膨大なスタッフロールにはうんざりしてしまうところがあったりすることもあるのですけど、この「いつも何度でも」という曲に関しては千と千尋の神隠しを観た直後こそが最も歌詞の良さが分かるタイミングなので、ちゃんと本編と続けて最後まで聴いてみて欲しいものだと思います。

物語に引き込んでくれるサウンド

もはやジブリ作品の個性のひとつと言っても過言ではないのが、久石譲氏による作中BGMですよね。

千と千尋の神隠しにおいてもそれは例外ではありません。

正直どの作品のサウンドも素晴らしく、そこに順位を付けることはできません。

しかし、音楽単品ではなく作品とのマッチ度を比較してみた場合、千と千尋の神隠しが頭一つ分抜きん出ているのではないかと感じています。(あくまでも個人的な感想で、人それぞれの感じ方はあるはずですが)

f:id:Aruiha:20200108223843j:plain

(『千と千尋の神隠しより)

観る人を一気に作品の世界の中に引き込む序盤の素晴らしさは語るに及ばずですが、それに一役買っているのがまさに作中BGMだからです。

アンニュイな千尋の登場とともに流れている「あの夏へ」は、千尋の心情の変化に合わせて曲調が変わっていきます。転校することになった千尋の寂しげな心情が現れた静かな音色から、無茶な運転で脇道を通る父親の運転に、曲調も徐々に荒々しさを増していきます。

f:id:Aruiha:20200108224758j:plain

(『千と千尋の神隠しより)

個人的に気に入っているのは、千尋が銭婆の元へ向かうために沼の底駅を目指すシーンで流れている「6番目の駅」という曲。

とても不気味で落ち込んだ印象の曲なのですが、しかし不思議と怖さの無い個性的な曲になっています。

そして、これはほんの一例で、千と千尋の神隠しにおける作品とサウンドの一体感は本当に半端ではないのですね。

もしもこの作品が漫画や小説だったとしたら、同じ物語であったとしても受ける印象もまた違ったかもしれないと思えるほどです。

いずれにしても、どうしても物語の内容やキャラクターに着目してしまいがちではありますけど、このサウンドの素晴らしさもまた千と千尋の神隠しという作品の重要なピースであることは間違いありません。

 

総括

いかがでしたでしょうか?

長文になりましたが、これが僕が千と千尋の神隠しを観た当時を思い出しながら書いた率直な感想文となります。

いや、正直言って後から得た知識や考察の影響を全く受けていないと言えば嘘になりますし、何度も観ている作品だからこそ一度観ただけの作品のレビューなんかよりは深いものになっているところもあります。

実際に初めて観た直後に感想文を書いていたら、また違った内容になっていたのではないかとも思います。

しかし、根本のところで感じたことは変わらないのではないかと思います。

初めて観た時も漠然と共感した千尋の不安は、誰もが子供の頃に感じたことのある類の不安です。

そして、それをトンネルのむこう側という異世界を舞台に具現化した作品であるということ。

それが千と千尋の神隠しという作品の根本だと僕は思いますし、それは初めて観た時から変わっていません。

本記事で改めて率直な感想を書いてみたことにより、千と千尋の神隠しという作品に対して感じていたことを改めて再認識することができましたが、不思議なことに深く触れたばかりの作品を早くもまた観たいと思ってしまっている自分がいます。

どんな名作でも、何度も観れば通常は飽きがくるものなのに不思議ですね。

これは前述した通り千と千尋の神隠しが、そして荻野千尋というキャラクターに、子供の頃の自分に共感させられるような性質があるからなのだと思います。

面白いからまた観たいのではなく、懐かしいからまた観たいという気持ちにさせられるわけですね。

これはもちろん古い作品だから懐かしいというわけではなく、いやそれもあるかもしれませんけど、ただただノスタルジックに子供の頃の古いアルバムをめくるような感覚に近いのかもしれません。

普段はアニメーション作品に興味を示さないような層にまで響く作品になっているのがその証拠ですよね。

今後、千と千尋の神隠しを上回るようなアニメ映画が誕生するようなことがあるのか否かは定かではありませんが、たとえあったとしても千と千尋の神隠しという素敵な作品は色褪せないのではないでしょうか?

2020年に再アニメ化されるらしい『ダイの大冒険』ってどんな作品?

f:id:Aruiha:20191222092111p:plaintoei-anim.co.jp/tv/dai/

 

近年では古き名作が再び脚光を浴びるようなことが少なくありませんが、『ダイの大冒険』の再アニメ化の特報には本当に驚きました。

2019年12月21日。

この特報は、ファンにとってちょっと早めのクリスマスプレゼントになりましたね。

ケーキ買ってこなくちゃ・・です。(笑)

本記事では、『ダイの大冒険』を知らない人のためにどんな作品なのかの振り返りと、発表された情報をまとめつつ期待を煽っていきたいと思います! 

www.toei-anim.co.jp

?

ダイの大冒険』ってどんな作品?

30年ほど前に週刊少年ジャンプで連載されていた人気漫画で、週刊少年ジャンプには珍しい王道的な剣と魔法のファンタジー作品になります。

週刊少年ジャンプの連載作品らしいいわゆる友情・努力・勝利の要素も色濃いですが、国民的PRGであるドラゴンクエストの世界観が元ネタになっているので、どちらかといえばスクエニっぽさのある設定でもあり、だからこそ歴代の週刊少年ジャンプの連載作品の中ではある意味強い個性を放っている作品になっていますね。

特報でも紹介されているように累計発行部数は4700万部の大ヒット作。

本家ドラクエには登場しない呪文が登場するなどオリジナル要素も多いのですが、それが後に本家ドラクエに逆輸入されることになるほど影響力の大きな作品でもあります。

ドラゴンクエストはプレイするけど『ダイの大冒険』は知らないという人は、もしかしたら本家オリジナルだと思っている要素の元ネタが実は『ダイの大冒険』だってこともあるかもしれませんよ?

最初は勇者に憧れるだけだった少年ダイが、徐々に勇者として成長していって大魔王バーン打倒を目指す物語。アバンの使途という仲間を繋ぐ設定も素敵な作品です。

しかし、それだけの人に読まれている人気作品にしては、過去にアニメ化された際の人気はそこそこという印象は拭えません。

放送時期に物語が中盤だったこともあるかもしれませんが、これだけの名作のアニメ化にしては少々残念な結果だったのは否めません。

それだけに、改めて完全新作アニメとして制作されると聞いた時にはとても嬉しく、どうしても楽しみにならざるを得ません。

近年における剣と魔法のファンタジーといえば異世界転生・転移ものの作品がジャンルを席巻している印象が強いですが、たまには原点に戻って『ダイの大冒険』のような作品に触れてみたいと思っていたところだったのですが、もしかしたら王道的なファンタジー作品に回帰していくキッカケになれば面白いかもしれませんね。

ちなみに、個人的にこのアニメ化は意図せず絶妙なタイミングになっていて、最近本ブログにて『ダイの大冒険』の1巻から順にレビューしていっていて、その途中だったりします。

よろしければ予習としてそちらもご覧になっていただければ幸いです。

もちろん、原作を読んでみた方がより予習になるとは思いますけどね。(笑)

www.aruiha.com

f:id:Aruiha:20191222093226p:plaintoei-anim.co.jp/tv/dai/

ただ、一言だけ。

公式HPや特報映像に登場するダイの剣の画像ですが、確かダイの剣はこんな格好良く台座に収まっているような剣ではなかったはず。(笑)

まあ、格好良いから良いんですけどね。

まさかの再アニメ化情報に大興奮

www.youtube.com

こちらは今回発表された特報映像ですね。

アニメ化の発表を通知するだけの特報なのでまだまだ簡素な情報しか紹介されていませんが、その情報そのものがファンにとってはかなりのカンフル剤になっています。

f:id:Aruiha:20191222092123p:plaintoei-anim.co.jp/tv/dai/

映像は、竜の紋章を光らせアバンストラッシュを決めるダイの数秒程度しかありませんが、あまりにも格好良いので何度だって見てしまいますね!

ちなみに、このアバンストラッシュの基礎となる技(大地斬など)も原作ゲームに逆輸入されてる技だったりします。

実際、ドラクエ11の主人公が放つ大地斬系の技の構えがモロにアバンストラッシュになっています。

ドラクエ11といえば、ドラクエ11はナンバリングタイトルの中でも『ダイの大冒険』の影響が強く感じられる作品だったりします。

直近のナンバリングタイトルが『ダイの大冒険』の影響が強い作品になっているのが、実は再アニメ化の伏線になっていたというのは考えすぎでしょうか?

まあ考えすぎなんでしょうけど、そんな考えすぎをしてしまうくらいに興奮してしまうのも仕方がありません。それだけ楽しみなんですから。

特報には更に気になる情報も!?

しかも、発表された情報はアニメ化だけではありません。

な・ん・と!

f:id:Aruiha:20191222092132p:plaintoei-anim.co.jp/tv/dai/

ゲーム化プロジェクトが同時始動しているらしいことも発表されています!!

僕は、ドラクエはナンバリングタイトル以外はほぼプレイしないタイプの人間ですが、もし『ダイの大冒険』を元ネタにゲームが作られるのであれば、それは正直やってみたいような気がします。

ゲームの世界観が原作の漫画がゲーム化されるなんて、ありそうで無かった試みですよね?

どんな媒体で発売されるどんなゲームになるのか、今からとても楽しみです。

個人的にはスイッチが良いなぁ~

『冴えない彼女の育てかたFine』エピローグまで目が離せない劇場アニメの感想(ネタバレ注意)

f:id:Aruiha:20191026195122p:plain

saenai-movie.com/

 

ブコメライトノベルって毎シーズンいくらかアニメ化されるくらい人気のジャンルではあると思うのですが、アニメ化される作品って大抵の場合その時点で結構長くシリーズが続いていたりするものです。

下手したら単行本10冊近いか、超えている場合もありますね。

だからアニメ化される場合って途中のキリの良い部分で区切りを付けるのが普通なのだと思います。

それは『冴えない彼女の育てかた』の場合も例外ではありません。

人気作なら二期、三期と続くケースもありますが、最後まで綺麗に描かれているということは稀だと思います。

それには人気作の場合、完結自体なかなかしないからという事情もありそうですけど。

そういう意味では、短編込みで20冊近い大作である『冴えない彼女の育てかた』が、アニメで原作のラストまで丁寧に完走したのはとても珍しい出来事なのではないかと思います。

しかも、そのラストを飾る劇場版『冴えない彼女の育てかたFine』のクオリティが想像以上に高かった。

実は、『冴えない彼女の育てかた』は原作1巻から読んでいますけど、個人的には面白いとは思うものの「超名作だっ!」と感じるほどの思い入れはありませんでした。

どのキャラクターも魅力的で、特に加藤恵は数あるラブコメのヒロインの中でも断トツのヒロインだと思っていて、しかし単純な面白さならもっと上の作品が少なからず存在するだろうというのが、個人的に『冴えない彼女の育てかた』という作品に感じていたことです。

ただの消費系オタクが偉そうなこと言うなって感じかもしれませんが、この感想はアニメの1期2期を観た後も変わりませんでした。

なので今回の劇場版『冴えない彼女の育てかたFine』も特別大きな期待をしていたわけでもなく、最後だし取り合えず観るかってノリで観ただけだったのですが・・

何コレ、めっちゃオモロイやん!

原作のラスト3冊分くらいを詰め込んだ内容なわけですが、とても綺麗にまとまっている・・というか、見所をギュッと濃縮しまくって、それでいてストーリーを破綻させない素晴らしい映画になっていました。

良い意味で、観ていて休まるタイミングがありません。

あっ、ちなみにまだ観ていない人には一つ警告しておきます。

エンドロール後のエピローグが結構長いので、エンドロールで帰っちゃダメですよ!

僕の隣の人はエンドロールが始まった後そそくさと帰ってしまいましたが、エピローグが結構面白いので見逃したら勿体ないです。

?

本作の概要

加藤恵をモデルとしたメインヒロイン・巡璃のシナリオを書くのにスランプに陥ってしまった安芸倫也は、キモくすらある個性を武器にその方向性を確信します。

そんな安芸倫也に呆れながらもついて行く加藤恵との距離縮まり、いつの間にか名前で呼び合う仲へと進展していくのですが、紅坂朱音の入院をキッカケに安芸倫也は、英梨々と詩羽の携わるゲーム『フィールズ・クロニクル』において紅坂朱音の代わりを務めようとします。

しかし、それは即ち自分たち『blessing software』の作業を一時中断することを意味するため、加藤恵を怒らせてしまうことになりました。

そして、そんなゲーム『フィールズ・クロニクル』の制作過程がひとまずの成功したその後の加藤恵との仲直りが最大の見所になっています。

原作における最後の盛り上がりである11~13巻がきれいに一本の映画に纏まりました。

本作の見所

内緒で名前を呼び合う関係性

考えてみれば主人公である安芸倫也のことを名字呼びしていたのは加藤恵だけで、他のヒロインは下の名前かあだ名で呼んでいました。

だから安芸倫也が名前呼びされること自体は今さらという感じなのですが、もともと名字呼びだったところから変化するという所に特別感がありますよね。

つい口を吐いたように自然に名前で呼んでしまってハッとする加藤恵がとても可愛らしかったです。

その後も二人でいる時は名前で呼び合うようになるのですが、他に人がいる時に唇の動きだけで名前を呼び合うシーンがもの凄くむず痒い。

もし名前で呼び合うようになったことを知られたくないのであれば、人がいる時は今まで通りにしていれば良いとも思うのですが、一方でこういうことがしてみたくなる気持ちも分からなくもない。

みんなには内緒にしていることを、しかしバレるかバレないかギリギリのラインで仄めかしてみたくなることってあると思います。

僕の場合は単にこういうことに対して秘密主義なだけですが、照れがある状態でこういう行動をしてしまう人って可愛らしいと思います。

紅坂朱音が脳梗塞で倒れた影響

冴えない彼女の育てかたFine』においては安芸倫也加藤恵の関係性の進展って意味合いでの見所が多かったような気がしますが、本作品のストーリーの本筋は安芸倫也を主体としたゲーム作りにあります。

紅坂朱音に自身が書いたシナリオを読んでもらって安芸倫也はスランプから脱し、遅れていた『blessing software』のゲーム作りは軌道に乗り始めます。

しかし、紅坂朱音が脳梗塞で倒れたことで安芸倫也は英梨々と詩羽の携わるゲーム『フィールズ・クロニクル』に関わることになってしまい、その間『blessing software』の作業を中断することになってしまいます。

そして、『blessing software』の作業の進捗と加藤恵の機嫌がシンクロしているのが面白いんですよね。

普通の女の子である加藤恵がいつの間にか安芸倫也のゲーム作りに凄く真剣になっていくのは作品通しての見所だと思いますが、それが単にゲーム作りにハマっただけなのか、安芸倫也に惹かれてしまったからなのかがよく分からない微妙なラインも観る人を揺さぶります。

ともあれ、そういうわけで紅坂朱音というキャラクターが倒れたことが『blessing software』にとっても安芸倫也加藤恵の関係性にとっても波乱を起こす中心になっているわけですね。

メインキャラクターの中では比較的サブに近いキャラクターである紅坂朱音が最後のエピソードでキーになっているわけですが、よくよく考えたらそうしないと英梨々と詩羽を蚊帳の外にしてしまった上でラブコメが進展してしまうわけなので、彼女らをストーリーに巻き込むためにはちょうど良かったってことなのかもしれませんね。

安芸倫也の告白シーン

もちろん最大の見所!

ブコメ、ラブストーリーにおいて男女が引っ付くのは普通のことです。

そこには何の意外性もありません。

なんならいつの間にか引っ付いていて告白シーンらしい告白シーンが存在しないラブストーリーだって少なくないと思います。

それは、そんじょそこらの告白シーンにはみんなある程度慣れてしまっていて、かといって奇をてらうようなシーンでもないからなのかもしれませんね。

そして、安芸倫也加藤恵に告白するシーンも、その情景を説明しただけならありふれた告白シーンになるのかもしれません。

しかし、その演出がとても素晴らしかった。

本当に短いはずのシーンが結構な尺を取って丁寧に描かれていたという印象です。

安芸倫也が作ろうとしているゲームのように、観る人を最高にキュンキュンさせるキモオタ全開の告白シーンでした。(笑)

映画館って公の場で大の大人が頻繁に泣いてしまうある意味では特殊な場所だと思っていて、僕も映画館で多少泣いてしまうくらいのことを恥ずかしいと思ったことはありません。

むしろ、そういう時に我慢してしまわない方が楽しめるものだと思っているからです。

しかし、安芸倫也の告白シーンは観ているだけで身悶えするほど恥ずかしかった。

映画を観ていて恥ずかしいと感じたことはあまり・・というかほぼ無いはずなので、これは新鮮な体験でした。

安芸倫也があまりにも恥ずかしくて、思わず目を瞑ってしまいそうになったり、気まずさから「いやいやいや・・」みたいな感じで声に出して思わずツッコミを入れてしまいそうになるほどでした

なんでこのシーンがこんなに観ていて恥ずかしいのかって、それは恐らく安芸倫也があまりにも恥ずかしそうだったからなのだと思います。

映画は人を共感させるもので、あんな安芸倫也に少しでも共感してしまった日には悶え死にして当然というわけですね。(笑)

総括

いかがでしたでしょうか?

実は僕がこうして映画のレビュー記事を書いている時、ある程度観る前から「この映画は観た後にレビュー書くぞ!」って決めていたりします。

まあ、内容があんまりだったり難解だったりしたら書かないことも多いのですけど。(笑)

そういう意味で『冴えない彼女の育てかたFine』はレビュー記事を書くつもりが全くなかった映画でした。

前述したとおり、そこまで熱烈に好きってわけではなかったし、ライトノベル原作の劇場アニメに対して、例えば映画用に作られたオリジナルアニメほどの期待はしていなかったというのが大きいです。

そもそも、ラブコメ系のライトノベルは好きですけどアニメ化されると冷めてしまうことも多いので。

しかし、『冴えない彼女の育てかたFine』には不意打ち気味に、想像以上に感動させられてしまったのでこうしてレビュー記事を書いてみたわけです。

もちろん1期2期から続く作品なのでコレだけを観ても微妙かもしれませんが、この劇場版『冴えない彼女の育てかたFine』を観るためだけに1期2期をおさらいするのは正直アリだと思いました。

実は、僕も観た後すぐに原作を読み返したくなって電子書籍版を再購入してしまいました。(笑)

なんというか、アニメに限らず良い映画を観た後ってその余韻にいつまでも浸っていたくなりたい気分になることがありますが、僕の場合それが原作を読み返したり、同じ作品に関連する何かに触れることだったりするわけです。

「終わり良ければ全て良し」と言いますが、この劇場版『冴えない彼女の育てかたFine』があったからこそ僕の中で『冴えない彼女の育てかた』という作品は名作フォルダに振り分けられたような気がします。

あっ、ただ劇場版で観る上で一つだけ注意点があります。

それはマジで身悶えしてしまいそうになるほど、そして目を逸らしたくなるほど観ていて恥ずかしいシーンがあること。

というか、僕は実際に身悶えしていたかもしれないし、誰も見てないのに思わず目を閉じてしまったりもしていました。(笑)

上述した本作の見所を読めばどのシーンのことか想像つきますかね?

『空の青さを知る人よ』大人と子供の青春を描いた物語の感想(ネタバレ注意)

f:id:Aruiha:20191014080840p:plain

soraaoproject.jp

 

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない

心が叫びたがってるんだ。

そんな二つの名作とともに三部作に位置付けられている作品ということで、とても期待して心待ちにしていたのが『空の青さを知る人よ』という作品でした。

埼玉県秩父市周辺を舞台にしていることもあり、前二作品にも登場した風景やご当地ネタが散見しているのも興味深い作品となります。

とはいえ、個人的には『心が叫びたがってるんだ。』が滅茶苦茶心に刺さったこともあり、期待はしていても『心が叫びたがってるんだ。』以上ということはないだろうなぁと漠然と思っていました。

しかし、そんな推定は良い意味で裏切られました。

正直言って僕には『心が叫びたがってるんだ。』以上に『空の青さを知る人よ』が刺さりました。

また、今年公開のアニメ映画では、大ヒット中の天気の子がやっぱり飛びぬけて面白かったというのはありますけど、より心に刺さったのは『空の青さを知る人よ』の方でした。

まあ、かなりタイプの違う作品なので比べることの意味は無いと思いますけど。

同様に過去二作品とも順位付けする意味はありません。

『あの花』は小学生から高校生に成長して変化する人間関係を描いた物語で、『ここさけ』は高校生の青春を描いた物語。そして『空の青さを知る人よ』は、高校生から大人(アラサー)に成長して変化する人間関係を描いた物語だと思います。

女子高生の相生あおいが主人公という形ではありますが、彼女はどちらかといえば物語の中心にあってそうではない。語り部タイプの主人公であり、本当の意味での物語の中心は彼女視点で見る大人たちでした。

つまり、この三部作は全て物語の中心にいる人物の年齢が違っており、だからこそどんな世代に刺さるのかも違っているので比べる意味が無いというわけです。

アラサー世代である僕には『空の青さを知る人よ』が刺さるのも自然なことってわけですね。

時の流れを描いたところにちょっぴりSF的な要素を加えている点は『あの花』に似ていますが、全く違った後味の作品になっているのも特徴。

どちらかといえば中高生くらいに刺さりそうな作品が多いアニメ映画の世界ですが、中高生くらいに共感しやすいであろう相生あおいを主人公に据えた上で、特にアラサー世代には刺さる作品に仕上がっているのがとても興味深い作品だと思います。

 

?

