誰もが知ってるわけじゃないけど面白いアニメを見てみよう!
あなたの好きなアニメは何でしょうか?
『ONE PIECE』や『名探偵コナン』あたりは定番でしょうし、最近だと『鬼滅の刃』が好きだって答える人も多そうですね。
これらは誰もが知っている・・とまでは言わないまでも、最大級の認知度を誇るアニメであることに依存がある人はいないでしょう。
でも現代日本では四半期ごとに数十作品もの新作アニメが制作され続けていて、アニメ好きを自称する人ですら全てを網羅しているような人はほとんどいないのではないかと思います。量の問題だけではなく、好みの問題もありますしね。
中には覇権アニメと呼ばれるその時期を代表するようなアニメが誕生することがありますが、それすら多くは放送時期にアニメを見ていた世代くらいの認知度でしか無く、数年後、十数年後まで広く知られているようなアニメは非常に稀なものとなります。
とはいえ、中にはそうして忘れられていくのがもったいないと感じられるようなアニメ作品も数多くあります。
誰もが知っている作品。いつまでも残っているような作品が面白いのはある意味当たり前ですが、そうではない作品の中にも無二の名作は存在するはず。
そういうわけで本記事では、誰もが知っているわけではないかもしれないけど絶対に面白いとオススメできるアニメを一昔前のアニメの中から紹介したいと思います。
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カレイドスター
『カレイドスター』はサーカスを舞台とした非常に珍しいアニメ作品です。どちらかといえば少女向け作品かと思いますが、スポ根的な要素もあって男性でも楽しめる内容になっています。
高い身体能力を誇るものの演技の素人であった主人公の成長。同じ舞台を演じる仲間との確執もありつつも最後には認められる展開はありがちかもしれませんが、だからこそ普遍的な魅力があるとも言えます。
R.O.D -THE TV-
『R.O.D -THE TV-』の元はライトノベル。本アニメだけではなくコミカライズなど様々な媒体で描かれるコンテンツですが、それぞれがパラレルワールド的に描かれた独立した作品になっているのが珍しい作品です。
紙を使って戦う紙使いの三姉妹が原作ライトノベルの主人公の一人である小説家の菫川ねねねの護衛をするところから始まる意外とハードボイルドな物語となります。
ちなみに、『R.O.D -THE TV-』は未完の原作ライトノベルの設定の多くを引き継ぎつつも、5年後の未来が描かれていて主人公も異なるため、多媒体の作品を知らなくても楽しめる内容になっています。
キディ・グレイド/キディ・ガーランド
『キディ・グレイド』は、GOTTという惑星国家間の経済問題などを監視、取り締まる機関の受付嬢をしつつも特殊任務にも携わることがある二人の少女が主人公のスペースオペラ的なアニメ作品です。
主人公の身体が途中で変わる(変身というわけではなく文字通り新しい身体)ところには驚きましたが、SF的で面白いと感じます。
『キディ・ガーランド』は『キディ・グレイド』から少々時間をおいて放送された続編ですが、徐々にシリアスになってくるものの雰囲気的には前作よりもポップな感じになっています。とはいえ、こちらも奥行きがあって面白いスペースオペラであることは間違いないので、『キディ・グレイド』を見て面白いと感じた人は見てみて損は無いと思います。
DARKER THAN BLACK
『DARKER THAN BLACK-黒の契約者-』は、10年前に「地獄門」と呼ばれる謎の領域を巡る謎や陰謀が徐々に明らかになっていくという海外のSF映画っぽい設定のアニメ作品ですが、「地獄門」と同時に現れた「契約者」と呼ばれる超能力者同士のバトルが格好良い作品でもあります。
そして『DARKER THAN BLACK-流星の双子-』は『DARKER THAN BLACK-黒の契約者-』から2年後を描いた続編で、前作の主人公は最初ちょっと飲んだくれオヤジみたいになっているのですが、見たら分かります。格好良さは変わっていません。
ARIA
『ARIA』は水の惑星として開拓された火星(アクア)を舞台とした観光案内人(ウンディーネ)の少女たちの日常を描いたアニメ作品となります。好奇心旺盛な主人公が数々の素敵なことや不思議なことに遭遇する日常を描いた癒し系アニメなのですが、癒し系アニメとしては恐ろしく完成度が高いのが特徴となります。
例えば多くのアニメ作品でOPやEDの曲をBGMに感動的な最終回を演出することがありますが、本作品ではOP曲の優しい歌声をBGMに自然に物語が進行していきます。それが毎度のことなのですからこだわりが凄い。
そんな風に音楽との親和性が強い作品で、場面場面にあったサントラと物語のマッチングにいつも癒されます。
良いアニメ作品は数多くありますが、本作品にはあまり他には無い種類の良さがあると感じます。
『弱キャラ友崎くん』人生を攻略するラノベがアニメ化するらしい
『弱キャラ友崎くん』とは、パーフェクトヒロイン・日南葵が、人生はクソゲーと断じるもののゲームの腕はピカイチの主人公・友崎文也に、人生というゲームとの向き合い方を教えるというのがストーリーの骨子となる小学館のガガガ文庫から刊行されているライトノベルとなります。
・・って、それだけ言うとなんじゃそりゃってストーリーですが、マジではっちゃけたストーリーのラノベが蔓延っている世の中においては限りなく正統派に近い学園青春ものなのではないかと思います。
その詳細は後述するとして、作者の屋久ユウキ先生が生み出すどこかに本当にいそうだけどライトノベルらしさもある魅力的なキャラクターたちが織り成す学園生活が本当に楽しそうな作品で、どのキャラクターにもいつかの自分を重ねてしまうような何かがあって常に誰かに共感していられます。
これは個人的な感想ですが、直近10年のライトノベルの中では5本指。学園青春ものに限れば間違いなく1番に選定したい作品となります。
だからこそ、なかなかアニメ化って話が出てこないことを意外に思っていたりもしたのですが、2021年1月ついにアニメ化されることになったようです。
最初にアニメ化って情報が出たのは2019年の10月に8巻が発売した頃だったと思いますが、いよいよですね!
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『弱キャラ友崎くん』とは?
『弱キャラ友崎くん』は2016年5月から小学館のガガガ文庫から刊行されている学園青春もののライトノベルで、屋久ユウキ先生のデビュー作品となります。
『このライトノベルがすごい!』でも今のところ常にトップ10入りしている人気作で、ジワジワと順位を伸ばしていますね。アニメ化直前の今年、どうなるかも楽しみなところです。
天然ではなく努力で学園のパーフェクトヒロインの地位を確立している日南葵が、『アタファミ(大乱闘スマッシュブラザーズが元ネタ)』では日本ランキング1位をキープするほどの腕前を誇るくせに、同じくらいの神ゲーである『人生』をクソゲーと断じている友崎文也に苛立ち、人生はクソゲーではなく神ゲーであると説くところから『弱キャラ友崎くん』の物語は始まります。
やってみないと分からないとばかりに日南葵の指導の下、友崎文也が人生というゲームに全力で取り組んでいく過程が面白い作品です。
日南葵が友崎文也がリア充になるために出す課題は一見なかなかハードルが高いものですが、よくよく考えてみれば多くの人は無意識の内に普通に、あるいは意識的にクリアしてきたものです。
しかし、それが体系的に課題として出されることでなるほどと思わされるのが興味深いところで、今まさに友崎文也と同じようにリア充になりたいと思っている人にとってはある意味ハウツー本のようになっているのが少し面白いです。
ゲームになぞらえていますがある意味当たり前の青春が描かれていて、だからこそ共感もしやすくて、しかしゲームになぞらえているからこその面白さもある。『弱キャラ友崎くん』はそんなライトノベルなのではないかと思います。
ライトノベルにありがちな、超常的な要素やあまりにも現実離れしたキャラクターや設定というものは『弱キャラ友崎くん』には基本的にはありません。そういう突出したものが無くても面白いと思える名作中の名作なのです。
登場人物について
前述した通り、本当にいそうだけどライトノベルらしさもある魅力的なキャラクターたちが登場します。
現実であれフィクションであれ学校のクラスのような一定員数の集団には何故か似通った人間関係が形成されがちですが、一人一人のキャラクターがそんな人間関係の要素を強調しつつもバランス良く構成しているような気がします。
また、面白いもので現実には同じ個人でも所属する集団が異なればそこでの立ち位置が変わるものです。例えば、ある集団では菊池風香のように目立たない立ち位置の人間が、別の集団では日南葵や水沢孝弘のようなリーダー的な役割を担うこともあったりしますよね?
だからなのだと思いますが、『弱キャラ友崎くん』のキャラクターの誰もにどこか共感できるところがあったりするのが面白いところなのだと思います。
イラスト担当のフライ先生のキャラデザも、キャラクターの特徴を捉えていて秀逸ですよね。
友崎文也(主人公)
『弱キャラ友崎くん』の主人公。ハンドルネーム『nanashi』として『アタファミ』の日本ランキング1位をキープする腕前のゲーマーですが、人生はキャラの性能差で決まるクソゲーであり、自分自身は弱キャラであると断じて基本的には人生に対して無関心だったキャラクター。
しかし、パーフェクトヒロイン・日南葵に人生は神ゲーであると諭され、それに最初は反論するものの、日南葵に出された人生を楽しむための課題をこなしながら人生が思っていたほど悪いものではないと思い始めます。
いわゆる自己研鑽に無関心で自虐的すぎだっただけで、実は真剣に取り組むと決めたことに対しては積極的かつ賢さもあるので、まるでゲームでレベルが上がるが如くどんどん成長していきます。
その証拠に原作の巻数の付け方も『弱キャラ友崎くんLv.1』のようにレベルアップして行ってますね。(笑)
日南葵(パーフェクトヒロイン)
学力も体力もナンバーワンな上に、誰もに好かれる学園のパーフェクトヒロイン。そんなパーフェクトヒロインぶりは天然のものではなく、実は努力と研鑽のたまものである。また、周囲には知られていないが『アタファミ』でもハンドルネーム『NO NAME』として日本ランキング2位をキープしている。
だからこそ『アタファミ』では自分より上を行く実力者であるにも関わらず、同じ神ゲーである人生をクソゲーと断じて自己研鑽を怠る友崎文也に最初は苛立った様子を見せ、その後人生の攻略方法の指南役のようになります。
ちょっと天然なところを見せることもありますが、それすら周囲の空気に合わせた計算されたようなもので、パーフェクトヒロインとしての努力は怠らない。
ちなみに、チーズ好きでチーズに目が無いところだけは天然なのではないかと思われる。
七海みなみ(メインヒロイン1)
クラスのムードメーカー的な存在でとにかく活発で明るい性格で誰にでも気さくに接する少女ですが、部活でも学力でも日南葵に劣ることを気にしていて、生徒会選挙では日南葵の対抗馬となる。
その時にブレーンとして活躍したり、夏林花火がクラスの女王エリカのいじめの対象になった際にはその阻止に尽力したりした友崎文也に好意を寄せるようになっていきます。
『このライトノベルがすごい!』では唯一キャラクターランキング入りしたことのある人気キャラで、何故か食パンの『超熟』が20周年を迎えた際のポスターにコラボして描かれたりしています。
ニックネームが「みみみ」だったりするので、パンの「みみ」ってことでしょうか?