 

本作の概要

幼い頃に両親を亡くした相生あおいは、姉である相生あかねと二人暮らし。

妹である相生あおいを育てるために自分を犠牲にしている相生あかねのことを気にして上京することを望んでいた相生あおいでは、音楽で食べていくためにいつもお堂でベースの練習をしていました。

そんなある日、一人でいたはずのお堂に幼い頃に会ったことのある相生あかねの恋人・金室慎之介が現れて、相生あおいはとても驚かされます。

13年の月日が流れているにもかかわらず、その金室慎之介は13年前のままの姿で、何故かそのお堂から出ることができません。

その金室慎之介の認識は、13年前に両親を亡くした相生あかねと上京を巡って口論したばかりの頃でした。

どうやら生霊というやつらしいです。

金室慎之介を含む13年後の人間関係に、13年前の金室慎之介が入り混じる中々に複雑な物語となります。

本作の見所

割と不愛想な主人公(ヒロイン)

『あの花』のヒロインの本間芽衣子はまさに天真爛漫。『ここさけ』の成瀬順はトラウマから喋ることができなくなっていましたが本質的にはお喋り好きで感情表現が豊かでした。いずれにしても愛想は良いキャラクターだったと思います。

対して『空の青さを知る人よ』の相生あおいは不愛想の一言。どちらかといえばかなり偏屈で面倒くさい性格をしています。

僕はどのようなフィクション作品でも、少なくともアニメーションにおいては主人公やヒロインにどこかしら親しみを持てるところがないと、作品そのものもなかなか好きになれないような気がするのですが、そういう意味で相生あおいはあまり魅力的なキャラクターではないと感じていました。

サブキャラとしては「あり」でも、ヒロインを兼ねた主人公の立ち位置のキャラクターではないだろうと感じ、もしかしてこの映画ってハズレかなとまで最初は思いました。

しかし、結論から言えば相生あおいが相当に面倒くさい女子高生だったからこそ『空の青さを知る人よ』が良い作品になっているところもあるのではないかと感じました。

相生あおいがただの素直な良い子ではなく、偏屈で面倒くさいけど姉思いで、不愛想に見えるけど感情的なキャラクターであるからこそ面白い作品だったと思います。

13年の時間の流れ

個人的に、時間の流れが描かれている作品自体が結構好きなんですよね。

数十年から数百年レベルの時間の流れが描かれているSF的な作品とか、人の一生を描いたようなヒューマンドラマ的な作品とか、面白いですよね。

そして、『空の青さを知る人よ』でも13年という時間の流れが描かれています。

ミュージシャンを目指す高校生とその彼女とその妹。彼らの13年後を、生霊という形で当時の高校生本人が見ることになるという構図が非常に面白い。

金室慎之介は一般的な高校生よりも夢見がちで、希望に満ち溢れているような前向きな少年でした。

ミュージシャンになって一発当ててやろうって意気込んでいる少年が、13年後にプロとはいえ演歌歌手のバックバンドをやっていて、しかもいかにも枯れた雰囲気のアラサーになっている姿を見るのは一体どのような気持ちなのか想像すると切ないです。

いやはや、13年前の自分に今の自分を自信をもって見せられる人ってどれくらいいるのでしょう?

たぶんそれは結構少なくて、だからこそ昔に戻ってやり直したいなんて感情が成立するのだと思います。

金室慎之介と同世代のアラサー世代の人にとっては、そういうシチュエーションを見て何かしら刺さる部分があるのではないでしょうか?

少なくとも、僕は割と過去に対して後悔していることが多い方で、昔の自分の今の自分は情けなくて見せられないと思う側の人間なので、金室慎之介の置かれた状況にはかなりグッときました。

逆に、高校生の金室慎之介は凄く眩しいですね。明るくて優しくて愛想も良くて、不愛想な相生あおいが好きになってしまうのも頷けます。

個人的に印象に残っているのは、お堂に13年後で31歳になった相合あかねが登場したシーン。

精神的に高校生である金室慎之介の生霊からしてみれば、31歳の女性はどんなに美人で可愛らしい人だったとしてもかなりのおばさんのはずです。

それを、何度も「ババアになってた」なんて失礼なことを言いながらも「早くもらってやらないと」と改めて相生あかねに対する好意を口にする金室慎之介の生霊は、凄く格好良かったと思います。

井の中の蛙

井の中の蛙大海を知らず

されど空の青さを知る

これは『空の青さを知る人よ』という作品における重要なキーワードとなります。

世間知らずを示すことわざ「井の中の蛙大海を知らず」に「されど空の青さを知る」が付けたされたそこそこ有名な言葉ですが、いつどこで誰が付け足したのかは明らかになっていないようですね。

「青さ」じゃなくて「深さ」だったり、「空」じゃなくて「天」だったり「海」だったり、いろいろなバリエーションがあるようですが、作中でも相生あおいが言っていた通り周囲を山地に囲まれたような秩父においては「されど空の青さを知る」がピッタリくるような気がします。

意味としては、閉じられた狭い世界にいても、だからこそその良さが分かるし突き詰めることができるというもので、この言葉が好きだという相生あかねのキャラクター性にバッチリとマッチした言葉ですね。

また、大成したとは言い難いけどミュージシャンという道を歩き続けようとしている金室慎之介もまた空の青さを知る人なのかもしれません。

そう考えると本作品のタイトルである『空の青さを知る人よ』は、相生あおいによる相生あかねと金室慎之介が空の青さを知る人であるという気付きそのものなのかもしれないと感じました。

総括

いかがでしたでしょうか?

『空の青さを知る人よ』のキャッチコピーは、「これは、せつなくてふしぎな、二度目の初恋の物語」でした。これが意味するところは、実際に『空の青さを知る人よ』を観た後でも何通りかの解釈がありそうな気がしています。

金室慎之介と相生あかねのことを言っているのか。

相生あおいと過去の金室慎之介のことを言っているのか。

それともその両方なのか。

そんな解釈をしてみることに大きな意味は無いと思うのですけど、個人的に「二度目なのに初恋」という一見矛盾していそうなキャッチコピーが、しかし言葉通りに描かれている作品というような気がしたので少し考えてしまいました。(笑)

いやはや、考えれば考えるほど 『空の青さを知る人よ』がより素敵な作品に感じられるようになってきました。

繰り返し見ることで新たな発見がある類の作品ではないとは思うのですけど、もう一回くらいは見てみたいなぁと思っています。

ちなみに、入場者特典で三部作の主人公orヒロインが描かれているクリアファイルが貰えます。三部作のファンならこれは嬉しいですね!

f:id:Aruiha:20191014081811p:plain

 

『りゅうおうのおしごと(8)』感想戦の2人が雅に活躍する一冊です(ネタバレ含む感想)

 

本記事は将棋ラノベの名作であるりゅうおうのおしごと!の魅力を、ネタバレ含む感想を交えて全力でオススメするレビュー記事となります。

山城桜花。親友同士の三番勝負を描いた8巻目となります。

?

本作の概要

あらすじ(ストーリー)

春はプロ棋士も春休み。八一は女流棋士になった一番弟子の雛鶴あいを連れて京都に行きます。

しかし、その目的は観光ではなく女流タイトルの山城桜花戦の観戦でした。

八一はそこであいに、アマチュア時代のあいに教えていた礼儀とは違う、たとえ相手の心を傷つけることでも少しでも勝利に繋がることであれば積み上げていくプロとしての覚悟を教えようとします。

そんな山城桜花戦のカードは、タイトルホルダーであり永世称号であるクイーン山城桜花がかかる供御飯万智と、同じく女流玉将のタイトルを持つ挑戦者。供御飯万智の親友でもある月夜見坂燎となります。

親友同士でありながら、相手の心を痛めつけあうようなタイトル戦。

華やかで雅やかな公開対局でありながら、互いに葛藤しながらも意地をぶつけ合う熱戦が繰り広げられます。

特に三局目の、互いを認め合っているからこそ互いの得意戦法を用いる展開が素晴らしいと思います。

また、8巻は供御飯万智と月夜見坂燎による山城桜花戦。対局者の二人の心情を描くと同時に、二人と仲の良い八一から対局者への景気付けのような過去の面白いエピソードが語られるという短編集の側面もあります。

ピックアップキャラクター

7巻が大人の男の渋みを描いた内容だったのに対して、8巻では雅やかな女流タイトル戦の模様が描かれています。

そのカードは、1巻からあとがきの後に描かれていた感想戦の2人。

作者によるとメインで登場させるつもりは無かったキャラクターだそうですが、あまりにも人気が出たためこうして登場してきたようです。

月夜見坂燎

f:id:Aruiha:20190731071313p:plain

(「りゅうおうのおしごと!(8巻)」より)

通称「攻める大天使」。口や態度は悪いが、自戦記という形で対戦相手である供御飯万智や九頭竜八一への素直な尊敬を示したり、意外な一面をのぞかせます。

供御飯万智

f:id:Aruiha:20190723222232p:plain

(「りゅうおうのおしごと!(8巻)」より)

通称「嬲り殺しの万智」。観戦記者の鵠としてはおなじみですが、観戦記者の時とは違った勝負師の顔を見せてくれます。

ネタバレ含む感想

短編3つ

やきにく将棋

一日中練習将棋を指して疲れている八一とあいは、何か外食をと焼き肉に行くことになりました。そして、二人だけでは寂しいということで他の棋士を誘うことになったのですが・・

同席することになったのは八一の姉弟子の銀子。

"no-img2″
空銀子

今年も竜王戦の賞金が入って来るから、対局に全部負けても年収四千万以上は確定だし。タイトル失冠しても番勝負に出るだけで千五百万くらいもらえるんだっけ? いいわよねーお金持ちで。そりゃあ家で小学生を飼おうって気にもなるわよねー

"no-img2″
あい

・・おばさんには聞いてないんですケド

"no-img2″
空銀子

誰がおばさんやコラ?

相対するたびに喧嘩腰になるあいと銀子ですが、個人的にはこの二人の関係性が地味に好きだったりします。

焼肉屋さんでのこのやり取りも、険悪ではありつつもなぁ~んか後々良好になっていくんじゃないかって空気を感じるからです。

険悪な二人の間にいるのは八一であることは恐らく間違いなく、だとすればある意味で似たもの同士だとも言えますからね。

それにしても、八一にある種の好意を持っているであろう二人が言い争うことで、何故か当の八一の評判が著しく下がっていく展開は面白いと思います。

将棋アイドル

近年、現実でも将棋の世界の注目度は高まっています。

どんな世界でも一人のスターが飛躍的にその世界の注目度を上げることはよくあることで、そんな時期だからこそそのスターだけではなく業界全体の理解者(ファン)を増やそうという考え方はある意味自然なことだと思います。

注目されているからこそのテコ入れって感じでしょうか?

そして、作中でも語れるように最近では観る専の将棋ファンや囲碁ファンってのも増えてきているようですね。

昔ながらのファンは普通、自分自身もプレイヤーであるのが常だと思いますが、そうではない人もいるというのはそれだけ裾野が広くなり、多様的になってきたとも言えます。

マイナー競技であればあるほど、それに関わるのはプレイヤーに偏ってくるのはある意味当然の帰結ですからね

そういうわけで、というわけでもないのかもしれませんが、八一は月光聖市の秘書の男鹿ささりの指示で、あいを中心とするJS研のメンバーを将棋アイドルとして売り出すことになります。

"no-img2″
あい

でも師匠。それでどうして、わたしたちがアイドルになるんです?

"no-img2″
八一

要するに、関西でも将棋ブームを起こしたいと。その起爆剤として女子小学生のみんなに女流棋士を目指す将棋アイドルユニットを結成してもらいたいっていうのが、上層部の意向なんだね

・・とまあ、こんな感じの経緯で結成され分けなのですが、いくら可愛くてもアイドルにはそれなりの才能が必要でしょうし、いくら将棋が強くてもアイドルのプロデュースがまともにできるわけではありません。

アイドルなのに曲も無い。

準備する時間も無い。

そんな状況で行われたライブは、まさかの公開目隠し将棋。

なんといいますか、将棋イベントと考えたら割と盛り上がりそうだとは思いつつも、アイドルのライブとしてはシュールこの上ないですね。(笑)

ゲームの監修

将棋のプロ棋士が将棋以外の仕事をしていることもあるのは、意外といろいろな所で名前を見かけるので知っている人も多そうですね。

将棋以外のイベントに登場することもありますし、漫画やゲームの監修なんてのも定番だと思います。

そして、八一にもついにゲームの監修の仕事が舞い込んできました。

依頼者は夜叉神天衣の付き人の池田晶。夜叉神天衣も小学校に通っていたりと、常に付き人できるわけではないので他の仕事もしているようですね。

"no-img2″
八一

それで今回は将棋ゲームを作る・・ということですね? もちろん力を貸しますよ! 俺にできることなら何でも言ってください!

将棋ゲームの監修。プロ棋士にとってそれが嬉しい仕事であることは想像に難くないですが、八一もかなり嬉しそうで、かなり食い気味に協力姿勢を見せるのですが・・

結論からいえば池田晶の作ろうとしているゲームは将棋ゲームではありませんでした。

どうやら八一の幼女を育てる手腕を買って、割と危険な発想の幼女ゲームを作ろうとしていたようです。

巧妙(?)な説得で篭絡されていく八一が面白いエピソードとなります。

山城桜花戦

閑話として過去の短編やドラマCD脚本を小説化したエピソードが語られる短編集の側面もある8巻ですが、基本的には山城桜花戦一色の内容となります。

りゅうおうのおしごと!で一つのタイトル戦が余すところなく描かれているといえば、やはり名著である5巻が思い出されるところです。

九頭竜八一竜王に最強の名人が挑戦する竜王戦は最高峰で激熱の素晴らしいタイトル戦でした。

そして、8巻における山城桜花戦もそれに劣らない・・いや、別種の熱さがあったように思います。

八一の竜王戦の場合、八一はタイトルホルダー側であったもののまるで挑戦者であるかのような一面があったと思います。二回り以上年上の目指すべき大棋士が相手だったのでそりゃあそうって感じでしょうか?

一方の山城桜花戦は、互いに女流タイトルを一つずつ保持する同格・同世代の、しかも幼い頃から付き合いのある親友同士のタイトル戦となります。

そういう意味ではまったく別種の魅力があるカードとなりますし、雅やかな雰囲気は竜王戦には無かった魅力となります。

"no-img2″
八一

二人とも自分の得意戦法を捨てて、むしろ相手の得意な形を採用してるようにも見えます。長年にわたって戦い続け、相手を深く研究してきたからこそ・・相手のことを尊敬し、その指し手に価値を認めたからこそ、こういうことになっているんだと思います

山城桜花戦の第三局を解説する八一のコメントですが、勝負の世界でこのように相手を認めてしまうようなことは本来あまり良くないような気がしますし、そのようなことでは強くはなれないという意味もあると思われます。

しかし、そんな中でも互いに認めることのできるライバルが存在して、ここ一番で勝利するために使った戦法が相手の得意戦法という展開は素敵すぎると思います。

とはいえ、これが例えば八一と神鍋歩夢。雛鶴あいと夜叉神天衣といったキャラクター同士であれば若干説得力に欠ける展開だったような気もします。

供御飯万智と月夜見坂燎。

長年の親友同士のカードだったからこそ、ある意味では勝負師の世界においては違和感のある展開が素敵に感じられたのではないかと思います。

自戦記

8巻の要所では、山城桜花戦の対局者による自戦記が記されています。

なるほど山城桜花戦一色の8巻には相応しい幕間ではあると思うのですが、それがりゅうおうのおしごと!においては珍しいミスディレクションになっているのが興味深いところ。

そのミスディレクションとは、この自戦記が一見すると供御飯万智によるものだと思わされてしまうのですが、実際には月夜見坂燎によるものだということです。

りゅうおうのおしごと!の幕間では、頻繁に鵠(観戦記者でもある供御飯万智のペンネーム)による観戦記が描かれています。

つまり、普段は観戦記を書いている本人が対局者なので8巻では自戦記になっているということかと、恐らく多くの読者が勝手に納得・理解させられたのではないかと推察します。

少なくとも、僕はそのように思っていました。

"no-img2″
月夜見坂

穴熊を採用することは最初から決めていた。

しかも、この自戦記の書き出しがコレでした。

穴熊という戦法に対する愛に溢れているような、そんな内容だったのですが、そもそも穴熊は供御飯万智の得意戦法であり、この自戦記の筆者である月夜見坂燎の棋風とは反するものとなります。

その点もこの自戦記が供御飯万智によるものだという説得力を高めていました。

とまあ、これだけを聞いた人はもしかしたら「ミスディレクションするために無理やり月夜見坂燎に穴熊愛を語らせているのは卑怯だし、不自然では?」みたいに感じる人もいるかもしれません。

しかし、8巻を最後まで読んだ人にはこの自戦記がすんなりと受け入れられる。どころか素敵なものに感じられるのではないかと思います。

ライバル同士である対局者が、互いを認めているからこそ相手の得意戦法で戦うという展開は激熱でした。

それに対して月夜見坂燎は、インタビュー時にそれはただの奇襲だったと答えていますが、なんとなく本心ではないような雰囲気も醸していました。

そんな月夜見坂燎が、実は相手の得意戦法に対して大きな敬意を持っていたということが、実は8巻の初っ端から語られていたのがこの自戦記となります。

ちなみに、僕は初めて8巻を読み終えた直後、つい自戦記の部分だけ読み返してしまいました。

最後の自戦記のみ、明らかに筆者が月夜見坂燎であることが分かるように書かれていますが、それを読んだ後に他の自戦記を読むと、そこから受ける印象がかなり変わるのでとても興味深いです。

"no-img2″
月夜見坂

だが、それよりも、私は穴熊という囲いや、穴熊の将棋を指す棋士に、憧れてきたという理由の方が大きい。

最初の自戦記の中に、第三局へと続く伏線が含まれていたことにも気付くはずです。

そもそも最初の「穴熊を採用することは最初から決めていた」という一文も、実際に一番の要所で穴熊に組んだのは月夜見坂燎でしたし、憧れてきたという「穴熊の将棋を指す棋士」とは恐らく供御飯万智のことだったのであろうことも伺えます。

8巻において一番大事なところが、実は一番最初に描かれていたということに、最後に気付くことができるような構成になっているのが面白いです。

ちなみに、僕は気付きませんでしたが、聡い人なら山城桜花戦第三局で月夜見坂燎が穴熊に組んだ展開になった時点でこの自戦記の筆者に気付いたかもしれませんね。

シリーズ関連記事リンク

『りゅうおうのおしごと(7)』ラノベキャラに年齢制限は無いと思わされる一冊です(ネタバレ含む感想)

 

本記事は将棋ラノベの名作であるりゅうおうのおしごと!の魅力を、ネタバレ含む感想を交えて全力でオススメするレビュー記事となります。

将棋界の重鎮たちという、ラノベキャラとしてはかなり年配のキャラクターの活躍が珍しい7巻目となります。

?

本作の概要

あらすじ(ストーリー)

7巻は主人公の九頭竜八一の物語でも、メインヒロインの雛鶴あいの物語でもありません。

いや、それは言い過ぎかもしれませんが少なくとも7巻の主人公を一人挙げるとして、それは九頭竜八一や雛鶴あい。それに夜叉神天衣や空銀子ですらありません。

間違いなく、7巻は清滝鋼介の物語なのだと思います。

まあ、長期間続いているライトノベルにおいては各巻でサブキャラがピックアップされて特定の巻の主人公のように描かれていることは少なくないので、ここまで大げさに紹介するほどのことではないのかもしれませんけど、さすがに50歳オーバーのキャラクターがライトノベルでここまで格好良くメインで描かれることは珍しいので強調してみました。

まして、りゅうおうのおしごと!ロリコンという単語が頻出するライトノベルです。

そんな中で清滝鋼介のようなおじさんの活躍をメインで描くとはなかなかに挑戦的な一冊だと思います。

清滝鋼介は八一の竜王防衛の祝賀祭で、八一が伝統的な戦法であり清滝鋼介も愛用する矢倉を馬鹿にするような発言をしたことをキッカケに、自分が届かなかったタイトルを持つ八一への嫉妬や振るわない成績の影響が根底にあったのか、大勢の前で八一に対してキレてしまいます。

清滝鋼介本人にしても、ひとたび冷静になれば後悔しかない言動だったようでしたが、名人挑戦者になって以降とどまることなく落ち続ける成績に苛立っていたのは間違いないようです。

AIを使う若手の研究にも着いていけず、気付けば自らが若い頃に「こうはなるまい」と考えていたようなプライドだけは高い老害のようになっていて、棋士室では奨励会員からも相手にされずに打ちのめされてしまっていました。

しかし、それで目が覚めた清滝鋼介はプライドを度外視し、奨励会員に頭を下げて教えお請い、劇的な復活を果たします。

その後、順位戦での八一と並ぶ若手強豪である神鍋歩夢との対局が、若い棋士たちの対局シーンとはまた違った魅力と熱さのある素晴らしいものになっています。

挑戦者であり、上の世代に挑んでいく側のキャラクターが主に描かれているりゅうおうのおしごと!ですが、下の世代に引きずり降ろされ、何とかしがみ付きながらも将棋を指す重鎮の苦悩がとても新鮮です。

ピックアップキャラクター

ライトノベルで活躍するキャラクターの大半は中高生。珍しいところでもっと年長者の場合もありますが、せいぜいが20代というところだと思います。

当然もっと年上のキャラクターだって登場しますが、その多くは目立った活躍をすることはありません。

そういう意味でりゅうおうのおしごと!の7巻における清滝鋼介の活躍は異質だったのではないかと思います。

清滝鋼介

f:id:Aruiha:20190825205736p:plain

(「りゅうおうのおしごと!(7巻)」より)

九頭竜八一や空銀子の師匠。清滝一門のトップで、関西将棋界の重鎮の一人でもあります。

今まで長く積み上げてきた将棋と現代将棋の違いに苛立ち、弟子の八一と竜王防衛の祝賀会という大切な場所で喧嘩してしまいます。

しかし、これには単なる弟子との喧嘩というだけではない意味があり、元名人挑戦者というプライドに反して振るわない成績への苛立ちが根幹にありました。

7巻では、そんな清滝鋼介の挫折と再出発が描かれています。

ネタバレ含む感想

清滝鋼介の苛立ち

"no-img2″
清滝鋼介

名人になりたい

りゅうおうのおしごと!の7巻は、そんな簡素で、しかし思いの詰まった一言で始まり、そして終わります。

かつて幼い弟子の前で挑戦した名人に再び挑戦し、そしてなりたいという思いは、しかし清滝鋼介を苛立たせる原因にもなっているようでした。

次々と成果を上げる弟子への嫉妬。

振るわない自身の成績。

それらからくる焦りが苛立ちの原因で、しかもそれを竜王防衛の祝賀会という弟子の晴れ舞台で、祝われるべき弟子に対してぶつけてしまいます。

"no-img2″
清滝鋼介

何で、あんなことを言ってしもうたんや・・。

しかし、八一への怒りはすぐさま後悔へと変わります。

誰にでも大なり小なり経験あるものだと思いますが、ふと感じた怒りを誰かにぶつけてしまい、早ければその怒りをぶつけている最中にでも始まる後悔ってありますよね。

こういう苦さはなかなかに後を引くものだと思いますが、清滝鋼介がもともと感じている衰えへの不安も相まって、順位戦の大事な対局では大ポカして敗北してしまいます。

"no-img2″
清滝鋼介

大丈夫・・大丈夫やな

それに対局中の心理描写に、八一やあいなどの若い棋士のそれには無い特徴があるのが印象的でしたね。

竜王である八一ですら、自分の指す戦法に対して不安を抱えて将棋を指しているシーンは多数存在します。

しかし、それは自分の考え方に疑問を持っているだけでミスそのものを恐れているわけではないのだと思います。

一方で清滝鋼介の対局シーンでは、本当の意味でのミスを恐れている描写があるのが特徴的でした。

過去への栄光があるからこその現在への不満が苛立ちへと繋がっていく一連の流れが感情豊かに表現されている点は7巻の見所のひとつです。

"no-img2″
清滝鋼介

若々しさ、解き放つ

"no-img2″
八一

解き放ちすぎだろ・・。 若さ以外にも・・色々と・・。

そして、そこから清滝鋼介が立ち直る・・というよりも開き直って開眼するまでの流れも素晴らしい。

清滝鋼介には相当世話になっているはずの奨励会員である鏡州飛馬にも、棋士室での真剣な勉強の場では相手にされず、気付かない内にかつて「こうはなりたくない」と思っていた老害のような存在に自分がなってしまっていたことに気付いた清滝鋼介。

そこから開き直ってプライドも押し殺し、頭を下げて奨励会員たちに教えを請うシーンには胸が熱くなります。

とりあえず革命は起こした

5巻では最強の名人を相手に竜王防衛を果たし、6巻では手が見えすぎて不調になりかけていたものの、7巻では絶好調の八一。

"no-img2″
八一

とりあえず革命は起こした

これは7巻で何度か繰り返される八一の印象的なセリフですが、革新的な新手を繰り出して連勝を続ける八一の、まだまだ先はあると思わせる格好良いセリフですよね。

「革命は起こした」ではなく「とりあえず」を頭に付けているあたりが憎いと思います。

"no-img2″
八一

俺もそこまでバカじゃないです。人間は機械じゃない。ソフトが使う戦法の全てを人間が完璧に指しこなせるなんて思ってません。ただ、現時点での俺の演算力を使えば、他のどのプロ棋士よりソフト発の戦法を上手に指しこなすことはできる。とは思ってます

AIが人間を超えた時代、その戦法を誰よりも上手に使えるということは自分が誰よりも強いと言っていることと同意。それが分かっていて、同門の身内相手とは言え発現するあたり自分に対して大きな手応えを感じていることが窺えますね。

しかし、将棋とは無関係の(ゲン担ぎという意味ではあながち無関係ではないのかもしれませんが)シーンでもあえて同じセリフを言わせているあたりが面白い。

それは・・

銀子ちゃんのコスプレ研究会

八一の竜王防衛、銀子の奨励会三段昇級の前に訪れた桜ノ宮のラブホテルにて、ジンクスやルーティンを重視するために行われている研究会。

その場でも八一は同じことを言います。

"no-img2″
八一

欲張りすぎか? いや! 姉弟子という素材があればギリギリ成立しているはず・・!! とりあえず革命は起こした

f:id:Aruiha:20190827231940p:plain

(「りゅうおうのおしごと!(7巻)」より)

簡単に言えば、こんな(↑)感じの研究会です。

そこで八一は新手どころではない革命を起こしました。(笑)

可愛らしい女の子が数多く登場する作品ですが、意外とここまで攻めたシーンは珍しいですよね。まあ、メインヒロインが小学生なので当然と言えば当然でしょうか。

"no-img2″
空銀子

クッ! は、恥ずかしすぎて・・頓死しちゃう・・!!

"no-img2″
八一

いや! いい!! これはイイですよッ!! もっと! もっと……こう! 指を丸めて猫っぽく!

銀子の普段のクールさとのギャップも相まって、テンションが上がりまくって少し壊れている二人が、可愛い以上に面白すぎますね。(笑)

"no-img2″
八一

あ、チョロい。 俺はそう思った。薄々気付いちゃいたんだが姉弟子は押しに弱い。基本的には壁がある感じなんだけど、その壁を強引に破ってしまえばあとは豆腐。

現役竜王で、しかも非常に調子が良い八一の深い読みに丸裸にされた銀子という構図・・なんていうと穿ちすぎかもしれませんが、将棋の勝負で敗北した銀子がコスプレしている形なのであながち的外れでもなさそうなのが面白い。

7巻は清滝鋼介がメインで活躍することもあってオッサン率高めなので、いつもよりサービスシーンを強烈にしたということなのかもしれませんね。

そういう意味では、りゅうおうのおしごと!における実質的なヒロイン層の小学生たちの活躍がほぼ皆無なのも特徴的だったような気がします。

"no-img2″
八一

弟子やJS研のみんながうちでパーティーを開いてくれるって言ってて。よかったら姉弟子も一緒にどうかなって

"no-img2″
空銀子

いいの? 参加者の平均年齢が上がっちゃうけど

銀子のセリフを借りると、まさに平均年齢のかなり高い一冊と言えますね。(笑)

敗北と十四分の才能

何度も繰り返しますが7巻は清滝鋼介のためにある一冊だと思います。

とはいえ主人公の八一の活躍も目覚ましい。

主人公なだけあって登場する際には基本的に八一の視点になることが多いと思いますが、7巻には八一の視点ではない、周囲から見た九頭竜八一が語られることが多かったような印象があります。

竜王防衛以降、革新的な新手を武器に連勝を続ける八一のことが例えば神と呼ばれる名人のように常識外の将棋指しのように見られている感じが伝わってきました。

しかし、そんな中八一は手痛い敗北を経験します。

上げるだけ上げて落とされたような印象もある対局でしたが、それでも今後の八一のためには必要な対局だったような感じで描かれているのが良かったと思います。

ナニワの帝王こと蔵王達雄九段との順位戦での対局。

八一にとっては自力での昇級への、蔵王達雄にとっては引退前の最後を飾る大事な一戦となります。

"no-img2″
八一

綺麗に介錯して差し上げたいが・・。

八一と蔵王達雄とのレーティングの差は500近いらしいです。

よくは知りませんが、このレーティングは恐らくプロ棋士のみを対象としたイロレーティングでしょうか?

だとしたら計算上の八一の勝率は約95%となり、実質ほぼ負けることはあり得ないほどの差となります。

レベルも競技も違いますが、僕も囲碁を打つ時にレーティングが500も下の相手に負けることはまずあり得えないので、八一の勝利を確信しているような様子にもかなり納得感があります。

また、将棋や囲碁をよく知らない人にはベテランの老棋士の方が風格もあり、実力も高いように見えるようですが、実際はスポーツと同じで年齢とともに衰えていくものです。

つまり、例えば八一と蔵王達雄の対局を野球に例えてみれば、20代で最高の成績を収めるトップ選手と40半ばまで現役で頑張ってきた偉大な選手だけど若い頃のようにはいかない選手とが対決しているようなものです。

しかし、蔵王達雄はここで八一を負かすのが自分の役割と言わんばかりの将棋を見せつけます。

"no-img2″
蔵王達雄

すぐに投げるようなら見込みは無いと思っとった。わしもタイトルを獲った直後は負ける気がせんかった。他人の将棋を見ても『なんでこんな弱い将棋ばっか指すんやろ?』と思ったもんや。特に、年の行った先輩棋士にはな。せやけど絶対に負けんと思っとったベテランにコロリと負かされた・・わしだけやない。聖市もや

自身を含むかつての強豪がぶつかった壁。八一にとってのそれに自分自身がなるのだという執念が格好良いですよね。

"no-img2″
蔵王達雄

わしは三分粘って投げた。聖市は七分。九頭竜八一は十四分か・・大器と呼ぶべきか、それとも単に投げっぷりが悪いだけか? この先も壁はいくらでもある。盤上でも盤外でもな。心が折れそうになることもあるやろ。その時は、今日の棋譜を見返しなさい。最後の最後まで苦しむことを止めなんだ十四分間が、お前の才能の証明や

決して諦めないこと。

それこそが才能であるとりゅうおうのおしごと!では繰り返し語られています。それこそ八一が雛鶴あいに見出している才能もそれですよね。

調子が悪い時期もあったものの、最年少で竜王になった八一の才能がずば抜けていることは否定のしようがありませんが、そんな八一をあいてに大金星の勝利をあげることで才能を証明するというのが熱いと思います。

なるほど。人は壁を乗り越えて強くなるものですが、だからこそ大きな才能の壁になり得る人は少ないはずで、引退前に自らがその役割を果たすという考えは興味深いですね。

オッサン流

さて、7巻のハイライトはなんといっても清滝鋼介と神鍋歩夢の対局ですよね。

神鍋歩夢は八一のようにタイトルこそ持っていないものの、その挑戦者決定戦に登場したり、順位戦ではずっと無敗で八一よりもかなり先に行っていたり、そもそもレーティングでも八一よりも格上の若手の強豪です。

そこで清滝鋼介の見せた強さは、例えば若い人間の憧れるような強さとは別種のものではありますが、それでも大人の男の渋みの溢れた、泥臭い格好良さのある強さだったと思います。

"no-img2″
清滝桂香

そのつらさがわかる? そんなみじめな状態で将棋を指す苦しさや情けなさ・・あいちゃんや八一くんみたいに『勝って当たり前』な人達にわかるわけないわよね・・?

そんな大一番に、対局者以上に苦しんでいるようにも見える清滝桂香も印象的でしたが、若々しさを解き放った清滝鋼介は前向きな気持ちで対局に臨みました。

しかし・・

"no-img2″
清滝鋼介

な、なんちゅう・・なんちゅうポカを・・ 桂馬にばかり気を取られて・・角の存在を忘れるとは・・!

神鍋歩夢を相手に良い勝負を繰り広げていたのに、どうやらプロ棋士なら普通はしないような大ポカをやらかしてしまったようです。

普通ならあきらめて投了するような絶望的な形勢。

しかしそこから清滝鋼介は怒涛の粘りを見せます。

"no-img2″
清滝鋼介

それこそが・・オッサン流ッ!!

相手を惑わせる手を繰り出し、相手の緩手が出るまで徹底的に粘り続ける。

この泥臭さは決してスマートなものではありませんし、かつて名人挑戦者だったプライドのある清滝鋼介には耐えられるようなものではなかったかもしれませんが、この時の清滝鋼介は既にそのようなプライドを度外視しています。

考えてみれば、最初に竜王になった後に不調に陥った八一と状況が似ていますね。

八一の不調の原因は竜王らしい将棋を指そうとするあまり、自分らしさと棋譜を汚すような粘りが無くなってしまったことにあります。

そして、そこから立ち直るキッカケは雛鶴あいを弟子にしたことと・・

神鍋歩夢を相手に泥臭い粘り勝ちを収めたことでした。

清滝鋼介もそれと同じ相手、同じ展開で立ち直っていくのが良いと思います。

シリーズ関連記事リンク

『りゅうおうのおしごと(6)』将棋とAIの付き合い方がテーマの一冊です。(ネタバレ含む感想)

 

本記事は将棋ラノベの名作であるりゅうおうのおしごと!の魅力を、ネタバレ含む感想を交えて全力でオススメするレビュー記事となります。

AIが将棋に与える影響が特徴的で、AIが育てた将棋という新しい世界を見せてくれる6巻目となります。

?

本作の概要

あらすじ(ストーリー)

八一がなんとか竜王を防衛したことでりゅうおうのおしごと!がタイトル詐欺にならずに済みました。(笑)

しかし、壮絶なタイトル防衛戦を制した八一は思考のオンオフが効かないようになってしまい眠れぬ夜を過ごします。

そんな八一の弟子二人。あいと天衣もついに・・というにはあまりにも早く女流棋士になりました。

大盤解説の聞き手をしてみたり、女流棋士らしいお仕事もこなします。

荒ぶって連れ帰られたあいに対して、普段はかなりつっけんどんな・・だけど割と真面目な性格な天衣が意外とうまく聞き手をこなしているのが意外だったりします。

そんな感じでメインキャラクターの立場は大きく変化したりしなかったりする6巻ですが、大きく二つのテーマがあって、それぞれのテーマの象徴として空銀子と椚創多がいるという印象があります。

それがどのようなテーマなのかといえば、一つ目は『女流棋士の挑戦』だと思います。将棋や囲碁の世界においては男性の方が優位とされていますが、そんな中で女性初の奨励会三段に挑戦する空銀子の姿が意外な内面とともに描かれています。

二つ目は将棋とAI(ソフト)との関係性。将棋にしろ囲碁にしろここ数年でAIが人間を上回っていくという事件が発生していますが、それに伴い多くの棋士の勉強の仕方にも変化が生じています。

そして、AIはただ強いだけではなく人間とは異なる感覚・・とは違うかもしれませんが、そう見える何かを持っているものです。

そんな感覚を自分のものにしていくような棋士がいたりするのも面白いですが、そもそもAIが師匠といっても過言ではない子供が登場してくるのも、未来の将棋界や囲碁界を予見させる感じがして面白いですね。

そして、6巻で最年少のプロ棋士が期待される奨励会員として登場するのが椚創多こそが、そんなAI的な発想に育てられた将棋指しとなります。

いつもの激熱な展開とは一味違うけれども非常に興味深い空銀子と椚創多の対局が最大の見所になっています。

ピックアップキャラクター

5巻が大きな区切りだったと思われるりゅうおうのおしごと!ですが、意外とメインで描かれる機会の少ない空銀子をはじめ、既刊で活躍していたキャラクター以外が目立ってきている印象がありました。

空銀子

f:id:Aruiha:20190709210825p:plain

(「りゅうおうのおしごと!(5巻)」より)

最強の女流棋士としてメインヒロインの雛鶴あいや夜叉神天衣の目指すべきところとして描かれているキャラクターだと思いますが、そんな空銀子の挑戦者としての一面が6巻には描かれています。

その内面が読みづらいキャラクターではありますが、女性初の奨励会三段を目前に気弱に構えてしまっている意外な一面をのぞかせます。

椚創多

f:id:Aruiha:20190806065248p:plain

(「りゅうおうのおしごと!(5巻)」より)

若干十一歳で奨励会二段の天才で、史上初の小学生プロ棋士の期待すら掛けられている逸材です。

人間とは異なるAIの将棋に育てられた世代で、まるでコンピューターのような独特な感覚を持っています。

ちなみに、6巻で初登場かと思いきや実は既刊にも八一の対局の記録係として登場していたりします。

本因坊秀埋(天辻埋)

f:id:Aruiha:20190806065302p:plain
(「りゅうおうのおしごと!(5巻)」より)

将棋のおとなり囲碁の世界で三大タイトルのひとつであり最も歴史のある本因坊を保持する女性となります。

酔うと下ネタを連発する痴女ですが、あまり人には懐かない性格の空銀子からも尊敬されています。

ちなみに、おそらくモデルは藤沢秀行名誉棋聖でしょうか?

ネタバレ含む感想

女性の活躍

6巻には将棋のおとなり囲碁の世界のトップの一角に君臨する女性棋士本因坊秀埋が初登場します。

本因坊秀埋というのは、本因坊のタイトルを持つ棋士が名乗る雅号で本名は天辻埋といいます。

しかし、将棋ラノベであるりゅうおうのおしごと!にどうして囲碁棋士が、どうしてこのタイミングで登場したのか?

囲碁ファンである僕としては嬉しいところですが、その理由は気になるところ。

恐らくですが、ただ近い世界のキャラクターを登場させてみただけとか、そんな浅い理由ではないのだと推察しています。

6巻では八一の弟子二人が女流棋士になったり、空銀子は女性初の奨励会三段が目前に迫っていたりと、誤解を恐れずに言えば男性優位とされる世界で奮闘する女性が描かれていたと言えます。

そんな中で目標というか、指標になりそうな存在として近しい世界で女性でトップに立つキャラクターを登場させたということなのかと、僕はそう思っています。

例えば、空銀子にとっても将棋の世界に目標とする人物の一人や二人いるでしょうけど、その中に女性はいないのではないかと思います。

最強の女流棋士として描かれているキャラクターなので、当然といえば当然ですね。

だからそんな空銀子にとっても尊敬の対象となるような女性を登場させるなら、それは将棋以外の世界で活躍する女性である必要があったからこそ、囲碁の世界で活躍するキャラクターを登場させたということなのだと思います。

本記事でもそんな本因坊秀埋のセリフを紹介したりしてみたいのですが、その大半はGoogle先生に怒られそうなの内容なので自重しておこうと思います。下ネタが過ぎる・・っ!(笑)

酔うとそんな自重をせざるを得ないほどの下ネタを連発する本因坊秀埋ですが、囲碁ファンでなければラノベ的に誇張したキャラクター性なのだと思われるかもしれません。

しかし、そんな言動のモデルが明らかに実在のとある囲碁棋士だというところがまさに事実は小説より奇なりという感じで、こんなことでそんなことを思わせる人物が実在したというのがちょっと面白いと思います。尊敬すべき大先生なんですけどね。

"no-img2″
秀埋

いいか銀子。女というのは男よりも弱い。体力的に明らかに劣るし、長時間の対局ではそれが思考を鈍らせることにもなる。女は男より弱いんだ。その弱さを克服するには努力しかない・・強烈な努力

とはいえ、前後の文脈で若干台無しにしてしまっているとはいえ、将棋界の女性のトップとして男性に混じってプロ棋士になろうと努力している銀子に向かって放つセリフからは、女性ながらにトップに立った本因坊秀埋の努力が垣間見えます。

だからこそあまり人には懐かない銀子ですら尊敬しているのでしょうね。

ちなみに、「強烈な努力」というのはまさに本因坊秀埋のモデルになっているであろう藤沢秀行名誉棋聖の言葉そのもの。

藤沢秀行名誉棋聖も非常に破天荒な性格ながら多くの人に親しまれた人格者で、実は現在中国や韓国が囲碁の世界トップに立つほど成長したキッカケを作った自分つでもあるほど凄い人。

そんなキャラクターがモデルになっていると知っているからか、一見ただの痴女に見えるのに尊敬されているキャラクターというものが自然に受け入れられました。

本記事の筆者である僕が囲碁ファンということもあって本因坊秀埋のことを語りすぎてしまった感じがありますが、まありゅうおうのおしごと!をここまで本因坊秀埋に着目して読んでいる人は珍しいと思うので、こんなところに着目する人もいるんだぁ~くらいに思っていただけたら幸いです。

女流棋士になった二人のあい

6巻ではりゅうおうのおしごと!のメインヒロインである八一の弟子二人は、将棋の対局的な意味での活躍はありません。

あいはいろんな意味で荒ぶっていましたけど。(笑)

しかし、女流棋士になった二人が棋士室デビューしたり、大盤解説の聞き手をしたり、八一に連れられて道具屋筋の碁盤・将棋盤の店で太刀盛りを見学したり、新たな世界に触れる姿が見られます。

特に4巻5巻と目立った活躍の無かった夜叉神天衣の新たな一面が見られるのは見所のひとつだと思います。

"no-img2″
天衣

あの於鬼頭って人、今じゃ人間相手の研究会も全部辞めてソフト研究に没頭してるんでしょ? それで勝率も急上昇してるから若手も注目してるし。負けてよかったんじゃない?