菊池風香(メインヒロイン2)
特段いじめられていたり疎外されているわけではないものの、一歩クラスの輪かから外れたところにいる大人しい性格の少女で、いつも図書室にいる本好きでマイケル・アンディの作品を特に好みます。
引っ込み思案でどちらかといえば人付き合いが苦手そうなタイプだが、人間観察力に優れていて日南葵の作られたパーフェクトヒロインぶりの裏側に気付いている素振りもあります。
また、日南葵が友崎文也に出した課題における中くらいの目標において最重要の立ち位置にいるキャラクターでもあるのですが、ネタバレになるので詳細は割愛します。
興味がある人は『弱キャラ友崎くんLv.7』を読むか、下記の『弱キャラ友崎くんLv.7』のネタバレ含む感想の記事を読んでみてください。
夏林花火(クラスメイト)
七海みなみと仲が良いちっちゃい少女。
自分の気持ちに正直で思ったことを飾らずにズケズケと話すところが魅力でもあるが、その分クラスメイトと衝突してしまうことも多い。
それが原因でいじめにも発展したが、友崎文也の協力もあって少し自己改革したこともあり再びクラスの輪に溶け込むことができるようになった。
この友崎文也の協力は、日南葵に自分が出された課題を解決してきた経験を活かしての協力だったので、ある意味では友崎文也の成長をかなり分かりやすい形で体現したキャラクターであるともいえる。
泉優鈴(クラスメイト)
まさに今時の少女を体現したかのような少女。クラスの女王エリカの友人だが、エリカが嫌っているような相手や、友崎文也のように少し浮いたところのある相手でも分け隔てなく接する人懐っこさがある・・が、それが原因で微妙な立場に苦労しているような場面も見受けられる。
クラスのリーダー格である中村修二のことが好きでとても一途である。
水沢孝弘(クラスメイト)
美容師を目指すイケメンで、いつもひょうひょうと余裕のある態度を崩さない。
クラスのリーダー格というわけではないが、立ち回りの上手さはパーフェクトヒロイン・日南葵を彷彿とさせるところがある。
友崎文也が自己改革しようとしていることを誰よりも理解している様子で、しかも協力的である。
だからなのか友崎文也も水沢孝弘のことは頼りにしている様子で、日南葵の課題をこなす際でもそうでない場面でも、水沢孝弘の立ち居振る舞いを参考にしている節がある。
中村修二(クラスメイト)
ちょっとガキ大将っぽさのあるリア充でかなりの負けず嫌い。友崎文也に『アタファミ』で惨敗するも、その後練習を重ねてレベルアップしてみせたことがある。
かなり威圧的なタイプのキャラクターなのでいじり辛さがあるものの、だからこそ日南葵は中村修二をいじることを友崎文也に課題として出したこともある。
それで意外と思ったことならズケズケ言うタイプの友崎文也にいじられまくったことがあるので、ある意味では可哀そうかもしれません。(笑)
竹井(クラスメイト)
メインキャラの中で唯一名字しか明らかになっていない竹井ですが、意外と美味しい(本人的には美味しくない)役どころを常に担っています。
かなりのお調子者で、何かあっても「竹井だから」と免罪符のように許される(?)愛されキャラ。
一歩間違えばいじめられっ子のような扱いをされることもあるが、そう感じさせない所が竹井の魅力なのではないかと思います。
既刊リンク
『りゅうおうのおしごと(13)』JS研まみれの閑話休題(ネタバレ含む感想)
本記事は将棋ラノベの名作である『りゅうおうのおしごと!』の魅力を、ネタバレ含む感想を交えて全力でオススメするレビュー記事となります。
JS研まみれの閑話休題な13巻目となります。
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本作の概要
あらすじ(ストーリー)
特に9巻以降、毎巻今回が一番だと思えるほどの勢いがあった『りゅうおうのおしごと!』ですが、空銀子の三段リーグ編がひと段落したところで13巻は久々の閑話休題となります。
父親のヨーロッパ転勤の影響で引っ越すことになった水越澪との別れを、過去のドラマCDのエピソードを思い出話として絡めながら一冊かけて描いた内容になっています。
というわけで、かつてないほどにJS研に溢れた内容になっているのではないかと思います。
思い出話のエピソードが再録に近い形なので不満に感じている人も多いようですが、個人的にはドラマCDという媒体はあまり好きではなく今まで聞いていなかったこともあり新鮮な気持ちで読めました。
作者の白鳥士郎先生曰く、もともと水越澪との別れはちゃんと描きたかったことと、コロナ禍で本編を進める上での十分な取材ができなかったために13巻はこのような形式になったそうなのですが、三段リーグ編がひと段落したところで結果的にタイミングとしては絶妙だったのではないでしょうか?
とはいえ、ロリコン将棋ラノベといっても実のところ将棋成分の方に魅力がある作品なので、ロリコン成分が多めの13巻は少々消化不良は否めないかもしれません。逆にロリコン成分を求めている人には嬉しい内容かも?
ただし、将棋の対局シーンは水越澪と雛鶴あいの対局の一つだけですが、こちらは三段リーグの人生を賭けた対局とは別種の、少女たちの友情を確かめ合うような熱さがある魅力的なシーンになっていました。
なお、次巻の14巻からは最終章となるようです。
同じく過去の短編の再録であった8巻を振り返ると、力を溜めていたかのようにその後の9巻から12巻の物語の勢いは凄かったので、最終章となる14巻以降はそれ以上の勢いが期待できるのではないかと思っています。
ピックアップキャラクター
実のところJS研は本編のストーリー上そこまで重要な役割を果たしているキャラクターではありませんが、主人公の九頭竜八一のロリコン指数を示す上での重要なバロメーターになっています。(笑)
というのは半分冗談にしても、雛鶴あいに同世代の仲間が必要だったことがJS研の大きな存在理由だったのではないかと思います。
しかし、物語が進むにつれJS研のストーリーも深掘りされてきました。なにわ王将戦のエピソードもそうでしたが、13巻の水越澪の旅立ちのエピソードもまた『りゅうおうのおしごと!』におけるJS研の役割が想像以上に高いことを示しているのではないかと思います。
水越澪
雛鶴あいの初めての将棋友達でJS研のリーダー格。とても明るい人懐っこい性格ですが、将棋指しとしては雛鶴あいに対して少々複雑な思いも抱えていたようです。「あいちゃんの友達になんてなりたくなかった」と水越澪が雛鶴あいに放った言葉の真意。そして水越澪が雛鶴あいに送った本当の贈り物は何だったのか。その辺が13巻の見所にもなってきます。
ネタバレ含む感想
JS研の思い出話
誰が天●飯よ!?
思い出話は本編には直接関係が無いので個人的に気になったエピソードを振り返ってみたいと思います。本編ではいつの間にか雛鶴あいからも「天ちゃん」と呼ばれていた夜叉神天衣ですが、ドラマCDのエピソードで水越澪が「天ちゃん」と呼んだのが最初だったのですね。
本編では最初から自然に受け入れていたのが夜叉神天衣の性格的に不思議に感じていたのですが、既に仇名に対するひと悶着は終えた後だったようです。
馴れ馴れしいと文句を言う夜叉神天衣の反応を受けて「じゃあ・・天さん?」と言われた後の夜叉神天衣の反応がまた面白い。
お嬢様、ドラゴンボールを読んでるんですね。(笑)
なんとなくですけど、付き人の池田晶の影響な気がします。
小童。桂香さんは?
二度とこんなことを思いつかないよう制裁を加えておきました
本編でも何となく空銀子贔屓の気がある清滝桂香ですが、最近はちょっと面白いキャラ扱いになっていることも多いですよね。当初は主人公の九頭竜八一が慕っていることもあって憧れのお姉さん的なキャラだったのに、ちょっとオジサン化が進んでいる上に他のキャラからの扱いも酷いことが増えてきているような気がします。(笑)
その分親しみもありますけど、どうしても思わずクスリとしてしまいますね。
ちなみに、これは空銀子の誕生日に空銀子と九頭竜八一が二人きりで食事できるように画策したことで、空銀子本人からも雛鶴あいからも怒りを買ったというシーンでした。
いずれのドラマCDのエピソードも、何故か基本的には九頭竜八一がロリコンであるということを本編以上に強調するようなものでしたが、まあJS研まみれの13巻らしい内容といえばそんな気もします。
強烈な努力
水越澪とJS研の別れのエピソードに何故か登場してきたのは本因坊秀埋こと天辻埋でした。放送禁止用語を連呼する酔っ払いのお姉さんですが、将棋のお隣囲碁の世界で女性でありながら本因坊のタイトルを保持する凄い人です。
今まで誰もなし得なかったことをなし得た女性として空銀子に関連したエピソードに登場するなら分かるのですが、何故彼女がJS研のエピソードに絡んできたのか?
それは恐らく、今回雛鶴あいに悔しさをプレゼントするために「強烈な努力」を行った水越澪の見届け人として本因坊秀埋が相応しいキャラクターだったからなのではないかと思います。
なぜ本因坊秀埋が相応しいのかといえば、「強烈な努力」とは本因坊秀埋の元ネタである囲碁界の大棋士、藤沢秀行名誉棋聖の言葉だからです。
そして、そんな水越澪の「強烈な努力」の結果こそが13巻の最大の見所なのではないかと思います。正直なところ、僕は水越澪に限らずJS研のキャラクターはあまり好きではありませんでしたが、今回のエピソードで結構好きになったかもしれません。
雛鶴あいに対して非常に友好的だった水越澪でしたが、もちろん雛鶴あいに対する感情の中に友情も含まれていたのでしょうけど、そうではない嫉妬もあったことが語られています。
でもね? だったらもっと頑張ってみようって思ったの! 一番になれないからこそ、いっぱい負けて悔しい思いをたくさんするからこそ、もう一度だけ全力で頑張ってみようかなって思ったんだ!
しかし、その嫉妬こそが水越澪のモチベーションにもなったようです。
この別れの対局に向けて水越澪がしてきた努力。徹底的な雛鶴あいの研究と番外戦術まで駆使したとはいえ、本来駒落ちの実力差のある相手を負かすのは並大抵のことではなかったのではないかと思われます。そう考えると、悔しさという感情はその人に諦めをもたらすこともあるかもしれませんが、それ以上に成長を促す可能性を秘めているとも言えますね。
澪は、あいちゃんの友達になんてなりたくなかった
みお・・ちゃん・・?
だって澪が本当になりたかったのは・・あいちゃんのライバルだから!
今まで自分より格上に追い付いて、追い抜いていくばかりであった雛鶴あいにとっては初めて本気の本気で格下相手に敗れた経験となるわけですが、なるほどそういう経験を与えるというか、追い抜き合うことができる関係をライバルというのであれば、水越澪はここで初めて雛鶴あいのライバルになり得たのかもしれませんね。
・・わたしは、強くなる。強く・・なりたいっ!!
そして、この雛鶴あいの決意こそが水越澪によってもたらされた贈り物でした。
水越澪は、空銀子がプロになれてもなれなくても雛鶴あいのモチベーションが下がり、最悪将棋を辞めてしまう原因になるのではないかと危惧していました。それを心配して・・というだけではないとは思いますが、少なくとも雛鶴あいが将棋を辞めることは無いでしょうし、今まで以上に高いモチベーションを得たことは間違いないと思います。
また、水越澪によってもたらされた大量の雛鶴あいの研究成果もまた雛鶴あいの将棋に大きな影響を与えることが予想されます・・が、気になるのはこれらの研究成果を以って強くなることは師匠である九頭竜八一の意図からは外れてしまう可能性があるということですよね。
AIにしても序盤の勉強にしても、九頭竜八一は圧倒的な終盤力を伸ばすために意図的に雛鶴あいの修行からは省いていたところとなるはずです。
雛鶴あいは大好きな師匠の意に反したことをするタイプの少女ではありませんが、今度は一体どうでしょうか?
いつかは雛は羽ばたいていくものですし、もしかしたらその時は近いのかもしれませんね。
14巻からは最終章ということですしね。(笑)
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禁断の女装男子・男の娘属性のキャラクター10選
昔から一定の人気があるいわゆる男の娘というキャラクター属性があります。通常男にはほぼ存在しないはずの女性的な可愛らしさを前面に押し出した属性ですが、こういったキャラクターは存在しないものを持っているからこそ魅力的に感じられるのかもしれませんね。
中高生の文化祭の演劇なんかで女装・男装が一種の定番になっているのも、多くの人が存在しないものへの魅力への憧れが大なり小なりあるからなのかもしれません。
僕も決してアブノーマルな嗜好の持ち主というわけではありませんが、男の娘キャラクターは決して嫌いではありません。何故か好きなキャラクターだと言いづらいところもありますが。(笑)
また、そういった男の娘属性のキャラクターも一種類だけではありません。女体化や外見が女子っぽいだけのキャラクターもまた男の娘とされることがありますが、本記事で紹介しようとしているのは全て女装による男の娘となります。
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- 10.綾崎ハヤテ(ハヤテのごとく!)