"no-img2″
八一

お、おいっ! 何もそこまで・・

初めての聞き手をやりやすいようにと八一が気を使っているのに荒ぶるあいと比較して、意外にも天衣が聞き手の才能を発揮するのですが、最後はなかなか大きな爆弾を投下するあたりが忌憚なき子供という感じです。

"no-img2″
天衣

へぇ・・食品サンプルを自作できるのね。ちょっと楽しそうじゃない・・

あいに比べるとかなり大人びているというか、大人ぶっているところのある天衣は、それでも今まではあまり隙を見せない感じでしたが、6巻では結構子供っぽい一面をのぞかせているのも見どころだと思います。

空銀子vs椚創多

りゅうおうのおしごと!が刊行されている現在はまさに囲碁や将棋の世界におけるシンギュラリティの真っただ中であると言えます。

今まではAI(ソフト)が人間に勝つのはまだまだ先のことだと言われていましたが、この数年でAIは人間に追い付く・・どころか一足飛びに追い越していきました。

それは囲碁や将棋の世界の在り方そのものに大きな影響を与えています。

将棋でいえばAI(ソフト)を使ったカンニングの問題が広く話題になったりしていましたね。

僕は囲碁ファンなので囲碁の世界の動向の方が詳しいですが、AI(ソフト)の影響が随所に現れていることは間違いありません。

対局内容そのものに影響を与えているのはもちろん、AI(ソフト)を使って検討するプロ棋士の先生方が例えばニコ生の放送などに映し出される姿にも既に慣れ始めています。

形成判断に今までとは違う『勝率』という概念が持ち込まれ始めているのもAI(ソフト)の影響ですね。

・・とまあ、これは囲碁の世界の話ですが将棋の世界でも似たようなことが起きているのだと認識しています。

とはいえ、こういう変化が数年の短期間の間に起きることはそこまで意外なことではありません。

ターニングポイントというか、どんな世界でも急激な変化が起こるタイミングというのはあるものだと思うからです。

しかし、ジワジワとした変化もあるはず。そして、この場合のジワジワとした部分といえば大きく変わった世界で育った子供の存在です。

人間よりも強くなったAI(ソフト)の感覚を幼い子供の頃に身に着けることができた世代の台頭が、将棋や囲碁の世界における未来への大きな関心どころのひとつであることは間違いありません。

前置きが長くなりましたが、6巻でそんな世代の最初の子供として描かれていたのが椚創多だったのだと思います。

既存の感覚とは全く異なる天才。

例えば、脳内に映し出せる将棋盤の数が才能のバロメーターになるみたいなことを八一が過去に言っていて、それに当てはめれば十一面もの将棋盤が脳内にあるあいは天才もいいところなのだと思いますが、意外にも最年少でプロ棋士になることすら期待される天才の椚創多には脳内に将棋盤は見えないようです。

"no-img2″
椚創多

ぼくは頭の中に将棋盤なんてありません。全て符号で思考しますから

その代わりにあるのは盤面ではなく符号。

AI(ソフト)の影響を受けているどころか、AI(ソフト)そのものといっても過言ではないほどの特殊な感覚を持っているのが椚創多となります。

恐らくですが、こういう感覚が特殊ではなく普通になるような時代も、現実にやってくるのかもしれませんね。

椚創多はそういう未来を予見させるようなキャラクターなのだと思います。

そして、今回は空銀子が勝利して史上初の女性の奨励会三段になったものの、どう考えても実力は椚創多の方が上で、勝利した空銀子自身が最もそれを自覚してしまっているのが印象的でした。

空銀子と椚創多の対局は、今までりゅうおうのおしごと!で描かれたことのある対局の中でもかなり独特な決着の仕方を迎えます。

追いつめられている空銀子が時間に追われて適当に指してしまった手。

銀子自身それで終わったと思った手なのですが、それがたまたま逆転に繋がる好手になっていたようです。

それだけなら指運というか、ままあることなのかもしれません。

しかし、ここで面白いのが銀子が自らの好手に気付いた理由なのです。

その理由とは、銀子に指された手を見て椚創多の方が動揺してしまったから。

椚創多の方が強く、手が読めるがゆえに銀子自身も気付かなかった好手に気付いてしまい、気付いてしまったが故にそれが銀子に伝わってしまった。

もしかしたら椚創多の方も銀子の好手に気付いていなかったら、銀子の心は折れて何を指されても投了していたかもしれません。

しかし、椚創多が自らの詰みに気付いてしまったが故に、つまり椚創多が強かったが故に銀子は格上である椚創多に勝利できたのです。

そういう結末は確かに現実にもありそうなものですが、銀子からしてみれば試合に勝って勝負に負けたようなもの。

勝利はしたものの来たる三段リーグに向けては不安を残す結果となりました。

シリーズ関連記事リンク

1980年代半ば生まれの人はアニメ英才教育世代だと思う件についての考察

f:id:Aruiha:20190730214750p:plain

 

こんにちは!

自分はアニメ英才教育世代だと思っているあるいはと申します。

いきなり何を言い出すんだって感じかもしれませんけど、平成のアニメを振り返る記事を書いている時に、1980年代半ば生まれはアニメ英才教育世代だとふと思ったんです。

何故そう思ったのか?

それには3つの根拠があり、本記事ではその根拠について語っていきたいと思います。

たぶん、1980年代半ば生まれの人なら「なるほど確かに!」と共感してもらえるのではないでしょうか?

ちなみに、本記事の筆者である僕は1985年生まれです。

www.aruiha.com

?

1.長寿アニメの開始時期

1980年代半ば生まれがアニメ英才教育世代だと思う最大の根拠は、10年20年と続く長寿アニメの開始時期の多くが、ちょうど1980年代半ば生まれの人の子供時代と重なるという点です。

特にここ数年、長寿アニメの放送20周年や劇場版20周年みたいな謳い文句を聞くことが多いような気がしますが、それはつまり、かなり近い時期に長寿アニメの開始時期が集中していることを意味します。

試しに、今なお放送している20年続く長寿アニメ(アニメシリーズ)の開始時期を振り返ってみましょう。

2019年現在も放送中で、今年で20周年になるものを含む20年以上続いているアニメは全部で10作品あり、その内の8作品が1980年代半ば生まれの人の幼少期から中学生くらいまでの間に放送開始していることが分かると思います。

1.サザエさん(1969年10月~)

アニメの長寿番組としてのギネス記録を持っている作品ですね。

さすがに1980年代半ば生まれの人が生まれるよりずっと前から放送している作品ですが、本当に長い間、日曜日に月曜日に向かう絶望を国民に与え続けています。(笑)

そんな皮肉も長く愛されているからこそ。

ちなみに、1996年までは火曜日のゴールデンタイムにも放送されていました。

2.ドラえもん(1973年4月~)

サザエさん』と同じくギネス記録を持っている作品で、同一主人公による長編アニメ映画の本数が世界一になっています。

長寿アニメでは年に一度、あるいは数年に一度劇場版が公開されたりするものですが、そんな定例ができた最初の作品であると言えますね。

3.アンパンマン(1988年10月~)

アンパンマン』の対象年齢は幼稚園以下の幼児になりますが、ちょうど1980年代半ば生まれの人がそれくらいの年頃の時に放送開始したアニメ作品となります。

僕も幼い頃には見ていてその後もずっと放送していたことから、もっと昔から放送していたような印象を持っていましたが、実は放送開始直後くらいだったことをかなり後から知って驚いた記憶があります。

4.ちびまる子ちゃん(1990年1月~)

平成最初の長寿アニメといえば『ちびまる子ちゃん』。

1980年代半ば生まれの人にとっては、うっすらといつの間にか始まっていたような記憶があるくらいの存在なのではないかと思います。

今や『サザエさん』と同じで日曜日の顔ですね。

5.クレヨンしんちゃん(1992年4月~)

子供向け番組でありながら、下品な描写が多くて子供に見せたくないアニメだと放送当初は言われていた『クレヨンしんちゃん』ですが、今や親子で楽しむアニメの代表格になっていますね。

特に劇場版の躍進は目覚ましいものがあります。

アニメキャラクターの年齢と自分を重ねてみたことはアニメ好きな人なら多少なりともあると思いますが、放送当初にしんちゃんと同世代の子供だった人が今や30代の大人であるという事実にちょっとした驚きがあります。

6.忍たま乱太郎(1993年4月~)

NHKの10分アニメの『忍たま乱太郎』は、母と子のテレビタイムの枠で放送されていただけに、放送開始後の子供の誰もが繰り返し見ることになったアニメなのではないかと思います。

主題歌の『勇気100%』はオリジナルの光GENJIをはじめ、多くのジャニーズグループによって歌い継がれている名曲ですね。

7.しましまとらのしまじろう(1993年12月~)

幼児向けの進研ゼミである『こどもちゃれんじ』が原作という、アニメ作品の中でもかなり出所が独特なのが特徴のアニメ作品ですね。

ドンピシャ世代に当てはまるのは1980年代半ばというよりは後半生まれの人だと思いますが、年下の兄弟がいる人なら一緒に見たりしたことがあるのではないでしょうか?

8.名探偵コナン(1996年1月~)

本記事で紹介している長寿アニメの中で、恐らくもっとも1980年代半ば生まれの人にとってドンピシャ世代感があるのが『名探偵コナン』なのではないかと思います。

アニメが始まる前から原作がかなり流行っていて、個人的な思い出を言えば第一話を仲の良い友達と集まって一緒に見た記憶があります。

登場人物の年齢幅が広いことから、少しずつキャラクターの年齢に追いついていくことに感慨を覚えやすい作品でもあると思います。

僕の場合、原作の連載当初は少年探偵団より少し年上くらいの世代だったはずが、今や毛利小五郎が目前に迫っていて時間の流れに驚きます。(笑)

アガサ博士すらあっという間なんだろうなぁ~。

9.ポケットモンスター(1997年4月)

長寿アニメの中でもかなり子供向けの部類ですが、ゲーム原作ということもあって意外と見ている大人も多そうなのが『ポケットモンスター』です。

放送当初は、原作のゲームを流行らせた世代が小学校高学年から中学生になっていたこともあって、今よりも見ている年齢層が高かった印象があります。

今では当たり前のようにテロップされる「テレビを見るときは部屋を明るくして離れて見てください」というメッセージが生まれるキッカケとなったポケモンショックが起きた時には、まさか20年後も愛されるアニメになっているとは思いませんでした。

10.ONE PIECE(1999年10月)

最も売れている漫画作品が原作の『ONE PIECE』は、1980年代半ば生まれの人が中学生くらいの頃に放送開始していますが、そもそも中高生くらいも読んでいたし、今では大人にもファンが多いアニメ作品の代表格になっているので、まあドンピシャ世代といって差し支えないかと思っています。

他の長寿アニメとは決定的に違うところとして、いわゆるサザエさん時空ではない、完全に一本のストーリーであるにもかかわらず20年以上もアニメ放送する超大作になっているところですね。

2.レジェンド的な作品の多さ

レジェンド的な作品とはまた曖昧な表現ですが、アニメ作品の中から時たまそういう印象を受ける作品は確かに登場していると思います。

多くの人がアニメ好きのオタクになるキッカケになるほど影響力が大きかったり、アニメ放送が完了した後も多くの関連コンテンツが生き残っているほど社会的な影響が大きかったり、定期的に続編が作られたりしている作品も当てはまると思います。

何度も繰り返し再放送されていたような作品も、幅広い世代に影響を与えているという意味で当てはまるかもしれませんね。

そして、そういった作品は今なお時たま誕生してはいるものの、あまりにも多様化しすぎているアニメ作品の中から誕生するソレは、どうしても一昔前にあったソレよりも強烈さに欠けるような印象があります。

単純に作られている作品数が段違いなので、1つの作品が持つ影響力の大きさがそもそも違っているのではないでしょうか?

そういう事情もあってか、ちょうど1980年代半ば世代の人の子供時代にそういうレジェンド的な作品が集中しているように感じるのです。

以下は本記事の筆者である僕の主観でしかありませんが、そういうレジェンド的な作品だと思う作品を列挙してみました。

「この作品が~?」とか「この作品が何で入ってないんだ!」とか思う人もいるかもしれませんが、その辺は僕の主観なのでご了承くださいませ。

1.らんま1/2(1989年)

繰り返し再放送される作品は幅広い世代に親しまれることになり、結果的にレジェンド的な作品に昇華していくのではないかと僕は思っています。

『らんま1/2』の場合、1980年代半ば生まれの人にとって実はリアルタイムの放送時にはドンピシャ世代ではないと思いますが、1990年代から2000年代前半にかけて、本当に何度も再放送されていた印象があって、とても思い出深い作品だと思っている人は多いのではないでしょうか?

2.ドラゴンボールZ(1989年)

1980年代半ば生まれの男子にとってバトルアニメの代名詞となるのが『ドラゴンボールZ』であることは間違いないのではないでしょうか?

世界に轟くレジェンドアニメのひとつですよね。

主人公の孫悟空の必殺技であるかめはめ波の真似をしたことがある人も少なくないと思います。

3.美少女戦士セーラームーン(1992年)

「月に代わっておしおきよ!」の決め台詞が極めて有名な『美少女戦士セーラームーン』ですが、少女漫画原作のアニメのセリフの中では断トツの知名度を誇るのではないでしょうか?

当時小学生男子だった僕はあまり見たことはありませんが、同世代の女子の間では絶大な人気を誇っていた記憶があります。

4.幽遊白書(1992年)

昔はタイトルの読み方が良く分かりませんでした(笑)・・が、『幽遊白書』もかなり後のバトルアニメに影響を与えている作品なのではないかと思います。

『らんま1/2』と同じく繰り返し再放送されている印象の強いアニメで、かなり広い世代にとって思い出深い作品になっていると思います。

5.SLAM DUNK(1993年)

今の小学生は学校の休み時間に何をして遊ぶのでしょうか?

僕が小学生の頃は、休み時間といえばバスケをするものでした。

それは明らかに『SLAM DUNK』の影響があったからだと思います。

その世代の子供の遊びに影響を与える作品というのも、ある意味ではレジェンド的であると言えると思います。

6.赤ずきんチャチャ

このラインナップの中に入れるのは少し悩んだのですが、個人的に初めて面白いと思った少女漫画原作のアニメで、少女漫画も悪くないなぁと思うキッカケになった作品という意味で非常に思い出深かったのでラインナップしました。

赤ずきんという童話の登場人物の名前がタイトルに冠されているところが、男子的にも受け入れやすかったのではないかと思っているのですが、男子でも見ている人が多い印象のアニメだったのは確かです。

7.魔法陣グルグル(1994年)

誰もが知ってるアニメというのもレジェンド的だと思いますが、コアなファンが多いアニメというのもある意味レジェンド的だと思います。

魔法陣グルグル』は非常に独特な世界観が特徴のアニメ作品で、ドンピシャ世代の人にとっては今でも好きだという人が非常に多い作品なのではないかと思います。

ちなみに、個人的には今でも最も好きな漫画を問われると『魔法陣グルグル』の原作漫画を挙げるくらいには好きだったりあします。

8.新世紀エヴァンゲリオン(1995年)

さすがに説明は不要でしょうか?

新世紀エヴァンゲリオン』が、特にゼロ年代以降のセカイ系と呼ばれる作品群に大きな影響を与えていたことは間違いないでしょう。

ひとつのジャンルの発展に繋がったまさにレジェンド的なアニメ作品だと思います。

9.金田一少年の事件簿(1997年)

長寿アニメの中で紹介した『名探偵コナン』と並んで一緒に放送されていた月曜日のゴールデンタイムが思い出深い『金田一少年の事件簿』。

アニメ自体は『名探偵コナン』ほど長寿作品とはいかないものの3年と普通に長寿作品の部類ではあって、後年続編も作られています。

何度もドラマ化もされているような作品で、これもまた広い世代で親しまれている作品であることは間違いありませんね。

10.カードキャプターさくら(1998年)

ある意味誉め言葉で諸悪の根源扱いされているのが『カードキャプラーさくら』。

まあ、数多くの人をアニメ好きオタクの世界に引きずり込んだという意味で諸悪の根源扱いされているわけですね。

1980年代半ば生まれの男子にとっては、ちょうど中学生くらいの時期に放送していたアニメで、まさに可愛らしい女の子とかのキャラクターにも興味を持ち始めるくらいの年代で、そこで丹下桜さん演じる木之本桜の破壊力は抜群だったと思います。

3.アニメ放送時間の移り変わりの時期

1980年代半ば生まれの僕の子供時代、アニメといえば夕方から深夜前のゴールデンタイムと休日の朝に放送しているものでした。

平日のゴールデンタイムにアニメが放送していない日は皆無でしたが、今ではその時間帯にアニメが放送していることはほとんどありませんね。

そこには少子化が原因で玩具メーカーがスポンサーから撤退し始めたことで、ゴールデンタイムのアニメ放送が難しくなったからという事情があるようですが、ともあれ2000年頃からアニメの放送時間が徐々に深夜へと移行していきます。

これが面白いことに、ちょうど1980年代半ば生まれの人の成長に合わせて、変化していっているとも言えるのではないかと思うのです。

ある程度大人になってくると、ゴールデンタイムのTV番組はアニメに限らず視聴しづらくなってくる人も多いと思いますが、1980年代半ば生まれの人がそういう年齢に差し掛かってきた頃にちょうど深夜アニメが増えてきた印象が強いんですよね。

そういう意味でも、1980年代半ば生まれの人はそもそもアニメが見やすい環境にいることが多かったと言えると思うこと。それが1980年代半ば生まれの人はアニメ英才教育世代だと思う最後の根拠となります。

『りゅうおうのおしごと(11)』将棋星人の棲む星に地球人の女の子がたどり着くまでの物語(ネタバレ含む感想)

 

本記事は将棋ラノベの名作であるりゅうおうのおしごと!の魅力を、ネタバレ含む感想を交えて全力でオススメするレビュー記事となります。

奨励会三段リーグに打ちのめされた空銀子の過去と現在。既刊を含めても最も物語が進展を見せた11巻目となります。

?

本作の概要

あらすじ(ストーリー)

自ら死を望んでしまうほど奨励会三段リーグに追いつめられてしまった空銀子。

どうすればそんな銀子を助けることができるのか?