- 9.白鳥隆士(まほらば)
- 8.漆原るか(STEINS;GATE)
- 7.不動権三郎(カイチュー!)
- 6.國崎出雲(國崎出雲の事情)
- 5.波戸賢二郎(げんしけん)
- 4.小鳥遊練無(Vシリーズ)
- 3.大空ひばり(ストップ!! ひばりくん!)
- 2.二鳥修一(放浪息子)
- 1.南野のえる(ミントな僕ら)
10.綾崎ハヤテ(ハヤテのごとく!)
週刊少年サンデーで連載されていた人気ラブコメの『ハヤテのごとく!』から、主人公の綾崎ハヤテです。
基本的には何をさせてもハイスペックな借金執事という独特なキャラクターだが、一発ネタのような形で登場した女装姿が割と頻繁に登場するようになってきます。
女装がバレないように名乗った綾崎ハーマイオニーという『ハリーポッター』のハーマイオニー・グレンジャーが由来だと明らかな偽名が特徴的で、コスプレ感の強い女装ではありますが、知らない人には本当に女性であると思わせるほどのクオリティがあるようです。
9.白鳥隆士(まほらば)
解離性同一性障害、いわゆる多重人格のヒロインの人格がそれぞれヒロインとなる珍しいハーレム系ラブコメ『まほらば』から、主人公の白鳥隆士です。
女装系キャラには、完全に女性と見分けが付かないキャラクターと、確かに綺麗で可愛いけどよく観察したら分かりそうなキャラクターがいると思いますが、白鳥隆士の場合は後者なのではないかと思います。
女装させられてる感の強さが妙にそそられます。(笑)
そういえば中の人は綾崎ハヤテと同じ白石涼子さんですが、それもあって女装が似合う男性キャラの役柄のイメージが一時期強かったような気がします。
8.漆原るか(STEINS;GATE)
タイムリープものの名作『STEINS;GATE』から、主要キャラの一人である漆原るかです。
女性よりも女性らしく、その女性らしさを褒められることが多いが、「だが男だ」と最後にオチを付けられるのがお約束のキャラクター。
ちなみに、本記事では紹介していませんが中の人は『まりあ†ほりっく』の衹堂鞠也というメイン級の女装キャラも演じている小林ゆうさんです。白石涼子さんもですが、女装キャラを演じる声優さんは他の女装キャラも演じるのが上手いのかもしれませんね。
7.不動権三郎(カイチュー!)
不動権三郎というなかなかお堅い名前の『カイチュー!』の主人公です。
神の子と呼ばれるほどの弓道の天才ですが、その才能ゆえに実家の道場から破門されてしまい真面目に弓道できなくなったが、その後紆余曲折あり弓道への情熱を取り戻していく・・というスポーツ漫画に登場しそうな経歴のキャラクターではあるのですが、漆原るかと同じく男をドキドキさせてしまうほどの女装男子で、「だが男だ!」とツッコミたくなるほどです。(笑)
ちなみに、そんな不動権三郎という女装男子がヒロインという変わった作品ですが、この『カイチュー!』は弓道を描いたスポーツ漫画としても普通に面白い作品なので興味を持った人は読んでみて欲しいです。
6.國崎出雲(國崎出雲の事情)
いわゆる歌舞伎の女形である『國崎出雲の事情』より國崎出雲です。なるほど女装男子や男の娘という言葉がありますが、女形というもっと歴史のある呼び名もありましたね。(笑)
役者として物心つく前の幼少から女形をしてきたのですが、ある日自分が女形をさせられていることに気付いてそのことに拒否感を持っていて、男の中の男に憧れています。
ただし、役者としての才能は抜群で、その上努力も惜しまない性格です。
そんな國崎出雲が主人公だからでしょう。『國崎出雲の事情』は役者を描いた作品としての完成度が非常に高い作品であるとも言えます。
5.波戸賢二郎(げんしけん)
オタクの感情表現がちょっと古臭くはありつつもリアリティのある『げんしけん』より波戸賢二郎です。
もともとは腐女子と一緒にBLを楽しみたいがために女装しているという建前を持って女装していたが、本当にそれだけなのか恐らく本人すら分かっていなさそうなところが面白いキャラクターです。
女装キャラは、あくまでもノーマルな男子が何かしらの理由で無理に女装しているか、心に女性的なところがあるか、あるいは普通の男だけどファッション的に女性のファッションを好んでいるだけか、大きくはこの三つに大別されると思います。
波戸賢二郎の場合、一つ目の要素は薄めですがこの三つの間を揺れているような雰囲気があって、その不安定な感情が妙にリアルに感じられます。
4.小鳥遊練無(Vシリーズ)
森博嗣先生の『Vシリーズ』より小鳥遊練無です。
登場する作品の傾向が本記事で紹介している他の作品とは少し違うので、本記事の読者にはもしかしたら知らない人も多いかもしれませんが、個人的には女装男子と聞いて真っ先に思い浮かぶキャラクターの一人なのでピックアップしました。
内面はあくまでも普通の男(といってもぶりっ子っぽい感じだが)だが、スカートがヒラヒラ広がるようなファンシーな服装を好んでいて、小柄でもあるので女装が気付かれにくい系男子である。
しかし、少林寺拳法の心得もあって荒事にも対応できる男らしい一面もあります。
本記事で紹介している中では唯一の活字の女装キャラだが、それだけに原作である『Vシリーズ』の一冊目となる『黒猫の三角』がコミカライズされた際には小鳥遊練無がどのように描かれるのかにかなり興味がありました。
3.大空ひばり(ストップ!! ひばりくん!)
暴力団の組長の長男で、頭も良く運動神経も良い優等生・・だが、一部の関係者を除いて男であることを知らないという『ストップ!! ひばりくん!』の大空ひばりです。
女装男子のキャラクターには、女装しているという一点を除けば非常にハイスペックなキャラクターが多いと思いますが、その元祖なのではないかと思われます。
子供の頃、テレビアニメ版の再放送を見たことで知った作品ですが、大空ひばりというキャラクターには当時衝撃を受けた記憶があります。(笑)
『ストップ!! ひばりくん!』は本記事で紹介している中では圧倒的に最古の作品であり、有名な打ち切り作品でもありますが、大空ひばりはとても中毒性のあるキャラクターになっていて、女装男子の可能性を示した作品なのではないかと思います。
2.二鳥修一(放浪息子)
『放浪息子』より主人公の一人である二鳥修一です。
『放浪息子』はかつてこれほどまでに自らの性別に疑問のあるトランスジェンダーについて真摯に描いた作品があったかと思わされるほどに特徴的な作品となります。
二鳥修一は女の子になりたい男の子で、同じく男の子になりたい女の子であるヒロインが傍にいます。そんな二人を取り巻く周囲の視点も含めてトランスジェンダーに向き合っているところが興味深くも面白い作品なのですが、それだけに二鳥修一の女装には他の女装男子キャラとは違った興味深さがあると思います。
二鳥修一本人以上に、その周囲が二鳥修一のことをどう捉えていて、それがどう変化していくのか。そんなところに面白さがあります。
1.南野のえる(ミントな僕ら)
男が主人公という珍しい少女漫画『ミントな僕ら』から主人公の南野のえるです。
吉住渉先生の少女漫画の舞台は基本的に普通の日常という感じのものが多いですが、その中によくよく考えるとぶっ飛んだ設定が多いのが特徴で、『ミントな僕ら』ではシスコン気味の南野のえるが双子の姉の転入先の学校に女装してまで追いかけていくという物語になっています。
女装男子が主人公の作品は癖が強いことが多いですが、昔ながらの恋愛もの少女漫画が好きな人でも楽しみやすい割と普通の少女漫画であるところも興味深い作品で、そういう意味では南野のえるはそこまで癖が強いわけではないのに強烈なアクセントになっている主人公であると言えるのではないかと思います。
『ヒカルの碁』の名場面、名台詞から囲碁を学ぼう!(その6)
ヒカルは少年漫画の主人公としては負けることの多い主人公です。格上相手にも良い勝負はしても結果的には敗北することはほとんどで、格好良く勝利を収めているシーンでは単純にその時点でヒカルよりも格下になっているだけだったりします。
とりわけ『ヒカルの碁』の作中でヒカルの負けが続いていることで印象的なシーンと言えば、院生になったものの2組で成績不振に陥っているところなのではないでしょうか?
今回はそんな成績不振のヒカルに対して友人であり師匠でもある佐為がした指摘についてのお話です。
今回の名場面・名台詞
ヒカルが院生2組で不調の頃に佐為から自分と打っているから勝てなくなっていると指摘されるシーンについて
ヒカルは成績不振の自分に苛立ち、どうして佐為ほどの実力者と打ち続けているのに成績が上がるどころか下がってしまうのかという疑問を佐為にぶつけます。
それに対する佐為の答えは、それは自分と打っているからこそなのではないかという相反するものでした。
佐為と打っているから勝てるようになるはずと考えるヒカルと、佐為と打っているから成績不振に陥っていると考える佐為。
そんな矛盾した考え方を、僕は一番最初に『ヒカルの碁』を読んだ時には理解することができませんでした。理解できませんでしたけど、雰囲気で何となく佐為が格好良いなぁと楽しんでいただけでした。(笑)
佐為の説明する理屈。ヒカルがある程度強くなってきたからこそ、以前は闇雲に佐為に立ち向かっていたのに、そこに恐れが混じって手が控えてしまうようになってしまったというのがヒカルの成績不振の原因であると佐為は分析します。
その理屈になるほどと思いつつも、「いやいやそこは実力が全てで、もちろん同じくらいの実力だと多少の誤差はあってもある程度強い方が勝つだけなんじゃないの?」という風に当時の僕は思っていたものです。
しかし、実はこの成績不振時のヒカルを彷彿とさせるようなスランプに陥ることって珍しくないと思うのです。少なくとも、僕は長く囲碁を楽しんできた中でこのシーンを思い出すようなスランプに陥ってしまったことが何度かありました。
もともと勝てていたような相手に何故か勝てなくなり、打っている時の感覚的には相手が自分よりも格上とは思えないし、事実序盤中盤までは優勢に打ち進めたりしているのに何故か勝ち切ることができない。
そして、そのようなことが何度も続くようになってしまうのですね。
そんなスランプの原因についてはこちらの記事で過去に言及しているのですが、「勉強が過剰になること」「強気な手が増える」「弱気な手が増える」という三つが原因なのだと分析しています。
その内三つ目の「弱気な手が増える」という部分が本記事の趣旨となるのですが、要は相手の実力を信頼しすぎてしまうあまり自分の打つ手に自信が持ちきれず弱気な手を打ってしまうという現象ですね。
これは理屈は分かるけど本当にそんなことがあるのか、あったとしても勝敗に直結するほどのものなのかと疑問に思う人も多いと思います。しかし、経験してみると分かるのですが、これは本当にあり得ることなのです。
僕の場合は、特に大石が頓死してしまうような負け方を繰り返してしまったような後に、たぶん無意識に戦いを避けてしまっているからなのか僅差の作り碁になって負けてしまうような状態が続くことがたまにありますし、今では分かっていてもたまにそういう状態になってしまいます。
不思議なもので、分かっていてもそういう状態になった後に負けた棋譜を検討してみると、必要以上に固く打っている手に気付いたりすることもあります。
というわけで何が言いたいのかというと、佐為のこの格好良い指摘はただ格好良いだけではなく、意外と囲碁におけるスランプの状態を本当に分かりやすく表現しているのではないかということなのです。
これが実感できるほど囲碁にのめり込むファンは『ヒカルの碁』の読者でも少ないとは思いますが、もし真剣に囲碁を趣味にしていてスランプに陥ってしまうようなことがあれば、このシーンを思い出してみると良いかもしれませんね。
一番の支え!魅力的な母親キャラが登場する漫画・ラノベ・アニメ作品10選
何でなんだろうと考えてみれば、やっぱりフィクション作品で描かれるのは未来に向けての話であって、そこに親子関係が描かれているのであれば子供の側がメインになるのは当たり前といえば当たり前の話なのかもしれません。
そういう意味では父親という属性のキャラクターも同じような扱いに感じられます。
しかし、良い意味でも悪い意味でも子供にとって親の影響力ほど大きいものはありません。 だからだと思いますが、物語の主人公の両親について主人公自身にスポットを当てるためにあえて触れない(ほとんど触れない)ようにしている作品も少なくありません。もちろん、そういう作品で主人公の両親が登場しない理由はそれだけではないかもしれませんが、そういう一面もあるのではないかと僕は考えています。
逆にメインキャラ級に両親が登場する作品の場合、かなりその影響力が大きいように感じられがちな気がします。
本記事では、そんな両親の中でも母親属性のキャラクターの中から個人的に魅力的だと感じるキャラクターを紹介したいと思います。
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- 10位.浦飯温子(幽遊白書)
- 9位.野原みさえ(クレヨンしんちゃん)
- 8位.工藤有希子(名探偵コナン)
- 7位.坂井千草(灼眼のシャナ)
- 6位.野比玉子(ドラえもん)
- 5位.ベルメール(ONE PIECE)
- 4位.天羽雅音(ウィッチブレイド)
- 3位.チチ(ドラゴンボール)
- 2位.陽炎/影法師(烈火の炎)
- 1位.本田今日子(フルーツバスケット)
10位.浦飯温子(幽遊白書)
『幽遊白書』の主人公である浦飯幽助の母親であり、息子と同じく破天荒な性格をしています。その言動は一見するとあまり良い母親には見えないところもあり、いわゆる毒親のように感じられるところもあるのですが、息子への愛情は息子である浦飯幽助本人が想像もしていなかったほどに深く、事故死した際に泣き崩れていた姿は浦飯幽助が自分が死んだことを悲しみ人間がいると自覚するキッカケにもなりました。
そういう意味では、当初は浦飯幽助が生き返るための物語であった『幽遊白書』という作品の重要なキーパーソンでもあるのですが、アニメ版では大幅に出番を削られるなど不遇なところもあります。
その理由も、主人公の母親が傍にいると影響力が強くて浦飯幽助を思うように動かせないというところにあったらしく、まさに母親という属性の影響力の強さを再認識させられるエピソードでもあると感じます。
9位.野原みさえ(クレヨンしんちゃん)
『クレヨンしんちゃん』の主人公は幼稚園児の野原しんのすけですが、そういう意味では全く自立していない上に狭い世界観の中にいる主人公なので両親の存在感が強くても違和感が無い珍しい作品なのではないかと思います。
どちらかといえば、時折素晴らしい言動を見せる上に実は意外と格好良い父親の野原ひろしにスポットが当たることが多いですが、母親の野原みさえもまた愛情深い良い母親だと思います。
近年の劇場版では、ヒロインどころかほとんど主人公クラスの活躍を見せたこともありますが、まさに母親の愛情が溢れた作品になっていました。
余談ですが、アニメ版放送開始時に野原しんのすけと同世代だった子供も今や野原みさえよりも年上になっています。そういう意味では今の世代の母親に母親の姿を教えてきたキャラクターであるとも言えるかもしれませんね。
8位.工藤有希子(名探偵コナン)
フィクション作品に登場する母親キャラクターには一種の格好良さがあることが多いような気がしますが、『名探偵コナン』の工藤有希子もまた非常に格好良いキャラクターですよね。
怪盗のような変装の技術を持っていたり、探偵のような推理力も持っていたり、『名探偵コナン』に登場するキャラクターの中でも意外とハイブリッドな能力の持ち主でもあります。
主人公の工藤新一(江戸川コナン)の母親なわけですが、息子が命の危機に瀕して幼児化したことを聞いて心配して自身の元へと連れて帰ろうとするものの、しかしそれが息子の意思とは違うことを知ったらその意思を尊重しようとします。
少々浮世離れした母親ではありますが、息子とのことを心配はしつつも信頼している姿は母親のお手本のようでもあって興味深いと思います。
7位.坂井千草(灼眼のシャナ)
『灼眼のシャナ』の舞台は普通の現代社会ですが、その裏側では異能力者と異世界の住人との戦いが行われているという作品となります。
主人公の坂井悠二はその裏側に巻き込まれていくタイプの主人公ですが、その母親である坂井千草はあくまでも普通の現代社会の住人であり、普通であれば存在こそするものの物語上はあまり関わってこないタイプのキャラクターなのではないかと思います。
しかし、坂井千草の場合はあくまでも一般人であるにもかかわらず坂井悠二を通してそれとは知らずに裏側の世界の住人とも関わることがあります。そして、あくまでも普通の一般人の母親らしさを損なわない範囲で、そうした裏側のキャラクターへも影響を与えていく所があるのが興味深いキャラクターなのではないかと思います。
母親という属性の影響力が邪魔になることもあるから多くの作品で母親はモブキャラになっているのではないかとは思っているのですが、モブキャラのまま実は物語に大きな影響を与えているという意味で珍しいキャラクターなのではないかと思います。
6位.野比玉子(ドラえもん)
遊んでばかりいて勉強しなかったりしたら母親は怒るものであるということを、のび太のママこと野比玉子から学んだ人は多いのではないでしょうか?(笑)
昭和後期から平成にかけての小学生の子を持つ母親のイメージとして、これほどしっくりくるキャラクターも逆に珍しいですね。いや、個人的に自分の母親と比較すると似ても似つかないのですけど、どうにも野比玉子には母親のイメージとイコールになるところがあるような気がするのです。
現代においてはあまりこのように怒る母親は珍しいような気もしますが、そもそも怒るという行為はもの凄く疲れるもの。のび太を繰り返し叱ることの労力は想像に難くありませんが、それを思うとこのママの怒りの度合いはそのままのび太への愛情であるとも捉えられます。
・・なんてことは子供にはなかなか理解できない所なのだと思いますが、そう考えると野比玉子もまた素敵な母親なのではないかと思います。
5位.ベルメール(ONE PIECE)
『ONE PIECE』における麦わらの一味の航海士ナミの義母であるベルメールは、娘とも大人げなく喧嘩することもある子供っぽいところがあって、それに要領の悪いバカと言われてもしようがない性格をしているのですが、そんな不器用な愛情がとてつもなく格好良いキャラクターです。
長い『ONE PIECE』の連載の中では刹那的にしか登場していないキャラクターであるにもかかわらず、そんな不器用な格好良さがその他の個性的なキャラクターの数々を差し置いて印象に残っている人は少なくないのではないでしょうか?
「口先だけでも親になりたい」と、ナミやその姉のノジコの母親を名乗るために命を賭した姿は、あまりにも哀しくて感動的でした。
4位.天羽雅音(ウィッチブレイド)
母親という属性のキャラクターは物語への影響力の大きさからあえて存在感を薄くされがちとは前述したところですが、『ウィッチブレイド』の場合はその母親自身が主人公という珍しい例となります。
天羽雅音には記憶障害がありある時期より前の記憶が無いのですが、記憶喪失時に持っていた母子手帳から天羽梨穂子が娘であると認定されていました。しかし、実はこの母娘には血縁関係が無いことが後々明らかになるという複雑な関係だったりします。
実の娘だと思っていたら違ったことに葛藤はあったものの、最後に天羽梨穂子のために戦う姿は本物の母親と同じ愛情が含まれていたような気がします。
3位.チチ(ドラゴンボール)
ギャグ系から始まったバトル系少年漫画『ドラゴンボール』ですが、作中での時間経過が非常に長くキャラクターの年齢的な成長が地味に興味深い作品だったりします。
最初ははねっ返りでお転婆な小娘というキャラクター性で登場したチチも、その後は美しい女性へと成長したかと思えば、意外にも子供の教育に熱心な母親へと転身し、最後には孫ができておばあさんになるという歴史の感じられるキャラクターです。
年齢を重ねるごとに年相応の性格に変わっていくのに、しかしちゃんと根本のところは同じチチなのだということが分かるのが興味深いところですね。
息子の孫悟飯の将来が何より大切で、父親の孫悟空が孫悟飯を修行に連れて行こうとする時は大抵何かしらの危機があるのですが、渋々修行を許可することもあるものの、それでも基本的には孫悟飯の将来の方が危機的状況よりも優先度が高いという息子大好きお母さんです。
2位.陽炎/影法師(烈火の炎)
『烈火の炎』における主人公の烈火の母親である陽炎は、母親という属性のキャラクターの中では他にあまり例がないほど重要な役割を担っています。
最初は敵として登場した上で烈火たちを物語の主軸へと巻き込んでいく役割を担っているかと思えば、そもそも物語の主軸である火影の因縁の中心に近いところにもいて、母親でありながらヒロインの一人くらいのレベルで活躍することになります。
また、肉体年齢はかなり若いものの400年以上生きてきたこともあり、若い女性らしい可愛らしい一面を見せることもあるかと思えば、基本的には妖艶さのある面白いキャラクターでもあります。
赤ん坊だった息子が高校生になってから、しかも敵として再会したことで最初は親子関係がぎこちない感じなのですが、徐々に距離感が変わっていくところが見所です。
1位.本田今日子(フルーツバスケット)
『フルーツバスケット』は様々な親子が描かれているのが特徴的な少女漫画ですが、そんな中でも最も心に残る親子はやはり主人公である本田透とその母親の本田今日子だと思います。
とはいえ、本田今日子は物語の最初から既に故人なのですが、であるにも関わらずその影響力が娘である本田透にあまりにも深く根付いていて、本田透を通して本田今日子とはどのような人物だったのかがひしひしと伝わってくるのが興味深いところです。
若い頃は伝説的なヤンキーだった本田今日子の影響を強く受けた娘が良心の塊のような人間に育っていることに妙な納得感があるのも面白いところで、その納得感の正体は本田今日子が娘によく言っていたという「人は良心(やさしさ)を持って生まれてこない」「良心は体が成長するのと同じで自分の中で育てていく心」というセリフにあるのだと考えられます。
本田今日子の良心が育つまでには本田透の父親との出会いをキッカケとした経緯があるわけなのですが、それで良心は育つものだと気付いた本田今日子は最初から自分の娘には良心が育つように育てたのだと思います。
二次元キャラと自分の年齢を比較してみて感慨深くなる話
アニメ、漫画、ライトノベルに登場するいわゆる二次元のキャラクターの中には現実にはあり得ないような能力や個性を持っていたりと、多かれ少なかれ浮世離れしたところがあります。
しかし、そんな彼らにも当然年齢は存在します。(不詳の場合もありますが)
なんて当たり前すぎる前置きをしてみましたが、僕はこの二次元キャラの年齢というものと自分の年齢を何となく比較してしまいがちなことがあって、ふとそのことを書き記してみたいと思った次第です。
例えば、ずっと年上だと思っていたキャラクターの年齢にいつの間にか追い付いていて、面白いと思うよりも感慨深くなったような経験をしたことがある人は少なくないのではないでしょうか?