必死に考えた八一は、絶対に死ねる場所へと銀子を連れていこうとします。

銀子を思いとどまらせるために、そして・・

自らが好意を寄せる女の子が本当に死んでしまう前に思いを伝えるために。

しかも、どうやらもし銀子を思いとどまらせることができなかったら後追いする覚悟まであったようですね。

とはいえ、絶対に死ねる場所。福井県東尋坊への小旅行の間に銀子の頭も冷えており、さすがに自死は思いとどまりました。

そして福井県といえば八一の出身県。まさかの八一の実家へ銀子と二人で訪問する展開になります。

銀子からすればかなりの不意打ちですが、さすがに八一の両親を前にかなり緊張している様子で、いつものあたりの強さも若干なりを潜めています。(笑)

そして、今まで散々ロリコンと言われれ続けていた八一ですが、その度合いは割と軽度だったことが明らかになります。

なぜなら、どうやら八一の思い人 が銀子であったことが、八一が銀子に告白しようとしたことで判明したからです。

銀子は八一より二歳年下。十代後半の二歳差なら、まあ全然普通の年齢差ですからね。

そういうわけで、前巻ラストの大きく追いつめられていた精神状態からは脱した銀子は、大阪に戻って再び奨励会三段リーグに挑みます。

そして、銀子にとってはかつて勝利したものの才能の差を見せつけられた因縁の相手である椚創多と再び相まみえます。

ピックアップキャラクター

今までにも特定のキャラクター一色だと感じるような一冊はありましたが、11巻ほど顕著なのは初めてなのではないかと思います。

まさに空銀子のための一冊という感じで、人気キャラクターの割には今までその内面が描かれることの少なかった空銀子の、過去と内面が次々と詳らかにされていきます。

ちなみに、11巻を読んで空銀子に対するイメージがグルっと変わった人は多いのではないかと思いますが、実のところ空銀子のキャラクター性は何も損なわれておらず、むしろ最初からずっと一貫しているといえるのではないかと思っています。

その辺、かなり興味深いのではないかと思います。

空銀子

f:id:Aruiha:20190709210825p:plain

(「りゅうおうのおしごと!(5巻)」より)

女流棋界では最強の女王である空銀子ですが、一方で女性初のプロ棋士を目標に、将棋星人たちの世界に追い付くために、奨励会三段リーグを戦う挑戦者でもあります。

しかし、さすがの空銀子も厳しい三段リーグの戦いに疲弊して、心が折られてしまいました。

そんな空銀子がどのように復活を遂げていくのかが11巻の見所になっています。

ネタバレ含む感想

追いつめられた空銀子

"no-img2″
空銀子

・・次は、絶対に勝てない・・もう決まってるの・・このまま四連敗して、ずっと負け続ける・・そんな苦しい思いをするくらいなら・・死んだほうがマシじゃない・・

これが11巻序盤の銀子の精神状態です。

今までにも精神的な脆さをのぞかせたことのある銀子ですが、これはただのメンヘラ女子ではない、マジで危うい様子がうかがえます。

"no-img2″
八一

そんなんだから詰みを逃して負けるんだ。そもそも初めての三段リーグで連敗して、それで右手斬り落とすだとか殺して欲しいだとか、どんだけメンタル豆腐なんですか? 中学生棋士になった俺だって三段リーグ一期抜けは無理だったんですよ? 俺より才能ないくせに自惚れるのもいい加減にしてください

対する八一は、そんな銀子を思いとどまらせるために必死で考えを巡らせます。

考えて、一言でいえば「銀子には才能が無いのだから簡単に三段リーグで勝ち抜けるわけがない」という趣旨のことを八一は銀子にぶつけています。

これは一見、銀子への追い打ちのようにも捉えられますが、「誰もが抱いている銀子への期待を背負う必要は無い」と言っているようにも聞こえますね。

女性初のプロ棋士が望まれる銀子には、想像を絶するプレッシャーが掛かっているに違いありません。

何も知らなければ微笑ましく見えるであろう銀子の部屋にある応援の寄せ書きも、この時の銀子の状態を見た後だと残酷な脅迫文に見えるから不思議です。

ともあれ、ここでの八一のセリフの意図は強制的に銀子から脅迫的なプレッシャーを取っ払おうとしたものなのではないかと思っています。

"no-img2″
八一

だったら俺が連れて行ってあげますよ。絶対に死ねる場所へ

とはいえ、この時の銀子にはどんな言葉よりも頭を冷やす時間が必要だったに違いありません。

そういう意味では八一の取った行動はかなりの好手だったのではないでしょうか?

"no-img2″
八一

いろんな人がいろんな苦しみを味わって、日本中を転々とさまよって、最後の最後に辿り着いたのがこの崖なんです。追い詰められて行き場のなくなった人たちが・・ここから落ちた。同じようにすれば楽になれますよ? どうです? 身を投げれますか?

"no-img2″
空銀子

・・死ねないよ。私は『かわいそう』じゃなかったんだから

遠方にある絶対に死ねる場所。

福井県にある東尋坊

そこに行くまでの間に銀子には頭を冷やす時間ができましたし、冷えた頭で覗いた東尋坊の崖下に飛び込むことは常人にはできるものではありませんよね?

さすがに、まさか本当に飛び降りたりしないかと八一からすればかなりハラハラドキドキした瞬間でしょうけど、銀子に自ら死なない選択をさせることに成功した八一。

こういう場合、無理やり縛り付けるように自死を止めたとしても危うい状態であることに変わりはありませんが、自ら死なない選択をさせることができたらひとまず安心ですから、その辺八一の手法はかなり賢かったと思います。

それにしても、この東尋坊に至るまでのストーリー構成がとても面白かった・・というよりも贅沢だったという印象の方が近いかもしれません。

りゅうおうのおしごと!において今までで最大の過去の回想となりますが、福井県への小旅行の中で、八一や銀子の過去がかなり詳細に語られています。

どのように八一・銀子は清滝鋼介の弟子になったのか?

姉弟弟子たちはどのように成長していったのか?

いつから八一は銀子のことを姉弟子と呼び、敬語で話すようになったのか?

そんなことを中心に、現在に至るまでのあれこれがかなり詳らかにされていて、既刊の様々なシーンに繋がるような過去すらサラッと惜しげもなく語られていて、情報の出し方がとても贅沢に感じられました。

まあ、考えてみればメインヒロインである八一の弟子・雛鶴あいや夜叉神天衣を主軸にしたエピソードではここまでの回想を入れることは難しいでしょうし、銀子がメインのエピソードで一気に吐き出してしまおうという考え方なのかもしれませんね。

初めての封じ手

将棋をテーマにしたライトノベル。それがりゅうおうのおしごと!という作品です。

主人公の八一にしても可愛らしいヒロインたちにしても、個性的なキャラクターたちの誰もにライトノベルのキャラクターらしさがあります。

とはいえ、基本的には将棋の『熱さ』が描かれているのがりゅうおうのおしごと!という作品で、例えばラブコメやギャグのような要素は他のライトノベルに比べると、良い意味でオマケ的な付加要素と感じられるとも思っています。

しかし、11巻の序盤から中盤にかけては将棋の要素は薄めで、特に封じ手のエピソードでは初めて将棋以外の『熱さ』が描かれていたのではないかと思います。

それは八一と銀子のラブコメ

今まで散々ロリコンだと言われてきた八一ですが、どうやら恋愛的な意味で本当に好きなのは銀子であることが11巻で明らかになりました。

"no-img2″
八一

俺が《浪速の白雪姫》に負けないくらい大きくなったら、その時に堂々と名前で呼ぼうと決めたんです

どちらかといえば八一に置いていかれることに不安になっている銀子が今までも描かれてきた印象がありますが、八一もまた銀子が女王になった時に似たようなことを感じていたようで、銀子に相応しいくらいの大物(すでにかなりの大物だと思いますが)になるまでは『姉弟子』と呼び続けようとしていたようです。

しかし、今回そんな銀子が自死を匂わせたことで早く思いを告げたいと八一も思ったのかもしれませんね。

いずれはこういうヒロインキャラとのラブコメが描かれる時が来るとは思っていましたが、銀子とのそれがこんな素敵な感じで描かれるとは予想していませんでした。

それに、告白後の二人のやり取りがものすごく可愛らしいのですけど、ちゃんと将棋を絡めているあたりがりゅうおうのおしごと!らしいところ。

まさか封じ手というキーワードであんなシーンが描かれるとは驚きですね。(笑)

"no-img2″
空銀子

胸の中から気持ちが溢れちゃわないように言葉が出るところを、封じて

"no-img2″
八一

い、今ここで!? 俺からするの!?

"no-img2″
空銀子

封じ手は積極的に自分から封じていくタイプなんでしょ?

"no-img2″
八一

こんな封じ手は初めてなんですよっ!!

将棋における封じ手のスタンスの話をした後にこの流れ。面白さがあるのと同時に凄くロマンティックで素敵なシーンだったと思います。

まあ、作中では言葉が濁されていたところをハッキリ言ってしまえば要はキスしていたわけなのですが、この後もう一度とねだる八一の言い訳がまた面白い。

"no-img2″
八一

そういえば、封じ手は二通作成するんでした・・すみません説明不足で

封じ手が万能すぎるっ。(笑)

封じ手と絡めてこんな素敵なシーンが書けるとは、作者の白鳥士郎先生の発想力がさすがすぎます。

しかし、封じ手とは必ず開封されるはずのものですが、これがいつどのような形で開封されるのか。銀子自身が前途多難と感じているように、開封を阻止しそうな二人のあいは一体どうするのか。

その辺、今後の展開が気になるところですね。

それにしてもこの封じ手のエピソード。

さしずめ、三段リーグの毒リンゴを食べた『浪速の白雪姫』の目を覚ます将棋の星の王子様のキスといったところでしょうか?

こういうピッタリな感じ、僕は嫌いではありません。

また、このエピソードの直後にも敬語が抜けきらなかったり、やっぱり弟子のことは気になる八一のことを内心で減点している銀子ですが、こういうやり取りに以前ほどのトゲトゲしさが無いのも印象的でした。

"no-img2″
空銀子

ほほぅ? 私より小学生が大事だと? すいませんね高校生で

こんなセリフからも若干の余裕が感じられますね。(笑)

なんとも微笑ましいことです。

将棋星人の棲む星への一歩を踏み出した『浪速の白雪姫』

実は、銀子を勇気づけたのは八一だけではありません。

5巻では八一に竜王を防衛されたことで国民栄誉賞の受賞も見送られた神とまで呼ばれた名人でしたが、何かしらの偉業を達成するのは時間の問題でしたし、国も将棋連盟も名人に国民栄誉賞を与えたくて仕方のない状況でした。

そして、タイトル通算100期と歴代最多勝利を理由についに国民栄誉賞が与えられるに至ったわけです。

"no-img2″
八一

直接対決で何回か勝つことなら、俺みたいなのでもできます。簡単じゃないけど・・互角の戦いはできると思う。 でも名人の記録を抜くなんて絶対に無理です。複数冠を一年持つことだって想像すらできないんですから

5巻の竜王戦では名人の上を行った八一ですが、『勝つ』ことよりも『勝ち続ける』ことの難しさをここでは指摘しているわけですね。

まさに神のごとき偉業で、世間的には『浪速の白雪姫』ともてはやされ、名人と並ぶ有名人である銀子も、本当に本気で将棋をしている例えば奨励会員やプロ棋士からは軽んじられることも多いようです。

だから銀子は、そんな世界の頂点にいる神(名人)にとって、自分は並ぶどころか歯牙にもかけられない存在だと思っていた様子ですが・・

"no-img2″
名人

私が今、一番戦ってみたいのは・・女性です。女性がプロ棋士になる時代がもうすぐ、確実に訪れます。棋士として、男性と女性の能力に差なんてありませんから

国民栄誉賞を受賞した会見でAIとの対局への興味を問われた名人が述べたのは、明らかに銀子を意識した回答でした。

曰く、名人自身が到達した偉業はあくまでも今までにもあったレールの延長線上にあるものでしかなかったが、周囲の環境的にも女性が将棋界で出世するのはかなりの困難で、それを乗り越えてきた人間が弱いわけがないという考えのようです。

"no-img2″
名人

ずっと見てきましたから。棋譜はもちろん、タイトル保持者としての振る舞いも、奨励会員としての努力も

神と呼ばれる名人に自分の将棋が届いていた。ここでかつて銀子の師匠の清滝鋼介の言っていた「将棋の神様は八一や銀子のことをちゃんと見ている」というセリフに繋がるのが素敵な展開ですね。

逆説的に言えば、こういうところで見る目があるからこそ名人は神とまで呼ばれているのかもしれません。

"no-img2″
名人

誰も歩いたことのない道には、正解も間違いもありません。ただ経験上、一つだけ言えることがあるとすれば・・運命は勇者に微笑む。私は、そう思います

長くなりましたが、八一と同じくらい銀子を勇気づける結果になったのがこの名人の会見でした。

ちなみに、この会見を見た後の八一と銀子のちょっとしたやり取りがものすごく微笑ましくて、この辺にもちょっと余裕を取り戻した銀子が表れているのにホッとした感じになります。

ともあれ、八一と名人によって復活した銀子は再び三段リーグの舞台に戻ってくるのですが、そこではいきなり強敵・椚創多との対局が描かれています。

"no-img2″
空銀子

よかった・・斬り落とさなくて

これは対局前の銀子のモノローグですが、最初は勝手に悪手を指す自分の手を斬り落とすとか言っていたところから完全に立ち直っていることが窺えますね。

その後の対局は、6巻では勝利したものの完全に格上だと認めてしまっていた椚創多との激戦が繰り広げられるのですが、名人の『運命は勇者に微笑む』の言葉を胸に勇気を持って戦った銀子はついに・・

そこで銀子はついに・・

"no-img2″
空銀子

着いたよ。八一

まだ八一の背中は遠いものの、銀子はついに将棋星人の星に一歩目を踏み出しました。

手を読むのではなく見える領域。椚創多との対局の中で銀子は大きく成長しました。

いやはや、11巻は本当にこの『銀子の将棋星人の星への一歩目に至るまで』を一冊かけて丁寧に描いたという印象の一冊だったと思います。

だからこそ銀子のステップアップにとても説得力がありましたね。

逆に言えば、女性が奨励会三段リーグに臨むということには、それだけの説得力が必要だったということなのかもしれません。そんな道だからこそ、そこを歩く女性を名人は勇者と称しているのだと思います。

それにしても、大きく変わった八一と銀子の関係性や銀子の棋力が今後の展開にどう影響してくるのかが、かなぁり気になるところですね。

11巻はメインヒロインである八一の弟子たちはほとんど登場していませんが、その辺の動向も気になります。

シリーズ関連記事リンク

『りゅうおうのおしごと(5)』最強の挑戦者を迎えた竜王戦が激熱な一冊です。(ネタバレ含む感想)

 

本記事は将棋ラノベの名作であるりゅうおうのおしごと!の魅力を、ネタバレ含む感想を交えて全力でオススメするレビュー記事となります。

将棋観を否定され、それでも最後には新境地へと至った八一が格好良い。最強の挑戦者を迎えた竜王戦が激熱な5巻目となります。

?

本作の概要

あらすじ(ストーリー)

将棋界の2大タイトルのひとつである竜王に史上最年少の16歳でなった若き天才。それが主人公の九頭竜八一となります。

・・というのは1巻のレビュー記事で書いた『あらすじ』と同じ書き出しですが、5巻は最初から最後までそんな竜王の防衛戦が描かれています。

将棋界の伝説。神とまで呼ばれる最強の挑戦者を相手に、第一局目で八一は今まで積み上げてきた将棋観を否定されるほどの大敗を喫します。

手が読めなくて負けたわけではない。手が読めているのに、読んでいたにも関わらず八一の手を否定した名人。

そんな絶望的な状況に八一は、あれだけ可愛がっていた弟子・雛鶴あいに八つ当たりしてしまうほど追いつめられてしまいます。

そのまま第二局目、第三局目と立て続けに敗北し、カド番へと追い込まれる八一。

そんな時、自分自身にとっても重要な対局を八一に見せるために、奇跡のような勝利を八一に見せるために指したのは清滝桂香。

釈迦堂里奈という女流将棋界の伝説を相手に壮絶な勝利を収め、八一に報われない努力はないことを証明して見せます。

それで精神的に復活を果たした八一は、心機一転した状態で第四局目に臨みます。

そこでは一つ壁を越えた・・いや、これから壁を越えようとしている八一と伝説的な名人との激闘が繰り広げられます。

ピックアップキャラクター

本作品のタイトルはりゅうおうのおしごと!であり、主人公である九頭竜八一が竜王のタイトルを持っているからこそのりゅうおうのおしごと!であることは明白です。

そして、5巻ではそんな八一の竜王を賭けた七番勝負が描かれており、言うまでもなく八一が5巻の主役であったことは間違いありません。

九頭竜八一

f:id:Aruiha:20190709205624p:plain

(「りゅうおうのおしごと!(9巻)」より)

史上最年少で竜王になった天才・九頭竜八一ですが、将棋界において神とまで呼ばれた最強の名人を挑戦者に迎え、失冠の危機に立たされています。

最初に八一の将棋観すら否定されるほどの大敗を喫したことで開幕三連敗。そんな状況で迎えた四局目こそが最大の見所になっていて、今までにない激熱な対局シーンが八一を中心に描かれています。

名人

f:id:Aruiha:20190730205138p:plain

(「りゅうおうのおしごと!(5巻)」より)

かなり重要なキャラクターであるにもかかわらず作中で唯一明確な名前が記されておらず、キャラクターというよりもまるで主人公が乗り越えるべき壁という概念として描かれているような印象すらある『名人』ですが、5巻では竜王戦に最強の挑戦者として登場し、九頭竜八一の前に立ちはだかります。

ちなみに、かなり将棋に疎い人であっても元ネタになったプロ棋士に思い当たりやすいキャラクターでもあると思います。

ネタバレ含む感想

荒れる八一

"no-img2″
あい

だいじょうぶです! まだ一つ負けただけじゃないですか! これから巻き返していけば、きっと・・

"no-img2″
八一

一つ負けただけ・・だと? あの将棋がそれだけだと本気で思ってるのか!?

竜王戦の一局目の後の、八一と何だかんだで八一も溺愛している弟子・雛鶴あいとの会話ですが、敗北した師匠を励まそうとするあいに八一は苛立ちを見せます。

"no-img2″
八一

あんな将棋を見せられてよく笑っていられるな!? 一敗で済む話か! シリーズ中盤であれをやられてたら終わりだったぞ!? 俺の将棋観が根底から否定されたんだッ!!

ただ負けただけではない。

読み負けたりミスをしたのではなく、挑戦者である名人と同じ読み筋を真っ先に思いついていたにも関わらず、それは自分にとってあまりにも都合の良い展開だからと切り捨てていた八一。

しかし、その自分にとって都合の良かった展開こそが名人の勝ちに繋がっていた。

こういう盤上遊戯のゲームでは、実力者であればあるほど経験に裏付けられた優れた大局観を持っているもので、無限に存在する読み筋をすべて検証しているのではなく、ほとんど無意識のレベルで必要のない読みは切り捨てることができるものです。

"no-img2″
月夜見坂

オメーの読みは『浅い』んだよ。手当たり次第に読んでくからムダ読みが多い。読みの量は多いが、そのほとんどがゴミだ

5巻ではあいも月夜見坂燎に敗北した際にこのような指摘をされていますが、これはつまり大局観がまだまだだということを指摘されているわけですね。

そして、まだ将棋を初めて1年に満たないあいがこれを指摘されるのはある意味当然と言えば当然のことでしょうけど、竜王にまでなった八一の場合は積み上げてきたものの総量が桁違いのはずです。

そんな八一の大局観を、つまりは積み上げてきたはずのものを、名人は一局目を通して否定したわけです。

だからこそ八一は今までにないほど荒れていたわけですね。

気遣う内弟子の雛鶴あい。心配してやって来た空銀子。清滝桂香の手紙。そのどれもが八一には響きません。

"no-img2″
八一

どこだ・・努力なら、いくらでもするから・・教えてくれよ・・誰か・・強くなるしかない。一人でやるしかないんだ

誰かに助けを求めながらも一人でやるしかないと結論付ける独白からも、八一の追いつめられっぷりが分かりますね。

一局目で名人に将棋観を否定された八一は、そのまま竜王戦で三連敗してしまっています。

七番勝負なので、既にカド番に追い込まれてしまっていて、竜王を防衛するためにはここから強敵である名人に四連勝する必要がある。

負けるにしても、こんな精神状態で負けてしまうのは明らかに良くない傾向で、5巻の前半はそういう意味でハラハラの展開になっています。

報われない努力はないことの証明

八一を荒んだところから連れ戻したのは、愛弟子の雛鶴あいでも姉弟子の空銀子でもなく、清滝桂香でした。

3巻以降、清滝桂香の活躍が目覚ましいですね。

1巻時点では保護者的な立ち位置のキャラクターでしかないと思っていましたが、何というか、これほど生きたキャラクターになってくるとは驚きです。

3巻のあとがきから作者の白鳥士郎先生にとってもかなり思い入れのあるキャラクターであることが伝わってきますが、それも頷ける働きぶりですね。

女流棋士を目指して、一度は諦めかけ、それでもまた掴んだチャンス。

勝てば女流棋士になれる。

そんな重要な対局を、清滝桂香は女流棋士になるためというそれ以上に、八一に報われない努力はないことを証明するために見せつけます。

清滝桂香の相手は永遠の女王(エターナルクイーン)とまで呼ばれる女流タイトルホルダーの釈迦堂里奈。

"no-img2″
清滝桂香

報われない努力はない。それを証明するために戦いました

地の分

実力も実績もずっと格上の相手に勝利して見せることで、清滝桂香は報われない努力はないことを証明しようとしました。

たとえ将棋観を否定されようと、積み上げてきた努力は無駄ではないのだと、そう言いたかったということでしょうね。

綺麗ごとというか、純然たる事実を言えば報われない努力だってあるはずなのですが、たぶん清滝桂香もそれは分かっていたからこそ、それをただ口にするのではなく何が何でも有言実行してみせようとしたのだと思います。

だから桂香さんに勝利をもたらしたのは将棋の技術じゃない。
それは・・決して砕けない勝利への意思だった。
勝利を信じて真っ直ぐ突き進む勇気だった。

だからこそ、そんな清滝桂香の証明が荒んだ八一の心にも響いたのだと思います。

決して砕けない勝利への意思。

決して諦めないこと。

それはりゅうおうのおしごと!の作中でこれまでも繰り返し語られてきた将棋の才能のひとつであり、そもそも八一はそこに雛鶴あいの才能を見出していたはずですが、清滝桂香の証明によって改めてそれを思い出さされたということでしょうか。

神のごとき名人

本記事はりゅうおうのおしごと!を10巻まで読んでいる時点で書いていますが、少なくともその時点で最も対局の描写が面白いのは、八一と名人の竜王戦の第四局だと思います。

他にも面白い対局はたくさんありますし、ライトノベルらしく二人のあいをはじめとする可愛らしい女の子の対局の方が面白いって思う人もいるかもしれませんが、個人的にはやっぱり最高峰のカードって興味深いですし、その最高峰な対局が本当に上手く表現されていて、読んでいて手に汗を握る緊張感がこれでもかというほど伝わってきました。

また、挑戦者である名人の表現がまた良いですね。

ピックアップキャラクターの紹介でも前述しましたが、名人はりゅうおうのおしごと!の作中でも唯一名前が語られておらず、顔が見えないキャラクターです。

"no-img2″
八一

この人・・こんな顔してたのか・・?