そんな二次元キャラと自分の年齢を比較してみて感慨深くなる感覚に共感してくれると嬉しいです。
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サザエさん時空の長寿アニメ
キャラクターと自分の年齢を比較しがちなのはやっぱりサザエさん時空の長寿アニメなのではないかと思います。中でも主要な登場人物の年齢にバラツキがある作品で考えてみるのが面白いです。
個人的には『クレヨンしんちゃん』や『名探偵コナン』あたりで年齢比較してみることが多いのですが、ここで試しに比較してみましょうか。
『クレヨンしんちゃん』の場合
近年では親子二世代でのファンが多い長寿アニメの一つですが、ごくごく一般的な家庭(と言っても野原ひろしは中々の勝ち組ですが)が描かれているということで、自分の家族と比べて見ているような人も多そうですよね。
劇場版の作品も人気ですが、本記事のテーマで語る上で外せないのが2010年に公開された『超時空!嵐を呼ぶオラの花嫁』という作品。
これは未来のしんのすけの花嫁を名乗るタミコという女性が、未来のしんのすけを救うために5歳児のしんのすけの力を借りに来るという物語なのですが、そういうわけなので未来のしんのすけや春日部防衛隊にひまわりが描かれているのが興味深い作品なのです。
公開時期的に、『クレヨンしんちゃん』の原作やアニメが始まった頃にしんちゃんと同世代だった子供が成人を迎えて数年後になる作品であり、そういう意味でも大人になったしんちゃんが登場する作品という所に何かしらの意図を感じずにはいられません。
そして、そんな作品ですら今から10年前の作品になるわけで、時間の流れとは怖いものです。(笑)
ちなみに、しんのすけの生年月日は原作開始時点をリアルタイムと仮定すると1985年生まれということになります。1985年生まれの人にとっては一緒に成長してきた同級生というわけですね。
まあ、しんのすけは永遠の5歳児ですが。
本記事の筆者である僕も丁度1985年生まれなのですが、なんと今年でひろしと同い年になります。怖い怖い・・
しんのすけからオバサン扱いされるみさえよりは完全に年上で、みさえくらいの年齢の女性は普通に若くて可愛らしく見えるオジサンです。
元はしんのすけと同い年であったことを考えると、いかに『クレヨンしんちゃん』が長命な作品であるかが伺えますね。
『名探偵コナン』の場合
少しズレがありますけど、『クレヨンしんちゃん』と似たような感覚を持てるのが『名探偵コナン』です。
個人的には工藤新一や毛利蘭と同い年になった時に少し大人になったように感じたのを覚えています。今思えば16歳くらいだとまだまだ子供ですが。(笑)
小さくなった名探偵のコナン君と連載開始時に同い年だった人は、2004年に工藤新一と同じ16歳、2020年現在は32歳でそろそろ毛利小五郎が見えてきています。
そう考えるやっぱり時間の流れって怖い怖い・・
さすがに阿笠博士はまだまだ先ですが、多くの人がそう感じるように大人になってからの時間の流れの感じ方は凄いスピードですし、それもあっという間なのかもしれませんね。
それまでには『名探偵コナン』もさすがに完結しているような気もしますが、連載開始時から『名探偵コナン』を読んでいた子供が阿笠博士と同い年になってもまだ読んでいる姿を想像すると感慨深くなります。
『ヒカルの碁』の名場面、名台詞から囲碁を学ぼう!(その5)
『ヒカルの碁』に登場するキャラクターは週刊少年ジャンプの連載作品にしては尖った部分のないいわゆる普通の人という印象が強いです。だからといって没個性なわけではなく、誰も彼も魅力的なキャラクターばかりで、だからこそ共感しやすいところも多いのではないかと思います。
例えば、ヒカルにとっては院生時代の先輩というか兄貴分的なキャラクターである伊角さんにしても、いわゆる普通の好青年といった雰囲気のキャラクターですが、その割には随分と人気のあるキャラクターでもありますね。特にプロ棋士の中にファンが多いようで、実力がありながらプロ試験を突破できずにくすぶっている姿が共感を呼ぶのだと思われます。
そんな伊角さんのプロ試験のエピソードにおける最も印象的だった出来事から学ぶ教訓について本記事では触れていきます。
今回の名場面・名台詞
伊角さんがプロ試験でヒカルと対局した際に一度指から離れた石を打ち直したシーンについて
『ヒカルの碁』の作中には数多くの対局が描かれていますが、最も印象に残るミスをしたシーンといえば伊角さんが対局相手であるヒカルを気にするあまり自分の意思に反した手を打ってしまい、慌てて打ち直したが指が碁石から離れてしまっていたので反則となってしまったシーンなのではないでしょうか?
そして、このシーンから学ぶことは大きく二つあるのではないかと思います。
それは
- たった一つのミスで形勢は入れ替わるということ
- 集中力を欠いている状態では考えられないようなミスが起こり得るということ
の二つです。
一つ目はある程度囲碁の経験を積んだ人であれば実感していることかと思いますが、囲碁というゲームには良い手はあっても勝因となる手は多くの場合存在しません。いわゆる良さそうな手を打っても、それを後に繋げられるか否かは純粋な実力でしかないからです。
しかし、勝因となる手は無くても敗因となる手は山ほど存在します。後に繋げられなかった良さそうな手などは多くの場合はやりすぎてしまった敗因の手であると言えますね。
より多くの、そしてより大きなミスをした方が負けるゲームこそが囲碁であると聞いたことがありますが、それはまさにその通りであることを何局も対局を重ねてきた人であれば実感できるところだと思います。
勝っているのにやりすぎて逆転負けしてしまったり、もうダメだと諦めていたところに相手のミスがあって逆転勝ちしたり、そんなことは日常茶飯事ですよね。
トッププロの対局ですら最後の最後のミスが勝敗に直結することは珍しくありません。
そういうわけで囲碁には明確な勝因となる手はほぼ存在しえないわけなのですが、その証拠に一流の打ち手であればあるほど自らの勝利を「運が良かった」と称しますよね。
例えば、近年のNHK囲碁トーナメントでは「今日の一手」という勝者側の解説が最後にありますが、日本囲碁界の第一人者である井山先生は必ずといって良いほど自らの勝因を述べることはなく、反省点を述べています。これこそ囲碁というゲームの本質がミスを排するところにあることを示しています。
そして、そんなミスが起こり得るのは何かしら集中力を欠いている時であることが多いです。
勝ちを意識した時なんかが集中力を欠きやすい代表的なポイントでしょうけど、今回の伊角さんの場合は盤面以上に対局相手を意識しすぎたところで集中力が逸れたという感じでしょうか。
いずれにしても、どんなに強くなっても一瞬の集中力の途切れが大逆転負けに繋がるようなことは珍しくありません。というか、こういう集中力の途切れは勝っている側に起きることが多いような気がするのですが、それもまた興味深いポイントだと思います。
これは勝っている時こそ気を緩めてはいけないという教訓にもなっているのではないかと思います。
ちなみに、集中力を欠いてアテ間違えたというエピソードについてどのように感じましたか?
そんな自分の意思に反して間違えるようなミスはあり得ない。そんな風に感じた人も多いのではないかと思います。というか、僕自身もこのエピソードは教訓ではあってもそうそう起こり得るようなことでは無いと思っていました。
しかし、つい最近ネット対局中に自分の意思に反した手を打ってしまい大逆転負けするという経験をしてしまい、それでこの伊角さんのエピソードを思い出した次第でした。
参考までに紹介するとこの終局図。幽玄の間の4段戦で、黒番の僕の中押し負けとなります。右辺の白石を仕留めていた種石4子を取られてしまっては地も足りませんし中央の黒の一団も弱くて攻められそうなので投了も止む無しですね。
しかし、149手目でノビた手でタケフ(149手目の右上。上図の赤丸部分)にしておけば何事もないどころか黒は負けようのない展開でした。
なら打っている時に気付いていなかったかといえば、実はこの局面は数手前に想定していた通りの図で、その時にはタケフに打つことを想定していました。しかし、ほぼ白の投了待ちの形勢だったところで深く考えずに手拍子でサラサラ打っていた時についノビてしまって打った瞬間に「あっ!」と気付いたわけです。
ネットなので伊角さんのようにそっとタケフに打ち直すこともできません。(笑)
集中力を欠いていると伊角さんのような間違いが発生することもあるのだという実体験でした。
『半妖の夜叉姫』犬夜叉のその後がアニメ化するらしい!
2020年の秋に『半妖の夜叉姫』というアニメ作品が放送されるというニュースを目にした時、僕はこのように思いました。
何だか『犬夜叉』を彷彿とさせるタイトルだなぁ・・と。
というか、彷彿とさせるも何もまさしく『犬夜叉』の続編のようなオリジナルアニメになっているようですね。
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スぅ~っっっ!
・・っと、思わず一呼吸置いて冷静になって改めてニュース読み返してしまいました。(笑)
長年に渡って活躍されていて幅広い年代にファンのいる高橋留美子先生ですが、そんな高橋留美子先生の作品の中において『犬夜叉』こそがドンピシャ世代である僕としては、歓喜せずにはいられないニュースだったからです。
近年というかここ数年、古い作品のリメイクや新規のアニメ化が流行になっているような気がします。ゲーム業界なら『FF7リメイク』や、同じアニメであれば『フルーツバスケット』が記憶に新しいですね。
しかし、こうして続編がオリジナルアニメとして制作されるのは珍しいような気がします。あるかもしれませんが、少なくとも僕にはパッと思い浮かびませんでした。
オリジナルアニメとして制作するとなれば、原作ありきの作品より労力がかかりそうなものですが(※勝手なイメージです)、それでも続編的に制作されるということはそれだけ『犬夜叉』という作品が愛されているということなのかもしれませんね。
とはいえ、現時点ではそれほど多くの情報が出ているわけではありませんが、あまりにも楽しみなので本記事では既出の情報や、原作となる『犬夜叉』という作品についてまとめてみました。
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高橋留美子先生の関りは?
オリジナルアニメとはいえ『犬夜叉』の関連作品なのであれば高橋留美子先生の関わり方が気になるところですよね。
今のところはメインキャラクターデザインとしての関りが言及されていますが、高橋留美子先生自身も「楽しみにしています」とコメントされているようなので、ストーリーに関しては深くかかわっていることはないのではないかと予想されます。
それがどのように作用するかは実際にアニメを見てみるまでわからないとは思いますが、キャラデザに関わられているというだけでも十分期待に値するのではないかと思います。
流石に、現在の高橋留美子先生は週刊少年サンデーで『MAO』を連載中なのでそれほど深く関わることは無いと思われますが、読み切りとかでも良いので後々コミカライズを描かれるみたいなことがあれば嬉しいですよね。
犬夜叉やかごめが登場する?
発表されたばかりですが、『半妖の夜叉姫』のあらすじやメインキャラクター3名は既に公開されています。
そして、その3名の内の1名で犬夜叉とかごめの娘であるもろはは、両親のことをほとんど知らないと紹介されているので、そういう意味では少なくとも最初から犬夜叉やかごめが登場する可能性は低いのではないかと想像されます。
こういう少し時代を経過させた続編ものの作品では、前作の主人公格を神格化したような立ち位置に据えることが珍しくないと思いますが、『半妖の夜叉姫』もそういうタイプの作品なのだと推測されますね。
とはいえ、だからこそここぞというタイミングで犬夜叉やかごめが登場する可能性は高いのではないかと思います。
また、これまたメインキャラクターの1名であるせつなは、琥珀がお頭を務める妖怪退治屋に参加していると紹介されています。琥珀は『犬夜叉』でも重要キャラの一人でしたが、犬夜叉やかごめの登場はもったいぶられたとしても、琥珀を始め『犬夜叉』の登場人物が少なからず登場することは間違いないのではないでしょうか?
半妖の夜叉姫とは?
そして、公表されている通りメインキャラクターの3名の内2名は殺生丸の、1名は犬夜叉の娘だそうです。
・・で、気になるのが本作品のタイトルが『半妖の夜叉姫』であり、この3名のキャラクターが同列に主人公格のように紹介されている点です。
犬夜叉とかごめの娘と明確に紹介されているもろははともかくとして、殺生丸の娘として紹介されているとわとせつなの2名が半妖なのか否かは気になるところです。
まあ、殺生丸に関わりのある人間の女といえばりんくらいであり、殺生丸とりんのその後は『犬夜叉』ファンとしてはとても気になるポイントだったところですが、その答えが明らかになるかもしれないのが、今のところ最も注目すべきところなのだと思っています。
というか、殺生丸の相手がりんだからその娘が半妖なのだという展開以外があったとしたら、少なくとも多くのファンを敵に回しそうなので、まず間違いなくメインキャラクターの殺生丸の娘はりんの娘でもあるという推測に異を唱える人は少ないのではないでしょうか?
犬夜叉とは?
『半妖の夜叉姫』という作品のアニメ化に歓喜している人は少なくないと思いますが、失礼ながらそういう人は大概いい年した大人だと思います。
連載が始まったのは四半世紀前の1996年。連載終了したのはその12年後の2008年。
最初から読んでいた人の大半はアラサーでしょうし、十代でもファンはいるでしょうけどそれはかなりの漫画好きなのではないかと思われます。
そういうわけで、若い世代には知らない人も多く、知っている世代でも思い出の作品と化していて忘れているところが多い作品なのではないかと思います。
僕も、『半妖の夜叉姫』やった~と思いつつ実は『犬夜叉』の記憶がところどころ抜けています。(笑)
そういう時は、やっぱり過去作のおさらいが必要ですよね~
それでこそ『半妖の夜叉姫』も十全に楽しめるのではないかと思います。
過去にアニメ化された作品でもあるので、それでおさらいするのも悪くないとは思いますが・・
ただ、当時の少年漫画の人気作品は今のアニメほどサラッと見れる話数ではありません。『犬夜叉』に関しては4年近くアニメが放送されていましたからね。
なので原作漫画でおさらいするのが個人的にはおすすめです。というか、僕はこれから久しぶりに『犬夜叉』の原作漫画を読んでみようかなぁと思っています。
ずっと連載で読んでいて通して読んだことはなく、そして通して読んでみたら印象が変わるのが長期連載漫画というものです。とはいえ、なかなかそんな機会はないものなので、これをその良い機会と捉えて楽しみにしています。
読んだことがある人も無い人も、『半妖の夜叉姫』の前におさらいしてみてはいかがでしょうか?
『ヒカルの碁』の名場面、名台詞から囲碁を学ぼう!(その4)
『ヒカルの碁』は週刊少年ジャンプで連載されていた人気少年漫画です。なので一見地味な囲碁の対局シーンにおいても格好良い演出がされていますが、個人的には塔矢親子と藤原佐為(sai)との対局の演出がとても素晴らしいと感じます。
また、これらの対局に限らずモノローグがまた格好良いですよね。
緊張感や焦り、はたまた自信のようなものが伝わってくるモノローグ。なのですが、しかし囲碁のことを知らない人からしたら雰囲気を楽しんでいるだけになりがちだったのではないかと思います。
今回紹介するモノローグも、モノローグと合わせて盤面の様子がハッキリと描写されているものの、連載当時に読んだ時は正直意味がよく分かりませんでした。(笑)
というわけで本記事の趣旨にピッタリということで紹介することにしました。
今回の名場面・名台詞
この一手で白の眼形をおびやかす!
※文庫版3巻の塔矢アキラのモノローグより
『ヒカルの碁』をそれなりに囲碁そのものにも興味を読んでいた読者であれば、作中でも簡単にはルールが紹介されているので囲碁における眼が何なのかを何となくレベルであっても分かっているのではないかと思います。
分かっていない人のために簡単にいうと、黒白いずれかの石のみで囲われた盤面の交点のことで、これを二つ以上作るスペースがあることは即ち複数の着手禁止点を作るれることになるため、相手から取ることができない生きた石となります。
難しいですかね?
難しい人は、文庫版1巻の第7局でコラム的に紹介されている詰碁問題を見てみると理解が深まるかもしれません。
いずれにしても、ここでの塔矢アキラは相手の石を簡単には生かさないぞ・・と、そういう気迫を見せているわけですね。
『ヒカルの碁』の対局シーンの棋譜はほとんど実在の棋譜なのですが、問題のシーンの棋譜を改めて見てみると、白が黒を攻めようとしている場面で逆に黒が白を攻めようとしているわけで、そう言うとなかなかに強烈な手であることが分かっていただけるのではないかと思います。
とはいえ、相手に簡単に眼を作らせないようにする。そういう形を目指して打っていくというのは常套手段のひとつだったりします。
囲碁初心者の人は、相手に眼を作らせない形、逆に自分は眼を作りやすい形を意識して打つようにすると上達が早くなるかもしれません。
強烈に感じられても基本的な考え方に基づいた打ち方なのだということを覚えておきましょう!
『ヒカルの碁』の名場面、名台詞から囲碁を学ぼう!(その3)
前回紹介したダメヅマリに関するセリフは、囲碁という競技をかなり深くまで知らないと理解が難しいものだったと思います。
何が起きたのか。ミスした側にとってはどれだけ大きなミスで、筒井さんにとってはどれだけ大きなチャンスだったのか。
それを説明したつもりですが、やはりこの辺は実感が伴ってこないと理解が難しい領域だったのではないでしょうか?
なので今回は知らない人にも何が起きたのかが非常に分かりやすい『ヒカルの碁』のセリフを紹介してみたいと思います。
当事者というか、言われた側は前回と同じく筒井さんとなります。
今回の名場面・名台詞
ヨセで20目差がひっくり返った・・
※文庫版1巻の川萩中の顧問のセリフより
やはり数値化されると分かりやすいですよね。
囲碁の勝敗が陣地の数で決まり、その陣地を数える単位が『目』であることと、ヨセが終盤を意味する(厳密には違いますが、この場合はほぼニアリーイコールと捉えて問題ないかと)ということだけが分かっていれば意味は分かるのではないでしょうか?
要は終盤に大逆転した。と、それだけのことを言っているセリフなのですね。
そんな感じで何が起きたのかはとても分かりやすい場面です。
しかし、ある程度の経験者であればこのセリフからあることに気付きます。
それは、そんなに強くなさそうな筒井さんって印象操作されているだけで実は相当な実力者なのではないかということ。
加賀にヨセの間違いの無さを指摘され「目算とヨセはキッチリ!」と嬉しそうに返す筒井さんを見て、恐らく囲碁そのもののことは深く知らない人はこう感じたのではないかと思います。
筒井さんは実力者ではないけど得意分野もあるんだなぁ~
・・客観的に見て、そう感じるように描かれていると思いますし、実際僕も昔読んだ時はそう感じたものです。
しかし、恐らくはアマチュア低段くらいの棋力と思われる筒井さんの目算とヨセが完璧だなんてことはほとんどあり得ないことなのではないかと思われます。
僕自身の棋力は幽玄の間の基準で3~4段付近のレートなのですが、目算は何となく見た目だけ、ヨセはボロボロというのが正直なところです。9路盤で対局する時にたまにちゃんと目算する程度でしょうか。
ヨセで20目差がひっくり返った。その程度の出来事は逆転する方もされる方も日常茶飯事な体たらくです。つまり、僕と同程度の棋力の人のヨセはその時々によってたまたま精度の高い手が打てていた方が得をするようなものという感覚です。
また、この目算とヨセという分野がアマチュアとプロとで大きく差が付く領域だとも言われていますね。
そんな目算とヨセを完璧にこなせるということは、多くの人にとってなかなか克服できない弱点であり、結果として僅差の作り碁における不確定要素に近い領域になっているところで力を発揮できるわけで、つまりは常に実力通りのパフォーマンスを安定的に出せることに繋がるわけです。
逆に言えば、目算とヨセが完璧なのにアマチュア低段くらいの雰囲気の描写しかされていない筒井さん、他の領域がどれだけダメなんだって話になるのですけど、考えてみれば確かに定石の本を広げなら打っていたり、ダメダメな雰囲気はありましたね。(笑)
感覚的には、目算とヨセ以外の領域が2~3子くらい実力差でも、目算とヨセが完璧な相手に5分以上に勝てるかは怪しい気がします。
そんな感じで、実のところ『ヒカルの碁』で囲碁のスキルに関して一番ヤバイことを言っているのは実は筒井さんなのではないかとも思うんですよね。(笑)
まあ、長くなりましたが要するに、何を言っているかは初心者でも分かるけど、実力が伴ってくるにつれて印象が変わってくるセリフ(というか場面?)ということで紹介させていただきました。
『ヒカルの碁』の名場面、名台詞から囲碁を学ぼう!(その2)
『ヒカルの碁』に限らず、特定の競技を題材にした作品の中にはその競技を知っている人だからこそ本当の意味が理解できるような場面やセリフも少なくありません。
もちろん、多くの場合その作品を楽しむ上でそれらが分かっていることは必須条件ではありません。むしろ、知らない人にでも楽しめるようにすること。それに知らない人に興味を持たせようとすることが作り手の思惑の中にはあるのではないでしょうか?
だから『ヒカルの碁』という作品には囲碁を知らない層のファンも多いですし、「囲碁? 知らないけど、ヒカルの碁なら知ってるよ!」って人が実のところ大多数だったりしますよね。
かくいう僕も、あまりよくは知らない将棋がテーマの作品を、そんなによく分かっていないのに楽しんで読んでいたりしますし、それと同じなのだと思います。
とはいえ、分かっていることが増えれば増えるほど、違った楽しみ方が増えることも事実ですし、その競技に深く接している場合は勉強になることもあったりします。
初めて『ヒカルの碁』を読んだ時、僕はルールすら怪しい初心者でした。
それでも十分に面白い作品に感じられたものですが、有段者になった今読むと違った見え方、感じ方をするようなところもあってかなり興味深いです。
この『名場面、名台詞から囲碁を学ぼう』シリーズでは、囲碁をあまり知らない人だと実感できないようなことも結果的に解説できているのではないかと思います。
今回の名場面・名台詞
そこをキル手はなかったはず。ダメヅマリで手が生じたんだシマッタ!
※文庫版1巻の海王中の三将のセリフより
これは筒井さんが海王中の三将にマグレ勝ちした対局のクライマックスで海王中の三将が自らのミスに気付いた時のセリフですね。
間違いなく、多くの『ヒカルの碁』の読者は思ったはずです。
「何言ってるんだコイツ? まあよく分からんけど、重大なミスをしたんだろうな」
・・とまあ、こんなところでしょうか?
というか、これは僕が初めて読んだ時に思ったことです。
それでは、海王中の三将が言っている「ダメヅマリで手が生じた」というのは一体どういう意味なのでしょうか?
まず、ダメというのは「どちらの陣地でもない、打っても価値のない地点のこと」を指します。しかし、自分の石に隣接する全てのダメが埋まってしまうとその石は取られてしまいます。
つまり、打ち手はダメを埋めるような手を打つ場合には、ダメを埋めたことによって自分の石が取られるような状況にならないように注意を払う必要があるのですね。
これはあと一手で取られるような状況を読んでいるのではなく、自分の石があと何手までは取られないのかをキッチリと数を数えているわけです。
自分の石はあと5手で取られてしまう。だけどその前に相手の石を4手で取れるから、ここは自分が1手勝っている。
・・といった具合ですね。
しかし、不用意にダメを埋めていった場合に、この手数が逆転してしまうようなことが時折発生します。
「ダメの詰まりは身の詰まり」という囲碁の格言もあるくらい、ダメを詰めるという手を打つ時には慎重にならなければいけないのですね。
だからある程度の実力がある打ち手であれば、必要のない場面でダメを詰めるような手は打ちませんし、打たざるを得ない場面をハッキリ言って嫌がっています。
また、今は大丈夫でもダメが詰まった後の形が不安定な状況も極力避けたいと考えていますね。
とはいえ、最後まで打ち切る作り碁の場合は、終盤が近づいてくると最後にはダメ場を埋めていくような手を打っていくことにはなります。
打たなきゃ終局しませんからね。(笑)
この時にダメ場が空いていた時には無かった手が生じることは非常に多く、有段者クラスでもそれに気付かずに逆転負けを喫する状況、あるいはその逆も含めてとても多かったりします。
また、ダメヅマリで手が発生している可能性に気付きつつも、守りの手を打たずに負けるようなこともありますね。これは、ここでいう守りの手の大抵がもともと自分の陣地だと思っていたところを1目埋めた上に後手を引くような手になってしまうため、極力打ちたくないような手だからとなります。
ダメが詰められた時の形が不安定な状況を極力避けたい理由はこれですね。
そして、ダメ場には余程必要に駆られない限り序盤には打たないため、こうした手が生じるのは中盤から終盤になるので、それで逆転されてしまえば巻き返しはなかなか難しいもので、海王中の三将のようにそれに気付いた時点で投了するような状況もあるあるだったりします。
さて、こうした逆転を指して作中では筒井さんのマグレ勝ちと言われていますが、これが果たしてどうなのかは難しいところですね。
僕は、というか多くの碁打ちはこの対局でいう海王中の三将の側にも筒井さんの側にもなったことがあるのではないかと思います。
筒井さんの側に立った場合、正直なところ自分は相手より格下だと感じてしまいますが、海王中の三将の側に立った場合の心中は複雑です。例えたった一度のミス、それ以外では相手を上回っていると感じたとしても、たった一度のミスで負けるのが囲碁というゲームであることを考えたら、それがやっぱり実力なのではないかと思います。
終盤にミスをしない筒井さん。その強さが文字通り終盤に発揮され、相手には終盤の甘さがあったということですね。
『ヒカルの碁』の名場面、名台詞から囲碁を学ぼう!(その1)
『ヒカルの碁』という囲碁を題材とした作品の中でも屈指の名作が世に出てから囲碁を覚えた人で、『ヒカルの碁』という作品に一切触れてこなかった人は少ないのではないかと思います。
そして、囲碁を覚えていく中で作中の印象的なシーンが、ただただ印象的なだけではなく、実は相当に深いことを言っていることに気付かされたり、碁打ち特有の共感を得られたりするような場面も多いことに気付かされます。
それらは単なる共感に留まらず、囲碁を学ぶ上で役立つような事柄も非常に多く、だからこそ『ヒカルの碁』は少年漫画としてだけではなく囲碁漫画として多くの囲碁ファンにも愛される作品になっているのだと思います。
そして、『ヒカルの碁』から学べるのは技術的なことというよりは精神的なことだったり、いわゆる棋理について共感しながら理解していくことができる部分があるのではないかと思っています。
本記事では、そんな『ヒカルの碁』から学べるアレコレを記事にしていきたいと考えています。
まあ、要は『ヒカルの碁』の名場面や名台詞をある程度囲碁のことを知っている視点から深掘りしてみようという試みなのですが、そこにはきっと囲碁の勉強にもなる部分が少なくないのではないかという考えですね。
今回の名場面・名台詞
ただ人形のように打つのではなく、私の一手一手に石の流れを感じなさい
※文庫版1巻の藤原佐為のセリフより
これは佐為がヒカルが葉瀬中の生徒のフリをして出場した囲碁大会で、「ヒカルに見せるための一局」と称して打った一局に対して放ったセリフとなります。
主人公が才能を開花させるキッカケのような演出がカッコイイですよね!