この対局で八一は、両者ともに反則の手を指さざるを得ないという奇跡を発見して引き分けの指しなおしまでに持ち込みますが、そんな奇跡以上に印象的だったのが八一が初めて名人の顔に気付くシーン。

自分が名人よりも強いとは思えない。
この人よりも才能があるとも思えないし、この人のようになれるとも思えない。
けど、それでいいんだ。
名人が名人であるように、俺は俺だ。

神とまで呼ばれる名人は、確かに神のごとく強いが当たり前のように普通のおじさんでした。

憧れは憧れで良いという気付きが素敵だったと思います。

"no-img2″
八一

この鬼畜眼鏡がッ! どういう体力してんだ・・!!

憧れに対するセリフがコレってのがまた面白いですが、自分は自分であると再認識したからといって、当然勝利を諦めたわけではありません。

そして、指しなおしの対局の最後の最後まで続く緊張感が本当に最高で、名人の方が多く持ち時間を残している状況で、もう持ち時間のない八一が投了を決めかけた時に名人が最後の確認のために持ち時間を使ったことで、つまりは八一にも時間が手に入ったという展開が激熱すぎます。

名人が時間を使わずに指していたら八一は投了するつもりだったようです。

しかし、名人は時間を使った。

その時間を使って考えた八一の手で、名人は投了したのです。

こんな素晴らしい展開ってなかなかないですよね?

相手の時間を使って考えるというのはある意味では基本という気もしますが、相手が持ち時間を使ってくれるかは運次第です。

それでも諦めなければこういうこともあるということですね。

特装版の小冊子

本編とは関係の無い未来のIFストーリーという感じですが、5巻特装版の小冊子はなかなか面白い内容になっています。

30年後の未来、空銀子と雛鶴あいが女流名跡戦で戦う話になっています。

何でメインヒロインの雛鶴あいよりも空銀子の名前を先に書いたのかといえば、これが空銀子視点の話・・というか空銀子の夢オチになっているからです。(笑)

そこに登場する雛鶴あいは女流五冠の超強豪であり、女流名跡のタイトルを持っているものの全盛期よりはかなり衰えた空銀子に挑戦する『最強の挑戦者』と目されていました。

何というかそんな夢を見るあたり空銀子は、雛鶴あいのことを今はまだ実力差はあるもののかなりの脅威に感じていることが窺えますね。

また、5巻本編で最強の挑戦者を相手に迎えた八一と、夢の中で雛鶴あいの挑戦を受けている空銀子が少しばかり重なるのが興味深いと思います。

特装版ということで今ではなかなか手に入りづらいかもしれませんが、なかなか面白いので興味があったら探してみてください。

シリーズ関連記事リンク

『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』ユア・ストーリーの意味がエモい劇場版の感想(ネタバレ注意)

f:id:Aruiha:20190804073110p:plain

dq-movie.com

 

とりあえずまず最初にこの映画を一言を表したら、絶対的に賛否が分かれる映画だと思いました。

特に原作ゲームが好きな人であればあるほど、観たかったのはコレじゃない感を抱いて、少なからずモヤモヤが残る結果になったのではないでしょうか?

「なるほど『ユア・ストーリー』ってこういう意味か」というエモい驚きがあった半面、別にそんな驚きは要らなかったのではないかとも思ったんですよね。

・・なんてことを最初に書くと、なんだこの映画はツマラナイのかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。

そもそも僕は総合的に見てプラス評価の作品しかレビューしたことがありませんし、批判しかない作品のレビューを書こうとも思いませんし、書けません。

ただ、多くの人がマイナスに感じそうなところもあるということだけは最初に断った上で、それでも面白いところのある映画なのだよとオススメしてみたかったわけです。

少なくとも、久しぶりに原作のドラクエ5をプレイしてみたいと思わされるくらいには僕にとっては面白かったです。

?

ドラゴンクエスト5とは?

多くの人にとっては説明不要でしょうがおさらいしておきましょう。

25年以上前の1992年に発売したスーパーファミコンから発売しているRPGで、『ドラゴンクエスト』のナンバリングタイトルの中でも同じ世界観の『天空シリーズ』と呼ばれている作品の2作品目となります。

2作品目ですが時代的には最終章ですね。

親子三代に渡る壮大な物語になっているのが魅力で、主人公が『勇者』ではなく『勇者の父親』であるところが、今風に言えばエモいと思います。

売上本数的にはドラクエナンバリングタイトルの中ではかなり低い方(といっても素晴らしい売上)ですが、ストーリーが非常に素晴らしいからかリメイク作品の売上は非常に高く、ジワジワと評価を増した作品という印象が強いです。

個人的には、『ドラクエ11』と並んでストーリー的にはトップの作品だと思っています。

キャラクターデザインについて

ドラクエシリーズといえば鳥山明先生のキャラクターデザインとは切っても切り離せないものだと思っていました。

しかし、今回の映画で鳥山明先生のキャラクターデザインを採用しなかったことに対しては公開前からかなりの物議を醸していましたね。

パパスあたりはかなり近かったですけど。(笑)

まあ、個人的にはこの映画のキャラクターデザインも別に嫌いではありませんでした。

ビアンカとか有村架純さんの演技も相まってメッチャ可愛かったと思います。

そうそう声優ではなく俳優・女優を起用することに対しても賛否が分かれるところですが、個人的には有村架純さんの演技はかなり良かったと思います。

考えてみれば『思い出のマーニー』で主演もしていますし、そもそも声優としての能力も高い女優さんなのでしょうね。

駆け足だけど意外とうまく纏まっていた

親子三代に渡るドラクエ5の物語を2時間足らずの映画にどこまでまとめ上げられるのかは観る前から気になっているところでしたが、かなり壮大な物語を意外とうまく纏められているのではないかと思いました。

 序盤に未来のリュカが子供のリュカに話しかけるシーンがありますが、このシーンを観た瞬間に割とちゃんと原作に則ったストーリーで描かれるんだろうと感じました。(ラストは違いましたけど)

それに、他のナンバリングタイトルにはないドラクエ5の最も特徴的なところとして結婚というイベントがありますが、その辺にかなりの尺が使われていることはまあ当然の結果でしょうか?

恐らくですが、こういうシーンがあるからこそドラクエ5がナンバリングタイトルの中でも映画にして映える可能性があったということなのだと思います。

ともあれ、ポイントポイントは押さえられていたと思うので、原作ゲームをプレイしたことが無い人でもドラクエ5の物語の全体像が掴めるようにはなっていたのではないでしょうか?

結婚相手は?

ビアンカかフローラか、ドラクエ5には結婚相手を選択するという大きなイベントが待っています。

原作ゲームではストーリーの流れ的に明らかにビアンカに愛着が出てくるはずで、恐らくビアンカ派の人の方が多いような気がします。

なので順当にこの劇場版でもビアンカが選ばれると思っていたら、主人公のリュカがビアンカの後押しでフローラにプロポーズしたシーンを観たときはどうなることかと思いました。

そして、デボラは登場しないようです。(笑)

まあ、リメイク版の追加要素としては面白かったし、僕もリメイク版では興味本位でビアンカではなくデボラを選んだりしてみたものですが、ストーリー的にビアンカが選択されるのが自然である以上は尺の問題もあるのにワザワザ登場させる必要は無かったということでしょうか。

ユア・ストーリーの意味は?

ドラクエ5はゲームです。

そして、僕は『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』のことをドラクエ5の世界観を映画にした作品だと思っていました。

しかし、それはそれで正解だとは思うのですが、一方で間違いでもありました。

繰り返しますがドラクエ5はゲームです。

ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』という映画も、ある意味ではそこに忠実であったと言えるのです。

最初はスーパーファミコンで発売され、PS2任天堂DS、それにスマホアプリ等で何度もリメイクされた名作ゲームであるドラクエ5。

ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は、そんなリメイクの延長にある世界を描いた作品で、主人公のリュカはあくまでもゲームのプレイヤーの分身であるという設定になっているようですね。

だからタイトルのサブタイトルが『ユア・ストーリー』になっているということなのかと鑑賞後に理解しました。

ゲームであればプレイヤーの数だけ物語があるものだからこその『ユア・ストーリー』で、特にドラクエ5の場合は途中で大きな選択もありますし、これはこれで面白い発想だと思います。

ただし、リメイク要素としてのあのミルドラースというのは、まあ分からなくもありませんが、本家なら絶対にしない設定ですし本音を言えばちゃんとしたミルドラースが見たかったという気もします。

あれはれでエモい感じはあって面白かったんですけど、ドラクエでやってしまったあたりは流石に批判を免れないのではないかと思われます。

とはいえ、原作があまりにも有名なゲームだからこそそう感じるのであって、その辺に目をつむれば十分に面白い映画なのではないかと思います。

『りゅうおうのおしごと(4)』才能vs才能の初大会(ネタバレ含む感想)

 

本記事は将棋ラノベの名作であるりゅうおうのおしごと!の魅力を、ネタバレ含む感想を交えて全力でオススメするレビュー記事となります。

初めての大会で無双する幼い天才、そして女流棋士の枠を超えた才能を持つ女流タイトルホルダーと雛鶴あいの一戦が見所の4巻目となります。

?

本作の概要

あらすじ(ストーリー)

最大の女流棋戦である『マイナビ女子オープン将棋トーナメント』の舞台は東京。

りゅうおうのおしごと!の舞台は基本的に関西ですが、4巻では初めて舞台を関西の外側に移します。

 タイトルホルダーである空銀子女王へと続く棋戦に、九頭竜八一の弟子二人(雛鶴あい、夜叉神天衣)と、そして清滝桂香が出場します。

最年少で出場した初めての大会で、女流棋士の強豪相手に勝ち上がっていく幼い天才たちがとても爽快です。

女流タイトルの帝位を持ち、同じくタイトルホルダーの釈迦堂里奈からは『魔物』と呼ばれ、才能だけなら空銀子よりも上だと自他ともに認める祭神雷が今回の雛鶴あいの相手で、最大の見所となります。

幼い天才二人に次々と撃破されていく女流棋士たちですが、夜叉神天衣と鹿路庭珠代の対局前と対局後のやり取りも、アイドル的な扱いの女流棋士だと思われた鹿路庭珠代の意外な熱さが見られてなかなか興味深いです。

そして、二人のあいほど目立っていなかったものの影の主役は清滝桂香でした。

1回戦で敗北してしまって敗者復活を戦っていたのですが、開き直って思い切りが良くなり、相手のミスにも助けられつつ、連勝が続いて大きなチャンスを得ることになります。

しかし、最後の相手の香酔千は清滝桂香のかつての修行仲間。

お互い同世代で、あと一勝で大きなチャンスを掴むことができると同時に、負けてしまえば再びチャンスが舞い込む可能性は限りなく小さい。

涙ながらの、勝利の痛みを堪えながらの対局にも注目ですね。

そして、今回は完全に弟子二人や清滝桂香のサポートに回っていた八一ですが、それはもう少しで竜王の防衛戦が始まるので、弟子たちに掛かりっきりというわけにはいかなくなってくるからという理由もありました。

4巻ラストでは竜王挑戦者をめぐる神鍋歩夢と名人の、神の領域の一戦が繰り広げられています。

次巻で誰が竜王・九頭竜八一に挑戦することになるのか。それも大きな見所のひとつとなります。

ピックアップキャラクター

大きな大会の全容が描かれている4巻は、特定のキャラクターにスポットが当たっているというよりも数多くのキャラクターが満遍なく活躍している印象が強いです。

しかし、あえて言うならば将棋を覚えて僅か7か月目にしてトップ女流棋士である祭神雷と対局することになった雛鶴あいと、今巻初登場にして強烈な存在感を放っていた祭神雷が印象的でした。

雛鶴あい

f:id:Aruiha:20190723062838p:plain

(「りゅうおうのおしごと!(1巻)」より)

メインヒロインの雛鶴あいですが、ライバルである夜叉神天衣の登場で勉強に身が入ったり、生石充のもとで振り飛車を学んで将棋の幅も広くなり、清滝桂香との対局で勝利の痛みも克服しました。

僅かな期間で女流棋士を相手に互角以上に戦えるまでに成長し、ついには女流タイトルホルダーを相手に大金星をあげてしまいます。

祭神雷

f:id:Aruiha:20190723062826p:plain

(「りゅうおうのおしごと!(4巻)」より)

メイン級の女流棋士の中では出番少な目の祭神雷ですが、その強烈な個性と存在感には圧倒的なものがあります。

ムラがあるものの才能なら女流最強の名をほしいままにしている空銀子よりも上と言われる強豪で、あいとの対局では挑発的に才能がものをいう戦型へと誘導していきます。

ネタバレ含む感想

初めての大会で活躍する2人のあい

大きな大会を舞台にメインキャラクターが順調に勝ち進んでいく。

改めて言葉にすると4巻のストーリー構成はライトノベルとしては意外と地味なものである気がします。

しかし、実際に読んでいて地味なストーリーだと感じることはありません。

将棋を指すというシーン。

その言葉尻だけを捉えたら非常に地味なものに感じられるのですが・・

雛鶴あいと祭神雷。

夜叉神天衣と鹿路庭珠代。

清滝桂香と香酔千。

たった一局の将棋の中に様々なドラマがあって、エゴがあって、そして熱さがあったからこそ、一見地味に見えて面白いのだと思います。

なんでこんなに面白いのか?

作者の白鳥士郎先生が4巻あとがきでこう言及されています。

棋力ゼロの私でも将棋に関する小説を書くことができているのは、『観戦記』の存在があるからです。

将棋の対局をエンターテイメントとして伝える『観戦記』の存在があるからこそ、たった一局の将棋を通してライトノベルらしくもリアリティのあるドラマを描くことができているということなのだと思います。

4巻で特徴的だったのは、初めての大会で師匠である九頭竜八一の想像すら超えて大躍進していく雛鶴あいと夜叉神天衣・・の裏側にいる敗れ去っていく女流棋士たちの姿でした。

女流棋士にしてもプロ棋士にしても、そこに至っている時点で相当な天才の部類であることは間違いありません。

地元では負けなしの天才扱いだったとか、そういう人たちの集合体なわけですから若干9歳の二人のあいに、本物の天才に敗れ去っていくのは悔しくて仕方のないことでしょう。

例えば、あいと最初に対局した杓子巴は投了した後の感想戦で、自分とは全く読みの深さの違うあいに驚かされ、二度負かされることになりました。

あえてなのだと思いますが、そんな感じで敗者をしっかりと描こうとしている意図を感じる内容になっています。

敗れ去っていく女流棋士の名前が、一度限りしか登場しないサブキャラであるにも関わらずライトノベルらしい凝ったものになっているのもその証拠だと思います。

要するにヒロインである二人のあいの対局相手である女流棋士が、ただのモブではないのだということを強調したかったのかもしれませんね。

だからこそ、4巻で見所となる対局以外の将棋も面白く感じられたのだと思います。

女流タイトルホルダーとの対局

"no-img2″
あい

なんですかその人!? いきなり師匠のお部屋に、は、裸で押しかけるなんてっ・・変態さんじゃないですかー!!

"no-img2″
空銀子

おかしいわね? 私、最近どこかで似たような話を聞いたんだけど・・?

"no-img2″
あい

あいはちゃんと師匠にお手紙を出しましたし服も着てましたっ!!

"no-img2″
空銀子

はいはい

雛鶴あいと空銀子は、口を開けば喧嘩になるという印象が強い組み合わせですが、何だかんだで銀子も弟弟子である八一の弟子としてあいのことを見ている節があるのは興味深いところです。

こういう皮肉も、1巻時点だったらかなり険悪な印象を受けたような気がしますが、冗談ぽっくて微笑ましく感じますね。

それに、意外とまともに解説の聞き手の仕事をしていたり、銀子の新しい一面が垣間見えていたような気がします。

ともあれ、話がいきなり逸れましたが師匠(八一)のお部屋に裸で押し掛けたというのが、あいの対局相手である祭神雷となります。

"no-img2″
あい

もう二度と師匠に迷惑をかけないよう・・あいが盤上でお断りしてきます!!

女流帝位のタイトルホルダーで、才能は空銀子以上とまで言われる祭神雷を相手に敵愾心むき出しのあい。

"no-img2″
祭神雷

空銀子も釈迦堂里奈も月夜見坂燎も供御飯万智も、みぃんなニセモノさぁ。あいつらは何も見えちゃいないんだからぁ

それに対して祭神雷は自分こそが唯一の本物の女流棋士であると言わんばかり。

いわゆる『手を読む』のではなく『手が見える』という本物の才能の持ち主で、これは口だけでは決してないのですが、ある意味では八一しか見えていないというのが面白いところですね。(笑)

"no-img2″
あい

わたしが竜王の一番弟子なんです!! あなたなんかに譲りませんっ!!

最も才能があると言われる女流棋士である祭神雷に、経験も、感覚も、大局観も、それにお得意の読みの力でさえもあいは劣っていました。

しかし、『折れない心』というたった一つの才能だけが祭神雷を上回っていて、あいは大金星を掴むことができました。

ちなみに、将棋のような盤上遊戯を嗜まない人には『折れない心』がその他の強さの要素を上回るという事実はあまりピンとこないかもしれませんが、これは純然たる事実として存在することだと思います。

僕の場合は囲碁を嗜みますが、強い人ほどどんなに不利になってもなかなか折れない所があります。悪く言えば「投げっぷりが悪い」ということになりますが、人によっては投了してもおかしくないような局面から虎視眈々と逆転の手を狙っているわけですね。

国民栄誉賞を受賞された囲碁棋士井山裕太先生などはその最たるもので、必敗の状況からの逆転が稀によくあることだったります。

逆に、そこまでレートが高くないのに打っていてかなりの強さを感じる相手もいたりしますが、そういう人は投了が早い傾向があったりします。良く言えば「諦めが良い」ということになりますが、心が折れるのが早くて、あいのような『折れない心』の才能が無いということなのではないかと思います。

これが将棋にも、それに他の勝負ごと全般にも当てはまることなのだと思います。

敗者復活からの快進撃

若干9歳の二人のあいにとっては、この『マイナビ女子オープン将棋トーナメント』は大きなチャンス・・というよりも、経験を積むための修行という意味合いの方が大きかったはずです。

しかし、そうではない人もいます。

"no-img2″
八一

・・『ヒカルの碁』にこんなキャラいたなぁ

指でトントンと壁面をつついてブツブツ言っている『ヒカルの碁』のキャラクターと言えば越智のことでしょうけど、おっとり系お姉さんの清滝桂香がこれをやっているところに面白さがありますね。(笑)

二人のあいにとっての初めての大会は、清滝桂香にとっては最後になるかもしれないチャンスでもあり、そこに臨む意気込みも桁違いだったに違いありません。

様々な立場の女性が出場している大会ですが、同門内で両極端なことになっているのが印象的です。

しかし・・

"no-img2″
清滝桂香

ごめんねー。私だけ負けちゃってごめんねー。空気悪くしてごめんだよー・・

絶対に勝ちたいという気持ちが強すぎるとなかなか勝てなくなるということは痛いほど理解できる現象ですが、二人のあいが順調に勝利を収める中、一人だけ負けてちょっといじけている清滝桂香が地味に可愛らしいですね。

"no-img2″
清滝桂香

老兵は死なず・・ただ消え去るのみぃ・・

"no-img2″
八一

まだ消えないから! 敗者復活戦があるから!