ただ、初めて読んだ時は「何言ってんだ?」とか思っていました。
囲碁を知らない人間にとって、石の流れという言葉が何とも掴みどころのない概念に聞こえてしまうからだと思います。
僕は過去に何度か初心者に囲碁を教えようとしたことがありますが、得てして最初は一手の正解を求める傾向があります。
教える側としては、「こういう考えならココ」みたいに打つ手の選択肢を説明する時にはセットで考え方も示すのが普通なのではないかと思います・・が、それに対して「で、どれが正解なの?」といった具合ですね。
自身が初心者の時も同じだったので共感はできるところですが、ある程度の棋力を身に付けた打ち手からすると「そうではない」ということを言いたくても、上手く説明できずにもどかしいポイントだったりします。
要は、どこに打つのが正しいのかよりも、なんでそこに打つのかの方が重要であるということなのですが、佐為のセリフはまさにそのことが的確に表現されたものなのですね。
まあ、近年ではその時点での最善であれば流れなどお構いなしに打つ手を決める囲碁AIが猛威を振るっていたり、石の流れが絶対的なものであるというのは最早神話なのかもしれません。
しかし、とはいえ初心者から脱却するためには石の流れというものを感じることが重要な一歩なのではないかと思います。
『りゅうおうのおしごと(12)』限定版の小冊子の感想(ネタバレ注意)
『りゅうおうのおしごと』の12巻は本編も面白かったですけど、限定版の小冊子も銀子ファンには嬉しい内容でしたね。
作者の白鳥先生による銀子というキャラクターについての解説。
人気イラストレーターによる銀子のイラストギャラリー。
そして八一と銀子がただただイチャついているだけの短編小説。
こちらは時系列的には八一が帝位戦の挑戦者決定戦に挑む前のエピソードですね。
限定版とはいえ比較的求めやすい価格でこの内容はなかなかお得な気がしませんか?
とはいえ、限定盤は限定版を購入した人の特典のはずなので、そこまで極端に内容を詳らかにしてレビューするつもりはありませんが、オススメしないのももったいない内容だと感じたので本編とは別にレビューしてみたいと思います。
あっ、良かったら本編のレビューの方も読んでみてくださいね!
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空銀子というキャラクターについて
こちらでは空銀子というキャラクターの設定について、作者の白鳥先生が自ら執筆して語られています。
主人公の八一やメインヒロインの雛鶴あいを差し置いて語られるほど銀子が人気キャラクターであるということが分かりますね。
実際、最近の銀子の活躍ぶりには目を見張るものがあります。というか、11巻と12巻では銀子以外のヒロインの存在感が随分と薄れてしまっていますからね。
それに、作者自身も6巻以降は銀子がほぼ主役になっていることに言及しています。
まあ、銀子以外の彼女たちにも今後活躍の場はあるのでしょうけど。
また、各巻における銀子の役割の変化についても語られていますが、それもまた実際に読んで感じていた通りでした。ただ、もともと5巻で終わる予定だった作品が続くことになったことで、本来のプロットに添った展開にした結果が今の銀子の状況でもあるようなので、もしかすると序盤の銀子は意図的に本来の役割を歪めて・・は言い過ぎにしても表には出さないように描かれていたのかもしれませんね。
結果論ですけど、そのことが空銀子というキャラクターにギャップを与え、より魅力的なキャラクターに押し上げることに繋がったのではないかとも思います。
更に、銀子のモデルについても言及されています。
『りゅうおうのおしごと』には現実の将棋界にあったエピソードを参考にしたようなお話が多々あったり、現実の棋士を思わせるようなキャラクターも多いので、当然誰がモデルなのだろうかという考察は多くの人がしてきたことなのではないかと思いますし、僕も将棋界には疎いものの空銀子というキャラクターは現実に存在しそうなギリギリのライン上のキャラクターなので、自分が知らないだけでモデルはいるのだろうと勝手に思っていました・・が、どうやらそれは間違いだったようですね。(笑)
この小冊子を読んで「えっ、そうなの?」と思った人も多いのではないでしょうか?
空銀子イラストギャラリー
全ての『りゅうおうのおしごと』のイラストを知っているわけではないので既出なのかは判断できませんが、しらび先生によるものとゲストイラストレーターによるものとで空銀子のカラーイラストが大量に掲載されています。
個人的には、しらび先生の描いた幼い頃の銀子が将棋盤の横でリラックスして寝転がっているイラストが気に入りましたけど、他のイラストも時間を掛けてジックリ眺めたくなるようなものばかりでした。
ちなみに、ゲストイラストレーターには『処刑少女の生きる道』のニリツ先生、『天才王子の赤字国家再生術~そうだ、売国しよう~』のファルまろ先生のお二方がいました。
ファルまろ先生の銀子は本家に近い雰囲気ではあるものの、本家にありそうで無さそうな感じが良いイラストでした。そして、ニリツ先生の銀子はただただ格好良かったです。
銀子とただイチャイチャするだけの話
12巻の本編の内容は奨励会編のクライマックスということもあり、三段リーグを戦うメインキャラクター以外のキャラクターにもスポットが当たっており、その内容も将棋に命を賭ける人生の断片が垣間見えるようなものだったり、リーグ終盤の激闘が中心に描かれていました。
11巻の封じ手の続きをはじめてとした八一と銀子のラブコメも描かれてはいましたが、表紙から受ける印象に反して11巻ほどラブコメ成分はありません。
従って、将棋ラノベとして読んでいる人にとって12巻は激闘の連続で読み応え抜群のクオリティだったと思いますが、ラブコメの続きが読みたい人にとっては少々物足りなさを感じる内容だったのではないかとも思います。
しかし、そんな物足りなさを補完しているのがこの短編小説になっているようです。
ハッキリ言って、ビックリするほど内容はありません。まあ、本編じゃないのにそこに重要な内容が含まれていても困りますけど。(笑)
なんとタイトル通り、約40ページにも渡って八一と銀子がイチャイチャしているだけの短編小説になっています。
八一が帝位戦の挑戦者決定戦に挑む前なので、時系列的には12巻の本編に照らし合わせると序盤のエピソードとなります。
本編の帝位戦の挑戦者決定戦で八一は名人にアッサリ勝利していますし、銀子も三段リーグで好調を保っていたタイミングですが、なるほどその裏でこんなことをしていたわけだと思わされます。
読んでいて恥ずかしくなるバカップルぶりを二人が発揮している上に年齢のことを考えたらかなり際どいイチャイチャぶりでもあるので、読んでいて相当お腹いっぱいになります。(笑)
そういえば本編では、八一が銀子にコスプレをさせたりと八一の性癖が垣間見えるようなシーンはありましたが、銀子のそういう所はあまり描かれていた記憶がありません。
しかし、この短編小説ではむしろ銀子のかなり特殊かつ意外な性癖が明らかになっていて、その辺が本編のみを読んでいる人には分からない見所なのかもしれません。
引かれるかもと思いつつその性癖を暴露してしまって、八一に身体が目当てだったのかと言われてしまうという、いつもとは立場が逆転していそうな会話が面白かったです。
『りゅうおうのおしごと(12)』かつてないほど人生が描かれているラノベの感想(ネタバレ注意)
本記事は将棋ラノベの名作である『りゅうおうのおしごと!』の魅力を、ネタバレ含む感想を交えて全力でオススメするレビュー記事となります。
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本作の概要
あらすじ(ストーリー)
奨励会編が佳境なので11巻から引き続きメインヒロインである竜王の弟子たちの出番は少なく、表紙からお察しの通り空銀子にかなりのスポットが当たった内容になっています。
とはいえ、描かれているのは表紙の初々しいバカップルっぽいエピソードではなく、最後まで気の抜けない奨励会編のクライマックスとなります。
そういうわけで空銀子一色に染まった内容というよりは、むしろ三段リーグでしのぎを削って戦う空銀子の対戦相手達を深く掘り下げていった内容という印象ですね。
即ちメインキャラクター以外にスポットが当たっているシーンが多めなのですが、それでも退屈するような部分は一切なくて、むしろメインキャラクターに頼らずともここまで高クオリティの作品になっているのはさすがの一言です。
あとの無い年長者である鏡州飛馬。
盤外戦術に長けているけど実は・・な辛香将司。
空銀子に負けて自身の才能に疑問を持つ椚創多。
そして将棋の星の王子様に追い付きたい空銀子。
読んでいて、最後にはその誰もに昇段してほしいと思わされるほど感情移入させられますが、そういうわけにもいかない厳しい勝負の世界が描かれています。
しかし、散々波乱を起こしまくる展開になっているのに、その結果に後味の悪い部分が無いのが素晴らしいですね。
また、見所は奨励会編だけではありません。
その裏(というか本来的にはこちらが表なのでしょうけど)では九頭竜八一が二冠を賭けて於鬼頭曜帝位に挑んでいて、主人公としての存在感を遺憾なく発揮しています。
また、あとがき後の感想戦では以前より伏線の貼られていた「九頭竜八一が関東でなんと呼ばれているのか?」という答えが出てきます。
そして、将棋だけではなく恋愛面での勝負(?)にも進展があります。
八一と銀子の関係性は随分と順調のようですが、そのことを一番弟子に伝えられずにいる八一。
そのことを察している様子ではあるものの同時に避けている節のある雛鶴あい。
そういうわけで12巻でのメインヒロインさんは大人しかったですが、代わりに二番弟子の夜叉神天衣が強制封じ手を敢行します。(笑)
小さなヒロインたちに巻き返しはあるのか?
その辺も今後の見所のひとつになってくるかもしれませんね。
ピックアップキャラクター
空銀子一色だった11巻とは打って変わって、12巻では非常に数多くのキャラクターにスポットが当てられています。
これまでの奨励会編の対局では、どうしてもメインキャラクターの一人である空銀子に感情移入してしまいがちでしたが、人生を賭けて戦う奨励会の三段リーグ編のクライマックスにふさわしく他のキャラクターの視点でも深堀りして描かれていることで、12巻ではどのキャラクターにも感情移入できてしまいました。
なので、12巻のレビューではここで特定のキャラクターをピックアップしたりはしませんが、要はそれだけ濃密に脇役すらも描かれているということであって、それがこの1冊の最大の魅力なのではないかとも思います。
それにしても、雛鶴あいのような子供がメインヒロインだったり、時には清滝鋼介のようなおじさんがメインを張ったり、そして12巻のように多種多様なキャラクターが活躍したり・・
それでいて全く違和感なく『りゅうおうのおしごと!』らしさを崩さない作品。
将棋というゲームがそれだけ多くの人に愛されるものだからこそ、それに触れるキャラクターを選ばないということなのかもしれませんね。
ネタバレ含む感想
封じ手の練習がしたい
「誰か! 誰か早くあのバカを止めてっ!」
帝位への挑戦を決めた八一へのインタビューを配信で見ていた銀子が青ざめながら発したセリフですが、なんだか『りゅうおうのおしごと!』という作品の中においては・・というか八一と銀子の間においては、封じ手という言葉が二つの意味を持つようになってしまいましたね。
前回の封じ手は緊張しすぎて、味わう余裕が全くありませんでしたから
はて、八一が味わう余裕が無かったのは名人との竜王戦のことでしょうか?
まだまだ経験値が足りません! もっともっともっと封じ手をしたいです!
はい。明らかに違いますね。(笑)
幸いにも八一が何を言っているのかは銀子にしか分からないハズなので問題がないといえばないわけなのですが、画面越しに焦る銀子が可愛らしいシーンでしたね。
というか、わざとなんじゃないかとすら思ってしまいます。(笑)
とまあ、本作品では意外と珍しい11巻でのラブコメの続きも12巻では見られますが、実際に真面目な意味で封じ手がポイントとなる展開になっているのが面白いです。
ええ。一晩考えられるアドバンテージは大きすぎます。敢えてやるなら一日目は定跡部分で止めるしかないでしょうね……
帝位戦の1局目は、二日目が始まって僅か15手で終わってしまいます。
そして、その理由は八一が封じ手した後の一晩を使って局面を読み切ったからなのですが、本当にそれが可能なら確かに封じ手というシステムの使い方は勝敗に直結してきます。
まあ、それが勝敗に直結するほどの実力者であればという前提は当然あるのでしょうけど。
それにしても、八一が最後に読みを入れる瞬間が、さながら雛鶴あいが終盤力を発揮する時の姿に重なるのも良かったですね。
そんな感じで5巻の名人戦以降、努力や苦労を重ねつつも常に強くなっていっている印象のある八一ですが、そんな八一が関東の棋士から恐れを込めて何とか呼ばれているらしいことが以前から伏線として貼られていましたが、それが12巻の感想戦で明らかになります。
それは、西の魔王。
少し安直な気もしますが、名人が神なので竜王が魔王というのは発想としては面白いですね。それに、こういうのは安直な方が分かりやすくて良い意味もありそうです。
もし、あいつの視点で書かれた物語なんてものがあったら、それはきっと……どんな壁でも努力で越えられるとかいう、さぞ希望に満ち溢れたお話なんでしょうね。でも書いてる本人は気付いてないんだ。一番高い壁が自分自身だってことに。最高の喜劇ですよ。最高に残酷な
これは、まさに『りゅうおうのおしごと!』という作品そのものを示したセリフなのだと思いますが、なるほど本作品には九頭竜八一を主人公とした視点とは別に、九頭竜八一をラスボスとした作品の一面もあるのだと言っているような気もしますね。
例えば、空銀子はまさしく八一に追い付こうとしているのが動機のキャラクターの筆頭ですし、もしかしたら作者の白鳥先生は『りゅうおうのおしごと!』のクライマックスを他のメインキャラクターの誰かによる九頭竜八一への勝利にしようとしているのかもしれないと僕は推測します。
三段リーグの終盤戦
この辺、あまりにも多くが描かれていて見所が多すぎるので、各キャラクターについて一言ずつコメントしていきたいと思います。
空銀子
11巻で立ち直りはしたものの、既に喫した黒星が消えるわけではないので常にギリギリの戦い強いられることになります。
やはり勝った方がプロとなる最終戦。しかも相手はずっとお世話になっている鏡州飛馬という戦う前から精神的にツライ相手の対局が見所となります。
完治しているとはいえ不安は拭えない心臓を抱えて、それをも自分自身で叱咤しながら戦う姿が熱いです。
最後の決め手に雛鶴あいから出された詰将棋の問題が役立つという奇跡的な展開も素敵ですが、そういえば何だか12巻では空銀子と雛鶴あいの絡みがかなり多かったですよね。
もともと相性の良くないキャラクター同士が良好になっていく展開が個人的には好きなので、この二人の関係性がどうなっていくのかって個人的にはかなり気になるポイントだったりします。
それにしても、空銀子の対局シーンは二面的なところがあって興味深いです。
女流棋戦に絶対王者として君臨する風格のある姿と、歯を食いしばって将棋星人に追い付こうとする挑戦者としての姿。
本作品の序盤では前者の姿が主に描かれていたので、この奨励会編では空銀子というキャラクターへの印象が随分と変わったような気がします。
あと、本編では三段リーグに臨む凛々しい姿が主に描かれていて、11巻のラブコメの続きは控えめな印象でしたが、限定版の小冊子がそんな不足を補う内容になっているので、空銀子ファンなら限定版の方をオススメします。
椚創多
天才とは何故天才なのか?
そんなことを12巻の椚創多からは考えさせられますよね。
空銀子や辛香将司は天才ではありませんが、天才であるはずの椚創多はその二人に敗れてしまっています。
自分は本当にまだ天才なのかと悩む姿も見られたり、いくら将棋が強くてもまだ小学生なのだろうと思わされるメンタルの弱さが露呈してきます。
もともと才能の無い相手にはハッキリそう言って挑発する小生意気なキャラクターでしたが、どうやらそんな態度には天才である自分に本気になってくれない相手を本気にさせたい意図があったらしいことが分かったり、そこそこ古株のキャラクターのわりに実はその内面まであまり触れられていなかったのだということがこの12巻で分かりました。
鏡州飛馬との対局では勝利してしまうことすら躊躇ってしまったり、新たな一面が見えたりして良い意味で印象の変わったキャラクターだと思います。
また、以前から何故かやたらと八一に懐いていた理由も明らかになっています。
坂梨澄人
女性の奨励会三段に初めて負けた奨励会三段になってしまい、それを引きずって連敗をしていたキャラクターです。三段リーグの序盤で人目もはばからず泣いている姿が描かれていたのが印象的で、まさか3人目の昇段者になるとは思いませんでした。
最初に連敗したことで他の奨励会三段からの警戒が薄れ、精神的にも開き直ったのか連勝を続けたことが結果に繋がったわけですが、本人も自分が合格したことを知らず奨励会を去ろうとしているところに昇段の連絡があったとしても、ちょっと想像しにくい感情になってしまいそうですよね。
鏡州飛馬
椚創多が空銀子に敗れて以降ずっとトップを保ってきたにも関わらず、最後は椚創多と空銀子に連敗して昇段には至りませんでした。
・・と、これだけ書くと単なる敗北者でしかありませんが、椚創多と同じくこちらも随分と好感度を上げてきたキャラクターなのではないかと思います。
特に、椚創多との対局のラストは良かったですね。
周囲の誰もが鏡州飛馬の勝ちで、椚創多が投了を躊躇っていると認識していたシーンで、ただ一人実は椚創多が躊躇っているのは投了ではなく、詰みがあるのにそれが鏡州飛馬の首を斬ることに繋がると感じて躊躇っているのだと気付いて、それを指すように促したシーンは素敵でしたね。
椚創多も鏡州飛馬も本作品においては名前のある脇役くらいのキャラクターですが、このシーンにおいては完全に主人公になっていました。
清滝鋼介が鏡州飛馬に託したネクタイ。それを鏡州飛馬の意思を継いでプロ棋士になると宣言した椚創多に託していく展開も良かったと思います。
辛香将司
番外戦術ばかりであまり良い印象のないキャラクターでしたが、こちらも意外な過去が明らかになって随分と印象が変わってきました。
というか、空銀子は当初から辛香将司のことを相当苦手に感じている様子でしたが、それが苦手でなくなった理由が素敵すぎる。
なぜか空銀子の病気のことを知っていて、しかも明石先生からリークされたわけでもないらく、本当に完治しているのかと脅してくる自分の二倍以上の年齢の中年男性。
言葉にすると女子高生からしたら怖すぎるキャラクターですが、考えてみれば明石先生の同期なのだから単に昔から空銀子のことを知っていた可能性はあったわけですね。
実は、空銀子こそが辛香将司が一度やめた将棋の世界に戻ってきた理由だったりするのです。
辛香将司は病院で子供たちに将棋を教えていて、その中に幼い空銀子もいたようなのですが、そんな辛香将司を慕って将棋を指す子供たちは次々と亡くなっていってしまいます。
そのことをツラいと感じていた辛香将司は、しかし空銀子のように元気に今でも将棋を指している姿を見て再び再起する決心をしたわけなのですね。
そんな背景を知ると、不気味で悪質に見えたキャラクターが一気に違うものに見えてくるから不思議です。
また、何かと悪ぶった言動の中に実は空銀子への気遣いが含まれていたというのも衝撃です。
しかし、その悪意のない本質を空銀子に知られてしまったことで敗北してしまったのは少々皮肉かもしれませんね。
私は強くなった。もう『かわいそう』な私じゃない。だから──」 銀子は辛香を睨みつけると、吠えた。全身から闘志を剝き出しにして。「だから! つべこべ言わずに本気でかかってこいッ!! 辛香ッッ!!
対局中の空銀子と辛香将司の会話は、とても温かい気持ちになれる素敵なものだったと思います。
空銀子の感謝
前述しましたが12巻では空銀子と雛鶴あいの絡みが今までより少し多めです。いや、メインキャラクター同士にしては今までが少なすぎたのかもしれませんけど。
小童と見くびるようなことを言ってはいても、どうやらしっかり八一と同じ将棋星人の枠に雛鶴あいを入れているらしいことが12巻では分かります。
将棋星人の中でも破格の翼(さいのう)を持つあいつら
鏡州飛馬との対局の中で、なかなか打開できない局面を前に考える「あいつら」とは、どうやら八一と椚創多と雛鶴あいのことのようです。
真っ直ぐ伸びて行きなさい。私には必要ない長手数の詰将棋だって、あんたには必要なものなのかもしれない。私では吸収しきれない八一の発想も、あんたなら吸収できるかもしれない。生まれた時から将棋の星にいる、あんたなら
この辺の雛鶴あいとの会話の背景には辛香将司の番外戦術に不安になっているところもあるのだと思いますが、それだけに雛鶴あいに対する本音でもあるのだと思います。
強くなった雛鶴あいと、もう一度…………盤を挟んでみたかったわ
そして、空銀子と雛鶴あいのカードは今後読んでみたいカードの筆頭でもありますよね。
ともかく、この時に雛鶴あいから渡された詰将棋が空銀子の四段昇段を決める最後の決め手になるという奇跡があまりにも素敵すぎます。
小童にお礼、言わなきゃ……
もちろん、確かに雛鶴あいは負けず嫌いを発揮して空銀子に詰将棋を渡しただけのことでしたが、それでもそれが起こした奇跡であることには違いありません。
雛鶴あい以外にも、月夜見坂燎に女流棋士室を使わせてもらったことに感謝の言葉を示したり、ある意味では今までの空銀子っぽくないセリフも12巻には多いです。
どちらかといえば、本当は感謝をしていたとしても照れ隠しにツンとした態度をしてしまうタイプのキャラクターですからね。
逆に言えば、この三段リーグを乗り切ったということは、そんな照れを遥かに凌駕するくらいの喜びがあるということの裏返しなのではないかと感じました。
俗っぽい言葉を使えば空銀子が色々なキャラクターに対してデレたということなのかもしれませんけど、その状況が最高すぎると思います。