"no-img2″
あい

そ、そうです桂香さん! 諦めたらそこで対局終了です!!

自虐的になってしまう年長者。

なんとなくいたたまれない時って年下相手に自虐的になってしまう気持ちは少し分かるかもしれません。

たぶん、自分を慕ってくれている年下なら労わってくれるような気がしてしまうからだと思います。

そして、この1回戦早々の敗退が清滝桂香の快進撃の引き金になっているのが面白いところ。

運を味方に付けたのもあるでしょうけど、一度負けて開き直ったのが大きかった印象ですね。良い意味で緊張がほぐれたとか、そういう状態になったのだと思われます。

二人のあいの大活躍の裏側で、敗者復活を戦う清滝桂香が地味目に描かれていた印象ですが、じわじわとチャンスに近づいてきて「もしかして?」って感じになってくる展開がかなり良かったと思います。

そして、そんな清滝桂香のハイライトはかつての修行仲間である香酔千との対局。

清滝桂香以上に崖っぷちの香酔千が相手ですが、チャンスを掴むことができるのは勝者のみという状況。

清滝桂香の得意戦法を避けるために不利な手を指した香酔千に対してふっきれた清滝桂香では、心理的にどちらが優位なのかは言うまでもありません。

しかし、これは勝利がかつての仲間を崖っぷちから突き落とすことを意味する対局となります。

涙ながらに、嗚咽を漏らしながら勝利を掴む清滝桂香の姿が印象的なエピソードでした。

あいと祭神雷との対局とは違った『熱さ』が確かにあったような気がします。

竜王の挑戦者

4巻の主人公は八一の弟子二人をはじめとする女性たちですが、次巻は八一が主人公らしい活躍を見せてくれます。

りゅうおうのおしごと!のタイトルの由来でもある将棋界最高峰のタイトル・竜王。その防衛戦が始まるので当然と言えば当然ですね。

そして、4巻ラストでは竜王・九頭竜八一への挑戦権を賭けての対局が描かれています。

八一のライバル的なキャラクターである神鍋歩夢と、タイトル通算100期と永世7冠の賭かった神とまで呼ばれる『名人』の三番勝負。

両対局者ともにメインキャラクターではありませんが、そうであるにもかかわらず激熱の盛り上がりを見せる対局になっています。

衰えがないわけではない名人を相手に善戦する神鍋歩夢ですが、それでもマジックとまで呼ばれる常識や定跡を覆した手を繰り出してくる名人には敵いませんでした。

それでも、時間の竜王戦に向けた前哨戦としては十分な盛り上がりだったと思います。

ちなみに、将棋の世界には詳しくない僕にでもさすがにこの名人のモデルが羽生善治永世七冠であることは分かりました。

シリーズ関連記事リンク

『りゅうおうのおしごと(3)』努力と才能と決意が描かれた一冊です。(ネタバレ含む感想)

 

本記事は将棋ラノベの名作であるりゅうおうのおしごと!の魅力を、ネタバレ含む感想を交えて全力でオススメするレビュー記事となります。

努力の人に挑む天才。女流棋士を目指すための決意。そして目前に迫った年齢制限に対する苦悩が描かれる3巻目となります。

?

本作の概要

あらすじ(ストーリー)

天才棋士である九頭竜八一にとって、A級棋士の山刀伐尽は苦手とする相手となります。

デビュー戦では舐めてかかって敗戦し、竜王になった後の11連敗のキッカケとなった敗戦の相手でもあるし、そしてまた負けて3連敗してしまうことになります。

山刀伐尽の棋風はオールラウンダーで、居飛車振り飛車も指しこなす『両刀使い』と呼ばれています。別の意味でも『両刀使い』らしいなのではないかという疑いもありますが。(笑)

そんな山刀伐尽と近く再戦する機会がある九頭竜八一は、その対策として同じタイトルホルダーであり『振り飛車党総裁』『捌きの巨匠(マエストロ)』と呼ばれる生石充玉将から振り飛車の教えを乞うことになります。

そして、八一がトッププロの世界で戦っている一方で研修会では、一番弟子の雛鶴あいと、師匠の娘である清滝桂香にも悩み事が発生していました。

あいは、もともとは格上だったJS研の水越澪に駒落ちで勝利するまでに強くなりましたが、一方で友人を蹴落として泣かせてしまう結果になってしまったことに思い悩んでしまいます。

しかも、女流棋士になるための年齢制限が迫っているにも関わらず降級の危機に陥ってしまった清滝桂香を蹴落とす最後の一撃が自分になる可能性すらあると八一に指摘されてしまい、女流棋士を目指す上で避けては通れない覚悟を問われることになります。

また、当の清滝桂香はそんなあいと自分の才能の違いに思い悩みます。

なりふり構わず本気になった清滝桂香と、才能だけではない女流棋士になるための覚悟を問われたあいの人生を賭けた一戦が激熱の展開で描かれています。 

ピックアップキャラクター

女子小学生がメインヒロインのライトノベルではありますが、3巻では大人の女性である清滝桂香にスポットが当たっています。

子供の頃の清滝桂香が未来の自分に宛てた手紙と、そんな未来の自分よりも年上になっても理想とは程遠い自分とのギャップに思い悩む姿が切ないです。

清滝桂香

f:id:Aruiha:20190717211105p:plain

(「りゅうおうのおしごと!(1巻)」より)

八一や銀子の師匠である清滝鋼介の娘で、年上の保護者的な立ち位置の女性ですが、将棋指しとしては八一や銀子の妹弟子となります。

雛鶴あいや夜叉神天衣のように才能があるわけではない。

しかし、女流棋士を諦めきれずに頑張る努力の人で、3巻では普段の優しいお姉さんとは違う、女流棋士を目指す将棋指しとしての『熱さ』を見せてくれます。

ネタバレ含む感想

努力の人と天才

最年少で竜王になった九頭竜八一は間違いなく天才側の人。

"no-img2″
空銀子

私達は地球人。目で見て、それで考えるしかない。でもあいつらは目で見る以外の情報を盤面から得てる。別の感覚器官を持ってる。だから読みの速度と局面探索の深さが全く違う・・というか、そもそも読んでない。見るだけでわかるから

銀子はそんな天才のことを『将棋星人』と称します。

"no-img2″
空銀子

八一の才能は間違いなく、将棋の歴史の中で五本の指に入る。将棋の星の王子様。それが九頭竜八一竜王。私の弟弟子

そんな『将棋星人』に挑むためには『研究』しかないのだとも。

そして、天才・九頭竜八一の苦手とするA級棋士の山刀伐尽は、才能が無くとも『研究』を重ねて強くなった努力の人となります。

デビュー戦で黒歴史級の敗北を喫し、竜王になった後の11連敗のキッカケの敗戦の相手も山刀伐尽。そして苦手意識を払拭できないそのままに3連敗。

オールラウンダーな棋風から『両刀使い』の異名で呼ばれることからも、様々な指し方を『研究』していることが窺えます。ちなみに、別の意味でも『両刀使い』の疑いがあって、盤外の話ですがそういうところも八一は苦手にしているようです。(笑)

ともあれ、居飛車党の八一はそんな『両刀使い』に対抗するためにオールラウンダーになることを決意します。そのために、『振り飛車党総裁』『捌きの巨匠(マエストロ)』と呼ばれるタイトルホルダー生石充玉将から振り飛車の教えを乞うことになります。

そして、生石充が地味に名言製造機になっていて「なるほど」と思わされることが多いんですよね。

"no-img2″
生石充

奨励会は生き地獄だ。みんな命懸けで将棋を指してる。そんな中で自分だけが他人より努力してるなんて考えは、傲慢だと思わないか?

中でも印象的だったのがこのセリフ。

生石充も八一と同じ『将棋星人』の側だと思いますが、彼は自分が努力したから強くなれたのだと最初は思っていたようです。

しかし、同じように努力しても伸びる人と伸びない人がいて、それを分けるのが『才能』なのだと気付いた。

本当は『才能』に恵まれているだけなのに誰よりも努力していると考えるのは傲慢だという考え方は目から鱗でしたね。

そういう意味で八一が相手にしようとしている山刀伐尽は、本当の意味で誰よりも努力している将棋指し。

本当の意味での努力の人と天才の戦いの行方が3巻の見所のひとつです。

振り飛車修行とその成果

一千時間の事前研究。それだけの努力が八一の相手である山刀伐尽の最大の武器となります。

八一が生石充のもとで学んだ振り飛車ゴキゲン中飛車は名人との研究で『終わらせた』と豪語する山刀伐尽を相手に・・

負けるたびに挑み。挑むたびに負け。心に痛みを刻みつけ。それでも挑み続けることが、不可能を可能にする唯一の方法だと知った。

それでも、心が折れそうになりながらも不可能に挑む八一。

相手の一千時間の事前研究に対して、たった25分34秒の残り持ち時間で覆そうと、読めば読むほど絶望しか見えない状況を覆そうとします。

"no-img2″
八一

・・見つけた

三回連続の限定合駒という奇跡的な道筋を八一は見つけ出します。

僕は将棋には疎いので限定合駒とは一体何だと思ったものですが、とにかく通常は読むことすらしない珍しい状況のようですね。

相手の駒と自分の駒の間に駒を指して、例えば王将が取られる道をふさいだりする手のことを合駒というようですが、通常は価値の低い駒から合駒に使っていくものだそうです。

そして限定合駒というのは、ある特定の駒以外で合駒しなければ詰むという限定的な状況のことを指すようで、発生するのは非常に珍しいことのようですね。

囲碁でいういわゆる『愚形の妙手』が何度も連続するような状況みたいなものでしょうか?

ともあれ、山刀伐尽の『一千時間の事前研究』に対して、八一は『僅か二週間(時間にして百時間程度)の勉強と25分程度の持ち時間』で勝利してしまいました。

その差を覆したものこそがいわゆる才能。将棋星人ということなのかもしれませんね。

ちなみに、この三回連続の限定合駒という奇跡的な状況には現実の元ネタがあるというのだから驚きですね。

そして、八一のこの勝利はとある人物へも影響を与えます。

竜王にまでなった八一が全く新しい将棋に挑戦した姿が、清滝桂香に甘さを捨てる決意をさせるキッカケになっていたのは間違いないと思います。

清滝桂香の苦悩と雛鶴あいの決意

3巻で最大の見所となるのは『清滝桂香と雛鶴あいの対局』となります。

女流棋士になるための年齢制限が近づいてきているのに、降級の危機に陥ってしまった清滝桂香。

将棋が初恋で、嫌いになったこともありますが女流棋士を目指して将棋に真摯に向き合ってきたのに、成果がなかなかでないことに悩んでいます。

そんな研修会でも最年長の清滝桂香にとって、最近現れた若干9歳の幼い天才・雛鶴あいはあまりにもまぶしい存在だったに違いありません。

なりふり構わず銀子にも頭を下げて教えを請い、自分よりもずっと上のところにいるのに挑戦し続ける八一の姿にも触発され、清滝桂香も甘さを捨てる決意をします。

"no-img2″
清滝桂香

・・一局目があなたでよかったわ

"no-img2″
天衣

ふぅん? つらいことは最初に済ましておきたいっていうわけ?

"no-img2″
清滝桂香

あいちゃんと戦う前のウォーミングアップをしたいと思ってたから

普段の優しいお姉さんらしい清滝桂香とは違う、いくら天才とはいえ一回り以上年下の少女を相手に老獪な盤外戦術すら駆使して勝ち星を拾いに行きます。

これは逆に言えば今までも使えたはずの武器を使わなかったという清滝桂香の甘さであり、そして今はその甘さを捨てているということになります。

というわけで、研修会で連勝を続けていた強敵である天衣を相手に勝利をもぎ取りました。

そして、次の対局がいよいよ3巻のハイライトとなる『清滝桂香と雛鶴あいの対局』ですね。

清滝桂香にとって羨望の対象である雛鶴あいですが、将棋を始めてからの経験も浅く、ただ八一に憧れて将棋を指したかっただけで女流棋士になるための覚悟が足りていないのが今の雛鶴あいの弱点となります。

"no-img2″
あい

わ、わたし・・勝つのがこんなにつらいだなんて、知りませんでした・・

"no-img2″
八一

もしおまえが勝つことを怖れるような人間なら、もう苦しむ必要なんて無い。今ここで破門してやる。荷物をまとめてそのまま田舎へ帰れッ!!

同じJS研の水越澪。

少し前まで格上だった友人に僅かな期間で駒落ちで勝利するまでに強くなったあいですが、一方でそのことにショックを受けて泣いてしまった水越澪を見て、勝つことのつらさもあるということを初めて知ります。

しかし、女流棋士を目指すということはライバルとの蹴落としあいをしていくということに他ならず、もしかしたら同門の清滝桂香が降級する最後のキッカケを与えるのがあいになってしまう可能性すらあることを八一に指摘されます。

一応はそのような覚悟が必要なことをあいは認識したはずですが、だからといっていきなり完全に覚悟できるようなものではありません。

勝利の痛みを知り、そんな葛藤を抱えたままにあいは、甘さを捨てた清滝桂香との対局に臨むことになります。

そして、それは先に決意を固めていた清滝桂香が序盤優勢を築く展開となり、あいからは嗚咽が聞こえてきて心が折れて投了するのかと思われたのですが・・

"no-img2″
あい

・・ごめんなさい・・桂香さん・・わたし、もう・・負けたくない!!

圧倒的に不利で負けそうな状況になって初めて、あいは負けたくない気持ちを思い出して勝利の痛みを乗り越えることができました。

そして、終盤の読みこそがあいの最大の武器であることは既に周知の事実ですが、生石充のもとで学んだ捌きで、目まぐるしく変化する盤面をあいは支配していきます。

それに清滝桂香もキャラ崩壊しつつ全力で応えるのですが、結果はあいの勝利で終わりました。

"no-img2″
清滝桂香

ありがとう。全力で指してくれて

しかし、ここで負けたら研修会を辞めるつもりだった清滝桂香は一体どうするのか?

その最後の一押しのキッカケになったあいはどう思うのか?

そこが不安なところでしたが、着せ替え人形ではない自分の将棋であいと全力でぶつかった清滝桂香は、たとえ女流棋士になれる可能性が低くても将棋を続けていきたいと考えるようになっていました。

シリーズ関連記事リンク

『天気の子』100%の晴れ女が世界を救わない物語(ネタバレ含む感想)

f:id:Aruiha:20190720071222p:plain

映画『天気の子』より

 

新海誠監督の最新作天気の子がいよいよ公開されたのでさっそく観てきました!

前作の君の名は。がちょっと普通ではないレベルのヒット作になったこともあって、かなり期待のハードルが上げられていた作品だと思いますが、これだけはハッキリ言っておきます。

『天気の子』が間違いなく新海誠監督の最高傑作だと!

まだ公開されたばかりなので最終的な評価がどのような形になるのかは定かではありませんが、個人的には少なくとも君の名は。の時よりも面白いと感じました。

最低でもあと2回は観に行こうって思うくらい。

君の名は。が比較的キャッチーで古典的なテーマの作品だったのに対して、天気の子にはもっと真新しい何かがあったように感じられたのがその最大の理由です。

だから目が肥えた人ほど天気の子の方が観ていて新鮮に感じられるのではないかと思います。

しかし、一方でかなり賛否の分かれそうな結末が待っています。

それは事前情報でも言われていたことですね。

二者択一のどちらを選んでも完璧なハッピーエンドになるわけではない。どちらを選ぶべきなのかは人によって考え方が違いそうなところで、しかしご都合主義で両方を選ぶような展開にもならない。

それが賛否の分かれるところなのだと思います。

さて、本記事ではそんな天気の子の見所を紹介していきたいと思います。

ネタバレが過分に含まれているので、まだ観ていなくてネタバレを嫌う人はご注意ください。

?


『天気の子』の見所

家出少年の森嶋帆高

主人公の森嶋帆高は、どこかの島から家出した東京にやって来た16歳の少年となります。

どこの島から来たのか、そもそも何で「絶対に帰りたくない」という思いを抱えて家出してきたのか、この辺は作中でも一切語られていません。

恐らくですが、これはあまりにも普通のことなのであえて説明されなかったのではないかと思います。

さすがに、帆高ほどバイタリティーのある家出をする少年は珍しいと思いますが、何かちょっとしたことで親や自分の置かれた環境に対して反抗的になるのは、帆高くらいの年頃ならある程度は誰にでも経験のある普通のことだと思います。

つまり、家出の理由はかなりしょうもなかった可能性は無きにしも非ず。(笑)

しかし、それがあえて説明されなかったことによって、帆高は普通のどこにでもいる等身大の男子高校生という雰囲気で描かれつつも、どこか影のある主人公らしさもあったのだと思います。

陽菜や夏美などの女性キャラクターのことを思春期の少年らしくちょっとエロい感じの目で見てしまったり、それに気付かれた時の初心な反応が印象的でした。

君の名は。立花瀧と比較すると、どちかといえば格好良さよりも可愛らしさが際立つタイプの少年なのではないかと思います。

個人的には、陽菜の弟の小学生である天野凪と帆高の関係が地味にツボでした。

最初は姉に近づく帆高を毛嫌いしている様子だったのに男同士徐々に打ち解け、小学生であるにもかかわらず女心の機微に詳しい凪のことを年上であるはずの帆高が『先輩』と呼び出すのは面白かったです。

そういえば、帆高はもうすぐ18歳だと年齢を偽っていた陽菜(実は中学生)に対しても年上に対する振る舞いを見せていたり、前述したとおり小学生の凪のことを『先輩』と呼んでみたり、実は一番年上なのに誰よりも弟感が強かったのが興味深いですね。

100%の晴れ女の天野陽菜

天気の子の舞台は東京で、東京に住んでいる人ならば見覚えのある景色が随所に見受けられましたね。

馴染みの深い人が日本で一番多い舞台といえますが、しかし現実の東京都は少し様子が違っています。

それは、異常なほど『雨』が降り続いているということ。

天気の子における東京では、なかなか晴れない異常気象がずっと続いているのです。

そして、そんな異常気象の中で役立つとある能力を持っている少女がヒロインの天野陽菜となります。

"no-img2″
陽菜

ねえ、今から晴れるよ 

それは、祈りを捧げることで局地的に天気を晴れにする不思議な力。

予告で何度も繰り返し聞いた陽菜のセリフですが、本編を観て作品に入り込んでいる状態で聞くと、シンプルだけど力のあるセリフだなぁって思います。

1年前に病気の母親の完治を願って廃ビルの屋上の鳥居で陽菜はお祈りをしました。

その結果、陽菜は天気を晴れにする能力を手に入れたわけです。

しかし、母親は結局亡くなってしまい、どうやら片親だったらしい陽菜は弟と二人暮らし。

中学生なのに生活費のために、年齢を偽って水商売にまで手を出そうとしていました。

ちなみに、陽菜は帆高にもずっと「もうすぐ18歳」だと年齢を偽っていましたが、この時点で実はもっと若い可能性を示唆する伏線が貼られていました。

陽菜と帆高の最初の出会いは、ハンバーガーショップで店員をしていた陽菜が、飢えて水ばかり飲んでいる帆高に内緒でハンバーガーを差し出した時。

そして、陽菜がバイトを首になって、その上で水商売にまで手を出そうとしていることを知って、帆高は「自分のせいなのでは?」と不安になるのですが・・

"no-img2″
陽菜

別に、君のせいじゃないけど・・

ここで陽菜は若干気まずそうな表情を見せます。

最初は同世代の帆高に水商売に手を出そうとしているところを見られたことに対する気まずさなのではないかと思っていたのですが、陽菜が年齢を偽っていたことが分かった後に考えてみれば、恐らく陽菜がバイトを首になった原因は単に年齢を偽っていたことがバレたからだったのではないかと思います。

つまり、帆高は全く関係なくて、だからこそ気まずそうにしていたのかもしれませんね。

ちなみに、勘違いだったとはいえ自分を助けようとした帆高を最初は罵倒していたのになんで一瞬で掌を返したんだと疑問に感じた人は少なくないと思います。

"no-img2″
陽菜

信じられない! 気持ち悪い! 最悪!

わりとサバサバとした性格っぽい陽菜にしては強烈な罵倒ですが、これは単に混乱していただけなのではないかと思います。

弟と二人暮らしという特殊な生活の事情が無ければ間違っても水商売に手を出したりしなさそうな女子中学生が、同世代と思われる少年にそんなところを目撃されただけでも混乱しそうなものなのに、拳銃の発砲なんて非日常な場面に遭遇したら、そりゃあ愚痴を誰かにぶつけたくもなりますよね。

そして、仮にも自分を助けようとしてくれた人間を罵倒してしまったことに多少の後ろめたさを感じたのかもしれません。

だからこそ不自然なほど掌を返したような反応になったのではないかと思います。

ともあれ、そうして知り合った帆高と陽菜ですが、帆高の提案で陽菜は晴れ女のお仕事をすることになります。

言葉にすると水商売以上になんとも怪しいお仕事ですが、雨が降り続ける東京において陽菜の天気を晴れにする能力は『100%の晴れ女』と呼ばれ意外にも話題となり、陽菜も自分の能力で喜ぶ人を見て満更でもない様子です。

しかし、実は陽菜が天気を晴れにすることには、とある犠牲が必要でした。

天気の巫女の犠牲の上に成り立つ快晴

天気の巫女とは、人の切なる願いを空に届ける人間のことで、つまりは天気を晴れにする願いを空に届ける陽菜も天気の巫女ということになります。

そして、『天気の巫女には悲しい運命がある』というのは、夏美がとある神社の神主から取材で聞いた話で、そのことは陽菜にも伝えられたようです。

天気を晴れにする仕事をしている時の陽菜は、そのことに全く気付いていませんでしたが、徐々に薄くなっていく自分の体にどこかの時点では気付いていたようですね。

"no-img2″
陽菜

ねえ、帆高はさ、この雨が止んでほしいって思う?

東京の異常気象は徐々にエスカレートしてきて、尋常ではないほどの豪雨、夏なのに雪が降ったり、誰もがうんざりしていたに違いありません。

"no-img2″
帆高

・・うん

だから帆高も深く考えずに陽菜の問い掛けに肯定してしまいます。

天気の巫女が人柱となることで異常気象は元に戻る。

実は陽菜が快晴を祈ることは、自ら人柱への道を歩んでいることに他ならない行動でした。

賛否の分かれる結末

『異常気象の終わり』と『陽菜の無事』。

天気の子の結末では、この二つが天秤にかけられることになります。

そして、帆高の雨が止んでほしいという肯定を聞いたからか、東京は久しぶりの快晴となり、代わりに陽菜がいなくなってしまいました。

"no-img2″
帆高

俺はただ、もう一度あの人に会いたいんだ!

これもまた何度も予告で聞いた帆高のセリフですが、天気の子の終盤は警察から逃げながら陽菜を探して走り回る帆高が描かれることになります。

そしてその終着点は、物語の初めにあった廃ビルの屋上にある鳥居。そして、気付けば帆高は空の上にいて、そこで陽菜と再会することになります。

帆高は陽菜に一緒に帰ろうと問いかけますが・・

"no-img2″
陽菜

でも、私が戻ったら、また天気が・・

陽菜は自分が戻ることで再び異常気象が発生することを気にしています。

"no-img2″
帆高

もう二度と晴れなくたっていい! 青空よりも、俺は陽菜がいい! 天気なんて、狂ったままでいいんだ!

これが主人公である帆高の最終的な選択。

『異常気象の終わり』と『陽菜の無事』を天秤にかけ、後者を選択したわけですね。

そして、その結果として雨は三年間も止むことはなく今でも降り続けているようで、水没して水の街になった東京が描かれています。

"no-img2″
陽菜

あの夏の日、あの空の上で私たちは、世界の形を、決定的に、変えてしまったんだ

これもまた予告で繰り返し聞いた陽菜のセリフですが、要するにこれはクライマックスのシーン。空の上での選択と、その結果水没してしまった東京のことを言っていたんですね。

そして、これが賛否の分かれる結末ということだったのだと思います。

君の名は。のような作品が好きな人には好まれやすそうな方が選択されていますが、一方で「たった一人の犠牲で天候が正常になるのであれば・・」と考える人も少なくないと思います。

作中の登場人物でいえば、須賀圭介は後ろめたそうにしつつもそのようなことを言っていましたね。

誰だって自分が大事で、人柱となる当事者から遠ければ遠い人間であるほど、通常は「たった一人の犠牲」に思考が寄っていくものです。

僕の場合は、こういう賛否の分かれる結末そのものが興味深い、そして面白いと思ってしまうタイプなので、正直なところどっちの結末だったとしてもあまり評価は変わらなかったと思います。

とはいえ、帆高のキャラクター性からして陽菜を犠牲にする選択をするのは不自然な気がするので、こちらの方が結果的には良かったのではないかとは思っています。

君の名は。』とのクロスオーバー

前作君の名は。でも前々作言の葉の庭とのクロスオーバーがありましたが、天気の子ではわりとガッツリと君の名は。とクロスオーバーしています。

立花瀧

まずは、陽菜の天気を晴れにするお仕事の最後の依頼人の立花富美が、君の名は。の主人公の立花瀧の祖母でした。

そして、そんな立花富美の住む家に恐らく帰省中と思われる立花瀧がいました。

"no-img2″

今日、迎え盆をやるんだろ? 手伝おうと思ってさ。それにしてもずいぶん若いお客さんだね。君たち、ばあちゃんの友だち?

少し成長している姿の立花瀧は、クロスオーバーのキャラクターにしては登場時間も長くてセリフも多く、探すまでもなく君の名は。を観た人ならスグに立花瀧の登場に気付けると思います。

宮水三葉

帆高が陽菜の誕生日プレゼントの指輪を購入したショップの店員が宮水三葉でした。

"no-img2″
帆高

あの・・こういうのって、もらって嬉しいと思いますか・・?

"no-img2″
三葉

君、ここで三時間も迷ってたもの。私だったら凄く嬉しいと思う。きっと大丈夫、喜んでくれますよ!

ガッツリと瀧が登場した後だったので、もしかしたら三葉もどこかに登場するのではないかという目で観ていたので、意味深な感じで顔が隠れていたショップ店員が「もしかしたら三葉なのでは?」と思ったら案の定でした。

瀧は成長している感じがするもののあまり変わらない感じだったのに対して、三葉はかなり大人の女性って感じの雰囲気になっていましたね。

その他キャラクター

その他にも君の名は。のメインキャラクターは勢ぞろいで登場しています。

とはいえ、瀧と三葉はかなり分かりやすく登場していたのに対してかなり気付きづらい登場の仕方だったので、エンドロールを観て初めて気付いた人も多かったのではないかと思います。

僕は宮水四葉は見つけられましたが、勅使河原克彦名取早耶香には気付けませんでした。

どうやら勅使河原克彦名取早耶香はフリマのシーンに登場していたようですね。

分かりやすく瀧が登場した後だったら「もしかしたら」という目で気付けたかもしれませんが、フリマのシーンの時点ではクロスオーバーとかを意識して観れていなかったので仕方ないですね。

2回目観るときには探してみたいと思います。

宮水四葉については、これもクロスオーバーの可能性を意識して観ていなかったら気付かなかったと思いますが、終盤で瀧や三葉も登場した後だったので気付くことができました。

ちなみに、君の名は。とは関係ありませんが、公開前から話題になっていたソフトバンクのお父さんには気付けませんでした。

観た後に答えを知りましたが、気付けた人は凄いと思います。(笑)

関連記事

www.aruiha.com

www.aruiha.com

『りゅうおうのおしごと(2)』もう一人のあいが登場します。(ネタバレ含む感想)

 

本記事は将棋ラノベの名作であるりゅうおうのおしごと!の魅力を、ネタバレ含む感想を交えて全力でオススメするレビュー記事となります。

雛鶴あいのライバル、もう一人の「あい」が登場する2巻目となります。

?

本作の概要

あらすじ(ストーリー)

普及もプロ棋士の大事な仕事。文字通り竜王のお仕事のひとつですが、タイトルホルダーの九頭竜八一も指導の仕事をしています。

ある日、神戸のまるで極道のような家に呼ばれた八一は、雛鶴あいと同じ女子小学生の夜叉神天衣の指導をすることになります。

もう一人の「あい(天衣)」

あいと同じく、最初は八一も才能を見誤った天才少女で、中盤から終盤の攻めに優れたあいとは棋風が異なり、正確さを要求される受け将棋を指し、八一をも唸らせます。

姉弟子である空銀子にあいが弱くなっていると指摘された八一は、自らの師匠にも背中を押されて天衣をあいのライバルとして育てることを決意します。

そして、天衣の研修会試験では八一の一番弟子となるあいとの対局も行われます。

1巻では初心者ながら絶大な才能を見せたあいですが、同じ原石ではあるものの経験で勝る天衣との対局は2巻最大の見どころとなります。

そして、八一の指導は天衣の研修会試験までという約束でしたが、自分も姉弟子と切磋琢磨して成長してきたことも踏まえ、同じように共に成長するライバルとして天衣も自分の弟子にしようと考えるようになります。

そして、既に将棋連盟会長である月光聖市の弟子になることになっていた天衣を、月光との対局に勝利することで奪い取り、八一に二人目の弟子ができることになりました。

ピックアップキャラクター

1巻で登場したメインヒロインの雛鶴あい。そのライバルであり、将棋歴でいえば先輩だけど後に同門の妹弟子となる夜叉神天衣が今巻のピックアップキャラクターとなります。

師匠である九頭竜八一も姉弟子の空銀子と共に成長してきた棋士ですが、雛鶴あいにとっての共に成長していく仲間といった感じですね。

夜叉神天衣

f:id:Aruiha:20190711205819p:plain

(「りゅうおうのおしごと!(9巻)」より)

メインヒロインと同じ「あい」という名前の少女。もう一人の「あい」と呼ばれた夜叉神天衣は、雛鶴あいと同様に大きな才能を秘めた神戸の女子小学生です。

同じ名前のキャラクターが同じ作品に、しかも超主要なキャラクターとして登場することは非常に珍しいですが、これにはどうもりゅうおうのおしごと!のもともと付けられる予定だった『あいがかり』というタイトルが影響しているようですね。

ネタバレ含む感想

もう一人のあい

八一の一番弟子のあいはどちらかといえば天真爛漫。ちょっと小生意気なところがありつつも、そういう所が女子小学生らしいといえばらしいような気がします。

そして、もう一人のあいとして2巻で初登場した夜叉神天衣は、非常に言動に大人びたところがある少女で、名前は同じでも性格は対照的に見えます。

"no-img2″
天衣

勘違いしないで。あなたはしょせん、金を払って教えさせる単なるレッスンプロよ。まぐれでタイトルを一期取っただけのザコ棋士に師匠ヅラされるなんて我慢ならないもの

ちょっと・・どころではなく小生意気なところがありますが、あいの子供らしい小生意気さとは違って、プライドの高さがうかがえる類の小生意気さですね。

"no-img2″
天衣

二枚落ち? 別にいいけど、勝負にならないと思うわよ?

"no-img2″
八一

ああ。二枚落ちじゃあ勝負にならないだろうな

そんな小生意気さへの意趣返しというわけではないでしょうが、もちろん二枚じゃハンデを付けすぎだという意図の天衣のセリフに対して、あえて四枚落ちで対局を始めるような挑発を見せる八一。

八一もまた竜王という絶対的に高い地位にいるから、これが貫録のようにも見えるけれども、そうでなければ相当な負けず嫌いでもあることが窺えますね。

そして、八一が天衣の将棋を見て最初に下した評価を一言でまとめれば「優等生だが底が浅い」というもの。小生意気な性格に似合わず定跡通りの素直な手を指す綺麗な将棋だが、逆に言えばそれに頼った泥臭さも粘りもない。

あいとは正反対で。ある意味ではあいの時と同じで「才能がない」と八一は断じます。

しかし・・

"no-img2″
天衣

まだ・・私は戦えるっ!!

一人目のあいの時と同じ展開ですね。

天衣の才能は、劣勢になった時こそ力を発揮する受け将棋。一歩間違えれば終わる可能性のある緊張感の中、どんなに劣勢になっても諦めない鉄板のような精神力の持ち主が夜叉神天衣という少女でした。

折れない心があることと終盤に才能を発揮するところはあいと同じですが、全く棋風も性格も違うのが興味深いところですね。

天衣の修行

ジャンジャン横丁といえば通天閣へと続く商店街。アングラなのに有名というちょっと変わった大阪の観光地で、今でも将棋や囲碁の道場が残っています。

子供を連れていくにはかなりディープな街ですが、八一は天衣を指導するためにジャンジャン横丁の将棋道場へと連れて行きます。

"no-img2″
天衣

・・なに? この汚らしいアーケードは?

"no-img2″
八一

この界隈は『新世界』って呼ばれててな。まあ大阪で一番ディープでアングラな場所だと思ってくれていい

まあ、神戸のお嬢様には珍しい街であることは間違いありませんね。

そして、そこで天衣に『真剣』をさせる八一。『真剣』とはいわゆる賭け将棋のことで、指導のためとはいえ現役タイトルホルダーが安易に関わって良いものではないような気もしますが、天衣に強い相手と対局させるためにこういう手段を取りました。

そして、ある意味では女子小学生を弟子にすること以上に危ない橋を渡ってまで八一が天衣に教えたかったこととは・・

"no-img2″
八一

だからこそ相手に罠を張られると弱い。簡単にハマっちまう。ちょっと脇道に逸れたらどこへ向かえばいいのかわからなくなる。ボヤキ、挑発、空打ちの盤外戦術にも振り回されてる。おまえは将棋が弱いんじゃない。精神が弱いんだ

ハメ手(相手のミスが前提の手)のような奇襲戦法を使ってくるジャンジャン横丁の将棋道場の強豪たち。

より正確な打ち方を求められる受け将棋を指す天衣にとって、ハメ手だろうが何だろうが、どのような攻めをも正確に受けきることが求められる。

"no-img2″
八一

だから俺は天衣に完璧を求める。完璧な将棋を

天衣の才能を見極めた上で、もっとも効果的な指導方法として選んだのがジャンジャン横丁の将棋道場での『真剣』だったわけですが、確かに説明されてみると合理的な理由になっている気がしますね。

どのような時にも正確に。

それを実現するためには相手のミスを正確に咎めなければならないため、教科書通りにいかない相手との対局を繰り返す必要があるということでしょうか。

例えば、お隣の囲碁の世界には「定石を覚えて二目弱くなり」という格言があります。

これは定石は覚えているけど教科書通りの手順をなぞっているだけで、何故その形が良いのかが正しく理解できておらず、かつ定石を間違えた相手を咎められずにむしろ損してしまうことを指摘している格言なのだと思います。

本当の意味で定石を覚えたと言えるようなタイミングは実は存在しなくて、何度も色々な相手と実戦を繰り返して少しずつ身に付けていくしかなくて、そしてそこに終わりはないはず。

そして、八一は天衣の弱点がこの実戦を繰り返す段階が不足しているところにあると見抜いたわけですね。

あいVS天衣

1巻ではあいが受けた研修会試験を、2巻では天衣が受けます。

1局目と2局目をサラッと突破するところまではあいの時と似た展開でしたが、最終局の相手は八一の一番弟子の一人目のあいとなりました。

そして、天衣の選んだ戦法は一手損角換わり。

将棋に限らず、いわゆる二人零和有限確定完全情報ゲームにおける一手の価値は非常に大きいはずで、自ら一手損する指し方が相当に特殊であることは将棋を知らない僕にもある程度実感できます。

"no-img2″
八一

一手損角換わりは、指してる俺ですらどうしてこれで良くなるのか理解できない部分のある戦型ですから・・

そして、八一もまたこの戦法の使い手らしいのですが、現役タイトルホルダーである八一にも何でこの戦法で良くなるのかわからないのだとか。

人間の感覚的には一手パスは明らかに損である。しかし、その一方で二人零和有限確定完全情報ゲームの中には、どうぶつ将棋をはじめ一手パスしているはずの後手が必勝となるゲームも少なからず存在しているので、もしかしたら将棋にはあえて一手パスすることが有効となる何かがあるのかもしれませんね。

相手よりもできるだけ先行して陣地を作っていく囲碁よりも、その時その時の戦況が重要になる将棋ではあえて一手パスする方が有効になる可能性が納得しやすいような気もします。

"no-img2″
八一

そして一手損角換わりの出現によって、将棋にはしていい手損としてはいけない手損がある事がわかってきた。手の損得や流れといった観点に縛られず、その局面をフラットに見る新しい将棋観が生まれたんだ

八一の言っていることが、まさにその可能性を指摘していますよね。

囲碁の世界でも、この局面をフラットに見る考え方は特に囲碁AIが台頭してきてから顕著になってきた分野なので、部分的な手の良し悪し以上にどのような局面になっているのかが重要であることが分かります。

ともあれ、ここで重要なのはあえて手損することで優位にことを運ぶ手法もあるということではなく、それを女子小学生の天衣の選んだということです。

一手でも受け間違えることを許されない難しい指し方。

老獪という言い方が相応しそうな指し方は、例えば竜王とはいえわずか十六歳の八一がその使い手だと言われても意外に感じるくらいかもしれません。

しかし、もとより八一は完璧さを求められる将棋にこそ天衣の才能があると考え、そこを鍛えるための修行としてジャンジャン横丁で対局させてきたわけなので、そういう意味では完全に意図通りの成長を遂げてきたということになるのかもしれませんね。

もちろん、あいもなかなか読みが噛み合わない天衣に苦戦するものの、ただで敗北していくような才能ではありません。

"no-img2″
あい

・・こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう・・・・

あいの集中力も高まってきて、天衣に食らいついていくのですが・・

"no-img2″
あい

・・まけました

この対局では天衣の方が一歩上を行くことになりました。

しかし、この誰をも熱くさせ驚かせもした対局が、あいにとっても天衣にとっても自分の弱さを自覚するキッカケになったのが興味深いところですよね。

終局直後、あいは敗北したもののどこかサバサバした様子でした。

それは、この対局では天衣が完全の自分よりも上をいっていて、自分には全くチャンスがなかったと思っていたからで、悔しさはあっても自分よりずっと強い天衣を称える気持ちの方が大きかったからなのかもしれません。

しかし、実は簡単な詰みを見逃してしまっていたことを局後に指摘されてしまいます。

"no-img2″
あい

わたしは、わたしに負けたんだっ・・!

つまり、それは相手が強かったから負けたのではなく、自分が弱かったから負けたことに他なりません。

だからこそ、それに気付いた瞬間にあいから悔しさが溢れ出してきます。

負けた時、相手に対する悔しさや怒りはない。
後悔は全て、努力しなかった自分に。
怒りは全て、弱かった自分に向かう。

これは確かに、勝負の世界であればどのような世界であっても言える真理ですよね。

何かに敗北した時に相手に対してどうこう思うことってあまり無くて、ただただ悔しくなるというのは誰にでも覚えがあるところなのではないでしょうか?

そして、この実はあいにチャンスがあったという事実は勝利した天衣にとっても思うところがあったはずです。

勝負はミスも含めて勝負。ミスした者が弱く勝者が強いというのが勝負というものなのですから、天衣はこの勝利を誇っても良いのだと思います。

しかし、ミスした者が弱いというのであれば先にミスをしたのは天衣。

対局相手である天衣を信頼するあまりそのミスを見逃してしまったのはあいの弱さですが、最初にミスしたのは天衣の弱さでもあったはずです。

これは経験がある人なら分かると思いますが、「相手のミスに助けられた勝利」って「力を出し切った敗北」よりもずっとモヤモヤしたものが残るものです。

勝利しているので悔しさがあるわけではないのに何かスッキリしない。

そういうわけで、天衣にとってもこの対局は自分の弱さを自覚するキッカケになっているのではないかと思います。

非常に熱い名シーンでありながら、その結末は互いに弱さを自覚しあうという、姉妹弟子でありライバルとなる二人の邂逅シーンとしては滅茶苦茶に良いものでした。

二番弟子

ありと天衣の対局は、八一に天衣を弟子にしたいと考えさせるのに十分なものでした。

人を賭けるというのは褒められたことではありませんが、一度は月光の弟子にした天衣を、月光への勝利をもって自分の弟子にさせてほしいと八一は挑むことになります。

実は、八一が自ら天衣を弟子にしたいと仕向けるところまでを含めて月光の掌の上なのですが、ともあれもう一人のあいが八一の弟子になる展開になってきました。

"no-img2″
天衣

おかげで私は、物心つく以前から『九頭竜君の弟子』になるのが当たり前だと思ってたのに・・当の九頭竜君はこれっぽっちも憶えてなかったってわけね

"no-img2″
八一

・・ごめんなさい・・

実は、八一は少年時代に天衣の父親と月光の対局の感想戦の結果を覆したことがあり、それで天衣の父親はずっと自分の娘(天衣)を九頭竜八一の弟子にしたいと思い、それを八一にも伝えたことがあったようです。

だから天衣は他のプロの指導をずっと跳ねのけてきていて、渋々とした雰囲気を出しつつも八一の指導だけは受けていたわけですね。

八一は覚えていなかったものの、なんだか素敵な繋がりだなぁって思います。

ともあれ、これで天衣は八一の二番弟子になりました。

シリーズ関連記事リンク